神殺しの剣

在江

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第二部 第一章 港町イナイゴス

1 王国へのお告げ

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 レグナエラ王ソルマヌスは、王宮内に設えた王家専用の神殿において、いつものように神に祈りを捧げていた。

 出入口の扉の外側には護衛が控えているが、神殿の中には王一人である。
 匠の高度な技により、雨露をしのぐ屋根がありながら、どこからか光が差し込んでいて、神殿の内部は薄明るかった。

 「レグナエラ王ソルマヌスよ」

 突然己の名を呼ばれ、王は虚を突かれた。一心に捧げていた祈りから現実に引き戻され、慌てて目を開き、顔を上げた。
 祭壇の上空に、ふかふかした鳥の翼を背負った半透明の人間が、王を見下ろしながら浮かんでいた。周りを風の精霊が護衛のように取り巻いている。曲者、と脳裡に閃いた言葉は、すぐに打ち消された。

 「曲者ではない。我は風の神精霊である」

 ソルマヌスには王位にある者として精霊を見る能力を持っていたものの、精霊より上の存在である神精霊を見るのは初めてであった。王は緊張の面持ちで、神精霊の前にひれ伏した。この機会に立派な挨拶を述べ、王国の繁栄を神々に伝えてもらおうと心に焦るのだが、言葉にならなかった。
 風の神精霊も、王の言葉を待たなかった。

 「神々の御言葉を伝える。東国ネオリア及び南国メリディオンが、汝の領土を侵略し、ソリス王の王冠を奪おうと企んでいるゆえ、早急に戦の備えをせよ」

 王は耳を疑った。ネオリアは長年の内乱が先頃漸く収まったところで、とても新たに戦争を仕掛ける余裕はない筈であるし、メリディオンは上下の地域に分かれているのだが、その地域間で密かに勢力争いをしていて、やはり他国へ兵を派遣するといった相手に背後の隙を突かれかねない真似はできない筈だった。しかし、神々の言葉である。

 「い、いつ頃になりましょうか」
 「我らへの質疑は許されぬ」

 何とか言葉を発した王をあっさり振り切って、風の神精霊は精霊と共に天井へ消えて行った。王は呆然と神精霊の消えた跡を見上げた。神殿の天井は常と変わらないように感じられた。
 祭壇の周りを巡り、神殿を隅から隅まで改めた。種も仕掛けもなさそうであった。何よりも、風の精霊が付き従っていたのである。精霊が本物であることについては、王にも疑いの余地はなかった。

 「大変だ」

 ソルマヌスは初めて顔色を変え、足早に神殿の出入口へ向かった。


 ネオリア王ベラソルタスは、惰眠をむさぼっていた。夢の中で、王は掻き集めた宝の山に埋もれて楽しんでいた。金銀の細工物、色とりどりの宝石、美しい布、美しい女達が王に向かってにこやかに微笑みかける。王は指の間からこぼれる黄金の粒の音に聞き入り、満足を覚えていた。

 ごごおぉっ、微かな地鳴りがベラソルタスの耳に届いた。見る間に美女も宝石も地面に呑み込まれ、王は剥き出しの土に一人座っていた。尻に冷え冷えとした土の感触を覚え、王は戸惑った。

 「ベラソルタス、ネオリアを統一した栄えある王よ」

 気がつくと、目の前に縮れた黒髪を長く垂らした黒い肌の人間が立っていた。その瞳を見て、王は相手が人間ではないことを知った。地の精霊が周囲をうろうろしている。

 「我は地の神精霊である」

 ベラソルタスは土に額を擦りつけた。王は信心が薄く、民衆への宣伝や部下への示しのためにしか祈りの儀式を行ったことはなかった。従って、地の神精霊も地の精霊もどんな存在なのか判らなかった。それでも夢の中で王は神精霊に対して恭しく振舞った。

 「神々の御言葉を伝える。西国レグナエラにある、ソリス王の冠を手にすれば、汝の悩みは解決しよう」
 地の神精霊は、片手をぱっと開いた。額を擦りつけている王の真横に、きらりと光るものが落ちた。王は一層頭を低くした。

 「ははっ」

 王が頭を上げた時には、地の神精霊は精霊と共に消えていた。王の目が覚めた。

 「夢か」

 ふと、枕もとにきらりと光るものが目に入った。拾い上げると、見事な金細工を施したくしであった。王の持ち物ではない。夢の中で神精霊が投げ、ちらりと見たものと寸分違わぬものである。ネオリアの職人にはとても作れそうにない精巧な細工の櫛を、王はしげしげと眺めた。

 「レグナエラか」

 長年の内乱を収めたばかりのネオリアは、未だ政情不安定であった。戦いを終えてみれば、土地は荒れ、生き残った兵士に与えるべき報酬はとても国内ばかりでは賄い切れないことが明白であった。
 今は順番待ちということで大人しくしているものの、血に慣れた兵士達は、どんなきっかけで暴発するかもしれなかった。満遍なく国民を満足させるには、もっと多くの財産が必要である。国内になければ、国外に求めるしかない。

 「今のレグナエラ王は、何という名だったかな」

 ベラソルタスは、櫛を大事そうに抱えて起き上がった。


 川から引き入れている木浴場の水が、急に泡立った。
 メリディオン王アウストファロスは慌ててお付きの者の手を借りて、水から体を引き揚げた。水は徐々に渦を巻き、渦は木浴場の水槽いっぱいに広がった。

 「陛下、危険です。離れてください」

 お付きの者が腕を掴んで引っ張るのを、アウストファロスは振り払った。

 「神聖な場所で、王である神聖な我が身に危険が降りかかる訳がない。怖いのならば、お前達は下がっておれ」

 役目柄逃げる訳にもいかず、お付きの者達は王から二、三歩下がったところで怖々様子を窺った。
 一同が見る前で、一杯に広がった渦は徐々に小さくなりつつあった。

 渦の中心から、白っぽい煙のようなものが立ち上る。煙は段々濃さを増し、渦が消えた時には、長い髪を垂らした半透明の人間の形になっていた。

 ただし、王以外の者には人の姿と見えない。

 「水の神精霊だ、心配ない。お前達、外へ出ておれ」

 お付きの者達が言いつけに従って去るのを待ち、アウストファロスは跪いた。遥か以前、水の神精霊は王に神々からの助言を伝えてくれたことがあった。
 懐かしそうな表情を滲ませる王には一向に心を動かされる様子もなく、神精霊は水の精霊を従えて、水の上を渡りすぐ側まで近付いた。

 「神々からの御言葉を伝える。北国レグナエラにあるソリス王の冠を手に入れよ。さすれば、神々には大いにアウストファロスの力になろう」

 ぴちゃり、水がねて、王は顔を上げた。
 既に水の神精霊は去り、木浴場にはさざなみが立つばかりであった。王は水面を覗き込んだ。王自身の顔が映っているだけである。

 「下流の状況が気になるな」

 メリディオンは川の流域によって上下に分かれて統治されており、アウストファロスは上流域の王であった。現在、下流域は死んだ弟の妻が治めている。
 弟の妻を信頼しきれない王としては、他国を攻めている間に下流域から侵略されることを最も恐れていた。しかし、神々の命令である。

 「一つ考えるか」

 アウストファロスは、大股に木浴場を後にした。


 「戦争になる、とおっしゃったんですか」

 レグナエラ王国第一王子のソルピラスが問い返した。手入れの行き届いた黒髪をきちんと頭に巻きつけて、服装にも乱れがなく、生真面目な性格がそのまま現れている。父王ソルマヌスは重々しく頷いた。

 「ソリス王の王冠を狙っておるそうだ」
 「何でいまさら」

 第二王子のソルペデスが言う。赤銅色の髪の毛は癖が強く、巻きつけた端から少しずつ飛び出していた。顔立ちはなかなか整っている。亡き王妃の遺児はこの二人で、残りの子らは側腹であった。
 王の私室に呼ばれたのは、二人の王子のみである。ソルペデスの意見には兄も内心賛成のようであったが、賢明にも口には出さなかった。父王は息子達の心中を察して、宥めるように言った。

 「近隣の情勢を考えれば、お前達が疑うのももっともだ。しかし、情勢というものはいつ変わるか判らないのもまた常識だ。折角神々が我等にお告げくださったのだから、念の為準備くらいしておいてもよいのではないかと思う」

 王の私室を辞去し、人気のない場所へ出ると、二人はどちらからともなく立ち止まった。

 「どう思う」

 問いかけたのは兄ソルピラスである。弟は肩をすくめた。

 「どうって、僕だって王家の一員である以上、巷で流行っている無神論者ではいられないからね。父上が神々からのお告げを受けたとおっしゃるのなら、従うのが親子の道理にも適っているだろう」
 「父上の仰せに従うのは当然だ。私が気に掛かるのは、何故ソリス王の王冠が関わるのか、ということだ。お前も、疑問に思ったのだろう?」

 ソルペデスは兄の指摘に同意して頷いてみせたが、質問には答えず、兄の顔色を窺っている。ソルピラスは弟の様子に気付いて話を促した。

 「いいよ。構わないから、言ってみろ」

 弟はなおも躊躇ためらい、ほつれ毛を神経質にいじりながら、大きく息を吸い込み、吐き出した。それから慎重に口を開いた。

 「ソリス王はレグナエラの祖であり、その正体は日の御子であると言われている。僕らはその子孫だという事になっているけど、思うに、僕らの直接の祖先は次の王になったエウドクシスなんだ。だって、不死の神々が死すべき人間の子を産んだなんて、聞いたことないものね」

 「でも僕らがソリス王の名を代々冠して子孫を名乗れるのは、あの王冠があるからだ。あれはレグナエラ王国の存在の正当性を象徴している、少なくとも諸外国はそう思っている。ならば、象徴を手にした者が正当な支配者になれる、と考える人間が出てきてもおかしくない」

 「レグナエラを攻める理由はそれぞれあるだろう。僕にはわからない。ただ、彼らがソリス王の王冠を欲しがる理由は、つまりそういうことだろうと思うのさ」

 「なるほど、お前の考えにも一理あるな」

 途中口を差し挟みそうになりながらも堪えていたソルピラスの言葉を聞き、弟はほっと一息ついた。だが、すぐに兄は付け加えた。

 「エウドクシス王も人間とは思われないぐらい長生きをして、最後はソリス王と同じように忽然と消えてしまったんだぞ。日の御子がわざわざ人間の振りをしてソリス王として人界に降りられたのなら、一人ぐらい隠し子を作られたかもしれないではないか」
 「それなら何処かに記録がありそうなものだ。いくら数百年以上も前の話だとしてもね」

 ソルペデスはわざとらしく、大きな伸びをした。

 「歴史上の議論は、状況が落ち着いてからにしよう。父上にいいつけられた仕事をしなければならないからね。もし、神々のお告げ通りなら、準備は急いだ方がいいだろう」
 「そうだな」

 兄弟は別れかけて、弟が兄を呼び止めた。

 「義姉上は、お達者かい」

 ソルピラスの表情が和らぎ、少し翳りが生じた。

 「メロスメリヌかい? 悪阻つわりが酷いらしくて、最近元気がないんだ。お前も忙しいだろうが、たまには暇を見つけて遊びに行ってくれ。気晴らしになるだろう」
 「うん、考えておくよ」

 兄の立ち去る姿を見つめる弟の目は、暗かった。
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