大正逢魔が時怪奇譚

石田空

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おまじないと亡霊

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 十和子の朝は早い。
 日の出と共に起きて、顔を洗ったら寝間着から胴着に着替えて、道場に向かうのだ。
 江戸時代などでは、数百人もの門下生がいた道場だったらしいが、既に時は大正。門下生の数も年々減ったものの、父が警察学校などで稽古を付けているために、全盛期ほどには及ばないものの、なんとか面子を保てている現状がある。
 十和子は父の弟子の中でもひと際強い。竹刀はもちろんのこと、本物の刀と同じほどの重さのある木刀でも難なく使いこなし、人の太刀筋をなぞっては受け流し、隙を突いては突きを入れる。
 その動きは蝶のように舞い、蜂のように刺すといった流麗な代物であった。大柄な男たちでも純粋な力勝負では敵わないが、剣術の勝負でなら充分十和子にも分がある。
 さて、十和子はひとり道場で素振りをしていた。思い出すのは、昨日のことである。

(わたし、要さんの役に立てたのかな? 子鬼だけだったら数が多くってもなんとかなるとは思うけど。でもなあ……)

 昨日倒した子鬼は、数こそ多いものの、十和子と要のふたりがかりで倒せるほどの強さしかなかった。というより、要ひとりの人形でもなんとかなりそうだったというのが、十和子の見立てである。

(あれくらいの力の子鬼に、わざわざあんな重宝持ってくるものなの?)

 源氏の重宝である薄緑。一番有名な所有者は源義経であるが、それより過去に遡れば、鬼狩り伝説で、有名な鬼蜘蛛を斬ったとすら言われている代物である。そんなものをわざわざ持ってきている時点で、倒さないといけないものが子鬼だけとは限らないのだ。

(……とりあえず、薄緑をきちんと使いこなせるようになったほうがいいよね。あんな綺麗な刀、折ってしまったら大変だもの)

 当時の刀は長い。諸説に寄るが、騎乗したまま使うことを想定しているため、江戸時代以降の路地で戦うことを想定しているものよりも長い上に、反りが大きい。江戸時代以降に型の出来上がった道場剣術でどこまで使いこなせるようになるかはわからないが、なにもしないよりはマシだろう。
 そう十和子は心に決め、いつもよりも丁寧に鍛錬を行った。
 軽く体操をして全身を温めてから、素振り。そして足の踏み替え。それらを行っている内に、そろそろ母が朝餉の準備ができた頃合いになった。
 慌てて十和子は道場を片付けると、井戸で水を汲んで手ぬぐいを濡らし、汗の噴き出た体を拭いてから、着替えに戻った。制服に着替えて朝餉をいただきに食卓まで出て行ったら、母に変な顔をされてしまった。

「おはようございます」
「おはようございます、十和子、今日はやけに張り切っているのね? 宿題はちゃんとやったのよね?」
「やってますってば……!」

 それにプクーッと頬を膨らませてから、母のつくった食事をいただく。母のつくったけんちん汁が旨い。
 彼女がお椀を傾けているのを眺めながら、母は「はあ……」と溜息をついた。

「この子ってば、剣術の鍛錬とご飯にばかり興味持って……これ以上強くなったら嫁のもらい手がなくなってしまうのに。釣書にまさか趣味が剣術の稽古だなんて書けないでしょう?」
「ちょっとお母さん……! わたしお見合いだなんて困るわ!」

 それに十和子は慌てる。まだ要の手伝いをはじめたばかりなのに、学校を辞めさせられても困る。
 母はそれに首を捻った。

「別にお母さんもできたらいいわねと言っているだけよ? あなたをもらってくれるような奇特な人でも現れない限り、釣書を出したところで、向こうからお断りが来るのがおちでしょうが」
「うう……それもそうね。あっ、でもお母さん。わたし、せめて塩むすびくらいは握れるようになりたいんだけど」

 そう言うと、母は目が溢れんばかりに大きく見開いた。

「……まあ。あなたちょっとはそういうのに目覚めたのね?」
「そりゃそうよー、わたしだってやってみたいことがあるもの」

 母がなぜかものすごく感激しているので、言える訳もなかった。意地を張ってしまって母の塩むすびを要においしいおいしいと食べさせてしまったのだ。申し訳ないから、今度から自分の握った塩むすびを出したいだなんて。
 食事を終えてから、十和子は「行ってきまーす!!」と手を振って出かけていった。
 程よい運動においしい食事。十和子の一日は、今日も賑やかだ。

****

 十和子が学校に向かう中、なにやら紙が飛んできて、それが鼻に引っ付いた。

「ひっぐ……!」

 思わずくしゃみが出そうになるのを堪え、それを見る。そして見た紙の中身に、十和子は絶句した。

【死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね】

「ギッギャアアアアアアアア…………!!」

 思わずそれをベチッと捨てようとしたとき。

「あ、あの、すみません!」
「はいぃ?」

 十和子は紙をぐしゃっと握りしめていたところで、澄んだ声をかけられ、ピタリと止まる。髪は最近流行りの耳隠しにまとめ上げた、同じ制服を纏った女の子である。そして恥ずかしそうに十和子の丸めた紙を指差した。

「これ、私のなんです。返してもらっていいですか?」
「え? ええ……ごめんなさいね、皺が寄っちゃって……あのうー、大丈夫?」
「はい? 大丈夫です。ありがとうございます、拾ってくれて」

 彼女は十和子が皺を寄せてしまった紙を、大切に引き延ばしたあと、畳んでスカートに収めてそのまま学校に向かってしまった。
 十和子はそれをポカンと眺めていた。

「あの子……あんなものを持ってて大丈夫なのかしら?」

 どう見ても十和子からは呪詛の羅列に見えてしまっていたが。このことは要にでも相談したほうがいいんだろうか。
 そう悩んだが、それは意外なところから発覚した。
 十和子が悶々としながら靴箱で靴を履き替えていたら、「十和子ちゃん、おはよう」と誠に声をかけられた。

「おはよう、誠ちゃん」
「なんか最近、変なおまじないが流行っているみたいね」
「おまじない?」
「手鏡にありったけの悪口を書いた紙を貼ると、恋が成就するっていうものよ」
「えー……」

 先程拾った紙を思い返した。彼女があまりにも幸せそうな顔で拾っていたが、彼女は恋愛成就できたんだろうか。

「ちなみに誠ちゃんは、そういうのは……」
「私ずっと文通しているし、仲は良好だと思うわ? 今度久々にお会いして、一緒にお茶をすることになったのよ」
「それは、おめでとう……」

 華族令嬢として、既に婚約者のいる誠。そもそも長いこと文通を続けられるほどなのだから、互いに憎からず思っているのだから、おまじないをかける必要がないのだった。
 しかし。誠はどうにも拾った紙が気にかかる。

「わたし、あんまりおまじないのことについては詳しくないけど、鏡から剥がれたり、内奥を見られたりして、大丈夫なものなの?」
「そうねえ……私も本で少し読んだくらいで、おまじないが失敗した場合のことはよく知らないわね? でも流行っているものだし、大丈夫なんじゃないかしら?」
「うん……そうだと、いいんだけれど」

【死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね】

 びっしりと書かれた、文字の羅列。やっぱり気にかかるために、一度要に相談に出かけることにした。
 要の教室を探してうろうろしていると、「鈴蘭さん」と声をかけている先輩を見かけた。
 彼女は十和子と同じ教室で授業を受けている子だが、鈴蘭という名前ではなかったはずだ。そう呼ばれた彼女は、頬を真っ赤に染めていた。

「学校では、そういう呼び方は辞めていただけませんか?」
「お手紙だけだと、なんだか寂しかったから。恥ずかしかったなら、辞めてもよいのだけれど」
「そんな、お姉様……」

 どうもふたりもエスらしい。
 エスはどちらかが卒業してしまったり結婚したりした場合、自然と関係は解消になってしまう儚い関係だ。
 十和子はその儚い関係に執着する意味がよくわからないが、婚約者のいる誠は大真面目に「わかるわ」と言っていたから、これはエスになりたい、なりたくない関係ない問題らしい。十和子はそんなふたりを遠巻きに眺めながらも、どうにか要を探した。

「申し訳ありません、天道さんはいらっしゃいますか?」

 要の教室の先輩に声をかけると、彼女は「まあ!」と弾んだ声で「天道さん、妹さんがいらっしゃいましたよ」と呼んでくれた。
 それが妙に気恥ずかしく、十和子はそわそわとしていたら、すぐに要がやってきてくれた。
 昨日の夜の切れ長の目に狩衣の姿が嘘のような、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という清楚な出で立ちであった。

「あら、いらっしゃい。十和子さん、どうかなさいましたか?」
「えっと……」

 素のしゃべり方を知っているせいで、おっとりとしたお姉様口調の要が妙にくすぐったく思えた。なによりも声まで女性に近いために、勘違いしそうになるのである。

(要さんは男、要さんは男、要さんは男……お姉様だけれど、そうじゃなくって)

 なにもかも間違った気の鎮め方をしながらも、ひとまず十和子は用件を伝えた。

「要さんに少し相談したいことがあるんですけど、できれば外でお話できませんか?」
「まあ……わかりました」

 要は級友に「少しお外に出ます」と伝えてから、ふたりで廊下を歩いて行く。

「どうなさいましたの、珍しい。あなたから声をかけてくるなんて」
「ええっと……この口調じゃないと駄目なんですかね? 今はわたししかいませんけど」

 もうちょっとで予鈴が鳴るため、日頃から要が篭もっている予備室付近の廊下には、人の気配がない。
 だが要は「いいえ」と言う。

「どこで誰が聞いていらっしゃるかわかりませんし、言葉には力が宿りますから。下手な言葉は使えませんの」
「ええっと……はい?」

(女装がばれたら困るから、なのかなあ……? そういえば前も要さんが使っている部屋に入るまで口調が変わらなかったような)

 ふたりで歩きながら、予備室へと向かっていったのだ。
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