神殺しの剣

在江

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第二部 第二章 地峡カーンサス

10 反撃と撤退

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 戦闘は、明け方と同時に始まった。

 夜と朝の境目が曖昧な茫漠ぼうばくたる空の下、肌寒さを吹き飛ばす勢いで、レグナエラ軍はネオリアの野営地を襲った。

 ネオリアはすっかり野営生活に慣れ切っていたようであった。
 不意を突かれ右往左往する人々、仮眠から飛び起きた兵士達、破れる天幕、ひっくり返るかめ、蹴散らされる焚き火に立ち上るもうもうたる灰神楽はいかぐら、時ならぬ騒ぎに脅えていななく馬。

 大混乱の中、レグナエラ軍はこれまで積み重ねてきた焦燥感を一気に爆発させた。片端から、手にした武器で叩き潰し、殴り倒す。
 やがて太陽の光が強まるにつれ、辺りを染めた血の色が鮮やかに、かつおどろおどろしく浮かび上がってきた。

 「行け、敵を倒せ! 倒さねば帰れぬぞ!」

 ソルピラス王子も輿こしに乗り、自軍の後方から、声を張り上げ味方の兵を叱咤激励していた。貴重な船を燃やし、総力を挙げて臨んだ作戦は、功を奏しているようであった。

 レグナエラ軍はぐいぐいと前へ進んで行く。端に至っては、戦列から外れ逃亡を図るネオリア兵もあるようだ。
 逃げる者はそのまま放置し、とにかく中央突破して大将の首を挙げるよう指示をしてあった。

 「大将を探せ! 敗残兵に構うな!」

 側につくウルペスが、生き生きとした声を張り上げる。おお、と呼応する兵士達の声も高揚していた。
 先鋒を務めるケラムバス、ペルクヌスの両隊長の声も、剣戟けんげきの音に負けず勇ましく聞こえてくる。

 枯草の生い茂っていた辺り一帯は、奮闘するレグナエラ軍と応戦するネオリア軍の兵士によって折られ踏みにじられ、戦う兵士達の地へと変貌へんぼうした。

 レグナエラ兵は一人一人が奮戦し、逃げるネオリア兵を追って戦線を横に拡大しつつあった。いきおい、両軍の司令官同士の距離が縮まる。遠く、かすかに、前線で戦う兵士とは違う、何かが見えた。

 「いたぞ、あれが敵将だ!」

 前方にいた誰かが叫んだ。おお、と低いどよめきと共に、全軍が戦いつつ前進し始めた。敵将を討ち取れば帰還できる。兵士たちの一念が見えるようであった。

 先頭に立つケラムバスが、音頭を取るようである。
 すうっ、と敵軍が引き始める手応えがあった。ネオリア軍は戦列を拡散させられたまま、各自ばらばらに逃げ出しているようである。

 「追え、急げ!」

 ソルピラスの乗る輿も、速度を増した。先駆けのケラムバスが先端となるよう、レグナエラ軍は戦列を整えるべくまとまりながら、ネオリア軍の奥へと割って入っていった。

 「勝てる」

 ソルピラスの脳裡に、妻のメロスメリヌの姿が浮かぶ。妊娠中の妻は顔色も悪く、哀しげな表情である。もう随分と長い間会っていない。

 「もうすぐ帰るからな」

 自らに言い聞かせるように力をこめて呟き、ふと辺りを見渡した。見慣れぬ姿の人間が視界に入った。馬に乗り、矢を番えている。ソルピラスがはっとして伏せるのと、矢が放たれるのと、ほぼ同時であった。

 びゅん、と頭髪を掠めて矢は輿に刺さった。正に間一髪であった。輿が揺れ、部下達も異変に気付いた。

 「囲まれているぞ」

 誰かが叫んだ。逃げ出した筈のネオリア軍が、いつの間にか左右に収束しつつある。レグナエラ軍は勝ちの勢いに乗り、状況の確認がおろそかになっていた。

 「方向転換しろ、撤退だ!」

 ソルピラスは声を振り絞って命令した。しんがりを務めていたウルペスが先駆けに転じる。全軍の方向転換には時間がかかる。先陣を切っていたケラムバスは、無事撤退できるだろうか。
 王子はこれまでになく不安が募るのを、輿の中で感じていた。


 「ううむ、やはり船を隠してあったか。逃げ足だけはチーター並みに速いな」

 恐らく最後の船と思われる影を見送りながら、ネオリアのクロルタス王子が悔しげに吐き捨てた。

 港に面した町は雑然としていて、住民達の慌てぶりは推測するまでもなかった。
 慌てた甲斐があって、レグナエラの人っ子一人も残らず、今や大通りは勿論、路地裏に至るまで、兵士がうろつくネオリアの町に早代わりしていた。

 食料や美術品などは捨て置かれていたが、肝心の船については、港に沈む残骸ばかりであった。
 宝物を漁る兵士達にも、船を見つけ次第報告するよう命令してあったものの、まず一隻もない、とクロルタスは予想した。

 「予め示し合わせておいて、いよいよとなった時に対岸のラジューンから船を送らせたのではないでしょうか。どうも、あれほど大きな船を隠すような場所はなさそうですな」

 脇で部下に指示を与えながら、セルセスが淡々と告げた。ダティスは食料の確保や隠し船の捜索に回っている。

 「とても、がっかりしているようには見えぬな。ここからカーンサス湾岸沿いには、めぼしい町もない。陸路を東進するしかないというのに」
 「予想の範囲内です」

 クロルタスの皮肉らしい口調に、セルセスはけろりとして返した。

 「我が軍は、陸路を往けばよいのです。無理にカーンサス湾を渡っても、待ち構えたレグナエラに叩かれるだけです。ケラムバスとかいう武将の首も取ったことですし、レグナエラの方が痛手は大きいでしょう」

 「時間がかかり過ぎると、メリディオンに遅れを取ることになる。兄上の艦隊は全滅したのに、まんまと上陸したらしいではないか」

 クロルタスは、まだ海路にこだわっている。異母兄ダリウスの犠牲を無駄にしたくない、という思いが表情から滲み出ていた。
 セルセスは、報告や指示を仰ぎに次々と現れる兵士を上手くさばいて、王子の周りから人を一時遠ざけた。

 「首都レグナエラは堅牢けんろうな城塞都市です。篭城ろうじょうされた場合、長期戦を覚悟せねばなりません。我が軍も相当の疲弊ひへいまぬがれないでしょう」

 「むしろメリディオンが先着し、レグナエラの戦力をいでもらえば、我が軍にかかる負担を減らせます。最悪メリディオンが陥落させたところで、戦いで消耗したメリディオンから、我が軍がそれを奪い返せばよいのです。焦りは禁物です、王子」

 「そうだな」

 ふう、とクロルタスの肩から力が抜けた。強張っていた表情が幾分和らいだ。
 王子は自信に満ちた口調で自説を述べる腹心の部下を、頼もしげに見つめた。


 住民を西方ナンバスト方面へ逃がした後、ほうほうの体でラジューンに上陸したレグナエラ軍の士気は、明らかに下がっていた。

 部隊長の一人ケラムバスが戦死し、遺体を奪われたのも痛手であった。
 首都を出発した時から数えると、生き残りは六割であった。戦力はほぼ半減した。

 兵を補充しようにも、既に徴兵された後の町には、ラジューン自体を守る兵力しか残されておらず、相次ぐ敗戦の報に接している住民からも、新たに応召されようという奇特な者は現れなかった。

 風向きの悪さをひしひしと感じながらも、ソルピラス王子は次の戦略を考えない訳にはいかなかった。
 狭い船にぎゅう詰めされ、疲労困ぱいの兵士達を休ませる間に、彼はペルクヌスやウルペスと今後の針路を検討した。

 「ネオリアがわざわざナンバストへ行ってまで、カーンサス湾越えにこだわるとは思えません。確かにそこまで行けば、泳いで渡ることができますが、ずぶ濡れになって無事泳ぎ切ったところで、首都までは更に陸路を相当進まねばなりません。湾岸沿いに東へ進むのが合理的でしょう」

 「ウルペスの言う通りだ。すると、ラジューンが戦場になるとは考えにくい」

 「カーンサス地峡ちきょう辺りで待ち伏せするのはどうでしょう。陛下が運河をお造りになろうと、最近まで工事を進めておられた筈ですが、どの位まで掘りましたか。形状によっては、みぞを上手く使えるかもしれません」

 レグナエラ王国のある半島は、ほんの細い部分で大陸とつながっている。イナイゴスからデーナエへ行く場合、直線距離では陸路の方が断然近いのだが、大量の荷物を一度に運ぶには船を使った方が遥かに効率がよい。

 ただし、船を使うと半島をぐるり一周せねばならず、人や驢馬ろばなどを大量に雇って運ぶしかなかった。現王のソルマヌスは、大地に溝を掘り、船の通路を造ろうとしていたのである。

 戦争が始まる頃から工事は中断していた。
 ペルクヌスに指摘され、ソルピラスは記憶を手繰たぐった。ウルペスもペルクヌスも、軍事の専門家ではあるが、土木工事の進捗しんちょく状況までは把握していなかった。次期国王であるソルピラスの記憶に頼るしかない。

 「どうだろう。カーンサス湾側から掘り進めていたのだが、まだ真ん中まで到達していなかった筈だ。深さもあるが、船を通すためのものゆえ幅も相当ある。例えば、落とし穴のようには使えないのではないか。遠くからでも窪地とわかるから」

 記憶の残滓ざんしを掻き集め、ソルピラスが答えを出した。部隊長達の表情が暗くなる。ペルクヌスは、気を奮い立たせるように握り拳を両の手で作り、ふん、と力を入れた。

 「いずれにせよ、ラジューンは戦場になり得ません。ネオリア軍は騎馬で移動しますから、先を越されて首都へ侵攻しないよう、早目にここを発ち、カーンサス地峡へ向けて東進するのがよいと思います」
 「よかろう」

 ソルピラスは重々しく頷いた。後はレグナエラ軍の士気をどのようにして回復させるか、そちらの問題の方がよほど難しかった。
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