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住吉

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重い瞼の向こうで、ざわざわとした音が飛び込んでくる。
ざわざわと、そよそよと。
鈍い速度でまぶたを開いた先には、花畑があった。
青空の下で咲く花は、虹色の如く息づいていた。
見覚えの無い場所。
女は一人、花畑に身を埋めていた。
動く頭で、どこを見渡しても、生き物らしきものは見当たらなかった。
女が動こうとすると、視界が歪み、異常事態に女が声にならない声を漏らす。
くわえて頭痛もひどい。
額の汗が玉のように浮かぶ。
動こうにも動ける状態ではなかった。
「誰かー……助けてー……」
「あのもしもし」
投げやりに放った言葉に、誰かが応答した。
四肢が花畑をざわざわと鳴らす音。
一匹の、耳を立てたうさぎが歩いてきた。
「大丈夫ですか」
声の主がうさぎだと気づいた女は、ぎょっとした。
人語を話すのは、人だけだと認識していた。
聞きたいことは山ほどあった。
しかし、女にそんな気力は残っていなかった。
「大丈夫じゃない……助けて……」
「私一匹では無理なので、仲間を呼んできます」
うさぎは、仲間を呼ぶと言い残し、女の元を離れた。
女は不安で堪らなかった。
うさぎが戻ってこなければ、女はどうなってしまうか分からない。
「一人にしないでよ……」
数十分後、うさぎは約束通り、残り十匹を連れて戻ってきた。
タンカーを担ぎやってきた十匹は、早々に女を乗せた。
運ばれている間、女は景色を横たわりながら見ていた。
家々はとても小さく、動物達が生活を営んでいる。
森を東に抜け、小さな村に入ると、うさぎの家があった。
茶色の屋根瓦に、木の玄関が一つ。
日当たりのいい、窓際のベッドに女は寝かされた。
白い小さなベッドは、とても居心地が良かった。
ベッド越しに、うさぎたちが、心配そうに、顔を揃えて覗き込んでくる。
女は愛らしさに負け、精一杯の笑顔を向けた。
苦笑いに似ていたかもしれない。
うさぎたちは、顔をつき合わせて、何かを話している。
耳のたれた、一匹のうさぎが部屋の奥へ消えた。
うさぎは甲高い声を上げながら、すぐに戻ってきた。
手には薬と思しき、小瓶と水が携えられていた。
「人にも合うかしら」
「分かりませんが、毒にはならないかと」
「ありがとうね」
少々苦い液薬を女は飲み干した。
窓際の日差しと、ベッドのせいもあってか、苦渋が引くと、今度は睡魔が襲ってきた。
女は小さなベッドで、体を丸めて眠った。
次に意識を目覚めさせた時、うさぎ達は、もうその場には居なかった。
ただ一匹、初めて会った、うさぎだけが椅子に座って女を見ていたのだ。
女は、横たえた身体を持ち上げ、ベッドに座した。
「体は楽になりましたか? 」
「うん、とっても、ありがとうね」
女は、今度こそ、いっぱいの笑顔をうさぎへ向けた。
「それは良かった、何か食べられるものを持ってきますね」
うさぎの表情から、喜怒哀楽を理解するには難しいものがあった。
窓の外は、橙色に染まっていた。日差しが先ほどより強い。
「私も行っていいのかな、手伝いたいし」
女は重い体を上げ、うさぎが向かった後に続いた。
病み上がりの体は、まだ少しフラつく。
小さい家を、女は頭を下げて歩いた。
「うさぎさん、私も手伝っていい?」
「いけません、寝てなくては」
女がキッチンの方へ行くと、気づいたうさぎがぴょんぴょんと飛んできた。
「恩返しもしたいし、料理くらいなら出来るわよ」
「ダメです」
「じゃあ机に座っててもいい?」
「それならば良いですよ」
自然の木を組み合わせた机に女は腰掛けた。
飛び跳ねながら、料理を作るうさぎ。
背中越しにうさぎは、質問をぶつけてきた。
「あなたはどこからきたのですか」
動物ばかりの世界では、人である女は異質な存在だ。
「うーん、分からないなー」
「わからないのですか?」
「うん分からないの、どこから来たのか……記憶が飛んじゃってて」
女からは、倒れている以前の記憶が抜けていた。
どこで暮らしていたのか、何故この場所にいるのか、何をしていたのか、己の最低限のこと意外全て忘れてしまっていた。
「名前なら分かるわよ、私はねミサキっていうの」
「ミサキさんですか」
「そうミサキ、よろしくね」
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