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同室同衾次の課題
しおりを挟む他の挙式での新郎新婦はよく知らないけれど、私たちの挙式は夫婦揃ってたくさん食べ、馬車で屋敷に戻ったときにはもうなにも入らなくなっていた。
ただお土産で持たされた野菜のピクルスで晩酌を取るだけに留めていた。
「おふたりともお疲れ様です」
エリゼさんはにこやかに笑って、グラスにチェリーワインを注いでくれた。甘酸っぱい香りのおかげで、幾分かお腹がはち切れそうな中でも食欲を取り戻してくれた。
ジル様も普段はもっと穏やかだけれど、さすがに慣れないこと続きだったせいか、ぐったりとしてしまっている。
「いや、エリゼもありがとう。ええっと……シルヴィさん。今晩ですけれど」
「あ……はい」
そうだった。
今晩から同じ部屋で眠るんだった。心臓がバックンバックンとうるさいのは、眠れる気が全然しないからだ。そもそも私はその手の知識がとことん欠けているために、なにをどうすればいいのかなんて知らない。
私があわあわとしている中、ジル様は申し訳なさそうに告げた。
「……式の都合で今日の執務が終わっていませんので、申し訳ありませんが、うるさくなってよろしいですか?」
「はい?」
そういえば、元々部屋を分けていたのは、私が神殿にずっといた関係で貴族教育をほぼ受けてないんだから慣れてからというのの他に、執務が忙しいからうるさくて眠れないんじゃという配慮からだった。
そっかあ。そっかあー、私の早とちりかあ。普通にプロポーズも受けたし、普通に式も済ませたからと言って、はい今日から夫婦やってくださいと言われても、そう上手くはいかないかあ。
残念なのか、よかったと安堵すればいいのか、私にもよくわからなかった。
一方、ジル様にもグラスを差し出したエリゼさんが半眼で苦言を飛ばす。
「旦那様、新婚ですのでほどほどに」
「しかしエリゼ、自分の替わりはいないから……」
「先代もそれが原因で離縁の危機になったでしょうが。学習なさってください」
そうだったの? 私はその疑問の目を思わずジル様に向けると、ジル様は気まずそうに視線を逸らした。
「すみません、エリゼさんに聞かせても面白い話ではありませんから伝えてなくて」
「いえね、これに関しては奥様にも伝えなければならないでしょう。先々代の時代だったらいざ知らず、先代のときは呪いも蔓延していなかったのに、仕事にかまけ続けた結果、先代の奥様がたまたまクレージュ領を通った劇団の花形役者に落ちてしまって、そのまま駆け落ちしかかったんですから」
それ、ものすごく大変なことだったのでは。神殿にもたびたび宿が見つからなかった劇団が宿泊の交渉に来ていたし、役者に落ちてしまった行儀見習いの子が脱走しかかったのを、皆で必死に止めていたことがあったし。
でもなあ。私も姉の代打でここに嫁いだのだし、それをプロポーズ間際でしか伝えることができなかった訳だし、全然ジル様を責められる立場にないのでは。
私はしばらく考えてから、とりあえずピクルスをひと口囓った。爽やかなセロリのピクルスは、ハーブと一緒に漬け込んだピクルス液がよく染みておいしい。
「とりあえず、お仕事お疲れ様です。あまり無理なさらないでくださいね?」
「……ありがとうございます」
少し疲れた笑みを浮かべていたジル様が、少しばかり気がかりだった。
****
絶対なにもないだろうけれど、念のためということで、湯浴みのあとは本当に念入りにメイドさんたちからマッサージを受けたものの、ほぼほぼ全員「申し訳ございません」と謝られてしまった。
「旦那様、なにぶんとこう……不運に見舞われてますから」
「あら、そうなんですか?」
「はい」
湯浴みで洗った体に、もにゅもにゅと香油を塗りたくられるものの、多分これが功を成すことは今晩はない。
メイドさんたちの言い分は概ねこうだった。
「先代の際にはなにも問題が起こらなかったのですが……当代に入った途端に風評被害に見舞われて、その対処に追われていますから」
「呪い……ですね?」
「はい。でも住んでいる人間は皆心当たりがないために困っておりまして……現状は神殿が仲介に入ってくれているおかげでこの土地の野菜も酒も売れていますが、いつまでも神殿に頼る訳にもいかないですし」
「そうですねえ……」
神殿に近い村だったら、神殿に仲介に入ってもらって野菜を売れるからまだいいけれど。神殿から遠い村だったら神殿に運び込むまでに手数料がかかる訳だから、野菜が売れても儲からないという罠が待っている。
だからこそ、呪いの解決をしないといけない訳だけれど、原因がわからないと対処ができない。
今はジル様も風評被害に合っている村の対処に当たっているんだろう。
「とりあえず無理なさらないようには伝えておきますね」
「はい、お願いします」
出されたネグリジェも特にお色気もなにもない至ってシンプルなもので。私はいそいそと同室になった私室へと移動することとなった。
****
ベッドは大きめのものがひとつ。枕がふたつ。
前に見た村長さんの気遣いのベッドよりも気のせいか広い。
そして。色気の全くない本棚がたくさん並んだスペース。本棚の間にある机の上で、未だに湯浴みもせずジル様は執務に追われていた。
執務室にいるときと、なんら替わりがないもんなあ。私は仕方なく、ベッドに座ってその光景を眺めていた。
「あのう……」
「ああ、すみません。普段から寝る直前まで仕事をしていたもので」
「それはかまわないんですけど……日頃からそんなに体に悪いことをなさっていたんですか?」
「……すみません。自分は、なかなか仕事ができない人間で」
あそこまで仕事に追われている人が、仕事できないと卑下することはないと思う。私は思わず首を振る。
「いえ、ジル様が仕事できないとかは、ただの謙遜だと思いますけど。ですけど、それだけ被害が?」
「……はい。自分の代では呪いの風評被害についてはわかりませんでした。ただ自分たちの耳にまで風評被害が届いたときには、もうなかなか品が売れなくなっていましたから。今まではなんとか父の代までに蓄えていた貯金で補っていますが……そろそろ厳しくなるかと思います」
甘かった。私の見通しが甘かった。思わず私はこめかみに手を当てていた。
よくよく考えればわかる話だった。いくら祖父の代で約束していたとはいえど、ヘタレでも同義くらいわかる姉がその約束を違えて別荘に逃げ出すくらいなのだから、風評被害自体が呪いみたいに蔓延していてもおかしくなかったんだ。
私自身が神殿にずっといて、風評被害のことについて本当に知らないばかりに、それを甘く見ていたんだ……。
「私と式を進めたのも、挙式をすることで商人たちを呼んで、その風評被害に対抗しようとなさったんですね?」
「はい……そうなります」
「あれだけたくさん食べていれば、その意図は察しますよ」
そう。あれだけおいしく食べた、クレージュ領の野菜。
瑞々しく育つまでに、いったいどれだけ畑に手塩をかけただろう。雨風や快晴続き。畑の事情なんて空は気にしてくれないのだから、それらに立ち向かっていた村々の人々はすごいんだ。
私はベッドから立ち上がり、書類仕事をしていたジル様を見る。書類はなにも報告書だけではなく、各地からの嘆願書だった。
税を支払えないから待って欲しいという村や、ありもしない呪いの風評被害についての苦悩、畑を捨てて逃げてしまった人たちへの対応など……。たしかにこれだけのものを抱え込んでいたら、どこかで壊れてしまう。
私は黙ってそれをまとめた。
「……ジル様。一旦寝ましょう」
「ですが、仕事が」
「……わかっています。一発逆転なんて都合のいいものはないでしょうが、これらの仕事は朝にやるものであり、今やってたら間違いなく心を病みます」
ジル様のジャケットを脱がして一旦椅子にかけ、彼の手を引いてベッドに連れて行った。
「……私もいますから。今は寝ましょう」
「……寝れるかな」
「大丈夫です」
初の同衾だというのに、ただ仕事で疲れている人を寝かすだけの、色気もなにもないものになってしまった。ただ、私はジル様が眠れるまで、ずっと子守歌を歌っていた。
先延ばしにできないことはわかっていても、彼を蝕む重責から、今は一旦切り離して眠らせてしまいたかった。心を病んでしまったら、それらに立ち向かう力さえ残されてないのだから。
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