神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

10 トリニ島火山

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 俺達は、幸か不幸か、港へ到着した翌日に、出航するトリニ島行きの船を掴まえて便乗することができた。
 不幸か、というのは、デリムにとってであって、奴は例によって有り余る金で当日出航する船を調達しようとしたらしいのだが、あいにく余分な船がなかったのだ。

 奴が駆けずり回っている間に俺は豊満な主持ちの女と楽しいひとときを過ごせたし、出発が一日や二日遅れたところで俺にとっては大して変わりなかった。トリニ島がいつ火を吹くのかわからないのだから、急いだってしょうがないのに、デリムもせっかちな男である。

 今回の渡航では、海が荒れ模様だったにもかかわらず、俺はこれまでの木箱で漂流した恐怖感と嫌悪感を克服する事ができた。
 デリムに連れられて不本意ながら何度も船旅をさせられたので、恐怖も飽きがきたのだろう。
 荒波でろくろの上に乗せられたように前後左右に揺れる船で、俺はしょっちゅう甲板に出て体の平衡を取りながら、遠くの島影や空模様を眺めたり、船員の仕事ぶりを観察したりした。

 俺達はレグナエラ王の使いでトリニ島へ渡るので、使いの内容は俺も知らないという取り決めになっていた。不服はない。噴火の警告に行くと言ったって、どうせ信じてもらえないだろう。

 向こうへ行ってデリムが一体どうするつもりなのか、実際に俺も知らされていなかった。
 奴は相変わらず食事を自室で取り、時々人気のないのを見計らって船尾や舳先に出て何事かぶつぶつ呟いていた。
 トリニ島へ近付くにつれ、苛立ちを増しているように見えた。奴は何をしているのだろう。

 そう言えば、シュラボスの王族は精霊が見えるという話を聞いた事がある。俺は精霊を見た事がないので、親父から空にも海にも地面にも草木にも精霊がいるのだ、と聞いてもちっとも実感が掴めなかった。

 親父だって見えていないのだ。本当にいるのかどうかも怪しいものだ。
 だが、元気な人間が怪我をした訳でもないのに急に死ぬこともあるから、死の神や冥王ぐらいはいるのかもしれない。
 冥王があんな趣味の悪い黒い爺さんだとはどうも信じ難いが、ではどんな姿形をしているのかと問われても、何も思い浮かばない。

 船はトリニ島まで定期的に往復する船であった。最近、トリニ島の山が不穏な動きをしていることは船員も関心を持っていて、食事時にはよく話題に上った。

 「煙の量が増えて、灰色の細かい砂が降ってきて洗濯物を外に干せないそうだ」
 「洗濯物はどうでもいいが、作物に悪い影響が出たら困るだろうな。煙のせいで、空がいつも曇っているみたいに見えるらしいぞ」
 「地震も増えているって話だ。何か関係があるのかな」

 よく話題に上ったのは、レグナエラ王ソリスも同じだった。この話をする時、船員は他に誰も聞き耳を立てている筈もないのに、一様に声を潜めていた。

 「ソリス王様のご病気は、大分重いんだってよ。誰ともお会いにならないとか」
 「大臣達だけでいつまで持つかなあ」
 「不吉な事を言うなよ。戦争にさえならなけりゃ、誰が王様になったって、俺達の生活は変わらないのさ。おまんまが食えればいいって事よ」
 「どこが戦争を仕掛けてくるって? 西国や南国の方が、俺達よりよっぽど贅沢な暮しをしているらしいじゃねえか。わざわざこんな不便な土地に攻め込んで来るほど愚かじゃねえだろう」

 船員の言う西国や南国の暮らしぶりは俺にはわからなかった。
 シュラボス島から来た俺にしてみれば、ソリス王に率いられたレグナエラ王国も、充分生活を享受しているように感じられた。

 トリニ島は、船員達が言っていたように、山頂から絶え間なく立ち上る煙のせいか、島全体に薄汚れた空気が覆い被さっているような印象を受けた。
 ティリという島随一の港町に、無事船は入港した。

 船賃の支払いを済ませて下船すると、デリムが言った。

 「私は山の様子を見てくる。お前はそれまで好きなように町中を見て歩くがよい」
 「見てくるって、山はあんなに遠いじゃないか。俺、今夜何処に泊ればいいんだよ」

 俺は慌てて煙を吐き出す山を指した。それは町の遥か向こうにそびえていた。指差したついでに町から外れた高台にある神殿を見つけた。
 デリムは俺の指先を辿って山との距離を測っているようだった。
 今更、目測したって距離が縮まる訳じゃない。

 「日暮れ前にはここへ戻る。不安ならば、そうだな、その辺にレグナエラの詰所がある筈だ。そこに宿を求めるがよい」

 奴は何でもないように言ってのけた。ついてくるか、とは言わない。俺も山登りは、しかも煙を吹いている山なんて懲り懲りだから、町で遊んでいる方が気楽だ。
 だが寝場所がないのは心配である。宿屋も一軒ぐらいはあるだろうが、連れも持たずに泊るところではないことぐらい俺も知っている。一度目を閉じたが最後、永久に目が覚めない寝台で休む気には到底なれない。 

 「入れてくれるかなあ」
 「何とかなるだろう」

 デリムにしては珍しくいい加減な口調だった。俺のことなどどうでもいいのか、それとも日暮れ前に帰ってくる自信があるのか、まさかそんなことはあるまい。
 既に太陽は中天を過ぎている。言い争っても無駄なので、俺は逆らわずにデリムと別れた。


 トリニ島の山頂からは遠目にも細々と白煙が上がっていたが、近寄れば盛大に灰や砂、小石までもが噴き上がっていた。
 噴き上げられたものはその重さに応じて飛距離を伸ばしていた。大きめの小石はばらばらと山腹に降り注ぎ、軽い灰はより遠くの港町、ティリや周辺の海までばら撒かれていた。

 山のなだらかな斜面は落下物の持つ熱で草木が絶え、僅かに生き残ったかに見える木々もあちこち枝折れして炭化しており、無残な様子であった。
 かろうじて生き残った木の精霊も、ぐったりして死を待つだけであった。

 デリムは山の中腹から山頂に向かって、辺りを観察しながら早足で歩いていた。山頂に近付くにつれて熱気が増す。人間ならばとても近寄れる温度ではなかった。
 絶え間なく噴き上げる煙で砂嵐のように霞むその山頂に、人影があった。デリムは目を細めながら人影に近付いた。

 「ユムステル、ご苦労な事だ。お前の杖は大層役に立つ」

 地神はやはり黒い目を細めてデリムを振り返った。ぼとぼとと落下する石は、地神とデリムを避けて降る。人間ならば瞬時に大火傷を負うであろう熱気も、神々には傷一つつけられなかった。

 「ああデリム様、わざわざ御自らおいで頂けるとは、有り難いことです。私も努力してはおるのですが、ご覧の通りの有り様でして。やはり火神が火の精霊を操らねば、これを宥めるのは難しゅうございます」

 デリムは地神の指し示すのに従って火口を覗き込んだ。ぽっかりと広く開いた壷の底からは、海面のように地面が波打ち、次から次へと砂や灰や石が噴き出していた。

 地神の命を受けたらしい地の精霊たちが懸命に均衡を保とうとしているものの、地中から噴き出す何かの勢いに負けて、砂や石と共に空中へ放り出されていた。

 地面の一部は赤熱し、灼熱した泡が時折ぽこり、と盛り上がっては弾けていた。
 泡と共に火の精霊が狂ったように飛び出しては地面に戻る。

 デリムは火の精霊が飛び出したのを見計らって、手元に呼び出した。火の精霊は側に来ることは来たが、形が崩れていてまともな受け答えが出来そうになかった。それでもデリムは灼熱した火口の下で起こっていることを聞いてみた。

 「みんな、踊る。ひひひ、楽しい」

 火の精霊は答えると、さっと身を翻して火口の底へ戻った。デリムのすることを大人しく見ていた地神が尋ねた。

 「何かわかりましたか」
 「この山がいずれ噴火するのは避け難い。ユムステル、お前はもう無理をしなくてもよい。後は私の方で、人間に警告をしておく。寿命のある者はそれで助かるだろう」
 「わかりました」

 石は当らないものの、砕けた細かい塵はデリムの頭に服に降り積もる。デリムは火口に背を向け、少し山を下りた。地神が後に続いた。地神には灰も積らず、黒い髪の色を保っている。

 「ところで、アカリウスが呼び出しに応じないのだ。トリニ島まで船旅をしたのだが、海も荒れていた。事情を知らぬか、ユムステル」

 地神は考え込み、やがて自信のなさそうな口調で答えた。

 「さきほど姿を見かけたので話をしましたが、水の羽衣をデリム様にお貸ししないでいる事を悔やむ風でございました」
 「悔やむぐらいなら、呼び出しに応じればよいものを。どうもそれだけではなさそうだな。まあ、それは私が考えることだ。では、私は戻る」
 「私はもう暫くこの辺りで仕事をします。ご無事で」

 デリムの姿が降り注ぐ灰や石の間に掻き消えた。地神は再び山頂に戻り、煮え立つ鍋にも似た火口の奥底を覗き、辺りにいる地の精霊に指示を与えた。
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