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第三章 暗黒大陸
5 夜中の執事
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道中は、話に集中して景色を見ていなかった。馬車から降りると、微かに潮の香りがして、海が近いと知った。
既に日が落ち、辺りは暗い。意外にも周辺に家はなく、林の中、宿にしては立派な建物が煌々と照らされていた。
「ようこそ、王宮からの使者の皆様。主人シルウェ=クルーガーに代わりまして、心より歓迎いたします」
執事みたいな人が、出迎えに来た。宰相の別邸らしい。道理で立派な訳だ。
各自に荷物持ちの使用人がついて部屋へ案内された後、簡単な食事を用意した、と食堂へ連れてこられた。
細長いテーブルの上に、ご馳走が並んでいた。
アヒルの丸焼き、人数分の焼き魚、果物、白いパン。ワインがある。赤ワインだ。そして、ナイフとフォークが取り皿の両側に並んでいる。並び順は、西洋料理のそれと同じである。
ここのマナーは、前の世界と同じだろうか。空腹を満たすより先に、そちらが気になる。
「ご馳走だね」
王宮騎士のエサムが言うのだ。間違いなくご馳走だ。案内に従って席につき、使用人の給仕を受けながら食事をした。ちょっとした貴族気分である。
マナーについては、マイアとクレアを参考にした。
王宮では王妃で頭がいっぱいで、他の点について記憶が曖昧な部分がある。ここで漸く旅の仲間を見る余裕ができた。
エサムは俺より少し若く見える。立派な髭と筋骨隆々な体格がドワーフっぽいが、腹は締まっているし、髪も髭も手入れされていて、感じの良い男だった。
クレアは彼より更に若いようだ。濃い碧眼が印象的で、公使らしく、振る舞いに貴族的な品が感じられた。
互いに親睦を深める好機だったが、使用人が多く内輪の話は躊躇われた。
皆も同様だったようで、黙々と食べ終えた。
部屋へ戻ると、入浴の用意がしてあった。一人一部屋で、部屋に浴槽まである。
いびきの心配もなく、風呂に入れるのも嬉しい。
問題は、何かするのに、いちいち使用人が必要なことである。
今も、体拭き用のタオルと寝間着を抱えた小間使いと、体を洗うブラシを抱えた男に加えて、おそらく服を脱がす係が待機していた。
「自分でできますから、下がっていいですよ」
と言ってみたが、
「いえ。終わりましたら、片付けなくてはなりません。それに、衣装を預からせていただければ、明朝出立までに洗濯をしてお返しいたします。どうぞお気になさらず」
と返された。高級ホテルのランドリー並みのサービスだ。
呼び鈴を見つけ、どうにか退散してもらったが、待つ人がいると思うとゆっくり入れない。
浴槽が置いてあるだけで、部屋自体は絨毯敷きの普通の寝室である。
蛇口もない。浴槽の中だけで全てを済ますのは、確かに一人では大変だった。
何とか入浴を終えると、さっぱりしたが、ぐったりもした。
早々に寝床へ潜り込むことにした。このベッドがまた、ふかふかだった。
目を覚ました時には、熟睡後のように、体が軽く感じられた。ただ、早く寝過ぎたのか、まだ夜明け前のようである。
部屋に時計はない。そして、隣室から響くグリエルのいびき。このせいで早く目覚めたに違いない。
グリエルの部屋へ続くドアが、目についた。
ドアノブを握る。鍵もかかっておらず、すんなり開いた。途端に、いびきの轟音が襲ってきた。
宰相邸の防音力に感心しつつ中へ入ると、同じような広さの同じ設えで、ふかふかのベッドの真ん中、放り出されたボウリングの球のように、グリエルが沈んでいた。黒ダルマ姿である。
ベッドを覆うようにバリアをかける。
ピタッといびきが消えた。俺は、素早く廊下側のドアの横へ移動した。
グリエルのいびきが止まった途端、廊下に人の気配を感じたのだ。
俺がへばりつく壁のすぐ横、ドアの向こうに、誰かがいる。
貴族の屋敷で襲撃されるとは、予想していなかった。入ってきたら攻撃、と心の内で唱えながら気配を探る。
一向にドアは開かない。
不意に、気配がドアから離れた。そのまま、俺の部屋の方へ遠ざかっていく。
ドアを開けて確かめるべきか。
見つかる危険を冒しても、敵は知るべき。
俺はできる限り静かに解錠し、用心しながらドアを少し開けてみた。
執事の後ろ姿が見えた。動きから、直前まで鍵穴から俺の部屋を覗いていたように感じた。
俺はそっとドアを閉め、鍵をかけた。そこで、俺とグリエルの間のドアが開け放しだったことに気がついた。バリアが消えた。
『何かありましたか』
グリエルが一つしかない目を見開いて、俺を見ていた。さながら起き上がり小法師だ。
『俺の部屋を覗かれた。あと、この部屋も』
俺は、いびきを止めようと部屋に入ったところから説明した。喋る必要がないから、話は早い。グリエルは、少しだけ沈思した。
『もしかしたら、クラール王から、本当にトリスとグリリがBL的関係なのか探るよう、宰相に指示があったのかもしれません。あるいは、宰相の一存で確認を取りたかったかも。これで、コネクティングルームに案内された訳も分かりました。そもそも、旅の一行の一晩だけの世話に、わざわざ執事を送り込むものなのか、疑念を持っていました』
『そうしたら、更に誤解されたっていう』
『落ち込むことはありません。今は、誤解されていた方が安全です。無事戻れた時、王宮に入りやすくなりますから。で、私はもう一眠りしたいのですが、バリアを張ってもらった方が、いいのでしょうか』
『いびき対策に、な』
再びベッドに防音措置を施し、自室に戻ってから思い出した。
執事は、グリエルの部屋の向こうから近付いて来ていた。
グリエルの部屋の先は、行き止まりである。廊下を挟んで反対側には、マイアとクレアが泊まっていた。
部屋の並びからすると、執事はクレアの部屋の方から来た事になる。俺たちの関係を探るためなら、そこまで奥に行く必要はない。
夜中に屋敷を巡回していて、グリエルのいびきが急に止まったから、驚いて覗いただけではなかろうか。
グリエルの部屋を覗いたら、俺との境のドアが開いているのは見えただろう。すると当然、俺の部屋も覗く。ただそれだけのことだったのではなかろうか。
そう考えて安心したせいもあり、ふかふかのベッドのせいもあり、俺は速やかに眠りに落ちた。
朝食時、食堂へ行くと、クレアが一番乗りだった。
彼女は、熱心に壁を見上げている。
昨夜は暗くて気づかなかったが、壁の上の方に、肖像画がいくつもかかっていた。
代々の主人を描いたのだろう、最新の絵はシルウェ=クルーガーだった。濃い碧眼が印象的で、纏う衣装も瞳の色を活かしている。
「おはようございます」
「あっ、おはようございます」
よほど集中して鑑賞していたのか、驚かせてしまったようだ。振り向いたクレアは、頬を赤くしていた。濃い碧眼が潤んで煌めく様に、既視感を覚えた。
「あの」
「おはよう」
「おはようございます」
エサムとグリリが続けて入ってきた。何となく、クレアだけに話しかける雰囲気ではなくなった。
朝食は、パンにチーズにジャムにスープ、と定番のメニューだったが、素材も味付けも上等だった。
今朝はたっぷり睡眠をとった後で、美味しい、とか美味いとか、当たり障りのない言葉ではあったが、互いに多少の言葉を交わすことができた。
褒めたからという訳ではなかろうが、出立時には、食べ物を詰めた袋が、人数分用意されていた。
驚いたのは、宰相の別邸の裏手が入江で、プライベートビーチになっており、その先に俺たちの乗る帆船が停泊していたことだった。
てっきり港へ行くものだと思っていた。
浜から帆船までは、ボートで送ってもらった。穏やかな風に、潮の香りが心地よい。
二本あるマストの高い方には、妙に大きな鳥に似た飾りが付いている。
俺たちがボートから乗船すると、それが甲板へ飛び降りてきた。
上半身が女性で、下半身が鳥の生き物である。腕はなく、代わりに翼の先に鉤爪が付いていた。
クレアが素早く前へ出た。
「レクルキス国公使のクレアです。この度は、ご協力に感謝します」
挨拶しつつ、懐から宝石の連なる腕輪のような物を取り出し、差し出す。
「恐れながら、お付けしてもよろしいでしょうか」
「許す。私は鳥人族のペンゲアである」
腕輪ではなく首輪だった。チョーカーと呼ぶべきだろう。
上着が軍服風で若干の違和感はあるが、宝石の煌めきは、誇らしげなペンゲアに、ふさわしかった。
改めて俺たちから簡単に挨拶程度の自己紹介を受けた後、彼女は上空へ飛び去った。
他にも、同じような鳥影が空を舞っていた。
続いて船長と副船長が現れた。
「ウンダ号船長のヤースムです。彼は副船長のジャック」
船長は四十代に見えたが、軍を除隊したばかりのようなきびきびとした動きで、敬礼も板についていた。副船長の方は、魔法学院のウルサクに似て熊っぽかった。
挨拶の後、帆が張られ、船はゆっくりと動き出した。帆に孕む風は思いの外強く、入江の内と外の違いを強く感じさせた。
「おや、見送りの方々ですよ」
俺たちと一緒に甲板に残った船長が、入り江の奥を指した。少々距離があるものの、執事と使用人たちと見てとれた。
クレアが躊躇ってから、片手を上げた。
それから船長が、一通り船内を案内してくれた。途中で操舵士や司厨士、甲板員も紹介された。
寝室は二人一部屋だが、食堂もシャワー室も備えている。航海は、順調なら五日で着く見込みという。
寝室の割り振りで、少し揉めた。クレアとマイアの相部屋はすぐ決まったが、残り三人で誰が個室になるか、正確には俺とエサムのどちらがグリリと同室になるかが、問題になった。グリリは最初から勝負を降りた。
「じゃあ、石剣葉っぱで勝負だ」
エサムが言う。もしかしてと思いつつ聞いてみると、じゃんけんのことだった。
ただし、手が四つある。グーとチョキとパーのほかに井戸という片手で丸を作る形があり、井戸はグーとチョキより強くてパーより弱いという。
そしてチョキの時に伸ばす指は二本でなく、一本である。ややこしい。
井戸とパーを出せば勝てるのではないか。そう考えてパーを出したら、チョキを出されて負けた。これでグリリと同室である。そのグリリの姿が、見当たらない。
エサムと甲板を探すと、船尾のへりから上半身が落ちかかっている。二人がかりで引き戻す。
「船酔いだな」
エサムが、手でグリリの顔をぱたぱた煽ぎながら言う。気休めである。
グリリは、水揚げマグロみたいに甲板に転がっている。手足にある船酔いのツボでも押してやろうか。
「鎧脱がしたら楽になりますよね」
「戦士が鎧を脱いだらダメだ」
予想と違わぬ返答がきた。こんなフル装備を着ていたら、俺でも船酔いする。
「皆さん、船長室をお借りしたので、集まりましょう」
マイアが呼びに来た。マグロになったグリリを見て、手を伸ばす。光がグリリを包んだかと思うと、やおら起き上がった。
「ありがとうございます、教授」
回復魔法だ。俺も使えばよかった。船酔いにも効くとは思わなかった。マイアは何でもない、という風に手を振った。
「大丈夫なら、行きましょう」
既に日が落ち、辺りは暗い。意外にも周辺に家はなく、林の中、宿にしては立派な建物が煌々と照らされていた。
「ようこそ、王宮からの使者の皆様。主人シルウェ=クルーガーに代わりまして、心より歓迎いたします」
執事みたいな人が、出迎えに来た。宰相の別邸らしい。道理で立派な訳だ。
各自に荷物持ちの使用人がついて部屋へ案内された後、簡単な食事を用意した、と食堂へ連れてこられた。
細長いテーブルの上に、ご馳走が並んでいた。
アヒルの丸焼き、人数分の焼き魚、果物、白いパン。ワインがある。赤ワインだ。そして、ナイフとフォークが取り皿の両側に並んでいる。並び順は、西洋料理のそれと同じである。
ここのマナーは、前の世界と同じだろうか。空腹を満たすより先に、そちらが気になる。
「ご馳走だね」
王宮騎士のエサムが言うのだ。間違いなくご馳走だ。案内に従って席につき、使用人の給仕を受けながら食事をした。ちょっとした貴族気分である。
マナーについては、マイアとクレアを参考にした。
王宮では王妃で頭がいっぱいで、他の点について記憶が曖昧な部分がある。ここで漸く旅の仲間を見る余裕ができた。
エサムは俺より少し若く見える。立派な髭と筋骨隆々な体格がドワーフっぽいが、腹は締まっているし、髪も髭も手入れされていて、感じの良い男だった。
クレアは彼より更に若いようだ。濃い碧眼が印象的で、公使らしく、振る舞いに貴族的な品が感じられた。
互いに親睦を深める好機だったが、使用人が多く内輪の話は躊躇われた。
皆も同様だったようで、黙々と食べ終えた。
部屋へ戻ると、入浴の用意がしてあった。一人一部屋で、部屋に浴槽まである。
いびきの心配もなく、風呂に入れるのも嬉しい。
問題は、何かするのに、いちいち使用人が必要なことである。
今も、体拭き用のタオルと寝間着を抱えた小間使いと、体を洗うブラシを抱えた男に加えて、おそらく服を脱がす係が待機していた。
「自分でできますから、下がっていいですよ」
と言ってみたが、
「いえ。終わりましたら、片付けなくてはなりません。それに、衣装を預からせていただければ、明朝出立までに洗濯をしてお返しいたします。どうぞお気になさらず」
と返された。高級ホテルのランドリー並みのサービスだ。
呼び鈴を見つけ、どうにか退散してもらったが、待つ人がいると思うとゆっくり入れない。
浴槽が置いてあるだけで、部屋自体は絨毯敷きの普通の寝室である。
蛇口もない。浴槽の中だけで全てを済ますのは、確かに一人では大変だった。
何とか入浴を終えると、さっぱりしたが、ぐったりもした。
早々に寝床へ潜り込むことにした。このベッドがまた、ふかふかだった。
目を覚ました時には、熟睡後のように、体が軽く感じられた。ただ、早く寝過ぎたのか、まだ夜明け前のようである。
部屋に時計はない。そして、隣室から響くグリエルのいびき。このせいで早く目覚めたに違いない。
グリエルの部屋へ続くドアが、目についた。
ドアノブを握る。鍵もかかっておらず、すんなり開いた。途端に、いびきの轟音が襲ってきた。
宰相邸の防音力に感心しつつ中へ入ると、同じような広さの同じ設えで、ふかふかのベッドの真ん中、放り出されたボウリングの球のように、グリエルが沈んでいた。黒ダルマ姿である。
ベッドを覆うようにバリアをかける。
ピタッといびきが消えた。俺は、素早く廊下側のドアの横へ移動した。
グリエルのいびきが止まった途端、廊下に人の気配を感じたのだ。
俺がへばりつく壁のすぐ横、ドアの向こうに、誰かがいる。
貴族の屋敷で襲撃されるとは、予想していなかった。入ってきたら攻撃、と心の内で唱えながら気配を探る。
一向にドアは開かない。
不意に、気配がドアから離れた。そのまま、俺の部屋の方へ遠ざかっていく。
ドアを開けて確かめるべきか。
見つかる危険を冒しても、敵は知るべき。
俺はできる限り静かに解錠し、用心しながらドアを少し開けてみた。
執事の後ろ姿が見えた。動きから、直前まで鍵穴から俺の部屋を覗いていたように感じた。
俺はそっとドアを閉め、鍵をかけた。そこで、俺とグリエルの間のドアが開け放しだったことに気がついた。バリアが消えた。
『何かありましたか』
グリエルが一つしかない目を見開いて、俺を見ていた。さながら起き上がり小法師だ。
『俺の部屋を覗かれた。あと、この部屋も』
俺は、いびきを止めようと部屋に入ったところから説明した。喋る必要がないから、話は早い。グリエルは、少しだけ沈思した。
『もしかしたら、クラール王から、本当にトリスとグリリがBL的関係なのか探るよう、宰相に指示があったのかもしれません。あるいは、宰相の一存で確認を取りたかったかも。これで、コネクティングルームに案内された訳も分かりました。そもそも、旅の一行の一晩だけの世話に、わざわざ執事を送り込むものなのか、疑念を持っていました』
『そうしたら、更に誤解されたっていう』
『落ち込むことはありません。今は、誤解されていた方が安全です。無事戻れた時、王宮に入りやすくなりますから。で、私はもう一眠りしたいのですが、バリアを張ってもらった方が、いいのでしょうか』
『いびき対策に、な』
再びベッドに防音措置を施し、自室に戻ってから思い出した。
執事は、グリエルの部屋の向こうから近付いて来ていた。
グリエルの部屋の先は、行き止まりである。廊下を挟んで反対側には、マイアとクレアが泊まっていた。
部屋の並びからすると、執事はクレアの部屋の方から来た事になる。俺たちの関係を探るためなら、そこまで奥に行く必要はない。
夜中に屋敷を巡回していて、グリエルのいびきが急に止まったから、驚いて覗いただけではなかろうか。
グリエルの部屋を覗いたら、俺との境のドアが開いているのは見えただろう。すると当然、俺の部屋も覗く。ただそれだけのことだったのではなかろうか。
そう考えて安心したせいもあり、ふかふかのベッドのせいもあり、俺は速やかに眠りに落ちた。
朝食時、食堂へ行くと、クレアが一番乗りだった。
彼女は、熱心に壁を見上げている。
昨夜は暗くて気づかなかったが、壁の上の方に、肖像画がいくつもかかっていた。
代々の主人を描いたのだろう、最新の絵はシルウェ=クルーガーだった。濃い碧眼が印象的で、纏う衣装も瞳の色を活かしている。
「おはようございます」
「あっ、おはようございます」
よほど集中して鑑賞していたのか、驚かせてしまったようだ。振り向いたクレアは、頬を赤くしていた。濃い碧眼が潤んで煌めく様に、既視感を覚えた。
「あの」
「おはよう」
「おはようございます」
エサムとグリリが続けて入ってきた。何となく、クレアだけに話しかける雰囲気ではなくなった。
朝食は、パンにチーズにジャムにスープ、と定番のメニューだったが、素材も味付けも上等だった。
今朝はたっぷり睡眠をとった後で、美味しい、とか美味いとか、当たり障りのない言葉ではあったが、互いに多少の言葉を交わすことができた。
褒めたからという訳ではなかろうが、出立時には、食べ物を詰めた袋が、人数分用意されていた。
驚いたのは、宰相の別邸の裏手が入江で、プライベートビーチになっており、その先に俺たちの乗る帆船が停泊していたことだった。
てっきり港へ行くものだと思っていた。
浜から帆船までは、ボートで送ってもらった。穏やかな風に、潮の香りが心地よい。
二本あるマストの高い方には、妙に大きな鳥に似た飾りが付いている。
俺たちがボートから乗船すると、それが甲板へ飛び降りてきた。
上半身が女性で、下半身が鳥の生き物である。腕はなく、代わりに翼の先に鉤爪が付いていた。
クレアが素早く前へ出た。
「レクルキス国公使のクレアです。この度は、ご協力に感謝します」
挨拶しつつ、懐から宝石の連なる腕輪のような物を取り出し、差し出す。
「恐れながら、お付けしてもよろしいでしょうか」
「許す。私は鳥人族のペンゲアである」
腕輪ではなく首輪だった。チョーカーと呼ぶべきだろう。
上着が軍服風で若干の違和感はあるが、宝石の煌めきは、誇らしげなペンゲアに、ふさわしかった。
改めて俺たちから簡単に挨拶程度の自己紹介を受けた後、彼女は上空へ飛び去った。
他にも、同じような鳥影が空を舞っていた。
続いて船長と副船長が現れた。
「ウンダ号船長のヤースムです。彼は副船長のジャック」
船長は四十代に見えたが、軍を除隊したばかりのようなきびきびとした動きで、敬礼も板についていた。副船長の方は、魔法学院のウルサクに似て熊っぽかった。
挨拶の後、帆が張られ、船はゆっくりと動き出した。帆に孕む風は思いの外強く、入江の内と外の違いを強く感じさせた。
「おや、見送りの方々ですよ」
俺たちと一緒に甲板に残った船長が、入り江の奥を指した。少々距離があるものの、執事と使用人たちと見てとれた。
クレアが躊躇ってから、片手を上げた。
それから船長が、一通り船内を案内してくれた。途中で操舵士や司厨士、甲板員も紹介された。
寝室は二人一部屋だが、食堂もシャワー室も備えている。航海は、順調なら五日で着く見込みという。
寝室の割り振りで、少し揉めた。クレアとマイアの相部屋はすぐ決まったが、残り三人で誰が個室になるか、正確には俺とエサムのどちらがグリリと同室になるかが、問題になった。グリリは最初から勝負を降りた。
「じゃあ、石剣葉っぱで勝負だ」
エサムが言う。もしかしてと思いつつ聞いてみると、じゃんけんのことだった。
ただし、手が四つある。グーとチョキとパーのほかに井戸という片手で丸を作る形があり、井戸はグーとチョキより強くてパーより弱いという。
そしてチョキの時に伸ばす指は二本でなく、一本である。ややこしい。
井戸とパーを出せば勝てるのではないか。そう考えてパーを出したら、チョキを出されて負けた。これでグリリと同室である。そのグリリの姿が、見当たらない。
エサムと甲板を探すと、船尾のへりから上半身が落ちかかっている。二人がかりで引き戻す。
「船酔いだな」
エサムが、手でグリリの顔をぱたぱた煽ぎながら言う。気休めである。
グリリは、水揚げマグロみたいに甲板に転がっている。手足にある船酔いのツボでも押してやろうか。
「鎧脱がしたら楽になりますよね」
「戦士が鎧を脱いだらダメだ」
予想と違わぬ返答がきた。こんなフル装備を着ていたら、俺でも船酔いする。
「皆さん、船長室をお借りしたので、集まりましょう」
マイアが呼びに来た。マグロになったグリリを見て、手を伸ばす。光がグリリを包んだかと思うと、やおら起き上がった。
「ありがとうございます、教授」
回復魔法だ。俺も使えばよかった。船酔いにも効くとは思わなかった。マイアは何でもない、という風に手を振った。
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