電車の男

月世

文字の大きさ
5 / 33
Ⅱ.加賀編

七世

しおりを挟む
 顔を隠したまま、好きですと告げた倉知の耳が赤い。俺は笑って立ち上がる。
「腹減っただろ。何食いたい?」
 指の隙間からこっちを見る。しばらくして両手をどかした倉知は、視線を宙に逸らして、口を開いた。
「なんでも」
「っつーのはなしな」
 すかさず言った。倉知は困った顔で鼻を掻くと、ベンチから腰を上げ、バッグを肩に担いだ。
「正直、胸がいっぱいで食欲ないんですけど」
 ちら、と俺に目をくれて、またすぐ逸らす。
「ここの近くにお好み焼き屋あるんで、そこでいいですか?」
「いいね」
 同意すると嬉しそうに照れ笑いを浮かべた。先にたって歩く背中を見ながら、なるほどな、と思った。
 こいつは俺が好きなのだ。
 そりゃそうだ。他人の降りる駅を把握している人間が仮にいたとして、たまたま乗り過ごそうとしていることに、果たして気がつくのか。ずっと意識して見ていないと気づかない。
 悪いことをした。俺が鈍感だったせいで悩ませてしまった。
 あの日、やたら背の高い高校生に本を取り上げられ、降りる駅だと知らされた。最初は知り合いかと思ったが、どうやらまったくの他人だとわかると素直に感動した。特に意味のない早朝会議だが、欠席すると面倒なことになっていた。
 助かった、ありがたいとは思ったが、倉知が危惧していたような、ストーカーだとか気持ち悪いだとかいう発想はなかった。見るからに真面目そうな容姿のせいかもしれない。
 それにしても。
「倉知くーん、歩くの速い」
 倉知が立ち止まり、振り返って「すいません」と謝った。目は俺を見ていない。
「おい」
 倉知の顔を両手で捕獲すると、思いっきり目を見つめた。
「は、はい」
 頬が紅潮していくのを見て、離してやった。
「避けられると寂しいんだけど」
「ち、違うんです! ……あの、すごい、なんか、嬉しくて、恥ずかしくて、いろいろこんがらがってて」
「ほう」
 目を細めて倉知を見る。小銭を落とした人みたいに、視線は地面をうろうろしている。
 ここまで惚れられると悪い気はしない。
 相手は高校生で、自分より背の高い、体育会系の男。俺はノーマルだし、そういう趣味はなかったが、どうしても倉知を嫌いになれそうにない。
 というか、可愛いと思う。こいつを「可愛い」と思うのは、きっと親だけだろうなあとぼんやり考えていると、倉知がおずおずと俺を見てきた。
「あの、加賀さん」
「うん」
「ここです、店」
 倉知が指差すほうに、「お好み焼き・まる」と書いたのれんがあった。
 とりあえず、食おう。
 そういうことになった。
 のれんをくぐり、店に入ると忙しそうに動き回っている中年の女が「いらっしゃい」と声を張り上げた。
「あら、ななちゃん」
 倉知を見てそう言った。どうやら知り合いのようだ。
「部活終わったの? あの子は一緒じゃないの?」
「カラオケ行きました」
「まったく、遊んでばっかりなんだから。あら、お友達?」
 倉知の後ろに俺がいることに気づくと、声のトーンが変化した。
「どうぞ、ここに座って。お友達、イケメンねえ。今時の高校生は大人っぽいのねえ」
 俺たちを席に案内すると、テーブルにコップを置いて、しみじみと言った。吹きそうになりながら弁解する。
「いやいやすいません、社会人です」
「えっ、そうなの、そうよねえ、イケメンすぎると思ったわ」
 イケメンと年齢は無関係だし、そもそも俺はイケメンではない。と思ったが笑って調子を合わせた。
 注文が決まったら呼んでね、と女性が去ると倉知が謝った。
「ここ、同級生の店なんです」
「そうか、で、ななちゃんってのはどういうことだね」
 倉知はコップの水を一口飲むと、一度咳払いをして、俺の顔を正面から見据えた。
「俺の名前、漢数字の七に、世界の世でななせっていうんです」
「へえ、変わってんな」
「女みたいで嫌いです」
「お前に合うよ。なんか可愛いし」
 ああ、こういう言い方は傷つくか? 女みたいで嫌いだと言っているのに可愛いはなかった。倉知は顔を覆って黙ってしまった。
「あー、悪かったよ、可愛くない可愛くない」
「違うんです、俺、今初めて、この名前でよかったと思って」
 嬉しいんかい。つくづく面白い奴だ。
「加賀さんは下の名前、なんていうんですか?」
「それ訊く?」
「え、なんでですか」
 尻ポケットから財布を出す。カード類の中を家捜しして、自分の名刺を見つけだした。
「やるよ」
 倉知は両手で名刺を受け取った。一端の営業マンのようだ。こいつはやはり高校生らしくない。ふははと笑う俺を不思議そうにしながら視線を名刺に注ぐ。
「かが、さだみつ、さん」
 そう、やたら古風でじいさんみたいな名前なのだ。俺も自分で下の名前が気に入っていない。
「定光さん」
「やめれ」
「カッコいいじゃないですか。ああ、だから歴史物が好きとか? 司馬遼太郎の本読んでましたよね」
「何その発想。どうでもいいけど倉知君」
「はい」
「注文しない?」
 俺たちは顔を見合わせて笑った。
 店員を呼んでオーダーを済ませると、手持ち無沙汰になった。こういうときマナーの悪い奴なら、颯爽とスマホをいじり始めるのだが、倉知は背筋を伸ばして行儀よく待っている。忠犬、という言葉が脳裏に浮かぶ。
「いい子だな」
「えっ」
「いや、なんかお前、ちゃんとしてるよな」
「そうですか?」
 照れ臭そうにコップを持ち上げ、照れ隠しか水をがぶ飲みしている。
「今時の若者らしくないっつーか」
「加賀さんだって若者じゃないですか」
「いや、おっさんだよ」
「いくつですか?」
「いくつだっけ?」
「訊かれても」
 若い頃は一年の区切りがあり、自分が何歳だと自覚していたが、社会人になり、一人暮らしをしていると特に年齢には無関心になる。俺が何歳だろうが誰も気にしない。
「二十……八、いやごめん、さば読んだ。今年で二十七だわ」
「二十七歳」
 倉知は俺の名刺を眺めて、なぜか感慨深げだった。
 高校生にとって二十七歳は確実におっさんだ。年の差に怯んだか、と思ったが、倉知の口元は笑っていた。いそいそと、大切そうに名刺を財布にしまっている。
「倉知君は何年生?」
「高校二年です」
「育ったなあ。何センチあるの?」
「百八十七です」
「でかっ」
「小学校からバスケしてるんで」
「バスケなー」
 バスケやバレーをする人間の背が高い傾向にあるのは、大きいからそれをするのか、それをしているから大きいのか、どっちだろうと常々疑問を抱いている。
「加賀さんは学生の頃、部活何してました?」
 さっきからずっと質問のオンパレードだ。倉知はキラキラした目で俺を見ている。鉄板の上で湯気を上げているお好み焼きを一瞥してから言った。
「クイズ、加賀さんの高校時代の部活はなんでしょう」
「クイズですか」
 倉知は楽しそうだ。純粋な奴で面白い。
「運動部ですよね」
「うん」
 じっと俺を見て、思案している。
「野球部とサッカー部ではないと思います」
「ひとまず正解」
「水泳でもないし、陸上ですか?」
 わけもなくギクリとした。
「やべえ、お前なんなの、名探偵? エスパー?」
「当たり?」
「なんでわかったんだよ、俺、透けてる?」
 自分の体を撫でさすって怯えてみせた。
「いや、野球とサッカーしてきた人間の体型じゃないと思って」
「体型」
 なるほど。野球は尻がでかくなるし、サッカーは足が短くなる。と言われている。本当かどうかはよくわからない。
「あ」
 倉知がハッとして声を漏らし、赤面した。
「すいません、別にそんなにじっくり見てたわけじゃ」
「何を今さら。毎朝見てたんだろうが」
 倉知は目を伏せてから、お好み焼きに気づき「もう返していいです」と言った。
「よし、種目当てたらご褒美な」
 ヘラを使い、片手でひっくり返しながら言うと、倉知が「え?」と顔を上げて固まった。なぜだろう。無性にからかいたくなる。
 周囲を見回した。店の人間は後片付けをしている。客は俺たちの他に二組いたが、席が離れていて会話は聞こえない。誰もこっちに関心を示していないことを確認してから口を開いた。
「キスしてやるよ」
 倉知が持っていたヘラを落とす。ガラン、とやかましい音を響かせて鉄板の上で跳ねた。
「大丈夫か?」
「すいません」
 想像以上に動揺が激しい。純情というか、純真無垢というか。穢れを知らない処女だ。この場合、童貞か? 
「倉知君って、ど」
「ど?」
「ドーナツ好き?」
「え? いえ、特には。なんでですか?」
「好きそうな顔だなって」
「そんなこと初めて言われました」
 九分九厘、童貞だろう。訊くだけ野暮だ。最近の高校生はませていて、初体験の年齢も早くなっているが、中には倉知のような奴も存在する。清く正しくて安心する。
 俺には歳が離れた弟と妹がいる。先日、弟が彼女を孕ませて、まだ十八にもなっていないのにもうすぐ父親だ。昔からちゃらんぽらんな奴だったが、無計画にもほどがある。
 そういえば弟と倉知は同い年だ。だからだろうか。何かほっとけない気がする。
「はい、キスを賭けたクイズ第二問。加賀さんはどの種目をやっていたでしょうか」
 二枚のお好み焼きを裏返しながら言った。倉知は俺の手元をじっと見ている。
「制限時間は焼き上がるまで」
 真剣な顔つきになる倉知が面白い。
「陸上って結構種目多いですよ」
「うん、知ってる。俺の唇は安くないのよ」
「せめて三択か四択にしてください。いや、二択がいいです」
「馬鹿、甘ったれんな」
 倉知は眉間にシワを寄せて俺を見た。本気で透視を試みているようだ。こんなに必死になるとは意外だ。照れて遠慮するかと思ったのに。予想外に男らしい。
 お好み焼きが焼き上がっていく間、倉知は俺から目を離さなかった。
「わかりました」
「それでは答えをどうぞ」
「長距離、ですね?」
 自信満々な顔だ。俺は肩をすくめて、首を横に振った。倉知の顔から生気が抜ける。可哀想だが笑えてくる。
「正解はハイジャンです」
 わかりやすく消沈する倉知の皿に、焼き上がったお好み焼きを載せてやった。
「お前な、そんながっかりすんなよ」
 付き合ってんだから、キスくらいいくらでもしてやる。という言葉を飲み込んだ。
 しばらくの間、がっかりする倉知を堪能しよう。 
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

電車の男 同棲編

月世
BL
「電車の男」の続編。高校卒業から同棲生活にかけてのお話です。 ※「電車の男」「電車の男 番外編」を先にお読みください

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

男の娘と暮らす

守 秀斗
BL
ある日、会社から帰ると男の娘がアパートの前に寝てた。そして、そのまま、一緒に暮らすことになってしまう。でも、俺はその趣味はないし、あっても関係ないんだよなあ。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

上司と俺のSM関係

雫@不定期更新
BL
タイトルの通りです。

処理中です...