アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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6章 歴史の終わり

6章15話 暁光 *

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【新帝国歴1133年6月16日 アリーシャ】

 ここまでが、私とリヒャルト様の大冒険の物語。だから、さっきのお話がめでたしめでたし、締めくくりということになる。
 だけど、その後も人生は続いていく。だから、これから話すお話は、ここから始まる私達二人の人生の、その最初のページの物語だ。

 まだ早朝のことだった、と言っても、6月だから既に日は高い。
 彼は、寝室の外側のバルコニーから続く、庭に設けられた小さな区画に立っていた。外側からは覗くことができない、公爵一家の秘密の庭だ。
 彼の格好と言えば、下はちゃんとしたズボンを履いていたみたいだけど、上はシャツをいいかげんに羽織っただけの姿で、夏とは言えこの世界の常識ではいかにも薄着だし、それにはしたなくもあった。

「殿下、そんな格好では、お風邪を召されて……きゃっ!」
 私は右手に彼の上着を抱え、肩に掛けたショールを左手で押さえながら階段を降りようとする。そして、盛大にすっ転びかける。ぶかぶかのスリッパで、両手に何かを持って外に出ようとしてはいけない。それに私はまだふらついていて、足元が覚束なかった。
「おっと」
 私を支えてくれたのは彼。そう、リヒャルト様。今はもう、私の夫。そういうことだ。
 こんな場面ですら、彼は機敏だった、どんくさい私とは違って。公妃になったからと言って、中の人間が変わるわけじゃないのだ。

「もう……ちゃんとしてください」
 私は彼の肩にその上着をかけてやる。すると私の肩からショールがずり落ちかけて、それを彼の方が支えてくれる。ショールの下の私の衣装も、胸元がひらひらしていて、外に出る格好にはふさわしくない、今までの常識で考えると。この庭が家の中なのか、家の外なのかには解釈の幅があるのだけど、とはいえ。
「……やっと、やっとだ。愛する人と生きられる。望み通り、自分の思う通りの自分のままで。私は自由だ。私は私だ。じっとしてなんていられない。叫び出したい気分だ」
 そう言って彼は、私の背中に手を回し、掻き抱く。
「あなたが、幸せなら。いいですけど」
 私は後ろ手で、彼の頭を撫でてやる。

 それから私たちは、中庭のベンチに移動する。私は彼の肩に頭をもたせ掛けていて、彼は私の頭に頬を寄せるようにしている。そうしながら、時折彼は片手で私の頭を抱えたり、それからお腹を撫でる。こんな風に屋外でいちゃついていたら、誰か人が、召使の誰かですら見たらどう思うか分からない。
 でも今は周りに人はいなかったし、その指から、そして掌から伝わる体温が心地良かった。それにその手は優しくて、言葉にしきれない気遣いが伝わってくる。だから、私はその手を上から握る。そうしながら二人とも無言で、ここに至っても私たちは口下手みたいだった。

「……それにしても、君主って本当に、プライバシーないんですねえ」

 私はぼそっと呟いてしまう。君主の結婚にまつわる諸々は全て、国家の一大事だ。それは人のお世話になり、自分の代わりに労を取らせるということでもあるが、代償としてプライバシーが犠牲になる。全ての場面で他者に介入され干渉されたくなければ、精一杯の覚悟で踏みとどまり、どこまでを相手に許すか、そしてどこからを撥ねつけるか、見極めて主張するしかない。

「……後悔、してないか?」
「するわけがないです。そんなことで」
 尋ねる彼に、私は答える。
「でも、変えていきたいですね。……少しずつ、できることから」
「ああ」
 それから彼は、話題を変える。
「……これから3日間は自由の身だ。新婚旅行は行けないが」

 いつも多忙な彼もこの期間は政務から解放されるが、公都を離れる形にはならないらしい。近隣にある小ぶりな離宮に移動することは出来るのだが、初日はこの宮殿である必要があり、それはこの結婚も私たちにとって、公務の一種であるからに他ならなかった。

「ええ。でも行きましょうね。いつか」
 そう、約束したのだ、私は彼と。いつか、世界を見に行くことを。
「これからは、ずっと一緒に。よろしくね」
 それから、私は一瞬ためらい、それから口にする。
「リヒャルト」

 彼の表情がふっと柔らかくなって、笑顔になる。もう子供じゃない、余裕のある大人の男性の笑い方。それから、彼は私の耳元で囁く。彼が何を言ったのか、それは私の心の中に取っておきたい。
 それから、私の耳の後ろに口づけると、その唇を首筋へと滑らせていく。それをこんな、庭先で。

(本当に、野蛮人なんだから)

 私は黙ったまま、彼の頬をつねることでそれに答えることにした。
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