神殺しの剣

在江

文字の大きさ
12 / 71
第一部 第二章 エウドクシスの大難

7 山頂の屋敷

しおりを挟む
 幸い怪物に会うこともなく、道行く人に怪しまれもせず、俺達は狭い海を渡ってプラエディコ山麓までやってきた。

 海を渡るのは気が進まなかったものの、陸路を行けばデリムと一緒にいる時間が長くなる、つまり怪物に出くわす可能性も高くなると考えて我慢した。俺に選ぶ権利などなかった。金を握っているのはデリムだ。

 プラエディコ山の中腹には、日の御子様を奉る神殿がある。
 もともと神殿しかないところへ、段々周囲に人が住み着いて、今ではデーナエという小さな町になっているということだった。

 怪物に遭遇してから少し人間らしくなったデリムに色々質問しながら、俺は大きな甕を背負って坂道を歩く苦痛を紛らわせた。
 行き交う人はほとんどいない。時々山羊の群れが道を横切るくらいである。

 長い山道を歩いた末に、神殿の大きな建物が見えてきた時には嬉しかった。甕も軽くなったように感じられた。デーナエの入口で、デリムは立ち止まった。

 「ここで少し休もうか」
 「神殿で休めばいいじゃないか。飲み物を出してくれるかもしれないし」
 「目的地はプラエディコの山頂だ。神殿には立ち寄らない」

 てっきり神殿に奉納するのだと思い込んでいた俺は絶句した。奴もレグナエラでそう説明していなかったか。冴え冴えとした薄青の瞳が、鍛え上げられた筋肉に包まれて俺をひと睨みした。

 「神殿に奉納すると説明した覚えはない」

 奴が言うならそうなのだろう。俺はふう、と大きくため息をついて、甕を静かに地面へ下ろし、自分も腰を下ろした。どうせなら町中で休めばいいのに、と思う。


 山頂までは遠い。レグナエラでもらった袋をデリムから受け取り、残り少ない食べ物を漁った。
 王城の連中が用意した品は、おいしかった。カラスミまであったのだ。俺は残った上等な干し無花果いちじくとチーズの欠片を、味わいながら食べた。久々にまともな食料を口にした。

 人通りの少ないデーナエの町を通り抜け、人跡希な険しい山道をどのくらい登り続けたか、気が付くと日は傾き、夜になろうとしていた。
 甕を背負って歩いている時にはわからなかったが、デリムの指示で止まると、肌寒いほど気温が下がっていた。

 「今夜の宿はどうするんだよ」
 「少しここで待て」

 デリムは一人で山頂に向かって歩いて行った。地面に跪き、何かごそごそしている。
 俺は、下ろした甕に手をかけて、夕闇迫る下界の景色を眺めた。

 山頂からの眺望は広々として気持ちがよかった。完全に夜になる前の僅かな光の中で、町の家並みが黒い輪郭に包まれながらもほの白く浮び上がるのは、昼間と違う美しさであった。
 俺は海辺育ちだが、こういう場所で暮らすのも悪くない、と思った。

 「エウドクシス、甕を背負え。もう少しでお前の仕事も終わりだ」

 気持ちよく下界の景色を眺めていた俺に、何時の間にか側にきたデリムの声が、冷や水を浴びせ掛けた。
 それでも仕事が終わるという言葉に、俺は最後の気力を振り絞って甕を背負おうと山頂を向いた。

 「あ?」

 もう少しで、甕を蹴落とすところだった。
 さっきまで何もなかった山頂に、黒々とした屋敷が建っていた。確かに、何もなかった、筈。

 「急がぬと悪い風に当るぞ」

 有無を言わせずデリムが歩き始める。俺は甕を背負って後に続いた。
 近付くにつれ、屋敷が黒い石でできているのがわかってきた。

 眼を疑った。黒曜石だった。
 そんな割れやすく貴重な石を使って家を建てるなんて、とてつもなく大金持ちに違いない。黒曜石で出来た家は、輝き始めた星に照らされほのかに光っていた。

 「ようこそおいでくだされた。さ、中へどうぞ」

 入口に立つか立たないかのうちに、扉が開き、鬚面ひげづらに髪も長く伸ばした年嵩の男が現れた。
 髪も鬚も黒々としているのに、顔だけ年老いていた。肌の色も黒く、身に纏った衣も黒っぽい。いるだけで怪しまれる雰囲気である。

 老人の背後に見える屋敷の中も、外と大差ない明るさで、何もかもぼんやりしている。
 俺達は老人の招きに従って中へ入った。


 趣味はともかく、豪壮な屋敷だった。壁も床も天井も一面黒曜石でできており、壁画やモザイクの代りに、金銀製の抽象的な模様が惜しげもなく屋敷を飾り立てていた。建材費も嵩むが、装飾もまた、とんでもなく高い技術力である。職人を探し求めるだけでも金がかかった筈だ。
 屋敷の中はぼんやりと明るいのだが、灯火が見当たらない。まるで直接月から光を取っているようだった。

 「まず、それを預かろう」

 俺に劣らず、老人もシュラボス人が珍しいのか、じろじろと俺を観察していたが、開口一番、俺の背負う甕を指した。
 俺は床を傷つけないよう、そろそろと甕を下ろした。
 手早くデリムが縄を解く。縄はばらばらと甕の周りに落ちた。蓋を取り、両腕を甕の中に入れる。既視感を覚える。両腕を取りだした時、奴は円盤に乗ったオリーブの蜂蜜漬けを持っていた。それを俺に手渡す。

 「お前にやる。今後の食料にしろ」

 黒曜石の床の上で、べたべたする蜂蜜漬けを袋へ移し替えていいものか。
 俺は迷った。それで円盤を持ったまま、突っ立っていた。

 デリムは俺に頓着せず、再び甕に両腕を入れ、奥から嵩張かさばるものを持ち上げた。オリーブだけじゃないのか。

 中から現れたのは、黒い布を被った大きな物だった。デリムはそれを人間でも抱えるように両腕で持った。俺は嫌な感じがした。老人が黒い布を取り去った。

 「うわ、死体!」

 俺は円盤を取り落とした。派手な音と共に、円盤は三つに割れた。オリーブの蜂蜜漬けはべたべたしていたせいか、円盤に乗ったままやはり三つに割れた。
 床はひび割れ一つしなかった。良かった。実は黒曜石ではないのかもしれない。もしかしてブラックオニキスか? そっちの方が高いじゃないか。

 布の下から現れたのは、若い男の死体であった。はだけた衣装の間から見える胸を除けば女かと見紛まがうほど、美しく整った顔立ちである。
 輝くような白い肌を持ち、髪は黒曜石のような艶やかな輝きを保っている。その目はしっかりと閉じられていた。

 「騒ぐな。死んではいない」

 煩そうに諌めるデリムに、老人が尋ねた。

 「この男は知らずに運んでいたのか」
 「甕に納める時に見ていた筈だ」
 「見てねぇよ。夢かと思っていたし」

 咄嗟に言い訳しながらも、俺は甕の重さが一晩で変化した理由を悟った。縄が元通りになっていた訳も。
 同時に、人間が一人入ったわりには重さを感じなかったのを訝しく思った。その分、オリーブの蜂蜜漬けを詰所の倉庫にでも移動したのだろう。
 俺は、デリムがべたべたするオリーブを抱えて何度も往復する姿を思い描いた。ご苦労なことである。

 それにしても、この神の彫像みたいに美しい男は誰なんだ。

 「まあよい。そのオリーブを片付けたら、そこの召使について食事をして先に休め。約束の金は明日払う」

 知らないうちに、俺の脇に顔色の悪い召使が立っていた。何とはなしに、薄気味悪い。二人きりになった途端、取って食われそうな危うさを感じる。
 俺の気持ちを訴える間もなく、意識のない美形を抱えたデリムと老人は奥へ去った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ

双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。 彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。 そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。 洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。 さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。 持ち前のサバイバル能力で見敵必殺! 赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。 そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。 人々との出会い。 そして貴族や平民との格差社会。 ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。 牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。 うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい! そんな人のための物語。 5/6_18:00完結!

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

処理中です...