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1.引っ越しの終わり、始まり

始まりの夏

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 「暑いなぁ…まったく!!」
 「駅から徒歩25分は失敗だったかも…」

 8月、ニュースでは確か猛暑日と言っていたか。

 神太は唸った。駅から徒歩25分程度、毎日田舎の裏山で走り回ってた自分には何てことないだろうと思っていた。

 そんな楽観的思考は打ち破られ、これが現実。

 仕事帰りの徒歩25分は、社内の気になるあの子と理想のデート!!
という妄想の海にダイブした後、帰ってきてもまだお釣りがくる長さだった。

 「折角、広い庭付きアパートっていう新社会人には贅沢な物件を契約したのになぁ…」

 同期の渚ちゃんと付き合って庭自慢したくとも、道中で愛想つかされたら意味ないのだが…自分の考えの甘さに一人でニヤついてしてしまった。

 「そもそもいつまで工事してるんだろう。入居時は4ヶ月間との説明だったからそろそろ終わるハズなんだが…」

 そう…すばらしく広い庭付きアパート、と聞いてはいるが、実際は目の前の工事によって一切景観がない状態なので、庭がどれだけ広いのかわかっていないのだ。

 「危ないから窓を開けないでくれって話だったから律儀に守ってるけど、なんの工事なんだろうな」

 大規模なテーマパーク建設が行われているんだとか近所のスーパーでおばちゃん達が話してたっけ…

 それって開園したらかなりうるさくないか?

 まさか…いくら都内とはいえこんなへんぴな駅にテーマパークなんてありえないだろ…。

 噂は噂で終わってることを願う。

 そんな事を考えていたらようやく家についた。

 「ふぃ~、今日も暑かったぁ~。仕事でもやたら大声で怒られたし、こんなんで社会人続けていけるのかなぁ…」
とぼやきつつも帰宅するなりクーラーを起動。

 まるでライン工の用なスムーズな流れで服を洗濯機に放り込み、シャワールームへ飛び込んだ。

 5分で全身を洗い、出たら膝丈で無造作にカットしたスウェットのパンツをはいて、上半身裸スタイルでベッドに飛び乗るのがいつもの流れだ。

 「おっと…ビールを取り出し忘れた」

 スマホ片手のまま、冷蔵庫に向かう途中でふと気づいた。

 玄関に見慣れない封筒がある…。

 「あれ?帰宅時にこんなのあったっけか?」

 まぁ家に着いたらいつものルーティーンを終えるまではほぼ無意識で体が動くので、足元になにかがあっても気づかない可能性はあるな、と思った。

 玄関の投函口から投げ込まれたもののようだ。

 「なんだろ…?」

 自分では雑な性格だと思うが、下駄箱上部に置かれたペーパーナイフで几帳面に封筒を開封してみる。

 よく渚ちゃんに、神太ってホント真面目だよね~。といじられるのはこういう所なんだろうなと自分で思った。

 封筒の中身は紙が一枚入っているだけだった。

 「神太様 近隣の建設工事が完了しましたので報告いたします。長い間ご不便をお掛けしてしまい申し訳ありません」

と書いてある。つまり…

 「やった!!工事がようやく終わったんだ!!」
 「今日から庭でビール飲みながら優雅に動画観賞出来るじゃんか!!」

 ある意味待ちわびた瞬間が訪れたことで、1日の疲れなんて忘れ、窓に駆け寄った。

 「落ち着け自分、動画観賞には予備バッテリーが必須だろ?あと折角だからビールの入ったクーラーボックスも持って万全な準備で御対面といこう!」

 一旦引き返して予備バッテリーをスウェットのポケットに投入し、
クーラーボックスを片手に、もう一方のスマホを持った手で器用に窓のロックを外した。

 自宅の窓を開ける。

 その瞬間強い風が吹いた。

 ただ突風というにはあまりに優しい風。春の草原のような暖かく心地よい風が吹き抜けた。

 「あれ…?明るい?」

 感じた心地よさのイメージ通り、そこはまるでというか春の草原そのものだった。

 そもそも今は何時だっけ?確かお風呂を出た時はすでに20時半だったはずだが…。

 だが眼前に広がっているのはどこまでも続くと思われる雲一つない草原…昼間のように見える。

 理解が追い付かない。

 クーラーボックスを足に落とした。

 「いっ!!!」

 缶ビール6本入りのクーラーボックスはかなり重い。その痛さで神太は正気に戻った。

 正気?いや、正気なのか俺は?寝たっけ?

 ボーッと思考を巡らせながら振り返った。

 「!!?」

 入ってきたはずの窓が…ない!?

 「おいおい!夢だろ!!?なんだよこれ!」

 いやいや、クーラーボックスを落とした時はめっちゃ痛かったぞ。あの痛さは現実以外ありえないのでは?

 神太はスマホ、予備バッテリー、クーラーボックスを持った上半身裸状態で、ただ一人ぽつんと草原にたたずんでいた…。

→2話につづく
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