アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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6章 歴史の終わり

6章1話 元婚約者の来訪 *

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【ランデフェルト公国技師 ヨハンの手記より】

 新帝国歴1132年、ランデフェルト公国において行われた、蒸気機関車の公開実験。その顛末は、同時代の幾多の人々の心に刻み付けられている。それはやがて、この世界に根本的な変革をもたらすことになったからだ。
 だが、それが本当はどういう変革なのか、そして、これからどういう変革をもたらすことになるのか。それを理解している人間はごくごくわずかで、本当に全てを理解している人間は誰一人としていないのかもしれない。
 俺だって理解しているとは言えない。俺が語ることができるのは、その事件がどうやって始まったのか、それだけだ。俺自身はその場にいて、その事件発生の鍵の一つとなり、そして、決して少なくない影響を被った。
 これは、その事件についての俺から見た記録だ。果たしてこれを読む人間がいるのかどうかは分からないが、この時代にあった大きな事件を構成する一部の物事について、俺だけが語れる事実の断片を記録しておくことは、この時代を生きた人間としての義務だと思うからだ。


 
【新帝国歴1132年7月23日 ヨハン】

 蒸気機関車の公開実験がおよそ一週間後に迫っていた。季節は初夏で、この地方では晴れることが多い時期だったが、今日は生憎の曇りだ。

 俺はその日、他国からの賓客の出迎えの一員に数えられていた。出迎えが行われたのは、公宮の正面玄関、その仰々しい壁面装飾に囲まれた、馬鹿でかい扉の前だった。今日という日に合わせて賓客たちは宮殿に来訪し、この出迎えは一種の儀礼に則って行われているようだ。日付を合わせるために彼らは2、3日ほど近隣の邸宅に逗留していたというのだからご苦労な話だ。華やかに着飾った来賓が朝から何度も押し寄せていて、その度に俺は出迎えの列に駆り出されていた。
 公国側の出迎えの人々を取り仕切るのは、どうやらランデフェルト公側近、エックハルト様のようだった。一同は横三列に立ち並び、先頭に立つのはお偉いさんで、俺は第三列の下っ端だった。 
 これが目下の者としての扱いに甘んじていると思うべきか、それとも、身に余る光栄と思うべきか、俺にはよく分からない。
 俺がここに立っている理由も、いくつかの想定外が積み重なってのことだ。アリーシャの発案で作ることになった蒸気機関車、その開発を担った中心人物の一人に俺は数えられていた。とはいえ俺の身分は平民の新人技師であり、また工房長から指導を受けている身だ。俺の隣に立つのはそのウワディスラフ・エミル工房長だ。背の低い彼が最後列にいては来客からはほとんど分からないが、ウワディスラフは、そんな長い時間の出迎えの間、辛抱強く微笑みを浮かべている。
 俺はといえば、こういった儀礼に雁首並べることにあまり意味を見いだせない性分だった。ウワディスラフのような優秀で、そして多忙な技術者を、こんなことに長時間拘束していていいとも思えない。だが公宮側からの要請、そしてウワディスラフの命令で俺もこの場に参加することになったのだ。
 こういう場だから、俺とウワディスラフも普段のエプロンとボロ服じゃなく、一応正装らしい恰好をしている。だがあくまでも平民としての正装で、公宮のお歴々に比べると見劣りしていて、召使と間違えられるのではないかとすら思う。それ自体は、せいぜい目立たないようにしているのが関の山である俺にとってはあまり関係ない話だったのだが。

(一体、何を考えているんだ。……アリーシャ)

 わずかな困惑を抱えながら、俺はアリーシャの方を見る。アリーシャはエックハルト様と近い場所、二列目に立って、次々訪れる来賓の馬車を見ているようだ。だが俺の立っている場所とは距離があり、彼女の詳しい様子を伺うとか、空き時間にそっと話しかけることも難しい位置取りだった。
 アリーシャは薄緑の絹のドレスという姿で、派手ではないが貴族的な風情もある恰好をしていた。その姿で、控えめな微笑に一言二言を添えつつ来賓に応対しているが、彼女に貴族の知り合いがいるとも思えない。
 アリーシャは公宮に出入りして長く、貴族社会を俺よりは見てきているだろう。だが、こんな風に貴族のような振る舞いをしてみせるようになったのは、この一年のことだ。
 アリーシャは、もともとはこんな雰囲気じゃなかった。一見では大人しい女だが、人見知りなだけで、親しい人々相手には時々相当うるさい。そして時々、『私は庶民です』と顔にでも書いてあるかのような、殊更に侮られそうな振る舞いを見せることすらあった。
 例の職階のせいかもしれない、このアリーシャの様変わりは。その件について俺は概要しか知らないが、彼女は俺に話していないことを両親には話しているようだった。そのことは両親からそれとなく聞いてはいたのだが、その件について俺はアリーシャに問い質したことはない。
 一年間あってもその話ができなかったのに、今現在たまたま近くに立っていたからって話ができるわけじゃない。アリーシャのあの謎めいた態度からは、確かなことは何も伝わって来ない。この状況でいくら憶測を挟んだところで、下種の勘繰りにしかならないだろう。
 そんなこんなで、俺は退屈していた。むずむずした不快感、あるいはやりきれなさを抱えつつ、何の結論も得られずただ棒立ちするしかこの場ではできないのだ。特に俺たちがこの場に必要でもないのだったら、肝心の蒸気機関の調整にでも戻らせて欲しい。この場では絶対に面白いことは起きない、俺にとっては。そう考えていた、その女が到着するまでは。

「ご機嫌麗しゅう、皆さん」

 馬車から降りてきた女。彼女はそう、気取って挨拶した。
 その女の特徴について述べておかなければならないだろう。女と表現するのはあまり的確ではないかもしれない。十代前半と見える、ほとんど子供だ。長い銀髪を高い位置で止めてから下ろした髪型で、猫目に近い顔つきの少女だ。どちらかというと小柄だが、その割に手足は伸びていて、まだ成長期かもしれない。
 注目すべきは衣装だった。その仕立ての良さは俺にすら分かる。膨らんだ袖、肩、それから背中にかけては明るい紫色で、すっきりしたシルエットを保っているが、それが逆に、前身頃にとられた白いレースのボリュームを強調させている。ドレスの裾は短めだが、夏に近づいた季節にあってそんな貴婦人然とした衣装はいかにも大仰だ。

 召使により、彼女の名が読み上げられる。ヴィルヘルミーナ・フォン・リンスブルック侯爵令嬢、とのことだ。

「ヴィルヘルミーナ様。……本当に、お綺麗になられて」
「ふん、当然ですわね」
 アリーシャと、ヴィルヘルミーナ嬢はそんな風な挨拶を交わしていた。ヴィルヘルミーナ嬢は、リンスブルック侯国を代表して使節としては一人、後は供の者たちを大勢引き連れて、数日間の旅路でこちらにたどり着いたのだという。

 俺はようやく思い出す。ヴィルヘルミーナ・フォン・リンスブルックと言えば、3年前にランデフェルト公国君主、リヒャルト殿下と婚約解消した、御年13歳になられるご令嬢ではなかったか。そしてこの状況は、いったい何を意味しているのか。公国にとって、そして、アリーシャにとって。そんなことを思い出した俺が息を呑んだのを聞いたのは、隣にいたウワディスラフだけだったかもしれない。
 そんな俺の思案を知ってか知らずか――いや、一切お構いなしだろう。アリーシャは、こんなことを言い出したのだ。

「本っ当の、本っ当に、お綺麗になられて。きっと、リヒャルト様は後悔なさいますね」
 最悪だ、この女。

「おい、アリーシャ……!」
 自分の立場も忘れて、俺は自分の立ち位置からアリーシャに向かって声を上げる。そんな俺を押し留めるのはウワディスラフだ。
「こら、ヨハン!」
 俺が声を上げたので、アリーシャとヴィルヘルミーナ嬢も俺たちの方を振り返る。
「どなたですの?」
 怪訝そうな顔をするヴィルヘルミーナ嬢だが、アリーシャは答えない。その代わりにこう言った。
「ちょうどいいわ、ヨハン。ヴィルヘルミーナ様の荷物を、お部屋まで運びなさい」
 アリーシャはそう言って、完璧な笑顔を俺に向けるのだ。だがその笑顔からは言いしれない、どす黒い思念のようなものが流れてきているように感じないこともない。
「あのな……」
 俺は口答えしたかった。まず俺は召使としてこの場に立たされているわけではないし、だからアリーシャも俺をわざわざ呼び出したのだろう。それなのに、この扱いは何なんだ一体。そんな俺を遮るのは、またしてもウワディスラフだ。

「運んであげるといい、ヨハン。淑女へのサービスは紳士の務めだよ」
「……。しょうがないですね」
 ウワディスラフだけに聞こえる声で溜め息を吐くと、俺は指示に従うことにした。

「……どうぞ、お嬢様。これでよろしゅうございますか」
 逗留する部屋の前まで運んでやった鞄を軽く足で突いた俺に、ヴィルヘルミーナ嬢は凄い剣幕で噛み付いてくる。
「ちょっと! 乱暴に扱わないで!」
「それは失礼。では、わたくしはこれにて失礼いたします」
 ヴィルヘルミーナ嬢は呆れたかのように、でありながら、どこか無邪気に口を開く。
「全く、しつけがなっていませんことね。あなたみたいな殿方は女性の荷物を運ぶことを喜びとしているのではございませんの?」
「んなわけあるか」
「おかしいですわ。他の殿方は皆、喜んで、っておっしゃるのに」
「そりゃ甘やかされすぎだ」
「なんですの、この人!」

 ヴィルヘルミーナ嬢にこういう嫌味な態度を示してみせたのは、ことによってあの姉から召使扱いされた、あるいはそれ自体は俺の考えすぎかもしれないが、そんな風な態度を取られたことの苛立ちがあったのかもしれない。どちらかというと困惑が勝っていて、正直上の空だったのだが。
 それにしても女を怒らせることに関しては、俺は群を抜いているらしい。村の女の子たちだろうと酒場の女たちだろうと、俺の言動に噛みつかない女はいない。
 だが、俺だって言い分があった。この女の荷物ときたら、多いだけじゃない。旅行鞄だけならまだいい。画架、オペラグラス、双眼鏡、服を着せかけるためのマネキン、正体の分からない色とりどりの紙箱。ほとんどが軽い箱だったが、中身が入っていないような箱を何度も何度も運搬させられるのも、それはそれで腹立たしい。その様子はまるでおもちゃ箱だが、安っぽい子供のおもちゃではなくて、大人が大枚をはたいて買い揃えたような、そんなおもちゃ箱だった。
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