神殺しの剣

在江

文字の大きさ
25 / 71
第一部 第三章 エウドクシスの才幹

5 怪物の襲撃

しおりを挟む
  「何を言っているんだ?」

 俺の反応を無視してデリムは荷物を落とし、腰に提げていた双槍を引き抜いた。たちまち槍が、唸りを発しながら奴の背丈よりも長く伸びた。

 「剣を抜け」

 双槍の伸びた先を見ると、例の怪物の頭が、山道の端から四角く突き出ていた。
 人間のような目鼻立ちはないが、口のような黒い裂け目がぽっかりと開いている。

 慌てて荷物を下ろし、剣を抜き放つ。橙・黄・白と目まぐるしく色を変える剣の輝きが頼もしい。
 しかし、剣に見惚れている場合ではない。

 明らかに周囲の山肌とは異なる、滑らかな黒灰色の岩がせり上がってきた。岩の先端は五つに枝分かれして、掌のようである。

 岩の手は、まっすぐに俺を目掛けて進んできた。記憶にあるよりも動きが速い。
 狭い山道で足場は悪い。俺は逃げ出したいのを堪えて、剣を正面から、怪物の掌に叩き付けた。

 手応えは、あった。怪物の手が、ぽろりと手首から取れた。指がばらばらになるのが見えた。そのまま道から落ちて、視界から消えた。残った腕の傷口と思しき箇所から、黒い霧状のものが噴き出した。

 「来い、今のうちに逃げろ」

 体を引っ張られて、我に返る。デリムが荷物を槍ごとまとめて片手に持ち、駆け降りようとしていた。位置関係から判断すると、手首を切ったのは奴らしい。
 引っ張られながら後ろを振り返ると、怪物は切られた腕を反対側の手で押さえて、苦悶するように頭を揺らしていた。俺はデリムに怒鳴った。

 「放っておいていいのか。とどめを刺すとか、奴が気付くまで待っておびき寄せるとかしなくてもいいのか」
 「あれを私達が殺すことは出来ない。気付くまで待つ余裕もない。どうせまた来る。囮に釣られて、な」

 デリムは器用に狭い山道を走りながら怒鳴り返した。それから俺達は無言で走った。大分走ってから後ろを振り向くと、怪物の姿は既になく、空が黒っぽく汚れて見えた。


 その晩、俺は兎罠も仕掛けなければ、弓矢を作る気にもなれなかった。これまでにも怪物に出くわしてはいたものの、あからさまに襲われたのは初めてで、動揺していたのである。

 引き受けたとはいえ、考えてみればなんで俺が命の危険を冒して怪物に関わらねばならないのか、同じ金を稼ぐにしたって他にましな仕事が幾らでもある筈だった。

 レグナエラ王盗難事件については、デリムが愛人であったことを考えれば、俺の仕業ではないことを信じてもらえるだろうし、もうこの辺で降りてもいいんじゃなかろうか。

 デリムは川へ水汲みに出掛けていた。まさか夜に水浴びすることもないだろうが、わににでも食われて戻ってこなければいいのに。

 獣避けの焚き火を見つめながら、俺はそろそろと薄いマントを脱ごうとした。これと剣さえなければ、怪物に襲われることはないのだ。だが、脱げなかった。黄金の鞘も外そうと試みた。ぴったり俺にくっついて離れなかった。

 「仕事に飽いたのか」

 奴が戻ってきていた。熱い炎に照らされていても、奴の薄青の瞳は冴え冴えと冷たい光を放っている。マントも剣も取り外せなかったので、俺はむかむかしていた。

 「おいデリム、まだトリニ島行きの褒賞を貰っていないぞ」
 「お前は人妻と懇ろにしていただけで、肝心の仕事をしていない。この仕事を終えるまでは、お預けだ」
 「ええっ? ケチ」
 「そのようなことで、世俗の欲を抜け出せるのか」

 デリムは既に後ろを向いて、両手に持った水を下ろしていた。俺の手が剣の柄にかかった。奴が強いのはトリニ島の戦いぶりで充分判っていたが、今手にしている不思議な剣を使えば、ひょっとして勝てるのではないかと思ったのだ。奴は俺に背を向けたまま言った。

 「ひと勝負か。面白い、剣を抜け」

 くるりとデリムが振り向いた時には、例の双槍を一分の隙もなく構えていた。俺は柄に手をかけたまま、剣を抜けなかった。奴の冴え冴えとした薄青の瞳が緊張どころか、楽しそうに輝く。呼吸が、できない。手足が冷たくなり、きりきりとこめかみが痛む。奴が一歩引いた。

 「うおぉっ!」

 手が勝手に動く。剣を抜きざまに、デリムへ打ちかかった。相手を誘い込む奴のやり口だ。内心気付いてはいたのだが、もう遅い。
 俺の剣は空を切り、一撃をあっさりかわした奴の槍に叩き落された挙句、あっという間に俺の体は焚き火の側へ仰向けに倒された。

 鼓動が急激に高まり、心臓が体を飛び出しそうになった。額からどっと汗が噴き出し、顔面を流れ落ちる。
 口の中がからからに干上がる。足を乗せられ、双槍を突きつけられると、もう起き上がることができなかった。
 奴は息を切らしてもいない。

 「続けるかね」
 「い、いや」

 喉元も押さえられているので、必死になっても潰れた声しか出ない。俺が答えると、デリムはさっさと足を上げ、槍を離して落ちた剣を拾い、俺に手渡した。

 戦意がない事を示すため、俺はすぐさま剣を鞘に収めた。まだ心臓の鼓動が鎮まらない。奴は何事もなかったように再び俺に背を向けて荷物の整理を始める。

 俺は奴に押さえつけられた部分が痺れていて、起き上がるのが精一杯だった。奴の背をぼんやりと眺めているうちに、もどかしさが募ってきた。だが、暴れたくても暴れられない。

 「デリム、聞いてくれよ」

 奴はきちんとこちらを向いた。俺は自棄になって考えていた事を皆ぶちまけた。奴は俺が最後の一言を吐き出すまで、遮らずに耳を傾けていた。不満を言い尽くすと、俺の息は上がっていた。ぜいぜいと乱れる呼吸は、まるでひと試合終えた後のようだった。

 「確かに、普通の人間には辛いであろうな」

 デリムは火加減を見て、薪を継ぎ足した。奴の目はすぐに俺に戻ってきた。

 「だが、お前は最早、普通の人間ではないのだ、エウドクシス。神々には、それぞれ定められた役割を果たす義務がある。お前が普通の人間から変化したということは、お前にも果たすべき義務があるのだと心得よ」

 「そもそも、お前ら何なんだよ」

 俺の興奮とは対照的に静かに話すデリムに、俺はつっけんどんに言い放った。答えは期待していなかった。奴は一瞬呆れた表情になったが、思い直したのか咎めの言葉を口にしなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ

双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。 彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。 そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。 洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。 さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。 持ち前のサバイバル能力で見敵必殺! 赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。 そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。 人々との出会い。 そして貴族や平民との格差社会。 ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。 牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。 うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい! そんな人のための物語。 5/6_18:00完結!

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

異世界へ行って帰って来た

バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。 そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。

処理中です...