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さくらんぼの食べ方
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屋敷に帰ってからも、私が慣れるまではと部屋を離すこととなった。
「本当にいきなりでしたからね、自分も仕事がありますので、一緒の部屋で寝ると落ち着かないかと思います。しばらくは部屋を分けましょう」
「そうなんですが……お仕事お忙しいんですね?」
「はい。この領地は基本的に農業で成り立っていますから、季節の変わり目の発育状況の管理は重要でして」
「なるほど……」
「それに呪いのことも考えなければなりませんしねえ」
「そうですねえ……」
でもこの間の村を見ていても思ったけれど、普通の農村だったし、大麦をたくさん収穫してビールをつくっているようなところで、誰も呪いなんて気にしていなかった。
風評被害だとしたら、なにがクレージュ領を襲っているのかを見極めないことには、対処ができない。
この手の情報が集まっているとしたら。
「そういえば、ジル様」
「なんでしょうか?」
「クレージュ領では神殿はどうなさっていますか? 先日視察に行った村では、確認できませんでしたが」
神殿だったら、商人ともやり取りをしているし、宿屋のないような街道でも格安で泊まれるため、訪れた人たちがたくさん情報を落としているはずだ。
クレージュ領外に出回っている呪いについても、なんらかの情報が得られるかもしれないのだ。
私の言葉に、ジル様は顎に手を当てた。
「一応街道には存在していますが、先日通った場所にはありませんでしたね。明日は自分は別件の仕事がありますので、シルヴィさんと一緒に出掛けることはできませんが……そうですね。一旦護衛のエリゼを付けましょう。それに今の季節はちょうどいいかもしれませんね。楽しんできてください」
「ありがとうございます」
楽しむってなにをだろう。私は首を捻りつつも、与えられた部屋で眠ることになった。
先日の村長さんの屋敷のベッドもふかふかしていたけれど、クレージュ邸のベッドはそれにも増してふかふかとしている。
ジル様はお忙しいというのに、なんだか申し訳ないなと思いながら、私は目を閉じた。
****
翌日、私たちは朝ごはんに焼きたてのパンとスープをいただく。
シンプルながらも私が普段食べていたパンは固くてなかなか噛み切れなかったから、スープに浸さずとも柔らかいパンはすごいなと、一生懸命食べている中、ジル様が口を開いた。
「それで、今日はシルヴィさんは神殿に向かうのですね」
「はい。ジル様は?」
「今日は書類仕事ですね。今日は出られませんから、エリゼを紹介しますが……エリゼ、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
出てきた人を見て、私は少し面食らった。
赤い髪を短く刈り、執事のドレススーツを着ていた。目元は涼しく凛々しいサファイアブルーの瞳の。女性だった。
女執事という存在はいるらしいが、実物を見るのは初めてだった。
「エリゼさん……ですか?」
「はい。奥様が神殿に訪問したいと旦那様に相談されましたので、護衛を務めさせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いしますね」
「あ、はい……」
これはあれかな。私が神殿に長いこといたから、護衛に付けるのは女性のほうがいいとジル様が気を遣ってくれたのかな。
農村の手伝いをしたり、あちこちに視察に行ったり、この人とことん気遣いなんだなあ……。私はそれに感謝しつつ、エリゼさんに頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
そうエリゼさんに微笑まれた。
それにジル様は困った顔をしていた。
「エリゼ、あまりシルヴィさんをからかわないでくださいよ」
「存じておりますよ、旦那様」
どうもこのふたりは気安い関係らしく、少しだけ言葉が砕けていた。
私はできる限り動きやすいワンピースに着替えて、馬車に乗ろうとすると、「どうぞ」とエリゼさんが手を取ってエスコートしてくれた。
「ありがとうございます」
「はい」
「そういえば、ジル様と親しいようでしたけど、お知り合いですか?」
「私の父は、クレージュ邸の執事長ですから、私は旦那様の遊び相手として長いこと滞在しております」
「まあ……」
先代からの付き合いだったら、あの親しい距離感になるのかな。私がそう納得していたら、エリゼさんはにこやかに笑った。
「嫉妬しておりますか?」
「はい?」
「奥様、私が現れたときに動揺なさっていましたから」
そうエリゼさんに言われ、私は腕を組んで考え込んでしまった。
「……どうでしょうね。私、まだここに嫁いだばかりで、ジル様のこと、なにも知りませんからわかりません。それに、ジル様の昔から築いてらっしゃった人間関係にとやかく言えますか?」
「なるほど。失礼しました。旦那様が気に入るはずです」
それどういう意味なんだろう。
そう思っている間に、だんだん神殿が見えてきた。この辺りは街道以外はほぼほぼ農業地帯が埋め尽くしているため、大きな娯楽がない。そうなったら街道にもなかなか宿ができず、神殿も比較的大きめにつくられているようだった。
「あちらですよ。目的の神殿は」
「結構人が利用されてるんですねえ」
馬車の数が結構並んでいるのを確認しながら降りると、エリゼさんはやんわりと言う。
「いえ、今は季節ですから」
「季節?」
「ここの神殿、他の神殿ではワインをつくってらっしゃるそうですが、ここではチェリーワインをつくってらっしゃるんですよ」
「チェリーワイン……!!」
そっか、さくらんぼを商人さんたちが買い求めに来ていたのか。
うきうきしながら「こんにちは」と神殿に入っていくと、ちょうど掃除をしていた巫女さんがこちらに振り返った。そしてエリゼさんを見てから微笑んだ。
「これはこれは、領主様の奥様ですね。連絡はいただいておりますよ」
「それはそれは。ありがとうございます。なんだか今日はお忙しいようですけれど……」
「ええ。庭で育てているさくらんぼの収穫の時期ですからね。商人さんたちもさくらんぼを買い求めにいらっしゃるんですよ」
「なるほど……でもどうして神殿にですか? クレージュ領でしたら、他にもさくらんぼ農家はあるでしょうが……」
そう言ったら、巫女さんは少しだけ困った顔をした。
「この場の話とさせてくだされば……領主様が悲しみますから」
「……ジル様が悲しまれる話なんですか?」
「呪われている地において、神殿のもの以外は口にしたくないって方がいらっしゃるのですよ。最近では困った農家は、うち経由で商人の皆さんと取引なさっている方々もいらっしゃいますから」
「それは……」
うーん、呪いの怖がり方は尋常じゃないな。
そう思いながらも、庭に辿り着いた。そしてその綺麗な光景に思わず目を細めた。
緑の木々にぶら下がった、赤く艶々としたさくらんぼ。それらを巫女さんたちが一生懸命収穫していた。
チェリーワインをつくるための分を確保しつつも、余剰の部分は売っているようだった。
「本当にここのさくらんぼは質がよくて助かっているよ」
「ありがとうございます」
「クレージュ領の呪いも、なんとかなるといいんだけどねえ」
そう商人さんたちが言いつつ、さくらんぼを箱に詰めつつ、それを馬車の荷台に積んで帰っていく。傷まないように慎重に運ばないといけないんだろう。
それらを見送りつつ、ようやっと今日の作業が済んだ巫女さんたちが顔を上げた。
「あら、奥様ですか! 挨拶が遅れて申し訳ございません!」
「いえ、私も急に押しかけて申し訳ございません。それにしても……あれだけ全部ワインにするんですか?」
たしかにうちもブドウが大量にできたら、干しブドウにしたりワインにしたりと、皆で手分けして必死に作業をしていたけれど。
私が指差すと、巫女さんは「いいえ」と首を振った。
「この時期じゃないと食べられないケーキを皆でいただくんです。孤児院の子供たちや今日泊まっている皆さんにも。よろしければ奥様も見ていきますか?」
「よろしいんですか?」
「はい」
私が住んでいた神殿は、基本的に畜産も乳産業も発達していたけれど、ここでだったらなにをつくるんだろう。
私は興味を持って、台所に見学させてもらうこととなった。
もしかすると、ジル様はこの時期限定のお菓子のことも知っていたのかもしれない。
「本当にいきなりでしたからね、自分も仕事がありますので、一緒の部屋で寝ると落ち着かないかと思います。しばらくは部屋を分けましょう」
「そうなんですが……お仕事お忙しいんですね?」
「はい。この領地は基本的に農業で成り立っていますから、季節の変わり目の発育状況の管理は重要でして」
「なるほど……」
「それに呪いのことも考えなければなりませんしねえ」
「そうですねえ……」
でもこの間の村を見ていても思ったけれど、普通の農村だったし、大麦をたくさん収穫してビールをつくっているようなところで、誰も呪いなんて気にしていなかった。
風評被害だとしたら、なにがクレージュ領を襲っているのかを見極めないことには、対処ができない。
この手の情報が集まっているとしたら。
「そういえば、ジル様」
「なんでしょうか?」
「クレージュ領では神殿はどうなさっていますか? 先日視察に行った村では、確認できませんでしたが」
神殿だったら、商人ともやり取りをしているし、宿屋のないような街道でも格安で泊まれるため、訪れた人たちがたくさん情報を落としているはずだ。
クレージュ領外に出回っている呪いについても、なんらかの情報が得られるかもしれないのだ。
私の言葉に、ジル様は顎に手を当てた。
「一応街道には存在していますが、先日通った場所にはありませんでしたね。明日は自分は別件の仕事がありますので、シルヴィさんと一緒に出掛けることはできませんが……そうですね。一旦護衛のエリゼを付けましょう。それに今の季節はちょうどいいかもしれませんね。楽しんできてください」
「ありがとうございます」
楽しむってなにをだろう。私は首を捻りつつも、与えられた部屋で眠ることになった。
先日の村長さんの屋敷のベッドもふかふかしていたけれど、クレージュ邸のベッドはそれにも増してふかふかとしている。
ジル様はお忙しいというのに、なんだか申し訳ないなと思いながら、私は目を閉じた。
****
翌日、私たちは朝ごはんに焼きたてのパンとスープをいただく。
シンプルながらも私が普段食べていたパンは固くてなかなか噛み切れなかったから、スープに浸さずとも柔らかいパンはすごいなと、一生懸命食べている中、ジル様が口を開いた。
「それで、今日はシルヴィさんは神殿に向かうのですね」
「はい。ジル様は?」
「今日は書類仕事ですね。今日は出られませんから、エリゼを紹介しますが……エリゼ、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
出てきた人を見て、私は少し面食らった。
赤い髪を短く刈り、執事のドレススーツを着ていた。目元は涼しく凛々しいサファイアブルーの瞳の。女性だった。
女執事という存在はいるらしいが、実物を見るのは初めてだった。
「エリゼさん……ですか?」
「はい。奥様が神殿に訪問したいと旦那様に相談されましたので、護衛を務めさせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いしますね」
「あ、はい……」
これはあれかな。私が神殿に長いこといたから、護衛に付けるのは女性のほうがいいとジル様が気を遣ってくれたのかな。
農村の手伝いをしたり、あちこちに視察に行ったり、この人とことん気遣いなんだなあ……。私はそれに感謝しつつ、エリゼさんに頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
そうエリゼさんに微笑まれた。
それにジル様は困った顔をしていた。
「エリゼ、あまりシルヴィさんをからかわないでくださいよ」
「存じておりますよ、旦那様」
どうもこのふたりは気安い関係らしく、少しだけ言葉が砕けていた。
私はできる限り動きやすいワンピースに着替えて、馬車に乗ろうとすると、「どうぞ」とエリゼさんが手を取ってエスコートしてくれた。
「ありがとうございます」
「はい」
「そういえば、ジル様と親しいようでしたけど、お知り合いですか?」
「私の父は、クレージュ邸の執事長ですから、私は旦那様の遊び相手として長いこと滞在しております」
「まあ……」
先代からの付き合いだったら、あの親しい距離感になるのかな。私がそう納得していたら、エリゼさんはにこやかに笑った。
「嫉妬しておりますか?」
「はい?」
「奥様、私が現れたときに動揺なさっていましたから」
そうエリゼさんに言われ、私は腕を組んで考え込んでしまった。
「……どうでしょうね。私、まだここに嫁いだばかりで、ジル様のこと、なにも知りませんからわかりません。それに、ジル様の昔から築いてらっしゃった人間関係にとやかく言えますか?」
「なるほど。失礼しました。旦那様が気に入るはずです」
それどういう意味なんだろう。
そう思っている間に、だんだん神殿が見えてきた。この辺りは街道以外はほぼほぼ農業地帯が埋め尽くしているため、大きな娯楽がない。そうなったら街道にもなかなか宿ができず、神殿も比較的大きめにつくられているようだった。
「あちらですよ。目的の神殿は」
「結構人が利用されてるんですねえ」
馬車の数が結構並んでいるのを確認しながら降りると、エリゼさんはやんわりと言う。
「いえ、今は季節ですから」
「季節?」
「ここの神殿、他の神殿ではワインをつくってらっしゃるそうですが、ここではチェリーワインをつくってらっしゃるんですよ」
「チェリーワイン……!!」
そっか、さくらんぼを商人さんたちが買い求めに来ていたのか。
うきうきしながら「こんにちは」と神殿に入っていくと、ちょうど掃除をしていた巫女さんがこちらに振り返った。そしてエリゼさんを見てから微笑んだ。
「これはこれは、領主様の奥様ですね。連絡はいただいておりますよ」
「それはそれは。ありがとうございます。なんだか今日はお忙しいようですけれど……」
「ええ。庭で育てているさくらんぼの収穫の時期ですからね。商人さんたちもさくらんぼを買い求めにいらっしゃるんですよ」
「なるほど……でもどうして神殿にですか? クレージュ領でしたら、他にもさくらんぼ農家はあるでしょうが……」
そう言ったら、巫女さんは少しだけ困った顔をした。
「この場の話とさせてくだされば……領主様が悲しみますから」
「……ジル様が悲しまれる話なんですか?」
「呪われている地において、神殿のもの以外は口にしたくないって方がいらっしゃるのですよ。最近では困った農家は、うち経由で商人の皆さんと取引なさっている方々もいらっしゃいますから」
「それは……」
うーん、呪いの怖がり方は尋常じゃないな。
そう思いながらも、庭に辿り着いた。そしてその綺麗な光景に思わず目を細めた。
緑の木々にぶら下がった、赤く艶々としたさくらんぼ。それらを巫女さんたちが一生懸命収穫していた。
チェリーワインをつくるための分を確保しつつも、余剰の部分は売っているようだった。
「本当にここのさくらんぼは質がよくて助かっているよ」
「ありがとうございます」
「クレージュ領の呪いも、なんとかなるといいんだけどねえ」
そう商人さんたちが言いつつ、さくらんぼを箱に詰めつつ、それを馬車の荷台に積んで帰っていく。傷まないように慎重に運ばないといけないんだろう。
それらを見送りつつ、ようやっと今日の作業が済んだ巫女さんたちが顔を上げた。
「あら、奥様ですか! 挨拶が遅れて申し訳ございません!」
「いえ、私も急に押しかけて申し訳ございません。それにしても……あれだけ全部ワインにするんですか?」
たしかにうちもブドウが大量にできたら、干しブドウにしたりワインにしたりと、皆で手分けして必死に作業をしていたけれど。
私が指差すと、巫女さんは「いいえ」と首を振った。
「この時期じゃないと食べられないケーキを皆でいただくんです。孤児院の子供たちや今日泊まっている皆さんにも。よろしければ奥様も見ていきますか?」
「よろしいんですか?」
「はい」
私が住んでいた神殿は、基本的に畜産も乳産業も発達していたけれど、ここでだったらなにをつくるんだろう。
私は興味を持って、台所に見学させてもらうこととなった。
もしかすると、ジル様はこの時期限定のお菓子のことも知っていたのかもしれない。
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