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第一話ー7
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自らを茜と名乗った後、美丈夫は露草に視線を転じた。
「何か手がかりがつかめるかもしれないと思ってもう一度診療所に行ってみたけれど、男は昏睡状態だったよ。君が置いて行った沈香の匂い袋も、既に効力を失っていた」
「そうか。では後程再び出向き、俺の力を注いでおこう。祟られたまま死なれては困る」
「いっそのことここで匿ってあげるというのはどうだろう? 君もわざわざ出向く手間が省けるんじゃないかな」
露草は渋面になって頭を振った。先ほどまで眉一つ動かさなかった彼の表情が初めて露骨な変化を見せ、光希も内心驚く。
「連れて来れば朔の負担が増える。俺が放っておけと言っても、あの子は言う事を聞かないだろう」
「朔に知らせない……というのも難しいか」
「不可能だ。朔は人一倍穢れや呪詛に敏感だから、神域に足を踏み入れた瞬間に勘付いてしまう」
狛犬の話しでは、朔は露草の眷属という話だった。心配が滲む声と眉根に刻まれた深いしわが、彼の朔への想いの深さを雄弁に語っていた。
「わかった。君の気持ちを尊重しよう」
茜も必要以上に食い下がったりはせず、二人の会話が一区切りついたところで、吽形が茜を見上げて諫言した。
「茜様、お願いですからご自身の立場を考えてください。外出の際には必ず我々をお連れくださいと何度も申し上げておりますのに。それに、そのくらいの雑務は本来我々従者の仕事なのですから、貴方様は命じて下されば良いのです」
「そう敬ってくれなくともいいんだよ、吽形。狛犬は仕える神を決めるもので、君たちの主人は僕ではなくそこにいる露草だ。君たちが僕に従う理由もなければ、僕が君たちに命じる権限もない。確かに、僕たちは対を成す存在として二人一組のような扱いをされることが多いけれど、元は別々に暮らしていた。今の僕はただの居候だ。居候なのだから、少しは貢献しないと僕も気まずい」
「いつもそうおっしゃって。今回の呪い返しもおひとりでなさったでしょう。貴方様の身にもしものことがあれば、我々は他の神使たちに顔向けできません」
「わかった。次から気をつけよう」
最終的には茜の方が折れたが、吽形の疑わし気な顔つきからして、今後も改善の見込みはないのだろうなと光希にすら予想できてしまった。
「ところで、中に入らないのか? いつまで外にいるつもりだ?」
露草に問われ、茜はなぜか光希に視線を向けた。
「そうだった。ここへ来る途中、というよりも曲がり角に隠れているところを見かけて連れてきたんだ。おいで、紗那。君も一緒に入ると良い」
「紗那……」
茜が呼んだ名を、光希も思わずつぶやいていた。
ここまで何度か出た名前なのですっかり耳に馴染んでいるのもあるが、何より光希はさっきからずっとその名の主との再会を望んでいた。
光希を巻き込んだ張本人であり、それ以上に命の恩人でもある鼠だ。
茜に促されるまま、紗那がおずおずと襖の影から出てくる。
もしかしたらと思っていたがやはり、紗那は人間の姿をとって光希の前に姿を現した。
「し、失礼いたします」
部屋に入る前に一度深くお辞儀をする。正しい作法を目の当たりにして、光希は自身の失敗に今更気が付いた。誰も咎めはしなかったが、今度は気を付けていこうと自省する。
(こいつが、あの鼠なのか)
空の色で染めた様な艶やかな髪、零れ落ちそうな程大きな双眸は群青色の宝石の様だ。ここまで色白ばかり見てきたから、余計に肌の色が健康に見える。
(良かった。どうやら怪我は治ってるみたいだな)
肌艶の具合や声の張りから、そう判断して安堵する。深手を負っていたのは彼も同じだったから、心配していた。
頭を上げた紗那と目が合って、それからしばらく見つめあう形になったが、ふいに紗那が俯いて一方的に目をそらしてしまった。
桜色のふっくらした唇に手を添えて頬を赤く染める姿が、まるではじらう乙女のようで、同じ男の姿をしているというのに、光希は謎の動悸に見舞われた。
「紗那。光希とはあとでゆっくり話す時間がありますから、まずは君が得た情報について話しなさい」
「は、はい!」
吽形に言われ、紗那は阿形と吽形の間に正座をした。
一方茜は、光希と紗那が見つめあっている間に既に室内に入っていたようだ。自らを居候と自称していた彼は、神でありながら高座ではなく光希と同じ高さに座っている。
「呪いが返されたので、おれは呪いをかけた男性の家から殺気を辿っていきました。やがて林道の入り口までたどり着いたのですが、入ろうとしたら猫に祟られた少年に襲われました」
その後の話は、ここにいる皆が知る内容だ。
「入ることは出来なかったけど、林道の奥から無数の気配を感じました」
「おそらく、猫神が蟲毒に用いられた猫の霊を集めたのだろうね。理不尽に殺された猫たちの怨嗟を集約し、より強力な祟りを起こしているといったところかな」
茜の推測に賛同するように、露草が頷いた。
「猫たちの霊こそ、癒され供養されるべきだ。本来は亡きがらを弔うのがもっとも望ましいが、腐敗を恐れて早々に処分してしまったようだからな。魂だけでもあるべき場所へ向かえるように導いてやらなければならない」
「では、さっそく僕が出向こう」
茜が気安く挙手すると、吽形の茜を見る視線が鋭くなった。
もともとなかなか整った顔ということもあり、柳眉を逆立てるとなかなかに迫力が出る。
しかしさすが神である茜には糠に釘だったようだ。
「心配はいらない。神とは言え、相手は誕生したばかりの駆け出しだ。今は憤怒を抑えきれず暴走しているだけで、制御の方法さえ覚えれば立派に役目を果たせるようになる。一応先に生まれた者として、道を示してあげないとね」
「では、僕が随伴いたしましょう」
「有難い申し出だけど。……そうだね」
なぜか茜と目が合って、光希は嫌な予感がした。
「同伴者は君たちにお願いしようか」
案の定、茜は耳を疑うようなことを言い出した。
「何か手がかりがつかめるかもしれないと思ってもう一度診療所に行ってみたけれど、男は昏睡状態だったよ。君が置いて行った沈香の匂い袋も、既に効力を失っていた」
「そうか。では後程再び出向き、俺の力を注いでおこう。祟られたまま死なれては困る」
「いっそのことここで匿ってあげるというのはどうだろう? 君もわざわざ出向く手間が省けるんじゃないかな」
露草は渋面になって頭を振った。先ほどまで眉一つ動かさなかった彼の表情が初めて露骨な変化を見せ、光希も内心驚く。
「連れて来れば朔の負担が増える。俺が放っておけと言っても、あの子は言う事を聞かないだろう」
「朔に知らせない……というのも難しいか」
「不可能だ。朔は人一倍穢れや呪詛に敏感だから、神域に足を踏み入れた瞬間に勘付いてしまう」
狛犬の話しでは、朔は露草の眷属という話だった。心配が滲む声と眉根に刻まれた深いしわが、彼の朔への想いの深さを雄弁に語っていた。
「わかった。君の気持ちを尊重しよう」
茜も必要以上に食い下がったりはせず、二人の会話が一区切りついたところで、吽形が茜を見上げて諫言した。
「茜様、お願いですからご自身の立場を考えてください。外出の際には必ず我々をお連れくださいと何度も申し上げておりますのに。それに、そのくらいの雑務は本来我々従者の仕事なのですから、貴方様は命じて下されば良いのです」
「そう敬ってくれなくともいいんだよ、吽形。狛犬は仕える神を決めるもので、君たちの主人は僕ではなくそこにいる露草だ。君たちが僕に従う理由もなければ、僕が君たちに命じる権限もない。確かに、僕たちは対を成す存在として二人一組のような扱いをされることが多いけれど、元は別々に暮らしていた。今の僕はただの居候だ。居候なのだから、少しは貢献しないと僕も気まずい」
「いつもそうおっしゃって。今回の呪い返しもおひとりでなさったでしょう。貴方様の身にもしものことがあれば、我々は他の神使たちに顔向けできません」
「わかった。次から気をつけよう」
最終的には茜の方が折れたが、吽形の疑わし気な顔つきからして、今後も改善の見込みはないのだろうなと光希にすら予想できてしまった。
「ところで、中に入らないのか? いつまで外にいるつもりだ?」
露草に問われ、茜はなぜか光希に視線を向けた。
「そうだった。ここへ来る途中、というよりも曲がり角に隠れているところを見かけて連れてきたんだ。おいで、紗那。君も一緒に入ると良い」
「紗那……」
茜が呼んだ名を、光希も思わずつぶやいていた。
ここまで何度か出た名前なのですっかり耳に馴染んでいるのもあるが、何より光希はさっきからずっとその名の主との再会を望んでいた。
光希を巻き込んだ張本人であり、それ以上に命の恩人でもある鼠だ。
茜に促されるまま、紗那がおずおずと襖の影から出てくる。
もしかしたらと思っていたがやはり、紗那は人間の姿をとって光希の前に姿を現した。
「し、失礼いたします」
部屋に入る前に一度深くお辞儀をする。正しい作法を目の当たりにして、光希は自身の失敗に今更気が付いた。誰も咎めはしなかったが、今度は気を付けていこうと自省する。
(こいつが、あの鼠なのか)
空の色で染めた様な艶やかな髪、零れ落ちそうな程大きな双眸は群青色の宝石の様だ。ここまで色白ばかり見てきたから、余計に肌の色が健康に見える。
(良かった。どうやら怪我は治ってるみたいだな)
肌艶の具合や声の張りから、そう判断して安堵する。深手を負っていたのは彼も同じだったから、心配していた。
頭を上げた紗那と目が合って、それからしばらく見つめあう形になったが、ふいに紗那が俯いて一方的に目をそらしてしまった。
桜色のふっくらした唇に手を添えて頬を赤く染める姿が、まるではじらう乙女のようで、同じ男の姿をしているというのに、光希は謎の動悸に見舞われた。
「紗那。光希とはあとでゆっくり話す時間がありますから、まずは君が得た情報について話しなさい」
「は、はい!」
吽形に言われ、紗那は阿形と吽形の間に正座をした。
一方茜は、光希と紗那が見つめあっている間に既に室内に入っていたようだ。自らを居候と自称していた彼は、神でありながら高座ではなく光希と同じ高さに座っている。
「呪いが返されたので、おれは呪いをかけた男性の家から殺気を辿っていきました。やがて林道の入り口までたどり着いたのですが、入ろうとしたら猫に祟られた少年に襲われました」
その後の話は、ここにいる皆が知る内容だ。
「入ることは出来なかったけど、林道の奥から無数の気配を感じました」
「おそらく、猫神が蟲毒に用いられた猫の霊を集めたのだろうね。理不尽に殺された猫たちの怨嗟を集約し、より強力な祟りを起こしているといったところかな」
茜の推測に賛同するように、露草が頷いた。
「猫たちの霊こそ、癒され供養されるべきだ。本来は亡きがらを弔うのがもっとも望ましいが、腐敗を恐れて早々に処分してしまったようだからな。魂だけでもあるべき場所へ向かえるように導いてやらなければならない」
「では、さっそく僕が出向こう」
茜が気安く挙手すると、吽形の茜を見る視線が鋭くなった。
もともとなかなか整った顔ということもあり、柳眉を逆立てるとなかなかに迫力が出る。
しかしさすが神である茜には糠に釘だったようだ。
「心配はいらない。神とは言え、相手は誕生したばかりの駆け出しだ。今は憤怒を抑えきれず暴走しているだけで、制御の方法さえ覚えれば立派に役目を果たせるようになる。一応先に生まれた者として、道を示してあげないとね」
「では、僕が随伴いたしましょう」
「有難い申し出だけど。……そうだね」
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「同伴者は君たちにお願いしようか」
案の定、茜は耳を疑うようなことを言い出した。
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