大正逢魔が時怪奇譚

石田空

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呪われた血と癒えぬ傷

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 十和子は困惑したまま、要を見つめていた。
 大鬼におそわれた女学生たち、呪いをおまじないだと信じて好きな人を祟ってしまった後輩、あの小間物屋の女店主……。
 あのおぞましい術を使うものと、彼が。同一と思えず、ただただ混乱していた。

「……あの、それはいったいどういうことで?」

 震える声で、どうにか十和子は言葉を絞り出したが。要は地下湖に視線を移していた。発光しているそれ。結局どうしてこんなものが学校の地下に存在しているのかがわからない……そもそも、こんなものが存在していたら、先の震災で地盤沈下でも引き起こしていただろうに、そんな話をとんと聞いたことがない。

「ひとまずは、ここを出ようか十和子くん」
「あ……はい」

 要に手を差し伸べられ、十和子は思わず取り返した。そして軽くきゅっと掴むと、あれだけ引きずり落とされると思った恐怖はどこへやら、ぷかりぷかりと浮かび上がった。

「あの……先程の場所は、いったい?」
「あれは呪術師のつくった、邪気の溜まり場だ」
「邪気って……なんか光って湖になっていましたけど、あれが全部そうなんですか?」
「そうだな、あんなもの人間が落ちたら最後、大変なことになる」

 あの生臭い大鬼の口の中を思い出して、彼女はぞっとした。もしあの怪盗乱麻の言うことを聞かなかったら、最悪あの邪気の湖に突き落とされていたのかもしれないと思うと、よりぞっとする。
 だが。鬼と毎晩毎晩対峙している要が、そんな市井の人々を苦しめる存在とも思えず、彼の告白にただ困惑していた。
 やがて。ふたりは元の校庭に戻ってきた。もうそろそろ黄昏時は終わりを迎え、宵闇が迫ってくる。未だ忘却香の残り香が漂う中、要はぽつんぽつんと語った。

「あれからどこまで聞いた?」
「どこまでとは……」
「あれも余計なことしか言わないからな」
「……あのう、要さんは、怪盗乱麻と知り合いなのですか?」
「幼馴染だな。あれも本来ならば神社の跡取りだったんだが、神社が取り壊されたせいで、呪術に転覆した」
「それは……」

 それはあの怪盗乱麻がさんざん言っていた話だったし、要も言っていた話だ。寺社の取り潰しが明治維新の最中に大量にあり、それが原因で鬼門に存在する寺社がなくなり、邪気が蔓延してしまったと。
 十和子はわかってない顔で、とりあえず口にしてみた。

「とりあえず、わたしも神社が江戸から明治に移り変わったときにたくさん潰れた、そのことをものすごく怒っている人たちがいるってところまでしか、聞いてません。要さんはそういう人たちの中にも、ちゃんとした陰陽師にもなれない……みたいなことは」
「そうか。あれだったらそう言うか」

 納得したような怒っているような。不思議な口調で要は反芻してから、ようやく口を開いた。

「俺の家は、代々呪術師の家系だった。とは言っても、今の呪術師とは訳が違う。平安時代、安倍晴明には好敵手がいたのを知っているか?」
「……話で聞く限り、蘆屋道満って人のことですよねえ?」
「そうだな。さっきも言ったが、陰陽寮で陰陽師を名乗れるのは賀茂姓か安部姓……のちの土御門姓くらいのものだった。それ以外の人間はどれだけ優れた技量を持っていても、陰陽師になることはできなかった。蘆屋道満もまた、陰陽寮に入ることはかなわぬ、民間の陰陽師……それが、本来の呪術師だった」
「あれ? それだと今と全然違いませんか? だって、今の呪術師は、邪気を育てて、広げて……」
「そうだな。蘆屋道満は民間の呪術師として大勢を助けたが、どうもそれが面白くなかったのか、あちこちの読本では、いかに安倍晴明に打ち負かされたばかりが面白おかしく書き立てられた。それこそ晴明の妻を寝取ったとか、好き勝手」
「それは、まあ……」
「俺の家は、そういうあちこちでこけにされ続けた、呪術師の家系だった。蘆屋道満みたいに悪役でも名前に残ったようなものではなく、それこそあの時代においても胡散臭いとされているような、民間の呪術師だったよ」

 平安時代、なにかにつけて暦を読み、未来を読み、その日の行いを読む陰陽師が大勢いたという。あの時代を彩った小説などにも出てくるが、後の陰陽師小説のようになにかを打ち負かすような内容はほぼなく、ただ主人公の占いを行ったという、物語にほんの少し彩りを与えるような存在だった。
 しかし、時代を追うごとに、陰陽師の物語は大々的に大きく広まってきた。
 陰陽術を駆使して奇跡を起こす様は、誰もが魅了されたものだった。一方呪術師の存在は密やかなものであり、特に物語の表舞台に立つことはない。
 ただ、陰陽師に頼めないようなこと。元々が国の中枢に通じている存在なのだから、彼らに頼むにはあまりにも金子が必要で、民間人ではとてもじゃないが頼むことはできなかった。その中には呪術師が頼まれることも多々あったのだ。

「別に俺たちは、名誉なんていらなかった。ただその時代その時代の者たちを助けられればそれでよかったんだが……時代のうねりのせいで、おかしな方向に働いた」

 それが、明治維新。
 古いものが壊され、新しいものが生まれようとしたその瞬間。陰陽寮は表立っては消え去り、寺社が大量に取り潰された途端に、呪術師の欲の芽が吹き出してしまったのだ。
 この混沌に乗じてならば、この国のてっぺんを取れるのではないか、と。

「俺たちの曾祖父に話が来たのは、そんなときだった。守ってきた寺社を取り壊され、鬼門が野ざらしになっている今、この混沌を鎮めるために、この国を取ろうと言い出したのは。俺たちは断ったが、既に俺たちのような呪術師たちは少数派になっていた」

 今まで押し込められていたものが、噴き出てしまったのだ。
 そのままじわじわと時の流れに乗っ取って小さく消えてしまうはずだったのに、英雄の顔をして歩く陰陽師たちが力を失い、代わりに民間の中にいたからこそ取り潰されることを免れた呪術師たち。そして政府に怒りを燃やす取り壊された寺社の者たち……。

「それからは、凄惨なものだった。明治維新で文明開化の音がするその中、夜な夜な呪術師たちの攻防戦が繰り広げられたのだから。呪術師と陰陽師は元々似通ったもの。そのはずなのに……とうとう大きな勢力が外法に手を伸ばした……それが、鬼門に蔓延した邪気を使って鬼を育てて使役する術」
「そんなの……そんなの……あんまりじゃないですかぁ……」

 十和子は訴える。

「あんなの、普通の人には見えないのに、迷惑かけて、人を食べようとして……そんなの野放しにするんですか? そんなの……そんなの……どれだけ目立たなくっても、今目立てるかもわからなくっても、していいことじゃないはずですよ……」
「……ああ、当然だ。その外法のせいで、皮肉なことに陰陽師が息を吹き返した。そして政府に交渉したんだ。あれをどうにかできるのは自分たちだけだと。あれをどうにかしたくば、自分たちの居場所を用意しろと」
「それで……陰陽寮が再び存続を許されたんですね……」
「ああ……それで、今があるが。あの凄惨なやり取りの中で、曾祖父は死んだ。祖父も父も、邪気を大量に浴びて、ほとんど廃人と化してしまった。そのふたりを助けるために、家族を守るために、俺は呪術師の世界を降り、陰陽寮に組した」

 それで怪盗乱麻のせせら笑いの意味がようやくわかった。
 彼は現在の呪術師たちの使う外法が使えない、かつての陰陽師と同じ術しか使えない半端物。それでいて、血統主義の陰陽寮からしてみれば、出自があまりにも異端過ぎるのだ。

「……ご家族は、今は?」
「……祖父は廃人のまま亡くなった。父は、今も陰陽寮から治癒師を派遣してもらって邪気の浄化作業に当たっているが、回復しているのかどうかがわからない……俺は」

 要はつらそうに、眉を寄せた。
 十和子からしてみると、学校で会うときは素敵なお姉様だった。鬼を共に倒すときは頼りになる人だった。しかし今の彼は。

(目を離すと、いなくなっちゃいそう)

 ひどく儚く脆い存在に見えた。

「……それでも、俺は俺のために、鬼を退治し続けたい。君を、利用することになったとしても」
「……それでいいじゃないですか」
「十和子くん?」
「わたし、全然利用されてるなんて思っていませんし」

 十和子は自身の借りた薄緑を大事に抱えた。

「わたしは、強過ぎてよっぽどの人じゃないと、相手になりません。それが原因で釣書出すのも躊躇われてるくらいですし」
「それは……」
「だから、そんなわたしが戦える場所をくれたのは、あなたじゃないですか。わたしのことはいくらでも利用していいんですよ。わたしの居場所をくれたのはあなたですし、わたしが正しく力を使えるのもあなたのおかげなんですから! 外国では、弱い者いじめをして、たくさんの女性を殺し続けた殺人鬼だっているそうですし、もしわたしの不満が爆発したときは、そうなってもおかしくなかったんですから」
「……十和子くん、君は絶対にそんなことはないだろうさ」
「わかりませんよー、だって、人はいつどこで間違えるのか、わからないんですから! ……あの、要さんの幼馴染だったっていう怪盗乱麻のことは……」
「わからない。あれはもう、俺と一緒にいた頃のだったのかどうかもな……」
「……わかりました」

 十和子は薄緑を返却しながら、要に訴えた。

「要さん。頑張りましょう。なにをどう頑張ればいいのかはわかりませんけど、とりあえず頑張りましょう」
「……抽象的だな、君も」
「だって。わたしたち、どうやったら鬼門の邪気を全滅させられるのかも、鬼が出てこないようにできるかもわからないし、呪術師の人たちを止める方法だって、よくわかんないじゃないですか。でも、頑張りましょう」
「……プハッ」

 とうとう、要は噴き出した。そして薄緑を抱えたまま、背中を丸めて笑いはじめてしまった。烏帽子がずれそうになるのに、十和子は頬を膨らませる。

「わたし、面白いことなんか言ってませんよ!」
「アハハハハハハ……そうだな。たしかに、そうだ。俺たちは、頑張るしかできないんだったな。でも、ありがとう」

 十和子は一瞬、なにをそこまで礼を言われたのかわからず、きょとんとした。

「わたし、お礼を言われることも言ってないですけど……」
「それでいいんだ。初心に返って、まずは鬼を鎮めよう……呪術師たちのことは、それからだ」
「……はいっ」

 十和子は要に手を振って、元気に帰って行った。

****

 十和子が元気に胡蝶女学館を後にしたのを見ながら、要は振り返った。

「彼女、元気だね。本当に感心するくらいに」

 藤堂は笑顔で目を細めていた。要は深く頷く。

「……彼女にはくれぐれもばれないように頼む」
「わかっているよ……怪盗乱麻を招き寄せた内通者。彼女の身近な人じゃないといいけれど」

 藤堂は帽子を被った。既に偵察としての冷たい光を目に宿している。
 要にとって、邪気の湖にも怯むことのなかった十和子の笑顔が眩しい。彼女の笑みが曇ることだけは、彼にとっても避けたいことであった。
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