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仕事の失敗は後を引くことがある
しおりを挟む――夕方になって、定時のチャイムが鳴った。
その音を聞くと、やっと仕事から解放されるんだという気分になってほっとするのは自分だけではないはずだった。
特に今日は、心身ともに疲れてしまっていたからなおさらだった。
疲れた原因は単純で、久しぶりに仕事で大ポカをしたからだった。
やったポカはメールの誤送信だった。
本来であれば社内でのみ開示すべき情報――今回の場合は商談における原価――を、返信内容に残したまま外部に、それも商談の相手本人に送りつけてしまったのだった。
それがわかったときにはそりゃあもう怒られた。
上役に怒られて、先輩社員にからかわれて。
その後は、いろんな人に頭を下げて――今日は一日、そのフォローやらなにやらで社内を走り回る羽目になってしまっていた。
……それでもまぁ、なんとか事後処理を終わらせることができたのは幸いだった。
上役に言い渡された作業を定時に収まるように仕上げたのは、我ながらよくがんばったものだと心底そう思う。
――一日の作業と今後の予定について直属の上司に報告して、了承を得られたので、今日はもう帰ることにした。
周囲の人間に、お先に失礼しますと声をかけてからタイムカードを切って、会社を出た。
――なんだかんだで定時の時間帯にある電車は混む。
満員電車で身動きが出来ない中、痴漢に間違われないように両手の位置に注意しながら、自宅の最寄り駅まで混雑を耐える時間が続いていた。
駅舎から出るまでこの混雑は続くのだ。
毎朝毎晩こんなことをしていると何で働いているんだろうと思ったりもするが、冷静になるまでもなく生活するためである。
……生きるためにはお金が必要だからね、しかたないね。
くだらないことを考えている間に駅を出ると、個人商店の集まった商店街が目の前に見えてきた。
自宅はこの商店街を抜けた先にあった。
ついでに買い物も済ませられる道筋で、我ながらいいところに家を借りられたものだと、この道を通る度にそう思う。
……今日は特に買い足しておかなければならない物はないか。
だったら買うのは今夜の食事だけでいいなと、そう思って、商店街にある肉屋に向かった。
買うのは材料ではなく惣菜だった。
一人暮らしだからと言い訳をするつもりはなかった。単に料理が面倒くさいだけだった。
そして、しょっちゅう寄っているからか、なんだかんだで顔を覚えられているようだった。
「今日も唐揚げ?」
「そ、よろしく」
「たまにはトンカツとか買えよ」
「金が入ったらね。あんまり金ないんだよ」
そうかい、と笑われながら鳥の唐揚げが入ったパックを手渡された。
袋はセルフだ。お金を払って釣銭を受け取った後で、自分でパックをビニール袋に入れて。
またよろしくという声に、軽く手を振って応えながら、店を離れた。
飯や味噌汁はインスタントのやつが家にまだいくつかある。
今日は唐揚げをおかずに一汁一菜という感じの晩餐になる予定だった。
野菜も食べるべきなのはわかっているものの、高いし、一人で調理するには扱いに困るものだ。
……健康のことを考えればサプリの購入も、そろそろ視野に入れておくべきだろうか。
そんなことを考えている内に、自宅に着いた。
鍵を開けて中に入る。
「ただいま」
鍵とチェーンをしっかりかけてから居間に行く。
……まぁ、ワンルームだから居間も何もないんだが。
テーブルの上に荷物を置いて、着替えていると、ががががと何かが震える音がした。
音源はマナーモードにしている携帯電話だった。
「…………」
いやーな予感を覚えつつ、携帯のディスプレイを見れば、上司の名前が表示されていた。
出たくねえなあ、と思いつつ、今日の失敗を考えれば出ざるを得ないとも考えて、溜息を吐いて後で電話に出た。
――聞かされた内容は、やっぱり予感通りよくないものだった。
と言っても、自分の失敗によるものではなかった。
他の人のミスで作業員が足りないから手伝って欲しいということだったからだ。
――まぁ間違いなく足元は見られているのだろう。
今日のミスがあるから断らないと思われているに違いなかった。だから電話をかけてきたに違いなかった。
……断りたいが、断りにくい。
数秒だけ考えて、わかりましたと返事をして電話を切った。
「……はぁ」
重いため息を吐いてから、脱ぎかけていたスーツを着直した。
揚げたての唐揚げをひとつだけつまんで、
「ああ、うめえなぁ」
その味を噛み締めてから、泣く泣く冷蔵庫に収めて、家を出た。
手伝いの内容を考えると、今日中に帰れるかどうかは微妙なところだった。
「せっかく定時で帰れたのになぁ」
嫌なことってのは続くもんだと諦めて、帰る人々の流れに逆らうように駅へと向かった。
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