水の神話

夏目べるぬ

文字の大きさ
上 下
12 / 22
第8章

妖魔(2)

しおりを挟む
 エスリンは意識を失ったまま、倒れていた。
 部屋の中には、蝋燭が灯され、エスリンは台座の上に横たえられていた。
 闇の中で、エスリンの白い肌と金色の髪、金色の翼が光り輝いている。
 そこに、何者かがやって来た。
「これは美しい。」
 女のような声。
「若く、みずみずしい肉体。だが、人間ではないな。この醜い足。羽は、素晴らしいが。」
「では、足だけを切り落としましょうか。」
 その後ろには、悪魔が一匹控えていた。
「そうだな…、足を切り落としなさい。…いや、太腿の部分は切らなくてもよい。そこは人と同じだ。醜い部分だけを削ぎ落とすのだ。」
「はい。」
「人の肉は奈落に落としてオロチ様のもとへ。あとはお前たちの好きにしなさい。」
「はい。」
 悪魔は手に大きな鎌を持って、エスリンに近付いた。
 鎌の先を、エスリンの二の腕に当てると、柔らかな肉から鮮やかな赤い血が流れ出た。悪魔はそれを見て、舌なめずりした。思わず、鎌を持つ手が緩んだ。
「ラアッ!!」
 悪魔の持っていた鎌が空に飛ばされた。エスリンの片足が高く上がっていた。すばやく身を起こしたエスリンは、悪魔を蹴り飛ばした。悪魔は壁に激突して気絶した。
「なかなか、威勢がいいな。」
 その者が、蝋燭の光で照らし出された。
 青く長い衣を纏った姿は、男とも女ともつかなかった。透き通るほど白い肌。切れ長の紫の目。長い黒髪。妖艶な美しさを湛えた顔。だがその額の中央には、傷のような大きな割れ目があった。そして、頭には二本の角があった。
「お前は何者だ!」
 エスリンはその者を睨み付けた。
「悪魔だ。だが、そのへんの悪魔とは違う。私は、ヨミト様の部下、メイヴという者だ。」
「ヨミト…。」
「私には特別に、ヨミト様から力を分け与えられた。他の悪魔とは違うのだ。」
「悪魔など、皆同じだ!」
 エスリンは、メイヴに向かって風の刃を飛ばした。しかしそれは軽く避けられた。
「分からせてやろうか。」
 メイヴは妖艶な笑みを浮かべて、額に手を当てた。その手をゆっくりと離すと、額の傷が裂けて、裂け目からぎょろりともう一つの目が現れた。
 その目を見た途端、エスリンの体は動かなくなった。意識はあるのに、体が動かないのだ。
(ミナト…シーロン…!)
 動けないエスリンに、メイヴがゆっくりと近付いてくる。

「何か、音がしたな。」
 シーロンは、大きな音のした方を向いた。
「じゃあ、そっちに行こうぜ!」
「待て。何かまずい気配がする…。」
「どっちにしたって、ヤバイには変わりねーだろ。」
 そのとき、ミナトは、別の方向から、何か声のようなものが聞こえてくるのを感じた。音ではない。心に呼びかけられているような感覚。
(ミナト…)
「…まさか!」
 ミナトは、急いでその方へ向かった。
「ミナト!」
 仕方なく、シーロンはミナトを追いかけて行った。
 そこには部屋があった。
 重い扉を開け、中へ入ると部屋に灯りがともった。
 部屋の中央に、透き通った青い石が置いてあった。しかしそれは、ただの石ではなかった。
「カイト!?」
 石の中に、カイトが閉じ込められていたのだ。
(ミナト…。やっぱりお前だったんだな…。気配で気付いたよ。)
 カイトは青い半透明の四角い石の中に閉じ込められていた。その体は動けないようだった。表情も変わらない。
「何でお前がこんな所に?」
(メイヴという悪魔にやられたんだ…。みっともない話さ。せっかくお前の後を継いで、海の王に任命されたってのに…。)
「とにかく、ここから出してやるよ!でも、どうすれば…。」
「ミナト、下がってろ。」
 シーロンが、小さな風の刃を作り出し、石に向けて放った。
 風の刃が石の表面に当たると、そこから石にひびが入り、石はがらがらと崩れて割れた。
「ふう…。助かった。ありがとう。」
 崩れた石の中から、カイトが出てきた。カイトは埃を払い、人の良さそうな笑顔でミナトたちを見た。
「ミナト。この人は…?」
「シーロンだ。竜人族の戦士なんだ。」
 シーロンはカイトに一礼した。
「そうか。俺はカイト。海の神だ。」
「それより、もう一人仲間がいるんだ!そいつが捕まっちまって!早く助けに行かねーと!」
 ミナトは焦っていた。
「ちょっと待て。メイヴは危険な奴だ。あの目を見ると、この俺ですら体が固まって動けなくなってしまうんだ。」
「目?」
「ああ。俺は、海に毒を撒いた奴を突き止めようとここへ来て、メイヴに捕まってしまったんだ。メイヴには、三つの目がある。額の傷の中に、目があるんだ。その目が開いたら注意だ。見た瞬間、体が動かなくなる。」
「でもそれさえ見なきゃいいってことだろ。早くエスリンを!」
「エスリンは多分、向こうの部屋だな。さっき物音がした方だ。」
 シーロンが走り出した。その後を、ミナトとカイトも追って行った。
「おや…。」
 メイヴが振り返った。
「エスリン!!」
 ミナトはメイヴの後ろに倒れているエスリンを発見した。
「ミナト!分かってるな!」
 カイトが叫んだ。
「分かってるよ!奴の目を見なきゃいいんだろ!」
「ふふん。そいつらに助けられたのか、カイト。」
 メイヴの第三の目が開いた。
「もうお前にはやられないぞ。その目にさえ気を付けていればどうということはない。」
 カイトは、メイヴの足元を見て言った。
 シーロンは、竜の珠を取り出していた。
「これは珍しい。竜人か。是非、変身してもらいたいものだ。さぞや美しい鱗なのだろうな。この宮殿の装飾にでも使ってやる。」
 メイヴは、シーロンを眺めて妖しく微笑んだ。
 だが、シーロンは竜の珠を持ったまま、様子を窺っていた。
「ふん。てめーなんか、変身しなくたって倒せるってよ。」
 ミナトはそう言いながら、右手に意識を集中させていた。
「やってやる。」
 右手に全てのエネルギーが集まってくる感覚を覚えた。
「ミナト…。」
 シーロンはミナトを見た後、何を思ったのか突然竜に変身して、メイヴに襲い掛かっていった。
「愚か者が。」
 シーロンはメイヴの第三の目を見て、固まってしまった。
 しかし、シーロンの竜の腕が、既にメイヴの体を捕らえていた。
「何!?」
 そのまま、メイヴは固まったシーロンと共に床に倒れた。太い竜の腕で掴まれ、しかもその腕が固まっているため、メイヴ自身も身動きが取れなかった。
「バカはてめーだ。」
 ミナトは、右手で作った水の玉を、メイヴに向かって放った。
 しかし、水の玉はメイヴに当たっただけで、何のダメージも与えていないようだった。
「バカは俺だ…。」
 ミナトは右手を見て、がっくりと肩を落とした。
「ミナト!あいつにそんな攻撃は効かねえよ。」
 カイトが両手で氷を作り出し、氷は斧のような形に変化した。
 それを豪快に放り投げると、氷の斧はメイヴの額に直撃し、第三の目は潰れた。
「よっしゃ!これで心おきなく戦える。ミナト!とどめだ!」
 ミナトは背中の鞘から銀の剣を抜き、メイヴの腕を切り落とした。
「ふふん。勝ったつもりか。私はこれで終わりではない。」
 メイヴの体が変化し始めた。体がどろどろと溶け出し、美しかった姿は消え、泥の塊と化していった。そしてそれは天井にまで届くほどの大きさとなり、紫色の泥の下から触手のようなものが飛び出してきた。辺りに、毒の瘴気が漂った。
「ついに本性を現したな!」
 カイトが氷の斧を作り出し、メイヴの触手を切り落とそうとしたが、幾つも幾つも触手が生まれ、カイトの体に絡みついた。カイトを捕らえた触手から、じわじわと毒が染み出してきた。
「ミナト…この隙に…やれ!」
 毒に侵され、体が痺れた状態で、カイトが叫んだ。
「くっ…!」
 ミナトは両手で剣を持ち、全身全霊の力を集中させていた。水から、氷のイメージへ。
「うわっ!」
 ミナトを、メイヴの触手が捕らえた。
 体が毒によって痺れてきた。
 頭も、朦朧としてきた。
 だが、心には怒りがあった。
 毒の海。毒の森。
 カイトを苦しめ、エスリンをさらった奴。
 そして世界を苦しめている。
 ――ヨミト。
 ミナトは感覚だけになって、紫の化け物へと力を放出した。
 大きな氷の塊が、化け物に当たった。
「グアアアア!」
 化け物は悲鳴を上げたが、倒れない。
 水から、氷へ。
 ミナトのイメージが銀の剣に伝わった。
 剣は光を帯び、氷の刃と化した。
 ミナトは化け物を斬った。
 斬った部分から、氷の欠片がきらきらと飛び散っていき、それは紫の色へと変化した。
 紫の血が放出し、化け物は崩れていった。泥の塊に。
「や…やった…。」
 ミナトはそのまま倒れた。

「ミナト。」
 目を開けると、そこにエスリンがいた。
「エスリン!」
 思わずミナトはエスリンに抱きついた。
「ちょっと!やめてよ!」
 容赦なく、エスリンはミナトを突き飛ばした。
「いってエーー!」
 頭を押さえて痛がっているミナトを見て、エスリンは小さく笑った。
 ここは海辺の村の浜辺だった。シーロンとカイトもいた。
「ミナト。よくやったじゃないか。」
 シーロンが微笑んだ。
「あれ?あの後どうなったんだっけ…?」
「ミナトがメイヴを倒したんだよ。覚えてないのか?その後、エスリンさんが、毒に侵された俺たちを助けてくれたんだ。メイヴの宮殿は、シーロンさんが焼き払ってくれたよ。」
 カイトが言った。
「そうか…。」
 ミナトは安心した表情になって笑った。
「私はメイヴの術で動けなかったけど、ちゃんと見てたわ。ミナトの戦いぶりを。凄かったね。」
 ふふ、とエスリンは笑った。
「でもさ、あれってわざとだろ?シーロン。」
「…何が?」
「だって、シーロンがあいつを捕まえててくれたお陰で、隙が出来たんだ。俺にも、覚悟が出来た。あんな状況にならなかったら、俺はまた何も出来なかった…。」
「そこまで考えてないよ。」
 シーロンは穏やかに笑った。
「ミナトがメイヴを倒した。それでいいじゃないか。」

 海辺の村の毒は、エスリンによって浄化され、元の綺麗な海に戻った。
 しかし、メイヴに捕まった人間たちの行方は分からなかった。
「俺たちは、悪魔退治の旅をしているんだ。」
 ミナトはカイトに言った。
「メイヴは倒したが、オロチという化け物がいる限り、本当の平和ではない。ミナト、俺はお前の代わりに、この国を守ってみせる。」
 カイトは固く決意して、ミナトの肩に手を置いた。
「お前も、頑張れよ。必ず、海の王に戻るんだ。それまで、俺が頑張るからさ。」
 カイトは明るく笑った。
「あのさ…。」
 ミナトは、ある事を口にしようとした。
「ん?何だ?」
「…いや、何でもない。お互い、頑張ろうな!」
 ミナトも明るく笑った。ヨミトのことは言わなかった。
「ミナト。俺はお前を信じてる。必ず、お前は海の王に戻る。絶対にな。」
 カイトは温かい目でミナトを見つめ、笑った。
「カイト…。」
 ミナトの心に、カイトの気持ちが強く伝わってきた。
「カイト!」
 ミナトはカイトに抱きついた。カイトの逞しい腕がミナトの細い体を抱きしめた。
「いてて…。」
「もっと体を鍛えろよ。」
「うるせーな!」
 でこぼこコンビは笑い合った。
しおりを挟む

処理中です...