歴史酒場謎語りーー合掌造りの里五箇山と硝石

藍染 迅

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仕切り直して二杯目 硝石はバイオ・インダストリー。

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 一番目の方法は「古土法」という。古民家などの床下を掘り返して土を採取する方法だ。家屋の下にあることで硝石は水に流されることなく留まっている。
 二番目の方法は「硝石丘しょうせききゅう法」と呼ばれる方法である。人や家畜の屎尿しにょうを屋外に積み上げてアンモニアの硝化を促進する。
 三番目の方法は「培養法」である。民家の床下に穴を掘り、蚕の糞、山野草などを混ぜて埋める。五箇山で行われていたのは、この培養法であった。

「培養法というのは、極めて独特な方法だったらしい。五箇山と白川郷以外では実例が見られない」
「土師氏の秘術たる所以か」
「秘密を守るためには山奥の流刑地ってロケーションは最適だろう」
「里の互助会的協力体制として『ゆい』というしきたりが有名だが、助け合いの他に相互監視の意味があったかもしれないね」
「培養法というやり方なんだがね。硝石を安定的かつ効率よく製造するには最も適した方法だったんだ」

 古土法で硝石が採れるようになるには十五年から二十年の歳月が必要と言われている。また、床下の土にはカリウムが存在しないので、大量の灰汁あくを加えてカリウムを供給しなければ硝石を抽出できない。
 硝石丘法は一年から三年程度の期間で硝石を採集できる。しかし屎尿を利用するため匂いがひどく、生活圏との分離が必要だ。雨が多く降れば水に流されてしまうデメリットがあることは、自然環境と同じである。ヨーロッパでは屋根のある場所で実施した記録があるそうだ。
 培養法では硝石採取まで4年から5年ほど必要だが、人為的に仕込みの時期をずらすことで毎年硝石を産出することができた。床下環境であるため、温度湿度の環境が安定するメリットもあり、高品質の硝石を作る事ができた。
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