還俗令嬢のセカンドスローライフ

石田空

文字の大きさ
15 / 19

水車の見学

しおりを挟む
 馬車に乗って一刻と少し。だんだんとカッタンカッタンと独特の音が耳に入るようになってきた。

「わあ……!」
「ここですね、水車の検証実験を行っている村は」

 辺り一面は麦畑であり、その向かい側に川がある。その川でカッタンカッタンと音を立てている水車があった。
 その水車が川の水を汲み、川から細く伸ばされている水道に水を送る仕組みのようだ。その水道がそれぞれの畑に伸びている。

「すごいですね、これは」
「はい。これで水不足の村に水が送れ、逆に川の増水に困っている村が助かる仕組みになればと、学者たちに検証してもらっている最中なんです」
「その実験を行っている方々がここに?」
「半分以上が元々この村で小麦を育てている農民ですけれど、もう半分は水道の実験を進めてくれている学者たちです。水車の中にも、人がいるはずですよ。見てみますか?」
「はい」

 すごいな、たしかに治水工事になるんだ。川が通っていない村は、井戸を掘ったところで水が出ないし、逆に川が近くにあって雨期に増水のせいで近場の人たちが洪水に悩んでいるとなったら、その水を反対にすればいいんだから。
 そこらへんを検証実験を進めている人たちってどんな人たちなんだろう。私はそう思いながら、ジル様についていった。

「失礼します。ジルです」
「おお、領主様。お久し振りです。どうぞ」

 水車の中では、ギッタンバッタンと回る車に合わせて麦を踏む音が響いていた。その潰された麦をテーブルに載せて検証しているのは、色素の薄い灰色の髪をし、メガネをかけた男性だった。シャツの上に白いローブを羽織っている。たしかに学者さんらしい。
 ジル様は学者さんに頭を下げる。

「お久し振りです、マティウス博士」
「領主様こそお久し振りです。おや、そちらの女性は」
「妻です」
「ああ、先日式を挙げられていた。おめでとうございます。新婚旅行ですか?」

 マティウス博士と呼ばれた学者さんにニコニコと言われて、私は気まずい思いをして肩を竦めてしまった。でもこの人はエリゼさんと違ってからかわれているという感じはしないんだよな。
 私はどうにかしゃべらないとと、口を開いた。

「妻のシルヴィです。私もクレージュ領に来てから、いろいろと夫の仕事の手伝いができないかと無理を言って視察に連れてきてもらっているだけです……私は貴族教育を受けていませんので、屋敷のほうは執事に一任しております」
「なるほど」
「あのう、最新式の水車の開発と検証実験を行っていると伺ったのですが……」
「ええ。新しく水道管を敷くために、水を各地に送れないかという検証を進めているんですよ」

 マティウス博士はおっとりとした見た目と違い、かなりきびきびしている印象の人だった。
 それは先程もジル様からちらりと聞いたけれど。ジル様は頷く。

「ええ。ひとつは嵐のときの被害を最小限に留めるため、川の増水を防ぐという目的があります」
「だから河川のない場所に水を移動しようとしているんですね」
「はい。もうひとつは河川のない場所に水を送ることで、畑の水だけでなく生活用水の確保をしたいというのがあります。ですけど、ただ闇雲に川から水を減らすだけでなく、水を調整できないかの実験検証を行っている最中なんですよ。農村で検証を行っているのも、一番の目的である農作の利便性の向上に繋がっているかの確認がありますから」

 なるほど。私はテーブルの麦を見る。

「この麦は?」
「水の調整ができているかどうかの検証ですね。元々水車を利用して、麦を挽いて粉にしていますから、河川の水の調整の際に、水力が強いか弱いかの確認にも利用できます。これで増水しているか確認しているんですね」
「なるほど……本当にいろんなことをなさっているんですね」
「ええ。呪いに打ち勝つためにも、これらを実用段階にまで持ち込まなければいけませんから」
「ええ……? 呪い、ですか?」

 呪いと水車が全く結びつかず、私はマティウス博士をパチパチしながら見つめた。これにはしばらく私とマティウス博士の話を聞いていたジル様が口を挟んで説明してくれた。

「呪いがなんなのか、まだ全体的に把握できていません。ただ時期は特定でき、何故か領民には発生していないことだけは判明しています。それらをマティウス博士とも話をしていたのですが」
「……可能性があるとすれば、郷土病なのではないかと思っています」
「郷土病……ですか」
「それにしては、風邪のような症状が出るだけで死ぬ訳でもなく、ただ呪いじゃないかと気味悪がられているのだけは解せませんがね。なら病気の元凶を潰してしまえばいいのではないかと、生活用水の普及をできないかと考えたんですよ」

 そういえば、神殿でも言ってたな。外の人しか呪いにかからないと。そしてその呪いは外から嫁いできた私もかかる可能性がある訳で。その症状が人死にが出るものでもないけれど、風評被害が著しいからなんとかしたいっていうのが、今のクレージュ領の現状ってことか。
 でも風邪のような症状で死ぬ訳でもないっていうのが、また。
 神殿でも「病は気から」と、流行病の時期になったら、掃除洗濯が徹底されていたし、井戸水も普通に使っていた。でも井戸水が使えないような場所だったら水を汲みに行くしかないから。力作業ができないところのために、生活用水を普及させようとしているんだから、発想の転換が素早いんだろう。

「お話、ありがとうございました」
「いえいえ。ただ、秋の季節になりましたら、念のため気を付けてくださいね」

 そう言い合いながら、マティウス博士と別れた。
 水車を後にした私たちは、村長さんに水車ができてどうかという話を伺いに行った。

「いやあ、水車と水道。このおかげでかなり便利になりましたねえ」

 村長さんはにっこにっことしていた。

「畑の水やりがかなり楽になりましたから。一応うちの近所は川があるんですけれど、川の氾濫のせいで畑がやられることが多かったので……その川の水の調整をしようって話が出てくれたら、うちも助かりますね。増水のせいで、畑の様子を見に行った連中が流されて死体になって帰ってきた例が多かったですから……」

 あー。川がない場所のことばかり気にしていたけれど、川の近くは川の近くで、畑がやられるだけでなくって人が流れて死んでしまう例もあるんだな。
 だからこそ、治水工事が重要になってくると。
 村長さんは私たちに食事を振る舞ってくれた。
 ここの麦は育てやすい大麦だけでなく小麦もあり、焼きたてのサクッとしたパンだった……川魚と季節の果物のタルトも出してくれた。川魚は淡泊な味付けだけれど、それが今の時期に獲れるいちじくとよく合い、不思議とさわやかな味わいで食べることができた。

「普段川のことについて考えたことありませんでしたけど、川の利便性と危険って表裏一体なんですねえ……」
「ええ。ですから、皆で平和に使っていきたいんですよ」

 そう言いながらジル様はペロリとタルトを平らげた。
 よくよく考えると、今でこそ農業国であるクレージュ領だけれど、先々代の時代では開拓まっただ中だったんだから、なにかしら問題がある場合には学者を呼んできて解決策を模索するっていうのはクレージュ伯爵たちにとっては当たり前のことなのかもしれない。
 私はそれのお手伝いができればいいのだけれど。
 他にもあちこちで畑の様子も見学してから、私たちは馬車で帰ることとなった。私は外の様子を眺める。今日の果物の収穫は終わり、まだ青い麦が豊かに伸びているのが見えた。

「やっぱり、呪いがなんとかなるといいですよね。郷土病じゃないかって推測は立っているんですから」
「ええ……早く呪いが解けたらいいんですけれど。それでうちの風評被害も治まりますから」
「そうですね……もし私に呪いがかかったら、それで研究してください」
「シルヴィさん?」
「外から来た人しかかからないのでしたら、私だってかかる可能性がありますから。そのときは大人しく神殿に頭を下げてそこで引っ込みますから」
「奥さん。あまりそういうこと言わないでください」

 ジル様は少し唇をとんがらせると、私の手を取った。

「たしかにあなたは外から来た人ですけれど、あなたに呪いの実験になってくれとは思っていません」
「ですけど……」
「そういうこと、冗談でも絶対に言ってはいけません」

 ジル様にぴしゃんと言われてしまった。
 そこはたしかに浅はかだったかもしれない。でも。このままここがずぶずぶ沈んでいくのだけは見たくない光景だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ

汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。 ※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...