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10章 ライフ・ゴーズ・オン
10章5話 バースデイ・2 *
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【西暦2019年1月5日 若葉】
「若葉」
彼のその一言で、私は目を覚ます。
「……ん。今、何時?」
「7時10分だけど」
「マジ? 朝ご飯用意する」
「土曜だよ、今日」
「でも、そろそろ起きた方がいいから」
「寝てていいよ。今日は僕が用意する」
「いいよ、あなたご飯ヘタだから。代わりに他のことしといて。私の服も見繕っといてくれるとありがたい」
そうして、私は暖かい彼の傍らを離れ、スリッパに足を突っ込むと、ずるずると寝室を出る。
彼氏がいたことない喪女の汚名は返上できても、自分のことにはいい加減なオタク女の例に漏れず、適当な気持ちで服を選ぶと至極適当になりがちだ。私のこと、特に外見については私よりも評価が高い彼に選んでもらった方が大抵センスがいいし、それに気分がいい。でもそんな感じで人任せにしてしまうことが、見た目に十分気を使えていないという証なのかもしれない。
こんな感じが、私たちのいつもの朝だった。一つ言っておくと、服はしっかり着込んでいる。寒くて暗いドイツの冬は、朝になると特に気温が冷え込む。夜明けにひとりでに目を覚ましてしまうことが多くて、そういう日は彼の懐に潜り込んで暖まっていると、また朝まで眠ることができる。
元から私は寒がりだったけど、例の交通事故に遭ってからはエスカレートしたみたいだった。そのうちには一軒家に移るかもって話も出ているけど、でもそれはすぐの話じゃない。
そう、私がエックハルトのところに転がり込んでから、最初の新年が過ぎた頃の話だ。ヨーロッパでは、クリスマスのかなり前に休暇に入る代わりに、新年の早くから世の中が動き出す。
「誕生日、かあ……」
「え?」
「なんでもない」
朝食を摂りながら私はぼそっと呟く。
エックハルトの27歳の誕生日、1月8日が近づいていた。
私たちが経験した奇跡の、小さなおまけ。この現代を生きるエックハルトの誕生日は、あの過去の平行世界を生きていたエックハルトと同じだった。と言っても過去のエックハルトにとっては名目上の誕生日で、今のエックハルトにとっては本当の誕生日なのだけど。
今まで私には彼氏がいたことがないのだから、彼氏の誕生日を祝うことも当然初めてだった。プレゼントを用意したり、祝ったりすればいいのだろうけど。家族や友人じゃなくて、恋人の誕生日を祝うのがどんな感じなのか、今の私にはまだ想像がつかない。
その後2月1日に、私の誕生日がやってくる。31歳の。31歳って信じられる? 自分が子供の頃は、それから20になっても、31歳の誕生日が来るなんて信じられたことはなかった。何となく、30という年齢に大きな、恐ろしい境界線が存在していて、そこから先は異世界に突入するんじゃないかと思っていたような気がする。実際には世界は続いていたのだけれど、そして私に関して言えば、ほとんど30からが本番みたいな人生に突入したのだけれど。
でもそんなことはまあ、どうでもいい。問題はエックハルトの誕生日を、どう祝うかだ。
今日は土曜だったけど、何かの会合があるらしくてエックハルトは出かけて行った。だから、私は好きなだけ、彼の誕生日をどうするかを悩むことができる。そして、今日が最後のチャンスだった。
「料理やプレゼントはいいけど……でも、まだ違う、かな」
私は盛大に独り言を呟く。どうも別の国に来てから、独り言を呟くことが多くて、あまり良くない傾向だ。国際結婚のカップルがうまくいかなくなる主要な原因に価値観の違いと引きこもり、それから冬季鬱があって、それらをなるべく避けるように仕事を見つけたり、他にもいろいろ努めているのだけど、私は元々内向的なインドア派で、自分の殻を破ることがどうにも難しい。
自分の殻を破ることが難しい。多分これは、普通の人が想像するよりずっとそうなんだと、私は思っている。
ずっと恋人がいなかったのは、ひとえにそのせいだ。所詮地味女だからと嘯いてはいたけれど、世の中の地味女にはみんな恋人がいないのかといえば全然そんなことはなくて、性格の問題の方がずっと大きかった。
これまではちょっと素敵だなと思う人がいたり、友人になった異性がいても、その人にとって自分が恋愛対象だとは努めて考えないようにしていたし、恋人がいるのかどうかを知ろうとすることも避けていた。そうしているうちに、彼らは自分の恋人を見つけて、ああそうなんだ、幸せそうだな、とだけ私は思っていたのだけど。
だから、私は勇気を振り絞った告白なんかしたことがない。そのずっと以前の、恋愛に踏み出そうとする勇気すら欠けていたと言わざるを得ない。嫌になってくるほどチキン女なのだ、本当は私は。だから、交通事故からの超常現象からの大恋愛というのは、私にとっては渡りに舟だったのかもしれない。もしこれがなかったら、一生恋愛しないままで終わったかもしれなかったから。
でも私にはそれがちょっとしたコンプレックスだった。エックハルトからの有り余る愛情を受けていても、ただ受け身でそれを与えられているだけで、自分の力と意志を示せていないんじゃないかと。力なんてなかったとしても、だからこそ意志が必要になるというのに。なんせ私自身には魅力も才能もない、人類の搾りカスみたいな女なのだ。ちゃんとこの人を愛しているということを示さなかったら、物事が悪い方向に進んだ時に、ずるずるっとそのまま行ってしまう可能性だってないとはいえない。
だから、そう。私は手紙を書こうとしていた。
笑っちゃうでしょ? この私が、ラブレターなんて。
私は筆まめな方でもなかったし、そんなことに類する経験といえば、自分じゃなくてアリーシャに関することだけだ。
アリーシャとリヒャルトが本当に恋人になる前、二人は手紙を書いていた。常日頃、と言っても毎日ではないけど、会っているのにそれでも話し足りないことを文章で伝え合っていた。と言っても恋愛に関する話は避けていたので、それはほとんど交換日記のようなもので。
だけど、アリーシャには自信がなかった。身分卑しからぬ人に送るような文章が自分に書けるのかと。私自身にもあの世界のお上品な人々が身につける教養なんてなかったけど、その辺りは本を当たって、二人で相談しながら、と言っても脳内でだけど、そんな手紙を描いていた。
だから今は、私がアリーシャに相談する、私の脳内の、イメージの中だけのアリーシャ。アリーシャに手紙を貰ったってエックハルトは嬉しくはないだろうし、アリーシャだって送りたくはないだろうから、アリーシャの概念を自分に蘇らせながらも、私自身の文章を、私は書いている。
【西暦2019年1月7日 若葉】
「若葉、どうかした?」
エックハルトは尋ねる、真剣な顔で。
「どうって、何が?」
「だって、なんかいつもそわそわしてるし、会話していて上の空だし、部屋に入った瞬間に書いていたものを隠すし。何か心配事でもあったりする? ……それとも」
妙にシリアスな顔で彼は言葉にする。
(……ねえこの人、あらぬ疑いを抱いていたりしない?)
そう思い、私は慌てて口を開く。
「別に、そうじゃなくて! だから! ……あの」
私は観念する。ちょっと早いけど、もう差し出す時なのだと。
「あなたの、誕生日でしょ。明日。だから、手紙を書いたの。今までちゃんと伝えていなかったから。だから」
私は封筒を差し出す。クリーム色の封筒で、ベタにハートマークのシールで封をして。せめて赤とかピンクじゃなくて、チョコレート色にした。
「どうだ! ラブレターだぞ、嬉しいだろ!」
受け取ったエックハルトに、悪びれて私は凄んでみせて、ポカポカ叩く。そんな私を彼は片手で軽くいなすと、首を傾げる。
「開けてもいい?」
「すぐじゃなくて、後で読んでほしいなあ。もう渡しちゃったから、好きにすればいいけど」
【西暦2019年1月8日 若葉】
親愛なるエックハルト、
初めてあなたに手紙を書きます。こんな手紙を書くのが初めてで、とにかく混乱してます。だから、変なこと書いていても許してね。
親愛なる、というのが相応しいんでしょうか? 最愛のエックハルト。私の可愛い人。世界で一番の恋人で、私の赤ちゃん。私にとってのあなたを表現する言葉はいっぱい見つかるけど、どれもぴったりはしていません。あなたはあなたで、他の何者でもなくて。
「……音読しないでよ!」
それが、私が叫んだ言葉だ。
それからまた一日が過ぎて、今日は誕生日の夜だ。テーブルには私が用意したご馳走。所詮は私の手料理だから、大したものではないんだけど。それから、冷蔵庫にはケーキを買ってあるし、ワインクーラーではワインが冷えている。
エックハルトは、私に笑いかけて答える。
「この手紙は、もう僕のものだから。一番良い日に、一番良い方法で。いいでしょう?」
それから、その低い声で、同じように読み進めるのだ。
それを今まで、私はあなたにちゃんと伝えていなかったと、そう思ったのです。私は本当に、恥ずかしいほど内気で、意地っ張りで、素直になれなくて。
でも、私のことはいいの、今日はあなたのための日だから。
本当は、全ての世界の、全ての時間で、この日を祝いたい。五歳のあなたが凍えないように暖かい毛布で包んであげたいし、10歳のあなたにケーキを用意して盛大に祝いたいし、15歳のあなたが寂しい時にそばにいてあげたいし、きっと素敵だろう、50歳のあなたの手を取って歩きたい。でもそれは難しいので、たった今の、この日のあなたに、ささやかな贈り物を用意しました。本当にささやかで、気に入ってもらえるか分からないけど。
この1月8日のあなたの誕生日、寒くて暗い冬の日に、ずっと一人で寂しさを抱えていたあなたの側に、今は私がいられるということが、本当に私は嬉しいのです。
とにかく、これは伝えたいし、あなたに理解してほしいです。きっと私の魂は、あなたに繋がってしまっていて、この生命線が切れたら、どうなってしまうか分からない。
愛しています、私はあなたを。
「……うー!! もう、無理!!」
顔を覆って、私はジタバタする。この日にまでこんな羞恥プレイが待ち構えているとは。
そうしながら指の間から彼の様子を窺ったのだけど、エックハルトは私がイメージしたのとは違った顔だった。きっと彼は私を恥ずかしがらせてニヤニヤしてるんじゃないかと思っていた。だけどエックハルトは、虚を突かれたような、そんな表情で。
それからエックハルトは立ち上がると、私の傍らに来て、抱き寄せて、それから唇。それは、脳髄が痺れて、わけが分からなくなってくるような、彼のキス。
(……どうしよう。これから、パーティなのに)
そんな混乱した感情を私は抱いていた。
「人生は偶然の連続だけど、でも」
やがて口を開いた彼が発した言葉だ。
「僕があなたを愛したことだけは、偶然じゃない」
エックハルトは私を抱き寄せる、その強い力で。一方の私はというと、こんな場面に至ってもどぎまぎしていたのだけど。ふと、あることを思いつき、それを口にする。
「ねえ、エックハルト。私は、あなたが鳥じゃないかって、そう思うことがあるよ。人間じゃなくて」
「鳥?」
こんな狂った言動も真面目な顔で聞いてくれるのは、きっとエックハルトならではだ。赤ちゃんみたいと言われたり犬みたいと言われたり鳥みたいと言われたり、全く忙しい話ではある。でもこの場面では、彼は鳥だ、あくまでも。
「そう、鳥。ある種の鳥はね、人間よりずっとずっと一途なの。それからね、鳥は恐竜の子孫なの。だからね、あなたは恐竜」
そう言うと、私はにんまり笑うことにする。
「あなたは、太古の昔から生き残った、たったひとりの恐竜。私の可愛い恐竜さん」
いつもペースを乱されてばかりだから、たまには私の妄想トークで彼のペースを乱してやろうと思っていたのだけど、彼はこういうのだ。
「ふたりじゃないの?」
「え?」
「あなたは、地球上にたったひとりの、僕のつがいの恐竜。ね?」
どうやら私に負けず劣らず、彼も相当に妄想癖があるようだった。
これは多分、そろそろ私の年貢の納め時だということだろう。私は、彼の学生期間が終わるまではと保留にしていたエックハルトのプロポーズを、私は受けることにした。今日の彼の言葉だって、きっと形を変えたプロポーズだ。
しょうがないじゃない? エックハルトって、私がいないとどうにも不安だし。こんなことを嘯いて悪びれるのは相変わらずだけど、どうやら、これが私の運命だ。
「若葉」
彼のその一言で、私は目を覚ます。
「……ん。今、何時?」
「7時10分だけど」
「マジ? 朝ご飯用意する」
「土曜だよ、今日」
「でも、そろそろ起きた方がいいから」
「寝てていいよ。今日は僕が用意する」
「いいよ、あなたご飯ヘタだから。代わりに他のことしといて。私の服も見繕っといてくれるとありがたい」
そうして、私は暖かい彼の傍らを離れ、スリッパに足を突っ込むと、ずるずると寝室を出る。
彼氏がいたことない喪女の汚名は返上できても、自分のことにはいい加減なオタク女の例に漏れず、適当な気持ちで服を選ぶと至極適当になりがちだ。私のこと、特に外見については私よりも評価が高い彼に選んでもらった方が大抵センスがいいし、それに気分がいい。でもそんな感じで人任せにしてしまうことが、見た目に十分気を使えていないという証なのかもしれない。
こんな感じが、私たちのいつもの朝だった。一つ言っておくと、服はしっかり着込んでいる。寒くて暗いドイツの冬は、朝になると特に気温が冷え込む。夜明けにひとりでに目を覚ましてしまうことが多くて、そういう日は彼の懐に潜り込んで暖まっていると、また朝まで眠ることができる。
元から私は寒がりだったけど、例の交通事故に遭ってからはエスカレートしたみたいだった。そのうちには一軒家に移るかもって話も出ているけど、でもそれはすぐの話じゃない。
そう、私がエックハルトのところに転がり込んでから、最初の新年が過ぎた頃の話だ。ヨーロッパでは、クリスマスのかなり前に休暇に入る代わりに、新年の早くから世の中が動き出す。
「誕生日、かあ……」
「え?」
「なんでもない」
朝食を摂りながら私はぼそっと呟く。
エックハルトの27歳の誕生日、1月8日が近づいていた。
私たちが経験した奇跡の、小さなおまけ。この現代を生きるエックハルトの誕生日は、あの過去の平行世界を生きていたエックハルトと同じだった。と言っても過去のエックハルトにとっては名目上の誕生日で、今のエックハルトにとっては本当の誕生日なのだけど。
今まで私には彼氏がいたことがないのだから、彼氏の誕生日を祝うことも当然初めてだった。プレゼントを用意したり、祝ったりすればいいのだろうけど。家族や友人じゃなくて、恋人の誕生日を祝うのがどんな感じなのか、今の私にはまだ想像がつかない。
その後2月1日に、私の誕生日がやってくる。31歳の。31歳って信じられる? 自分が子供の頃は、それから20になっても、31歳の誕生日が来るなんて信じられたことはなかった。何となく、30という年齢に大きな、恐ろしい境界線が存在していて、そこから先は異世界に突入するんじゃないかと思っていたような気がする。実際には世界は続いていたのだけれど、そして私に関して言えば、ほとんど30からが本番みたいな人生に突入したのだけれど。
でもそんなことはまあ、どうでもいい。問題はエックハルトの誕生日を、どう祝うかだ。
今日は土曜だったけど、何かの会合があるらしくてエックハルトは出かけて行った。だから、私は好きなだけ、彼の誕生日をどうするかを悩むことができる。そして、今日が最後のチャンスだった。
「料理やプレゼントはいいけど……でも、まだ違う、かな」
私は盛大に独り言を呟く。どうも別の国に来てから、独り言を呟くことが多くて、あまり良くない傾向だ。国際結婚のカップルがうまくいかなくなる主要な原因に価値観の違いと引きこもり、それから冬季鬱があって、それらをなるべく避けるように仕事を見つけたり、他にもいろいろ努めているのだけど、私は元々内向的なインドア派で、自分の殻を破ることがどうにも難しい。
自分の殻を破ることが難しい。多分これは、普通の人が想像するよりずっとそうなんだと、私は思っている。
ずっと恋人がいなかったのは、ひとえにそのせいだ。所詮地味女だからと嘯いてはいたけれど、世の中の地味女にはみんな恋人がいないのかといえば全然そんなことはなくて、性格の問題の方がずっと大きかった。
これまではちょっと素敵だなと思う人がいたり、友人になった異性がいても、その人にとって自分が恋愛対象だとは努めて考えないようにしていたし、恋人がいるのかどうかを知ろうとすることも避けていた。そうしているうちに、彼らは自分の恋人を見つけて、ああそうなんだ、幸せそうだな、とだけ私は思っていたのだけど。
だから、私は勇気を振り絞った告白なんかしたことがない。そのずっと以前の、恋愛に踏み出そうとする勇気すら欠けていたと言わざるを得ない。嫌になってくるほどチキン女なのだ、本当は私は。だから、交通事故からの超常現象からの大恋愛というのは、私にとっては渡りに舟だったのかもしれない。もしこれがなかったら、一生恋愛しないままで終わったかもしれなかったから。
でも私にはそれがちょっとしたコンプレックスだった。エックハルトからの有り余る愛情を受けていても、ただ受け身でそれを与えられているだけで、自分の力と意志を示せていないんじゃないかと。力なんてなかったとしても、だからこそ意志が必要になるというのに。なんせ私自身には魅力も才能もない、人類の搾りカスみたいな女なのだ。ちゃんとこの人を愛しているということを示さなかったら、物事が悪い方向に進んだ時に、ずるずるっとそのまま行ってしまう可能性だってないとはいえない。
だから、そう。私は手紙を書こうとしていた。
笑っちゃうでしょ? この私が、ラブレターなんて。
私は筆まめな方でもなかったし、そんなことに類する経験といえば、自分じゃなくてアリーシャに関することだけだ。
アリーシャとリヒャルトが本当に恋人になる前、二人は手紙を書いていた。常日頃、と言っても毎日ではないけど、会っているのにそれでも話し足りないことを文章で伝え合っていた。と言っても恋愛に関する話は避けていたので、それはほとんど交換日記のようなもので。
だけど、アリーシャには自信がなかった。身分卑しからぬ人に送るような文章が自分に書けるのかと。私自身にもあの世界のお上品な人々が身につける教養なんてなかったけど、その辺りは本を当たって、二人で相談しながら、と言っても脳内でだけど、そんな手紙を描いていた。
だから今は、私がアリーシャに相談する、私の脳内の、イメージの中だけのアリーシャ。アリーシャに手紙を貰ったってエックハルトは嬉しくはないだろうし、アリーシャだって送りたくはないだろうから、アリーシャの概念を自分に蘇らせながらも、私自身の文章を、私は書いている。
【西暦2019年1月7日 若葉】
「若葉、どうかした?」
エックハルトは尋ねる、真剣な顔で。
「どうって、何が?」
「だって、なんかいつもそわそわしてるし、会話していて上の空だし、部屋に入った瞬間に書いていたものを隠すし。何か心配事でもあったりする? ……それとも」
妙にシリアスな顔で彼は言葉にする。
(……ねえこの人、あらぬ疑いを抱いていたりしない?)
そう思い、私は慌てて口を開く。
「別に、そうじゃなくて! だから! ……あの」
私は観念する。ちょっと早いけど、もう差し出す時なのだと。
「あなたの、誕生日でしょ。明日。だから、手紙を書いたの。今までちゃんと伝えていなかったから。だから」
私は封筒を差し出す。クリーム色の封筒で、ベタにハートマークのシールで封をして。せめて赤とかピンクじゃなくて、チョコレート色にした。
「どうだ! ラブレターだぞ、嬉しいだろ!」
受け取ったエックハルトに、悪びれて私は凄んでみせて、ポカポカ叩く。そんな私を彼は片手で軽くいなすと、首を傾げる。
「開けてもいい?」
「すぐじゃなくて、後で読んでほしいなあ。もう渡しちゃったから、好きにすればいいけど」
【西暦2019年1月8日 若葉】
親愛なるエックハルト、
初めてあなたに手紙を書きます。こんな手紙を書くのが初めてで、とにかく混乱してます。だから、変なこと書いていても許してね。
親愛なる、というのが相応しいんでしょうか? 最愛のエックハルト。私の可愛い人。世界で一番の恋人で、私の赤ちゃん。私にとってのあなたを表現する言葉はいっぱい見つかるけど、どれもぴったりはしていません。あなたはあなたで、他の何者でもなくて。
「……音読しないでよ!」
それが、私が叫んだ言葉だ。
それからまた一日が過ぎて、今日は誕生日の夜だ。テーブルには私が用意したご馳走。所詮は私の手料理だから、大したものではないんだけど。それから、冷蔵庫にはケーキを買ってあるし、ワインクーラーではワインが冷えている。
エックハルトは、私に笑いかけて答える。
「この手紙は、もう僕のものだから。一番良い日に、一番良い方法で。いいでしょう?」
それから、その低い声で、同じように読み進めるのだ。
それを今まで、私はあなたにちゃんと伝えていなかったと、そう思ったのです。私は本当に、恥ずかしいほど内気で、意地っ張りで、素直になれなくて。
でも、私のことはいいの、今日はあなたのための日だから。
本当は、全ての世界の、全ての時間で、この日を祝いたい。五歳のあなたが凍えないように暖かい毛布で包んであげたいし、10歳のあなたにケーキを用意して盛大に祝いたいし、15歳のあなたが寂しい時にそばにいてあげたいし、きっと素敵だろう、50歳のあなたの手を取って歩きたい。でもそれは難しいので、たった今の、この日のあなたに、ささやかな贈り物を用意しました。本当にささやかで、気に入ってもらえるか分からないけど。
この1月8日のあなたの誕生日、寒くて暗い冬の日に、ずっと一人で寂しさを抱えていたあなたの側に、今は私がいられるということが、本当に私は嬉しいのです。
とにかく、これは伝えたいし、あなたに理解してほしいです。きっと私の魂は、あなたに繋がってしまっていて、この生命線が切れたら、どうなってしまうか分からない。
愛しています、私はあなたを。
「……うー!! もう、無理!!」
顔を覆って、私はジタバタする。この日にまでこんな羞恥プレイが待ち構えているとは。
そうしながら指の間から彼の様子を窺ったのだけど、エックハルトは私がイメージしたのとは違った顔だった。きっと彼は私を恥ずかしがらせてニヤニヤしてるんじゃないかと思っていた。だけどエックハルトは、虚を突かれたような、そんな表情で。
それからエックハルトは立ち上がると、私の傍らに来て、抱き寄せて、それから唇。それは、脳髄が痺れて、わけが分からなくなってくるような、彼のキス。
(……どうしよう。これから、パーティなのに)
そんな混乱した感情を私は抱いていた。
「人生は偶然の連続だけど、でも」
やがて口を開いた彼が発した言葉だ。
「僕があなたを愛したことだけは、偶然じゃない」
エックハルトは私を抱き寄せる、その強い力で。一方の私はというと、こんな場面に至ってもどぎまぎしていたのだけど。ふと、あることを思いつき、それを口にする。
「ねえ、エックハルト。私は、あなたが鳥じゃないかって、そう思うことがあるよ。人間じゃなくて」
「鳥?」
こんな狂った言動も真面目な顔で聞いてくれるのは、きっとエックハルトならではだ。赤ちゃんみたいと言われたり犬みたいと言われたり鳥みたいと言われたり、全く忙しい話ではある。でもこの場面では、彼は鳥だ、あくまでも。
「そう、鳥。ある種の鳥はね、人間よりずっとずっと一途なの。それからね、鳥は恐竜の子孫なの。だからね、あなたは恐竜」
そう言うと、私はにんまり笑うことにする。
「あなたは、太古の昔から生き残った、たったひとりの恐竜。私の可愛い恐竜さん」
いつもペースを乱されてばかりだから、たまには私の妄想トークで彼のペースを乱してやろうと思っていたのだけど、彼はこういうのだ。
「ふたりじゃないの?」
「え?」
「あなたは、地球上にたったひとりの、僕のつがいの恐竜。ね?」
どうやら私に負けず劣らず、彼も相当に妄想癖があるようだった。
これは多分、そろそろ私の年貢の納め時だということだろう。私は、彼の学生期間が終わるまではと保留にしていたエックハルトのプロポーズを、私は受けることにした。今日の彼の言葉だって、きっと形を変えたプロポーズだ。
しょうがないじゃない? エックハルトって、私がいないとどうにも不安だし。こんなことを嘯いて悪びれるのは相変わらずだけど、どうやら、これが私の運命だ。
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