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とある令嬢の看取り
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ところでセレストには婚約者がいたのだが、当然ながらサラの世話をしていて、彼の相手をしている暇がなかった。
「セレスト、いい加減にうちに嫁いで……」
「ごめんなさいねアーロン。お義母様の世話がありますから」
「使用人に任せて、君は君の幸せを追及すべきだ」
そう言ってきたアーロンに、セレストはカチンと来た。
「そこまで言うのなら、うちにどうして解呪士を派遣してくださらないの?」
「……そんなことしたら、君の家に隷属の呪いが発動したと疑われるじゃないか。そんなことは」
「私だってお父様に何度も派遣を頼んでいます。お父様もあなたと全く同じことを言って取り合ってくれなかったわ。だから私がずっとお義母様のお世話をしているんです。使用人たちだと大人しくしてくださらないから、私がするしかないでしょう!?」
傍からはいくらでも理想論は言える。しかしセレストの立場になって物事を言ってくれる人は皆無だった。
使用人たちでは壺を投げつけられる、噛み付かれる、それが原因で辞めてしまう以上、セレストが彼らを守って当たられ続けないことには、屋敷の管理にまで手が回らなかった。
解呪士を頼んでくれればそれで終わる話を、爵位の剥奪をおそれた男たちが取り合ってくれず、結果として押しつけられるばかりだった。
だからこそ、アーロンが妹のライラと気付いたら出来上がっていたことには、もうセレストからしてみればどうしようもないことであった。
「……ライラ、言いたいことはこの際隣に置いてきますけど、その人はやめておいたほうがいいと思います」
「お姉様が放置してらしたからでしょう? アーロン様はお姉様がお母様のお世話にかかりっきりだからと寂しがっていたのを慰めていたばかりです」
ライラがそう微笑むのに、セレストは頭が痛くなっていた。
有事の際に全く役に立たずに愛人宅から帰ってこない父。呪いにかかってからというもの、人が変わったように暴力的な言動ばかり繰り返すようになった義母。
ライラは両親のいいところと悪いところを全部詰め込んだようなちぐはぐな存在になってしまったことに、セレストはどう判断すればいいのかわからなかった。
(アーロンもアーロンだけれど……お義母様に全く顔を見せずに姉の婚約者と浮気をするのはいいのかしら……)
なによりも、この妹はにこにこ笑いながら続けるのだ。
「それにお姉様はもうアーロン様がいなくなったら、他に婚約の宛なんてありませんでしょう? ならば神殿に入るしかないのでは?」
「あなた……なにを言っているかわかっているの? それに、お義母様はまだ生きてらっしゃいます」
「でもお母様、もう呪いの進行が進んで、上半身も半分すっかり石になってしまったではありませんか。もうしばらくしたら完全に石化します」
「……あなた、自分の母親でしょう?」
「でもお母様にはさっさと亡くなってもらわないと困ります。だってそうしなかったら、我が家の爵位剥奪だってあり得るのでしょう?」
「迷信です! 呪いはさっさと神殿に報告して解呪してもらえと、何度も何度も神殿から通達があったでしょうが! 私だって進言していました! 家長以外では神殿から人を派遣してもらえませんから、何度も何度もお父様を呼び戻そうとしました!」
「でもその迷信を信じてらっしゃる貴族の方々がたくさんいらっしゃるじゃないですか。それにお母様は所詮は娼婦上がりですもの……」
そこまで言うライラに、とうとうセレストは手を挙げ、頬を強く張った。大きな音に、周りの使用人たちはハラハラとした様子で見守っている。
「……痛い! お姉様!?」
「あなたのお母様でしょうが、お義母様は! それをあなたはなんてことを……!」
「……お姉様は純粋な貴族だからわからないでしょうよ! わたくしたちはどれだけ貴族として立ち振る舞いをしても、弁える言動をしても、所詮は娼館出身だと、さんざん言われることを! でもお母様が亡くなったら、もう貴族のお父様に貴族の伴侶しかいませんもの。わたくしを娼館の女だとさんざん言ってきた者たちも、もうなにも言えなくなりますもの」
「……っっ!!」
セレストは唇を噛んだ。
ライラはライラで苦労はあったのだろうが。それでもセレストはサラに対してもライラに対しても、一度たりとも娼館上がりの成金風情なんて罵倒を浴びせたことはなく、大事な家族として接してきたつもりだった。
まさかここまで人の心がない子に育っているとは思いもしなかったのだ。
しかもまだ母が生きているというのに。
セレストはなんとも言えない顔で、サラの部屋へと向かった。サラに呪いが発症してからというもの、ライラは本当に文字通り顔見せしかしていない。
サラはというと、いよいよ首まで石化が回り、ほとんど食事も喉に通らなくなっていた。
「……お義母様」
「体がもう全く動かないと、誰にも物を投げなくて済むわね」
その言葉に驚いてセレストはサラを見た。かつてセレストが憧れた、若き日のサラのように見えて、三年間ずっと当たられ続けた日々が、塗り替えられるような錯覚を覚える。
「あの子は会いに来ないのね?」
「……はい」
「あの子はわたくしと違って娼婦の血筋を恥じて、あまり娼館の話を聞いてくれなかったから。あなたになら、あげてもいいと思う本があるの。多分これが最後の言葉になると思うけど聞いてくれる?」
それにセレストは息を飲んだ。彼女が完全に石化してしまったら、彼女は死ぬ。それまでに彼女の遺言を聞き届けないといけなかった。
サラは続けた。
「わたくしの書斎机の一番下の段。そこに聖書が入っています。その聖書の丸々一ページは娼館で習った歌が書かれているから。譜面も書いているからもらってちょうだい」
「……どうして」
「……ライラのことだから、あなたを神殿に入れるでしょうからね。その譜面を神殿の関係者に渡したら、あなたを無下に扱うことはないでしょう」
セレストは急いでサラの横たわるベッドの隣にある書斎机を漁った。ボロボロの年季物の聖書が入っており、それの記入ページには、たしかに譜面と歌詞が書き写されていた。
「これは?」
「神殿に見せなさい。他の人に見せても意味がわからないと思うから。これは、娼館でしかつたわってないか」
言葉が不自然に途切れた。そこでセレストは思い知ってしまった。
サラに発症した石化の呪いが、とうとう全身に回って彼女が石化してしまったのだということに。セレストが憧れた美しく気高い踊り子だった義母は、今や物言わぬ石像になってしまったのだと。
「セレスト、いい加減にうちに嫁いで……」
「ごめんなさいねアーロン。お義母様の世話がありますから」
「使用人に任せて、君は君の幸せを追及すべきだ」
そう言ってきたアーロンに、セレストはカチンと来た。
「そこまで言うのなら、うちにどうして解呪士を派遣してくださらないの?」
「……そんなことしたら、君の家に隷属の呪いが発動したと疑われるじゃないか。そんなことは」
「私だってお父様に何度も派遣を頼んでいます。お父様もあなたと全く同じことを言って取り合ってくれなかったわ。だから私がずっとお義母様のお世話をしているんです。使用人たちだと大人しくしてくださらないから、私がするしかないでしょう!?」
傍からはいくらでも理想論は言える。しかしセレストの立場になって物事を言ってくれる人は皆無だった。
使用人たちでは壺を投げつけられる、噛み付かれる、それが原因で辞めてしまう以上、セレストが彼らを守って当たられ続けないことには、屋敷の管理にまで手が回らなかった。
解呪士を頼んでくれればそれで終わる話を、爵位の剥奪をおそれた男たちが取り合ってくれず、結果として押しつけられるばかりだった。
だからこそ、アーロンが妹のライラと気付いたら出来上がっていたことには、もうセレストからしてみればどうしようもないことであった。
「……ライラ、言いたいことはこの際隣に置いてきますけど、その人はやめておいたほうがいいと思います」
「お姉様が放置してらしたからでしょう? アーロン様はお姉様がお母様のお世話にかかりっきりだからと寂しがっていたのを慰めていたばかりです」
ライラがそう微笑むのに、セレストは頭が痛くなっていた。
有事の際に全く役に立たずに愛人宅から帰ってこない父。呪いにかかってからというもの、人が変わったように暴力的な言動ばかり繰り返すようになった義母。
ライラは両親のいいところと悪いところを全部詰め込んだようなちぐはぐな存在になってしまったことに、セレストはどう判断すればいいのかわからなかった。
(アーロンもアーロンだけれど……お義母様に全く顔を見せずに姉の婚約者と浮気をするのはいいのかしら……)
なによりも、この妹はにこにこ笑いながら続けるのだ。
「それにお姉様はもうアーロン様がいなくなったら、他に婚約の宛なんてありませんでしょう? ならば神殿に入るしかないのでは?」
「あなた……なにを言っているかわかっているの? それに、お義母様はまだ生きてらっしゃいます」
「でもお母様、もう呪いの進行が進んで、上半身も半分すっかり石になってしまったではありませんか。もうしばらくしたら完全に石化します」
「……あなた、自分の母親でしょう?」
「でもお母様にはさっさと亡くなってもらわないと困ります。だってそうしなかったら、我が家の爵位剥奪だってあり得るのでしょう?」
「迷信です! 呪いはさっさと神殿に報告して解呪してもらえと、何度も何度も神殿から通達があったでしょうが! 私だって進言していました! 家長以外では神殿から人を派遣してもらえませんから、何度も何度もお父様を呼び戻そうとしました!」
「でもその迷信を信じてらっしゃる貴族の方々がたくさんいらっしゃるじゃないですか。それにお母様は所詮は娼婦上がりですもの……」
そこまで言うライラに、とうとうセレストは手を挙げ、頬を強く張った。大きな音に、周りの使用人たちはハラハラとした様子で見守っている。
「……痛い! お姉様!?」
「あなたのお母様でしょうが、お義母様は! それをあなたはなんてことを……!」
「……お姉様は純粋な貴族だからわからないでしょうよ! わたくしたちはどれだけ貴族として立ち振る舞いをしても、弁える言動をしても、所詮は娼館出身だと、さんざん言われることを! でもお母様が亡くなったら、もう貴族のお父様に貴族の伴侶しかいませんもの。わたくしを娼館の女だとさんざん言ってきた者たちも、もうなにも言えなくなりますもの」
「……っっ!!」
セレストは唇を噛んだ。
ライラはライラで苦労はあったのだろうが。それでもセレストはサラに対してもライラに対しても、一度たりとも娼館上がりの成金風情なんて罵倒を浴びせたことはなく、大事な家族として接してきたつもりだった。
まさかここまで人の心がない子に育っているとは思いもしなかったのだ。
しかもまだ母が生きているというのに。
セレストはなんとも言えない顔で、サラの部屋へと向かった。サラに呪いが発症してからというもの、ライラは本当に文字通り顔見せしかしていない。
サラはというと、いよいよ首まで石化が回り、ほとんど食事も喉に通らなくなっていた。
「……お義母様」
「体がもう全く動かないと、誰にも物を投げなくて済むわね」
その言葉に驚いてセレストはサラを見た。かつてセレストが憧れた、若き日のサラのように見えて、三年間ずっと当たられ続けた日々が、塗り替えられるような錯覚を覚える。
「あの子は会いに来ないのね?」
「……はい」
「あの子はわたくしと違って娼婦の血筋を恥じて、あまり娼館の話を聞いてくれなかったから。あなたになら、あげてもいいと思う本があるの。多分これが最後の言葉になると思うけど聞いてくれる?」
それにセレストは息を飲んだ。彼女が完全に石化してしまったら、彼女は死ぬ。それまでに彼女の遺言を聞き届けないといけなかった。
サラは続けた。
「わたくしの書斎机の一番下の段。そこに聖書が入っています。その聖書の丸々一ページは娼館で習った歌が書かれているから。譜面も書いているからもらってちょうだい」
「……どうして」
「……ライラのことだから、あなたを神殿に入れるでしょうからね。その譜面を神殿の関係者に渡したら、あなたを無下に扱うことはないでしょう」
セレストは急いでサラの横たわるベッドの隣にある書斎机を漁った。ボロボロの年季物の聖書が入っており、それの記入ページには、たしかに譜面と歌詞が書き写されていた。
「これは?」
「神殿に見せなさい。他の人に見せても意味がわからないと思うから。これは、娼館でしかつたわってないか」
言葉が不自然に途切れた。そこでセレストは思い知ってしまった。
サラに発症した石化の呪いが、とうとう全身に回って彼女が石化してしまったのだということに。セレストが憧れた美しく気高い踊り子だった義母は、今や物言わぬ石像になってしまったのだと。
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