8 / 16
八杯目 ご本人登場。
しおりを挟む
「それよりも須佐。五箇山といえば、道真本人が登場するんだろう?」
「先生、ご存じ? そうなんだよね。富山県西部などでは、長男が誕生すると嫁の実家から菅原道真の肖像を贈るという習慣があってさ。正月になると、この木像や掛け軸を床の間に飾り、供え物をするんだよね」
「加賀藩が広めたものと言われているそうだが、不自然だよな」
「学問の神様だから拝みなさいって言われてもねえ。風習になって残るとは思えないでしょ」
それならば、ご先祖様を祀っていたという方がしっくりくる。
「実際に恩恵もあった訳だしさ。養蚕と硝石でどこよりも豊かになった」
天神社を造って祀ったという訳ではなく、家の中に絵姿を飾ったというところが、妙にリアルだ。神様というよりも、もっと近しい存在だったのではないか。
「技術集団として土師氏の存在があったという部分は良いとして、堺商人の介在はどう説明する?」
「土師氏の存在とその技術を知り、堺の豪商達との橋渡しができる存在がいたのさ」
「それは誰かと尋ねたら?」
「答えは熱燗の後で!」
また一本奢れってか。いい加減にしてくれよ――。
「あっちっち。これは酔っぱらうよ?」
「もう酔ってるだろうが。フィクサーの正体は誰なんだ?」
「ずばり! 千利休!」
「茶の湯の創始者がビジネス・コンサルタントをやってたってか?」
「出雲大社の祭祀を連綿と司ってきた一族がいる。千家氏と北島氏だ。勿論土師氏だよね。利休は千家氏の流れだろう」
『利休めはとかく果報のものぞかし 菅丞相になると思へば』とは晩年堺に追放された際に、利休が詠んだ歌である。菅丞相とは無論、右大臣菅原道真のことを指す。
「先祖に対する崇拝の念を持っていたと考えるのが自然だろうさ」
「先生、ご存じ? そうなんだよね。富山県西部などでは、長男が誕生すると嫁の実家から菅原道真の肖像を贈るという習慣があってさ。正月になると、この木像や掛け軸を床の間に飾り、供え物をするんだよね」
「加賀藩が広めたものと言われているそうだが、不自然だよな」
「学問の神様だから拝みなさいって言われてもねえ。風習になって残るとは思えないでしょ」
それならば、ご先祖様を祀っていたという方がしっくりくる。
「実際に恩恵もあった訳だしさ。養蚕と硝石でどこよりも豊かになった」
天神社を造って祀ったという訳ではなく、家の中に絵姿を飾ったというところが、妙にリアルだ。神様というよりも、もっと近しい存在だったのではないか。
「技術集団として土師氏の存在があったという部分は良いとして、堺商人の介在はどう説明する?」
「土師氏の存在とその技術を知り、堺の豪商達との橋渡しができる存在がいたのさ」
「それは誰かと尋ねたら?」
「答えは熱燗の後で!」
また一本奢れってか。いい加減にしてくれよ――。
「あっちっち。これは酔っぱらうよ?」
「もう酔ってるだろうが。フィクサーの正体は誰なんだ?」
「ずばり! 千利休!」
「茶の湯の創始者がビジネス・コンサルタントをやってたってか?」
「出雲大社の祭祀を連綿と司ってきた一族がいる。千家氏と北島氏だ。勿論土師氏だよね。利休は千家氏の流れだろう」
『利休めはとかく果報のものぞかし 菅丞相になると思へば』とは晩年堺に追放された際に、利休が詠んだ歌である。菅丞相とは無論、右大臣菅原道真のことを指す。
「先祖に対する崇拝の念を持っていたと考えるのが自然だろうさ」
0
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる