大正逢魔が時怪奇譚

石田空

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大鬼と強敵

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 十和子はひとまず予備室に向かって薄緑を取りに行きつつ、窓の外を眺めた。
 まだ要が香炉を使って人避けの結界を張っていないため、人通りが多い。普段であったらとっくの昔に人がいなくなっているというのに、バレーボールで遊んでいる子たちが目立つ。なにも知らなければ牧歌的な光景だが、今の十和子からは彼女たちが鬼の餌になるんじゃないかとハラハラする。

(どうしよう……もうちょっとしたら逢魔が時……鬼が出てきちゃうのに)

 そして要がなかなか戻ってくる気配がない。小間物屋でなにかあったんだろうか。そう思っている中。バレーボールで遊んでいた女の子たちの手が止まった。
 ボールがてんてんてん……と転がっていく。その中、彼女たちは棒立ちになっていることに気付いた。

「え……?」

 前に感じた、地響きが聞こえる。
 ……鬼だ。大鬼だ。自分たちよりも丈の大きな鬼が、校庭で遊んでいた女の子たちに剥き出しの腕を伸ばしてきたのだ。
 彼女たちは恐怖で固まってしまい、動くことができない。それにとうとう十和子は我慢がなくなり、ガラリと校庭への窓を開くと、そこから飛び降りて薄緑を手に走りはじめた。

(結界がないけど……まだ人がいるけど……わたしが頑張らないとあの子たちが食べられちゃう………!!)

 実際に彼女たちは恐怖で凝り固まって、逃げることすらできずにいるのだ。その恐怖を食らえば、鬼門の邪気はより膨れ上がるだろう。
 ただでさえ、小間物屋から流れ込んだおまじないのせいで、胡蝶女学館の鬼門から流れてくる邪気の量が増えているのだ。
 子鬼が鬼になり、鬼が大鬼になった。これがもし……もし。知能が高く、より狡猾になってしまったら。もう十和子だけでは手に負えないし、要だけでも持たないだろう。
 十和子は鞘をぶん投げて、剥き身になった薄緑をきらめかせる。

「その子たちを……食べないでぇぇぇぇぇぇ…………!!」

 一閃した。前よりも太刀に乗った力は鋭く、切れ味もいい。女の子たちに伸ばされた腕を、十和子は切り落としたのだ。
 彼女たちは驚いた顔で、十和子を眺めていた。緊張で、とうとう腰を抜かしてしまった。座り込んでいる彼女たちを、十和子は一瞥する。

「逃げられる?」

 十和子の問いに、声を出すこともできないらしい彼女たちは、小さく首を横に振った。それに十和子は内心「まずい」と思う。

(彼女たちの盾になって、わたしはこのまま戦える? ただでさえ要さんの援護もないのに……)

 日頃から、要は十和子が刀を振るう中、後ろから人形を使って支援を行っていた。一生懸命戦っている中では意味がわからなかったが、今要がいない状態で戦っていて、彼の行っていたことの意味がよくわかる。
 十和子が戦いに集中できるよう、結界を張って人払いを済ませ、彼女に攻撃が当たらないように人形で払いのけていたのだ。何枚も何枚も人形を操りながら、盤面を支配する様。それは並大抵の神経ではできないことだろう。
 実際に十和子は、彼女たちに大鬼の腕が届かないよう彼女たちを背にしながら、彼女たちの気配で様子を窺いながら戦っているのだ。それはどうしても彼女の集中力を鈍くし、神経を削っていく。いつものように、ただ猪突猛進に刀を振るったのでは、腰を抜かして逃げることのできない彼女たちを怪我させてしまうし、最悪死なせてしまう。
 それはいくらなんでも駄目だということくらい、十和子にだってわかっている。

(要さんが戻ってきていない以上……わたしひとりでやるしかない)

 頼むからこれ以上人が増えてくれるな。あと銃刀法違反だと通報してくれるな。そう思いながら、十和子は腕の取れた大鬼を睨み付けた。
 大鬼は十和子に切り落とされた腕を掴みながら、不思議そうに首を傾げていたが。やがてそれを傷口に無理矢理引っ付けてしまう。薄緑の切り口があまりにも滑らかなせいで、くっつけるとくっついてしまうのだ。

「あ……っ!」

 大鬼はブンブンブンとくっつけた腕をぶん回す。ぴったりと綺麗に癒着してしまった腕が、くっついてしまったのだ。それに十和子は舌打ちをする。

(切り落としても、普通の方法だったらくっつけられてしまう……だとしたら、切り落とした直後に、腕を蹴り飛ばすしかない…………!)

「もう一度、この太刀筋を受けなさい…………!!」

 十和子はぶんぶん振り回す腕が止まったところにまで飛び込むと、そのまま力一杯薄緑を突き上げた。手応えがある。そのまま腕は、二度目の胴体との別れを体験したのだ。
 十和子は飛んでいった腕を、そのまま指を踏んづけ、蹴り飛ばそうとしたのだが。切り落としたはずの腕が、ガシリと彼女の足首を掴んだのだ。

「ひぁ…………!!」

 大鬼は落とされていない手で、落とされた手首を掴む。その手首ごと、十和子は吊り下げられてしまった。十和子はスカートの中身を抑えることもできなければ、その手首に抵抗することもできないでいた。
 大鬼は、口をパクンと開けた。

「あ……あ…………」

 口の中は人間も大鬼も変わらないらしく、赤い舌、喉ちんこ、やや黄ばんだ歯が見える。その中に、十和子は落とされようとしている。必死で十和子は薄緑を握りしめる。

(この刃で、口の中に入れられた瞬間、つっかえ棒にするしかないけど……わたし、この中で薄緑を振るえるの?)

 生臭いにおいが漂ってくるのは、この大鬼の食べたものなのか、鬼門から漂ってきた邪気のにおいなのか、彼女には判別が付かなかった。ただ恐怖だけが全身を駆け巡っていく。その汚臭が、彼女の気力をどんどん削ぎ落としていくのだ。
 十和子は、ふいにミルクホールの光景を思い出した。

(……ホットケーキ、食べればよかった)

 それが彼女の最後の想いだった。
 ……はずだった。

「臨兵闘者皆陣列在前…………!!」

 手で印を結び、空に格子状の線が描かれる。途端に、大鬼がビクリ……と動きを止め、体を硬直させたのだ。
 その声を聞いた途端に、ブワリ……と十和子の体に熱が戻った。恐怖で凝り固まった体に熱が通っていくのがわかる。

「要さん……!」
「済まない、待たせたな十和子くん」

 急いで帰ってきたのか、未だに可憐な総髪にセーラー服を靡かせたままだったが、頼もし過ぎて十和子の目尻に涙が浮かんだ。なによりも。
 いつの間に用意したのか、香炉が焚かれて校庭で遊んでいた女の子たちが眠りについていた。そして、校庭全体に結界が張り巡らされている。

「あの……あの大鬼。切ってもそれを拾って再生してしまうんです。一度は切り落とせたんですけど……」
「ふむ。先程十和子くんを掴んでいたのも、腕を再生させる一環か」
「……中身見ましたか?」
「見えたものはしょうがないだろ」

 全く悪びれることのない要に閉口しつつ、十和子は薄緑を握り直した。

「それで、どうすればいいんでしょうか?」
「……まさか、源氏の重宝の切り口を荒らす訳にもいくまい。これは借り物だからな、俺ひとりでどうこうできる訳もない」
「なら……っ」
「切っても、再生できないように動きを止めよう。先程みたいに、十和子くん本人を掴まれないようにな」

 そう言って要は、人形を飛ばした。大鬼の周りをかごめかごめとくるくる回る様は愛らしい。そしてそれが。大鬼の力を食い止めた。
 十和子は走る。

(前に鬼を斬ろうとしたとき、硬くて要さんの援護がなかったら斬れなかった……でも、今は違う)

 前のように動きが止まって見えている訳ではない。十和子が突然強くなった訳でもない。ただ集中力を研ぎ澄まし、斬れる箇所に狙いを定める。
 彼女の太刀筋は、鮮やかだった。

────…………!!

 声にならない声を上げ、大鬼は崩れていった。地鳴り、土煙。それらを上げて、大鬼は消えていった。あの汚臭は、もうしない。
 十和子はぜいぜいと息を吐きながら、薄緑を下げた。鞘を取りに行かなければならない。そして、着替える暇もなかった要に、頭を下げる。

「……要さん、ありがとうございます。急いで来てくれて」
「当然でしょう? あなたひとりに任せてはいけないもの」

 ようやっと取り繕う余裕が生まれたのか、口調は女性言葉に落ち着いていた。それに十和子は思わず顔を綻ばせながら、「あのう……」と尋ねてみた。

「小間物屋さんで、なにがあったんでしょうか?」
「ええ……」

 要は十和子に事情を説明している中、なにかが飛んできた。
 人形だ。それを要はパシリと受け取り、中身を広げた。

「……あの小間物屋の詳細がわかったみたいね」
「えっと……呪術師だったんですよね。あの人」
「ええ。小間物屋の主人自体は、再婚相手でね。後妻として入っていたあの女が、店主を務めていた。遊郭で働いていた先で、呪術師に身請けされたようね。小間物屋に嫁入りしたのはその直後」
「じゃあ……あの人は小間物屋さんに嫁入りする頃には既に」
「……呪術師として、仕込まれていたということでしょうね。気の毒に」
「気の毒、なんでしょうか……?」

 十和子はそう言われてしまうと複雑だった。彼女がどういう事情で胡蝶女学館の女学生たちを邪気だらけにしようとしたのかはわからないままだったが。彼女がしたことで、今校庭で気絶している子たちが危険にさらされたのだ。
 彼女たちは、なにもしていない。
 要は十和子のその言葉に「そうね」と頷いた。

「可哀想は癖になりますから。自己憐憫はやがて人に牙を剥く。ほどほどにしなければならないでしょうし……呪術師は、どうしても呪いに携わりますから、自分自身の呪詛を浴び続けた結果、自己中毒に陥って歯止めが利かなくなることがあるんです」
「それは……」

 どうして自分は駄目だったのだろう。どうして自分じゃ駄目だったんだろう。
 恨み、妬み、嫉み……少しばかりなら心地のいい自己憐憫も、浴び続けると自分自身を汚染し変色させる。
 なによりもそれに当てられた人間はたまったものじゃない。

「……でも、今回のことでもう胡蝶女学館の邪気が増える心配はないんですよね?」
「いいえ。まだ終わってないかと思います」
「え……?」

 要は髪を梳いた。夕焼けは既に茜色に傾きつつある。

「わざわざ彼女に呪術を教えた者は、彼女を口止めに呪いましたから……まだ呪術師が他にいるんでしょうね」
「……そんな」
「……ごめんなさいね、十和子さん。あなたを巻き込んでしまって」

 要に心底申し訳なさそうな顔をされるが。十和子は首を振った。

「……ホットケーキ」
「はい?」
「ホットケーキ、また食べに行きましょう。今度は、あーんしてくださいよ」

 一瞬要は呆けた顔をしたが、やがて破顔した。

「そんなことでよかったら」
「わたしは、本気ですからぁー!!」

 今この瞬間だけは、たしかに幸福だったのだ。
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