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元令嬢と廃嫡王子の夜
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その日の食事はブラッドプディングとパンであり、それを持ってマクシミリアンの元へと向かう。
「失礼します」
「……本当に来たのか」
意外そうな顔をして、マクシミリアンはベッドから体を起こした。セレストは彼のベッドを眺める。
「マクシミリアン様は、いったいいつから地下に幽閉されてらっしゃるんですか?」
「結構経つ。ここだと日の光がなかなか通らずままならない。神殿が解毒剤を処方しているから、かろうじて起き上がれる感じだ。王城にいたときは、もっと体が凝り固まって、自分の意識が希薄になっていた」
「それは……」
セレストは魔王の呪いについて、勘違いしていたのではと思い至る。
(人間嫌いを加速させて、自ら進んで世界を滅ぼす者になるのかと思っていたけれど……体に埋め込まれている呪いに成り代わられると言ったほうが正しい?)
自分が自分ではなくなる恐怖が、呪いを深化させて魔王に至らしめる。神殿は神殿で彼の呪いをなんとか食い止めようとし、ハーヴィーはハーヴィーでなんとかマクシミリアンが魔王にならずに済むようにしていたんだろうと考え、セレストは少しばかり反省する。
(だとしたら、彼が自ら魔王になりたいっていうのは、死にたいってことと同義なんだわ)
それは嫌だと素直に思うセレスト。
彼女からしてみれば、貴族の出自の女の手を見て労りをくれた人間を死に至らしめたいとは考えもしなかった。
「食事をしましょう」
「……今日はハーヴィーもアイリーンも来ないのだな」
「おふたりは多忙ですよ。殿下の世話ばかりはできませんし、あなたの世話係は私です」
「そう」
それはつまらなそうな、楽しそうな、不思議な声色だった。マクシミリアンは自身のベッドの上の机に「食事置きますよ」と並べられたとき、フォークも取らずに小さく口を開けはじめた。
「食べさせよ」
そういきなり言い出したのに、セレストは目を細めた。
(これは私に対する嫌がらせなのかしら。世界に見切りをつけるための……)
セレストはそう思いながらも、ブラッドプディングをフォークで切ってひと口分差し出す。
「ひと口どうぞ」
「んっ……」
それは餌付けのようなものだった。セレストは三年間もサラの介護を行っていたため、食事をさせること自体はそこまで抵抗がなかった。抵抗があるとすれば、マクシミリアンの目が、口元に笑みを浮かべているものの、なにかを探すようにギラギラと光っていること。
(この人は、私に嫌われようとしているんだ……ハーヴィー様のおっしゃった通り、マクシミリアン様は試し行動を取っている……)
しばらくセレストは黙々とマクシミリアンに餌付けを施すと、最後にパンをひと口大に千切っては彼の唇に放り込む。小さくなったパンを彼の口元に押し込もうとしたとき、マクシミリアンは彼女の指ごとパンを頬張りはじめた。
「ちょっと……おやめください」
「んっ……」
舌が彼女の指を這いずり回る。それは悩ましいもののような気がして、セレストの腰は引けてくる。しかし指を抜こうと思えば抜けるはずなのに、マクシミリアンの夢中になって彼女の指をしゃぶる仕草を見ていたら、無理に抜くこともできずに黙ってそれを見届けていた。
彼女の指が唾液の水分を含んだところで、やっとのことで指はチュポンと音を立てて引き抜かれた。思わずセレストは息を吐き出した。
「……どういうおつもりですか」
「君の指に触れてみたかった」
「どういうおつもりですか」
思わずセレストは二回聞く。それにマクシミリアンは目を細めて、うっすらと笑った。
「君がどうして、ここまで自分を労らずにここまで来たんだろうと気になってね」
「……わがままに人生を生きたことはありません。私の義母が呪われて、父が神殿に連れて行ってくれなかったから、私自身がずっと看病していた……それだけの話です」
「呪われてるのに? ずっと解呪し続けないと動けないのに。君、魔法の素養なんてないだろう?」
「ありません。あったら私はここにはいませんし、聖女様や解呪士の皆さんのように呪いに対抗なんてできませんから」
「……そう」
マクシミリアンはそう言うと、突然セレストの手首を掴むと、ベッドに引き上げた。セレストがマクシミリアンを押し倒す形になったのに、彼女はぎょっとする。
「ちょっと……なにをなさるおつもりですか」
「君はずいぶんといいように利用されたんだな」
必死にベッドから逃れようともがきはじめるセレストをよそに、下から彼女を抱き締めてちっとも逃がそうとしないマクシミリアン。セレストからしてみると意味がわからず、必死で彼の腕から逃げ出そうとするが、彼は彼女の背中に腕を回して、彼女の背をポンポンと叩きはじめたのだ。
「なに、僕が夜に君を呼んだから、これから押し倒されるんじゃないかと思って逃げ出そうとしているのか?」
「……っ、そんなつもりは」
あるが、それを言ってマクシミリアンを絶望させる訳にもいかず、セレストは言葉を詰まらせる。マクシミリアンは「しないよ」とあっさりと言ってのけた。
「単純に、君を抱き枕にしたいだけ」
「……人肌が寂しいということでしょうか?」
「呪いが発症してから、体が異様に冷えるんだ。ハーヴィーは頑張って体を温める調合を解毒剤に施してくれているけど。それでも薬が途切れた途端に寒くて寒くてたまらなくなる。君、都合がいいから僕に抱かれよ」
言い方が悪いが、マクシミリアンの手に思わず触れ、セレストはびっくりしてすぐに手を離した……人間のものとは思えない。義母を看取ったときにどんどん消えていった体温を思わせるような、ひどい冷え方をしていた。
(これだけ体が冷たいと、そりゃ考え方だって鬱屈してしまう)
とうとうセレストは彼に体を明け渡すと、マクシミリアンはそのまんま彼女を自身の横に転がし、足を折り曲げて彼女に引っ掛ける。
「それじゃ、寝ようか」
「……食器をお下げした方が」
「明日でもいいだろ。どうせ、今晩は誰も来ないんだから。ねえ、君が朝に歌っていた歌、聞かせてくれない?」
「この姿勢で歌えと?」
「ああ」
そもそもセレストは、妹が連れて行ってしまった婚約者はいたものの、清い関係のままで、本当になにもなかった。異性に抱き締められたまま歌えなんてこと、初めて言われたためにただただ混乱していたが。
マクシミリアンは会うたびに、本当に人が変わったかのような言動を取る。それは試し行動なのか、呪われている影響で彼自身が魔王に成り代わられようとしているのか、セレストではわかりようもない。
ただ、この人が憐れだとは思ってしまった。
(しょうがない人)
セレストは覚え立ての歌を歌いはじめると、マクシミリアンは機嫌よさげに猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしはじめた。そしてセレストを抱き締める腕に力を込める。
これはいったいどういう行動なんだろうか。これはいったい意味があるんだろうか。
彼に抱き締められたまま歌い続けるセレストは、彼が眠るまで、目を閉じることすらできなかったのだ。
「失礼します」
「……本当に来たのか」
意外そうな顔をして、マクシミリアンはベッドから体を起こした。セレストは彼のベッドを眺める。
「マクシミリアン様は、いったいいつから地下に幽閉されてらっしゃるんですか?」
「結構経つ。ここだと日の光がなかなか通らずままならない。神殿が解毒剤を処方しているから、かろうじて起き上がれる感じだ。王城にいたときは、もっと体が凝り固まって、自分の意識が希薄になっていた」
「それは……」
セレストは魔王の呪いについて、勘違いしていたのではと思い至る。
(人間嫌いを加速させて、自ら進んで世界を滅ぼす者になるのかと思っていたけれど……体に埋め込まれている呪いに成り代わられると言ったほうが正しい?)
自分が自分ではなくなる恐怖が、呪いを深化させて魔王に至らしめる。神殿は神殿で彼の呪いをなんとか食い止めようとし、ハーヴィーはハーヴィーでなんとかマクシミリアンが魔王にならずに済むようにしていたんだろうと考え、セレストは少しばかり反省する。
(だとしたら、彼が自ら魔王になりたいっていうのは、死にたいってことと同義なんだわ)
それは嫌だと素直に思うセレスト。
彼女からしてみれば、貴族の出自の女の手を見て労りをくれた人間を死に至らしめたいとは考えもしなかった。
「食事をしましょう」
「……今日はハーヴィーもアイリーンも来ないのだな」
「おふたりは多忙ですよ。殿下の世話ばかりはできませんし、あなたの世話係は私です」
「そう」
それはつまらなそうな、楽しそうな、不思議な声色だった。マクシミリアンは自身のベッドの上の机に「食事置きますよ」と並べられたとき、フォークも取らずに小さく口を開けはじめた。
「食べさせよ」
そういきなり言い出したのに、セレストは目を細めた。
(これは私に対する嫌がらせなのかしら。世界に見切りをつけるための……)
セレストはそう思いながらも、ブラッドプディングをフォークで切ってひと口分差し出す。
「ひと口どうぞ」
「んっ……」
それは餌付けのようなものだった。セレストは三年間もサラの介護を行っていたため、食事をさせること自体はそこまで抵抗がなかった。抵抗があるとすれば、マクシミリアンの目が、口元に笑みを浮かべているものの、なにかを探すようにギラギラと光っていること。
(この人は、私に嫌われようとしているんだ……ハーヴィー様のおっしゃった通り、マクシミリアン様は試し行動を取っている……)
しばらくセレストは黙々とマクシミリアンに餌付けを施すと、最後にパンをひと口大に千切っては彼の唇に放り込む。小さくなったパンを彼の口元に押し込もうとしたとき、マクシミリアンは彼女の指ごとパンを頬張りはじめた。
「ちょっと……おやめください」
「んっ……」
舌が彼女の指を這いずり回る。それは悩ましいもののような気がして、セレストの腰は引けてくる。しかし指を抜こうと思えば抜けるはずなのに、マクシミリアンの夢中になって彼女の指をしゃぶる仕草を見ていたら、無理に抜くこともできずに黙ってそれを見届けていた。
彼女の指が唾液の水分を含んだところで、やっとのことで指はチュポンと音を立てて引き抜かれた。思わずセレストは息を吐き出した。
「……どういうおつもりですか」
「君の指に触れてみたかった」
「どういうおつもりですか」
思わずセレストは二回聞く。それにマクシミリアンは目を細めて、うっすらと笑った。
「君がどうして、ここまで自分を労らずにここまで来たんだろうと気になってね」
「……わがままに人生を生きたことはありません。私の義母が呪われて、父が神殿に連れて行ってくれなかったから、私自身がずっと看病していた……それだけの話です」
「呪われてるのに? ずっと解呪し続けないと動けないのに。君、魔法の素養なんてないだろう?」
「ありません。あったら私はここにはいませんし、聖女様や解呪士の皆さんのように呪いに対抗なんてできませんから」
「……そう」
マクシミリアンはそう言うと、突然セレストの手首を掴むと、ベッドに引き上げた。セレストがマクシミリアンを押し倒す形になったのに、彼女はぎょっとする。
「ちょっと……なにをなさるおつもりですか」
「君はずいぶんといいように利用されたんだな」
必死にベッドから逃れようともがきはじめるセレストをよそに、下から彼女を抱き締めてちっとも逃がそうとしないマクシミリアン。セレストからしてみると意味がわからず、必死で彼の腕から逃げ出そうとするが、彼は彼女の背中に腕を回して、彼女の背をポンポンと叩きはじめたのだ。
「なに、僕が夜に君を呼んだから、これから押し倒されるんじゃないかと思って逃げ出そうとしているのか?」
「……っ、そんなつもりは」
あるが、それを言ってマクシミリアンを絶望させる訳にもいかず、セレストは言葉を詰まらせる。マクシミリアンは「しないよ」とあっさりと言ってのけた。
「単純に、君を抱き枕にしたいだけ」
「……人肌が寂しいということでしょうか?」
「呪いが発症してから、体が異様に冷えるんだ。ハーヴィーは頑張って体を温める調合を解毒剤に施してくれているけど。それでも薬が途切れた途端に寒くて寒くてたまらなくなる。君、都合がいいから僕に抱かれよ」
言い方が悪いが、マクシミリアンの手に思わず触れ、セレストはびっくりしてすぐに手を離した……人間のものとは思えない。義母を看取ったときにどんどん消えていった体温を思わせるような、ひどい冷え方をしていた。
(これだけ体が冷たいと、そりゃ考え方だって鬱屈してしまう)
とうとうセレストは彼に体を明け渡すと、マクシミリアンはそのまんま彼女を自身の横に転がし、足を折り曲げて彼女に引っ掛ける。
「それじゃ、寝ようか」
「……食器をお下げした方が」
「明日でもいいだろ。どうせ、今晩は誰も来ないんだから。ねえ、君が朝に歌っていた歌、聞かせてくれない?」
「この姿勢で歌えと?」
「ああ」
そもそもセレストは、妹が連れて行ってしまった婚約者はいたものの、清い関係のままで、本当になにもなかった。異性に抱き締められたまま歌えなんてこと、初めて言われたためにただただ混乱していたが。
マクシミリアンは会うたびに、本当に人が変わったかのような言動を取る。それは試し行動なのか、呪われている影響で彼自身が魔王に成り代わられようとしているのか、セレストではわかりようもない。
ただ、この人が憐れだとは思ってしまった。
(しょうがない人)
セレストは覚え立ての歌を歌いはじめると、マクシミリアンは機嫌よさげに猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしはじめた。そしてセレストを抱き締める腕に力を込める。
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