アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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4章 システム

4章4話 舞台

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【新帝国歴1130年4月5日 アリーシャ】

 一瞬、ぼんやりしていたような気がする。私はなんとか意識を現在に集中させようとする。
 私の傍らには、舞踏会の仮装のエックハルト様。そして、対峙するのはあの女騎士、ツィツェーリア様だ。ツィツェーリア様は、舞踏会を見下ろせる階上で会話していた私たちを目にして、そちらから上がってきたのだろうと私には思われた。
 ツィツェーリア様は、甲冑を纏った姿は男に劣らぬ偉丈夫のように見えていたけれど、白い細身のドレスに着替えると意外にも優美だった。そのドレスは肩から胸にかけて金の装飾で飾られていて、並外れた長身の立派な体躯に似合っている。あれだけの大剣を使うのだから掌は固くなっているかもしれないが、青灰色の絹の手袋を付けられているので、それを確認することはできない。

「ご機嫌麗しゅう、ツィツェーリア殿」
「そのご尊顔を拝見して、私が上機嫌でいられると思うか? 女衒殿。狩りの真っ最中かな? 私の目の届かない所でだったら勝手にしてくれて構わないが、私の目の前でされるのは、どうにも不愉快だ」

 エックハルト様は軽く一礼だけして、踵を返す。
 どうやら追い払われたということらしい。ツィツェーリア様は冷たく、その後ろ姿を横目で見るだけだった。そんな二人を見ながら、私は首を傾げている。

 女衒とは、要するに娼婦の斡旋業者のことだ。女性を売春宿に売り飛ばしたり、あるいは個人営業の娼婦に客を斡旋して上がりを巻き上げたり、その業界にはいろんな生業があるらしいが、詳しいことは私には分からない。分かるのは、エックハルト様が侮辱されて、口答えもせず引き下がったってことだけ。
 普段のエックハルト様なら軽口の一つも残していきそうなものだったけど、それはなかった。それはヴォルハイム家とランデフェルト家の権勢、ツィツェーリア様とエックハルト様の身分の差のせいなのかもしれない。それでも、仮にも他国の使節団の一員に向けて投げかける言葉としてはあんまりにもあんまりだった。
 それに、と私は思う。
『……委員会に女連れ、とはな。ランデフェルトの若君もお年頃と見える』
 そんな言い方をしていたのだった、この人は。それは、この人が他ならぬ私をいかがわしい女扱いしているということにならないだろうか。

「……ツィツェーリア様。恐れながら、申し上げます」

 低い、でもはっきりした声で私は声を掛ける。私の身分はエックハルト様よりさらに低いけど、それでもここで弁明しておかないことには、公国の名誉にすら関わってくる問題になるかもしれない。

「私は、そういう女性ではありません。ええと、その」
 少し私は言い淀む。
 自分は娼婦ではないなんて言うのもなんか、なんか。わざわざそんな弁明しなければならない、そんな状況なんてある? そんな風に私は思ってしまう。
 ツィツェーリア様は少し考え込んで、それからこう言った。
「ああ、そういうことか。……いや、そういう意味ではないんだ。すまない」
 ツィツェーリア様の口調は今までより明らかに柔らかくて、少し私は意外に思う。男に対してはとにかく厳しいが、女に対してはそうではないのかもしれなかった。
「なんと言ったらいいのだろうか。……我が兄の名誉にも関わる話だが。まあ、いい。少し、昔話を聞いてほしい」
 それから、ツィツェーリア様は、こんな話を語り始めたのだった。

「我が兄、マクシミリアンが13歳の時分だ。ランデフェルト公国への訪問で、ちょっとした事件があったのだ。あそこの貴族の子弟の幾人かに、悪い遊びに誘われたんだ。娼婦を何人も呼びつけて、乱痴気騒ぎの馬鹿騒ぎだ。ことは露見して、参加者は全員謹慎処分だ。なんせ、他国の代表をそんな憂き目に遭わせたのだからな」

「…………」
 私は沈痛な面持ちをしていたと思う。しばし無言で頭を抱えた。
 で、それとエックハルト様が、どう関わっているのか。言われないと分からないけど、言われなくてもわかるような気もした。
「あの男は、当時はその不良少年どもに付き従っていて、娼婦を斡旋する役目だったんだ。あんまり高級な娼婦でもなく、頭の悪い馬鹿騒ぎに相応しい、そんな女たちを。一番厳しい処分が下されて然るべきだったが、何故かその後出世している。兄上がランデフェルトに厳しいのは、まあ、それも一つの理由だよ」
 そんなことを言って、ツィツェーリア様はくっくと笑う。
「なんせ一年ぐらい謹慎を命じられて、お前には大公位は継がせない、妹の夫になる人物に継がせるなんて、散々脅されたんだからな。私が夫は取らないと明言したので、一件落着したのだが」

 夫は取らない。それが私には少し不思議ではあった。
 貴人であるほど結婚が不自由である時代だったし、リヒャルト様も縛られていた。ましてや女性の側には選択権はないのが普通だった。だけどヴォルハイムほどの権勢を以ってすれば、その力関係を逆転することも不可能ではないのかもしれない。なんと言ってもツィツェーリア様は強かった。腕力でも、それから性格でも。

(……それにしたって、しょうがないやつ)
 私の『新井若葉』としての意識が、少しだけ戻ってくるのを私は感じる。



【新帝国歴1130年4月5日 若葉】

 女衒呼ばわりされるだけのことはあったわけだ。それは彼が君主筋として見出される前のことだろうと、私は考える。少年時代は荒れていたと言っていたのは、まあ、そういう感じだったんだろう。
 引っかかるのは、エックハルト(若葉としては、様、なんて付ける気にはならない)が、そんな若かりし日の過ちをしれっと受け流すことをしないで、どこか硬い表情で引き下がったことぐらいだった。瀟酒な遊び人を演じていても、エックハルトの本質は陰鬱な人間だ。微妙に高くて微妙に低い今の身分の話ではなく、元々の生まれを思い起こさせるような話は本当の彼にとっては全く愉快ではなく、受け流せもしないのかもしれない。
 とすると、だ。あの仮面は、ヴォルハイムのお偉いさん方、特にマクシミリアン殿下やツィツェーリア様と直接対決になることを避けたかったからとも考えられる。近くに寄って確認すればあまり意味はないが、遠目からだと誰かは分からない。
 ちょっとおかしい考え方でもあるけど、と私は思う。普段はしれっとした厚かましさを売りにしているエックハルトが、この場ではヴォルハイムの彼らに見咎められたくなくて逃げている、そんな普通の人みたいな心理があの彼にも備わっているというのは。



【新帝国歴1130年4月5日 アリーシャ】

 ただ、今ここで私が、エックハルト『様』に理解を示してはならない。アリーシャとしての私はそう思う。ちょっとやそっとのことで動じるべきではないあっちの世界の女としての生き方と、誰かさんの不品行に一枚噛んでいるような女ではないことをまず示さなければならないこっちの世界の女としての生き方は根本的に違う。

「……すみません。なんというか、その。……言葉を失ってしまって」
 そんな返答を私はツィツェーリア様に返した。
「あなたみたいな若い女性に話すべきことではなかったかもしれないね」
「人生は色々です。……でも」
「何かな?」
「エックハルト様は確かに、不品行な方かもしれません。でも、リヒャルト様は」
 そんなことを私は言ってみる。

 リヒャルト様は基本的に堅物で、そういう不品行とは無縁だった。エックハルト様の少年時代のおいたで、リヒャルト様の外交的な立場まで悪くなるのは色々と望ましくはないだろう。幸い、私に対してはツィツェーリア様は、聞く耳を持っているようだった。

 しかし、ツィツェーリア様は両手を広げ、私の言葉を軽くいなしてしまう。
「私は、弱腰な男が嫌いなんだ。私については、まあそれだけだな」
 弱腰。それをリヒャルト様は、マクシミリアン殿下からも責められていた。武勇で鳴らしているヴォルハイムの人たちだから、そのことに殊更に反応するのかもしれない。
「女ながらにして技術相談役。なかなか興味深いね。……ランデフェルトに置いておくのは、少々勿体ない」
 私は、褒められているのかもしれない。自己肯定感の低い人間にありがちな、褒められると無条件で湧いてくるくすぐったい気持ちと私は暫し戦う。
「……私を見出してくださったのは、リヒャルト殿下ですから」
「それだ。あの小僧も、その位の目端は効いたと見える。少々見直した、だが足りない」
「何がですか?」
「男の役目は、女が踊る舞台を作ることだろう? この会場だって同じだ」
 そう言って、ツィツェーリア様は、階下の人々を指し示す。ダンスに興じている男女の中でも、目立っているのは華やかな衣装の女性たち。どちらかというと、ダンスのお相手である男性たちはその背景になっている。
「……そんな、ヴォルハイムは。あなたは」
 まとまりのない、言葉にならない疑問を私は呟く。
「兄上は利用価値がある。私が戦う、その舞台を作るための。ランデフェルトはどうかな? あなたが踊る舞台を作れているか? 女は引っ込んでいろと、後ろに下がらせたりはしていないか? それも、肝心な場面に限って」
 これには、簡単に答えることができなかった。
「…………」
 私は考え込む。思わず親指の爪を噛んでしまい、慌てて誤魔化す。

 リヒャルト様は私を見出してくださった。彼は私を信頼してくれている。その信頼が私にとっては大切だ。それに、この会議でも詰められている彼を背中から刺すような考えは持ちたくない。だけど。それでも。
 リヒャルト様とは、永遠に対等にはなれない。彼は主君、私は臣下。それでいいのか。前世の現代日本で生きて、死んで生まれ変わった一人の女、人間として。
 別に構わない、はずだ。万人が平等で、対等であるはずの前世の世界でも、私を理解してくれる人はいなかった。元の世界の常識や正義感、ここでは自分だけの常識や正義感を振りかざして、相手の生き方も常識も尊重できずに荒れ狂うほど私は傲慢じゃない。
 でも、だからって。
『女は引っ込んでいろと、後ろに下がらせたりはしていないか? それも、肝心な場面に限って』
 問題はそこだった。納得はできない、作戦の概要だけ聞かせて、中身には関与させず帰れだなんて。私だって、彼の役には立ってきたはずだ。私はリヒャルト様にとって、ただの女じゃないはずだ。なんとかボロが出ないように取り繕っている私の拙い知識だって、戦場において役に立たないとは決め付けられたくない。

「……ツィツェーリア様。一つ、お願いがあります」
 私はそう言った。
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