アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

文字の大きさ
75 / 105
7章 ヴィルヘルミーナ様の夢のお店

7章3話 服飾工房と、ガラス窓 *

しおりを挟む
【新帝国歴1135年7月12日 ヨハン】

 そんなわけで、ヴィルヘルミーナの事業は、このこの公都にある、小さな服飾工房から始まったのだ。
 そこで働くのは数人の若い女たちと、それを指導するのは年配の裁縫師だ。彼らが作業するテーブルに囲まれた部屋の中央には、婦人用のドレスを着せかけられた等身大の人形が置かれ、前後左右からその形を眺められるようになっている。
 それは、ヴィルヘルミーナ自身が型紙を作り布地を選び、そして職人に縫製させた最初のドレスで、まるで黄金色に輝くかのようだ。女性たちには違う色の布地を使いながら、これと同じ形にドレスを作り上げてもらうのだ。

「いかがでしょうか、ヴィルヘルミーナ様」
「順調ですわね!」
 入り口近くでその様子を眺めながら、そんな会話をしているのはアリーシャとヴィルヘルミーナだ。

 ヴィルヘルミーナの事業を支援するにあたって、アリーシャは別の目的を兼ねることにしたらしい。小さな子を抱え途方に暮れる貧しい女性たちに、この工房で働いてもらい、技術を身に着けさせるとともに、彼女らの収入源とする。また彼女らが働いている間、子供たちを別棟で預かることで、安心して働き、仕事に精を出してもらおうという算段だ。
 だがこれらの若い女性たちに仕事をさせることは、商売を侮られることにもなりかねないし、また彼女らだけでは技術力と生産品の安定性が心もとない。そのために職能組合にきちんと話をつけ、熟練の職人を常時確保して、指導に当たってもらう体制を作っているのだと言う。

「……しかしな」
 俺は、ぼそっと呟く。俺は俺の工房で働いていて、ヴィルヘルミーナの事業にはそんなに関わっていない。だがなぜか、今日は不意の休みがもらえることになり、そして示し合わせたかのように、こちらの工房の訪問に駆り出されたのだ。
「ヨハン、何か言いたいことが?」
 これはアリーシャだ。
「どんな客に売りつけるんだ、このドレスを」
 これは、前から俺が抱いていた疑問だ。
 ヴィルヘルミーナのドレスは高い。彼女の思うがままの布地、形、装飾をふんだんに使った場合は特に。それに引き換え、仕立て屋としての権威、大金持ちの客に十分訴求するような条件は心許ないのだ。特に、このような小さな工房で、仕立ての経験の浅い若い女たちを働かせているのだから、なおさらだ。

「ヨハンあなた、ずいぶん権威主義に染まってるんじゃないの?」
「俺は、心配してるんだよ」
 こんな会話をしている俺とアリーシャ。
「…………」
 一方のヴィルヘルミーナは、珍しくも神妙な顔で、無言になっている。今までやったことのない事業で、この女とて不安はあると、そういうことなのかもしれない。
「……まあ、どう転んだとしたって、傷が少なければいいんじゃないか? 無理ない範囲で、そこそこ上手いことできればそれでいい」
 こういうことを言いながら、俺は正直、どうなんだと思っていた。ヴィルヘルミーナのこの家出、半年でカタを付ける話になるんじゃなかったのか。ヴィルヘルミーナの野望を否定はしないとしても、無難な着地点を見極める必要は最初からあるんじゃないのか。
 だが俺の言葉に、ヴィルヘルミーナは食ってかかる。
「ちょっと! 勝手に決めないでくださいませ!」
「うお!」
 ヴィルヘルミーナに襟首を掴まれて、俺の首が締まる。
「ヨハン、あなたが間違いよ。事業にはリスクが伴うの。問題をどう設定して、解決フローをどう想定するか、今の問題はそれね」
 アリーシャは最近こういう、どこかで知った風な言葉遣いをすることが多い。俺は軽く苛立つのだが、ヴィルヘルミーナはご満悦だった。
「さすがアリーシャ様ですわ! ヨハンとは大違いですわね!」
「仕方がありませんわ、ヴィルヘルミーナ様。男性は案外、小心なものですから」
 二人は俺を悪者にして和気藹々としている。なんなんだこいつらは、と俺は思っていた。

 それから、アリーシャは語り始める。
「ヴィルヘルミーナ様。ヴィルヘルミーナ様の美と権威、そしてセンスをもってすれば、きっかけさえあれば、衆目を集めることは容易いと存じます。ですから、必要なのはきっかけ」
「きっかけ、とは?」
 これは俺だ。ヴィルヘルミーナはふんふんと、興味深そうに聞いている。
「ヴィルヘルミーナ様の事業の立ち上げに相応しいお店を作り上げ、世間に向けてアピールすること。必要なのはそれです」

 アリーシャの考えとはこうだ。
 案の定、俺の家の1階はヴィルヘルミーナの店として改造されるのだが、そこは実際の商品を取引する場所というより、品物を展示し、広く世間に知らしめるための窓口、『ショーウィンドウ』として機能させる。
 人々が通りから店の方を眺めると、豪勢で美しいドレスを目にすることになる。そうやって人の注目が集まれば、この注目を自分のものにしたいという考えを抱く金持ちも現れると、そういう算段だ。

「素晴らしいですわ!」
 そんなアリーシャの提案に、ヴィルヘルミーナは頬を紅潮させている。だが、俺には疑問があった。
「……まず一点。この店でそんなドレスが見られるってことを、世間の連中がまず知らないとならんだろ。その時点で躓いているのに、どうにかなると思ってんのか」
「いい質問ね。従来のお店は普段は扉が閉ざされていて、中に入らないと何があるのかわからない。せいぜい扉の上の看板で表示するぐらいよね。だけどこのお店では、中に入らなくてもドレスが見られるように、壁の一面を大きなガラス窓にするの。もう、前を通っただけでその華やかな様子が伝わるように。どうかしら?」
「どうかしら、じゃねえ。そんなガラス窓を、どうやって用意するんだ」
「あなたたちの家の正面玄関は、大きな扉になっているわよね? あれの内側からガラス窓をはめ込んで、扉は普段は開け放っておくの。それで行けるでしょう?」
「あのな。そんなでかくて平らなガラス板、どうやって生産すんだ……」
 と、ここまで行って気がついた。アリーシャの不穏な笑みに。それからなぜ俺が今日に今日、休日をもらえて、それからこちらに引っ張って来られたのか。
「頑張ってね、ヨハン」
「頑張ってくださいませ、ヨハン!」
「畜生、結局俺かよ!!」
 そんなこんなで、結局俺はここでも絶叫させられることになったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...