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フラムの実力 後

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「おお! 団長殿は槍ですか! では私も同じ獲物にしますかな!」

 大男の声量は、距離を開けて向かい合っている時にはちょうどいいかもしれない。いや、若手とおなじく壁際に背を預けるほど隅っこにいるアブニールにまで明瞭に届くという事は、近くにいるフラムにはさらに大きく聞こえているということだ。……ちょっと同情する。

「ルールは?」

 フラムは槍を手にした瞬間から、雰囲気が微妙に変わっていた。離れているアブニールの肌の表面をも痺れさせるような気迫を漂わせている。心なしか、声も低くなっているように聞こえた。

「単純明快に参りましょう! 団長か私、どちらかの獲物が手の届かない位置に落ちるか、片方が尻を着くまででいかがですかな?」

「了解。では、はじめるか」

 フラムのこの言葉で、静かに戦いの火ぶたが切って落とされた。空気が極限まで張り詰める。
 しばらくお互い無言のまま睨みあい、やがて大男の方が先に動いた。大地を揺るがす咆哮をあげながら、大男がまっすぐ突進してくる。その様はまるで、巨大な猪が突っ込んでくるかのようだ。
 迫りくる気迫だけで、並の戦士ならば怯んで動けなくなってしまうだろう。
 だがフラムは違った。放たれる矢のような突進を難なく避け、無防備な背中に槍の柄を振り下ろそうとする。だが、少しばかり振りかぶりすぎた。そして大男はただ愚直にぶつかってくるだけの猪ではなかった。
 槍を持ち換え、下方からフラムを狙う。フラムは一度後ろに飛びのいてこれを躱した。
 最初は団長の腕前が見られるとはしゃいでいた兵たちも、今はただ呆然としている。実力者二人の互いに一歩も引かぬ攻防戦に圧倒されているのだ。
 アブニールもともすれば彼らと同じ状況に陥りそうだった。
 そのくらい二人の闘いはすさまじい。すでに手合わせの粋を優に超えている。
 放たれる闘志に息を呑み、瞬きすら惜しんで勝負の行方を見守った。
 そして、決着の時は訪れる。
 先に勝負に出たのは大男だった。すでに息は絶え絶えで、早々に決着をつける必要があると考えたのだろう。一方のフラムは汗こそかいているが、まだ余裕があるように見えた。
 疲労のためか精彩を欠きはじめた大男の動きは、これまでとくらべると緩慢で、フラムは容易くその猛攻を避け、時に槍で弾く。
 そもそも筋肉量の差から一撃の重さにも差があるだろうに、フラムは躊躇なく大男の一撃を受け止め、軽々といなしているのだ。そして、ここぞという局面に足払いをしかける。大男はふらつく身体を支えることが出来ず、その場に尻もちをついた。フラムの勝ちだ。

「だ、団長の勝ちだ……」

 数秒の静寂の後、新兵の一人がこわごわと呟く。

「す、すげえ、これが団長の実力!」

「あのブランド様に勝つなんて、やっぱり団長はかっこいい! 俺も団長みたいになりたい!」

 フラム自身は不承不承だったようだが、その実力は図らずも若手たちの向上心に火をつけたらしい。彼らの羨望の眼差しを一身に受けながら、フラムは大男と握手を交わした。

「やはり団長殿はお強い! またいつでも鍛錬場にいらしてくだされ! そして今日のリベンジをさせていだきますぞ!」

「はは。まあ、気が向いたらな」

 今すぐにでも雪辱戦に挑みたそうな大男に曖昧な返事をした後、目を輝かせている若手に槍を返してからアブニールのもとに戻ってくる。

「や、お待たせ」

 汗ばんで乱れる髪を苦笑交じりにかき上げる様は、素直に格好いいと感じた。

「あんた、強いんだな。驚いた」

 予想以上に素晴らしい試合を見せてもらったからだろうか、素直に称賛の言葉を告げられる。率直な賛辞にフラムは目を丸くした。

「あ、ああ、まあ、なんだ、曲がりなりにも団長ですから? 全体の士気にも関わるし、情けない姿を見せるわけにはいかねえよな」

 名勝負を観戦した興奮冷めやらぬアブニールは、フラムが面映ゆそうに頬を搔いていることにも気付かず、褒め続ける。

「うん。あの大男も相当な実力者だっただろ。俺なんか多分、一撃もらっただけでしばらく獲物が握れなくなる。そんな相手の攻撃をあえて受け止めて平然としてたな。すごいと思った。それに、あんたは躱す動作にも隙が無い。万が一相手が追い打ちを仕掛けて来ても応戦できたんだろ?」

「……ああ、まあ」

「俺は逃げる時には逃げおおせることで精いっぱいだ。反撃する余裕なんてない。体つきとか立ち姿から、ある程度実力があるんだろうって予想はついてたが、まさかここまでとは。素直に格好いいと……」

 まだ途中なのに、フラムの手に口をふさがれた。人がせっかく褒めてやっているのに遮るなんて何事かと睨み上げるが、そうしてからアブニールも目を見開く。フラムは顔の上半分が前髪に隠れるくらい俯いているのだが、髪の隙間から覗く耳が真っ赤になっていた。

「も、分かったから。そのくらいで勘弁してくれ」

 さらには、フラムのものとは思えないほど弱弱しい懇願。これにはアブニールも驚愕した後、釣られたように赤面した。

「お、俺、大急ぎで汗流してくるから、ちょっと待っててくれ。そっちの日陰でもらった手紙でも読んでたらどうだ?」

 言うだけ言って、フラムは逃げるように立ち去ってしまう。取り残されたアブニールは、しばらくどうしたら良いものか分からず立ち尽くした。鍛錬場の真ん中ではすでに鍛錬が再開されている。
 先ほどよりも威勢が良くなったように聞こえる掛け声はしかし、自身の心音にかき消されてしまった。

(な、なんだこれは……、なんなんだっ?)

 未だかつて経験したことのない激しい動機がアブニールを苛む。おまけに顔も高熱が出たように熱くて、次第に思考が鈍っていく。この感覚は、まだ未熟だったころに依頼を受けに行った貴族の家で、痺れ薬を盛られた時とよく似ている。
 まさかフラムはあの一瞬でアブニールに痺れ薬を飲ませたというのか。そういえばたしかに、節くれ立った手に触れられた唇がかすかに痺れているような。
 ではこのうるさいほどの心臓の高鳴りは、身体の異常をアブニールに伝えているのか。
 本当は毒を盛られたのではないと頭の片隅では理解していても、そうでも思わないと気が触れてしまいそうだった。
 はじめての胸の高鳴りは、妄想でもしないとやり過ごせないほど強烈にアブニールに襲い掛かったのだ。こんな、まるで嵐のような感情、どう処理すればよいのか皆目見当もつかない。
 目の前の光景がぐるぐると渦を描き出しそうな激しい混乱の中、最終的にアブニールが行きついたのは、やはりフラムは油断ならないという結論だった。
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