ボクトミライ

さのさかさ

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ボクトミライ

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 突然だが、皆にとって『一日の始まり』とは一体いつからだろうか。ほとんどの人間は朝目が覚めた時からと答えるかもしれない。あるいは、家を出た瞬間や会社や学校に着いた瞬間から一日が始まると言う人もいるだろう。
 しかし僕の場合はどれも違う。
『学校の放課後』そうそれこそが、僕にとっての一日の始まり。長い一日も佳境に入りかかる夕暮れこそが僕にとっての一日の始まりなのである。
 そうなってしまったのも全ては今、目の前に座っている未来のせいで、僕は未来を中心にして人生を謳歌していると言っても過言ではなかった。
 僕と未来以外、誰もいない静かな教室で僕らは窓際の席に机一つ挟んで向かいあっていた。
 勘の良い人は、既にお気づきかもしれないだろうが僕は未来のことがとっても好きだ。未来と話す放課後の為に僕は生きていると言っても過言ではない。未来との会話が始まれば僕の一日は始まり、会話が終われば同時に僕の一日は終わる。ただそれだけの単純な事だ。逆に言えばそれ以外の人生は、何も楽しめていない不幸な奴って思われるかもしれないけれど、未来と話す瞬間の幸福感に比べればなんてことはなかった。一日の大半なんて平気で投げ捨ててやる所存だ。
 また、学年は一緒でも不思議と放課後以外で僕たちが出会うことはほとんどなかった。その事がまた放課後の特別勘を助長させているのも事実だ。僕は未来に惚れて放課後に魅せられていたのだ。
「私たちさ、もう中学一年生だよね?」
 唐突に未来が話し出す。静まり返った教室の空気にふんわりと未来の声が馴染んでいく。そして僕は合図を待っていたかのように喋り始める。
「当たり前じゃん。それがどうしたの?」
「いやーさあ……」
 気づけよみたいな感じで、未来は上目遣いをして僕を見る。
 そんな目で見られても分かるわけねえよ。と思いながらも僕は空っぽの頭をフル回転させて考えてみる。結局それでも僕には未来の言わんとしていることが、いまいち理解できなかった。
 そんな気持ちを察したのか、未来は困ったようなほっとしているような、よく分からない顔を向けて微笑する。
 死ぬほど可愛い顔だと思った。
 そう。その顔。その顔が見たくて僕はわざと分からない素振りをしていたんだ。作戦はあっさりと成功を収め、僕は彼女の醇美な微笑を角膜に焼き付けるために瞬きを惜しむ。
「御調、何ニヤニヤしてんの?なんだか視線が嫌らしいんだけど」
 眉間に皺を寄せこちらを睨む未来もまた可愛い。結局のところ未来がどんな表情をしていようとも僕の目には一切の曇りなく煌びやかに彼女は存在し続けるのだろう。
「いや別に、ニヤニヤしてるつもりないよ」
「してるよ。めっちゃしてるからね。そう言うのは自分じゃわからないんだよねえ」
 言いながら鞄の中を乱暴にあさり、取り出した小さな手鏡を顔の前に勢いよく突きつけてくる。そこには確かにニヤニヤ顔の僕が映っていて、なるほど未来には今僕の顔がこんな風に見えているのかと感心する。それと同時に未来と同じ風景を共有できているんだなと思って、なんだか嬉しくなった。
 それでも自分の顔を見たのはその一瞬だけで、僕は鏡越しに、ばれるかばれないかくらいの絶妙なバランスで彼女を薄めに盗み見る。だけど、そんな僕の作戦も未来にはあっさりと見破られていて「御調、見てるのばれてるからね」と棘のある綺麗な声が飛んできてしまった。もしかすると、さっき僕がとぼけたことも彼女には全部お見通しで、わざと引っ掛かったフリをしていたのかもしれないなと思うと、少し怖くなって背中が汗で滲むのが分かった。

 僕がとぼけた理由。

 未来の困った顔が見たくて、と説明したあの理由。正直な所あれは半分ホントでもう半分はウソだった。本当は恐かった。あの時の未来は僕らの今の関係を壊そうとしていた。たぶん。僕はそれが嫌だ。嬉しくもあったけれどそれ以上に恐かったんだ。
 
 夕陽でオレンジ色に染められた教室に僕と未来の笑い声が響く。教室にはそれ以外の物音は一切なく世界を二人締めしているみたいで楽しかった。きっと今の教室には僕たち以外の入る隙間なんてこれっぽっちもなくて、完璧な二人だけの空間みたいなのが出来上がっているんだと思う。僕はこの空間が何よりも好きなのだ。それに未来もそう思ってくれているんだろうなと、どこか確信めいた自信も僕の中にはあった。
【きっと未来も僕の事が好きなんだ】
 自信過剰なんかでは決してなくて、確信はないけれど未来の言動を見ていれば何となくわかるのだ。この世に鈍感なんてない。あるのはさっきまでの僕みたいな作られた人工的鈍感だけ。他人の好意に全く気付けない人間なんてそれこそフィクションの中だけだろ。
 それでいて、僕が鈍感なふりをして未来に告白をしないのは、やっぱり今のこの関係や空間が居心地良いと思っているからなんだろう。そしてそれはきっと未来にとっても同じことなのだ。
 僕らはお互いに惚れ合って、この空間に魅せられている。だからお互いにその先は無いのだ。
 今の状態から何かを手放すことなんて考えたくもないし、引き換えに別の何かを手に入れるのだとしても幼い僕にはとてもリスクが大きく思えてならなかった。
 窓の外を見ると夕陽は高層マンションの陰に隠れて一足早く訪れた夜が僕らを覗いていた。

「みーつーぎー」
 中学一年生も、もうすぐ終わると言う2月の放課後。未来が突然泣き出した。
「なに、どうしたの?」
 未来がこんな風にだらしなく僕を呼ぶときは大抵くだらない事で悩んでいる時だと僕は知っている。
「もうすぐさー。私たちさー、学年上がるじゃん?」
 半泣きで幼稚園児みたいな喋り方をする未来はやはり可愛いと思った。どんなくだらない事でも聞かなければいけないなと思える不思議な力を持っている。
「そうだね。あたりまえじゃん。未来は学年が上がるの嫌なの?」
 僕は心の中が表に出てこないように冷静を務めて淡々と喋る。
「嫌とかじゃないけど……友達と一緒のクラスになれなかったら嫌だなあとか……」
 カーディガンの袖で涙を拭いながら耳を真っ赤にしている未来はあまり見た事が無かったので少しドキッとしてしまう。見慣れていた未来にもまだ色んな表情が隠れているのだと思うととても嬉しくて、でもどこか寂しいような気持ちもあって、やっぱりこの空間と未来が僕は大好きなんだなと思い知らされる。
「クラスが違ってもまた遊べばいいし、きっとまた新しい友達ができると思うよ」
 なんて、誰にでも言えそうなことしか僕には言えないのが悔しかった。
 それでも未来は「そうだね。ありがとう」と潤んだ赤い目で不格好な笑顔を作る。
 そのギャップはダメだって。さっきまで泣いてたじゃん。反則!可愛すぎるよ。と心の中で叫ぶのが僕の精一杯でテンパるのがやっとだ。
「御調、ちょっと顔赤くない?」
 そんなの分かってるから言わないでよ、と思いながらも口にはだせない。
「ははーん。御調私に惚れてるな?」
 心臓を掴まれたような衝撃が全身を駆け巡る。未来はきっと僕の気持ちに気付いているはずで、彼女の発言の真の意図が分からない。僕の心は未来のほんの一言でこんなにも簡単に狂わされてしまう。何か言わないと、って焦っても口からは空気しか出てこず、なんとも情けない。
「ずぼしー?」
 そんな僕を見てニヤニヤと笑う未来が可愛いくて憎らしかった。
 そんなわけないだろって言ってやりたいのに、そんなわけないわけないから何も言えなくてもどかしかった。それでも何か言わないと、って頭の中の言葉を必死にほじくり返す。
「未来だって!」
 やっと出た言葉だったが、やばいと思って慌てて口をつぐむ。それでもやっぱり二人の間には変な空気が流れてしまって収集がつかなくなった。夕陽のせいか僕のせいなのか未来の顔は林檎みたいに真っ赤になっていて、可愛いけど申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今僕が素直に気持ちを伝えることが出来たなら未来は喜んでくれるだろうか。それともまだ私たちには早いよって注意してくれるのだろうか。僕はどうしてほしいのだろう。何にせよ中学一年生の僕はこの恋を無駄にはしたくなくて、真剣に未来と付き合いたいと思っていたからこそ、その先は何も言えなかった。きっと未来もそう思っていてくれたからこそ、この時も何も言わなかったのだろう。

「2年生になってどんな感じ?」
 1学期も半分が過ぎた6月の放課後。僕らの関係は前と何も変わることなく放課後に会うことも教室こそ変わったものの今も続いていた。そして、やはり僕らは同じクラスになることはなくて顔を合わせるのは放課後のこの時間だけだった。
「まあ、普通かな。楽しいよ」
 熱心に枝毛を探しながら未来が答える。1年の冬、クラスが変わることに対して子供の様に泣いていた未来はどこに行ってしまったのだろう。目の前の未来を見ていると、あの時の事が幻だったかのように思えた。
「御調は?楽しい?」
 枝毛を器用に割く未来は社交辞令の様に同じ質問を僕にぶつける。
「楽しくないよ」
 平然と答える僕に未来は「えっ?」と短く言って、枝毛から僕に意識を移した。
「楽しくないの?」
「楽しくなんてないよ。もともと僕は人付き合いは苦手な方だし」
「へえー。じゃあ友達とかいないの?」
 そういえば、友達関連の話はあまり未来とはしていなかったっけ。
「まあ、そうだね。仲良いのは未来くらいかな」
「そっかー。そうなんだね」
 声を弾ませる未来はどこか嬉しそうで、きっと僕を独り占めできて喜んでいるのだろうなと心の何処かで僕は思う。あるいはそれは僕の願望かもしれないけれど、幼い僕は理想と現実の違いなんて到底理解できないのだ。
「未来はどうなの?」
「どうって?」
 わざとなのか未来がとぼける。僕はその答えを知ってはいたけれど、未来の口から聞きたかった。互いに口に出すことで、今よりももっと僕らは繋がることが出来ると信じていたからだ。
「だから、友達とかいるの?ってこと」
 未来の目が下を向く。それはとても当たり前の反応で何も間違ってはいない。僕はその答えを知っているからこそ彼女の行動を変だとは思わない。
 それなのに。
 それなのに、未来はまっすぐな目で言った。
「それなりにいるよ。放課後以外はほとんど一緒にいる子が何人か」
 真っすぐに僕を見つめる未来に対して僕は何も言えなくなる。未来に友達がいるのだと知ったショックなんかじゃなくて、未来が何でこんなくだらない嘘をつくのかが理解できなかったからだ。
 僕は未来に友達がいないことを知っていた。放課後以外では、ほとんど顔を合わさない僕らではあったけれど、それは文字通り顔を合わさないと言うだけで見かけることは頻繁にあったのだ。そして僕が見かける未来はいつも1人だった。だからこそ、彼女が言った事を素直に受け入れられない。
「じゃ、じゃあ、放課後とかは遊んだりしないの」
 問い詰めるつもりはなかったのに、自然と語気が強くなって僕は直ぐに後悔する。
「放課後は遊ばないかな。皆部活とか塾もあるし」
「じゃあ休みの日は遊んだりするの?」
「うん。土曜によく遊びに行くよ」
「そっか」
 未来の言っていることが嘘なのか本当なのか最早僕には判断できなくて気まずい空気が教室に広がっていく。
 僕は僕が見た部分だけで未来という人間を作りだしていたのは事実だ。友達がいないと思っていたのは、たまたま僕が見た時の未来が一人でいたからで、それ以外は実際友達といたのかもしれない。そう思うと何も考えられなくなった。願望と言うフィルターを通してしか僕は未来を見れていなかったのだ。
【なら未来は僕の事を好きなのだろうか?】
 浮かんだ疑問は簡単には沈んではくれない。僕は抵抗するように大きく頭を振った。
 僕は未来が好きだ。その気持ちは未来もきっと同じだろうと僕は思ってきた。なのに、今では胸を張ってそれが真実だと言えない僕がいた。本当は一方的な片思いで、未来が僕に善意と暇つぶしで付き合ってくれているのではないかとさえ思えてしまう。途端に悲しくなって未来の事を見れなくなる。
「みつぎ~、もしかして私に友達がいないとでも思った?」
「うん。思ってた」
 反論する気にもなれず、素直に肯定してしまう自分が情けない。
「まあでも、そう思うのも仕方ないかもね」  
「どうして?」
「だって、御調が私を見てる時って、いつも私一人でいる時だし」
 そう言って未来はフフフと笑った。
 全部未来にはお見通しだったのだ。僕の考えている事なんて未来には手に取るように分かっていて、僕が陰から未来を見ていたことも彼女は当たり前のように気づいていたのだ。
 未来は僕なんかよりも何枚も上手で遥か上にいる存在のように思えた。
「ばれてたの?」
 呆気にとられた僕が間抜け面で問いかけると未来はニヤニヤしながら、からかうように言う。
「ばればれだよ?逆によくばれてないと思ったね」
 
 それでもやっぱり、僕は未来の事が大好きで未来を中心に生きる毎日は何の変化も無く続いていく。そんな中で不安があるとするならば、やっぱり未来が僕を好きなのかという事だ。あまり考えないようにはしていたけれど、どうしても頭に浮かんでしまうのが人間というもので、半ばあきらめ気味に、悶々とする日々を送っていることが辛かった。
「御調さ世界は広いと思う?」
 中学2年生の2学期の事。中二病を拗らせた未来が言った。
「は?どういうこと?」
「そのままの意味だよ。世界は広いと思う?」
 窓の外を見ると見慣れた景色が窓一面に一切の余白なく広がっていた。
「そりゃ、広いだろ。ここから見える範囲だけでも十分に広いじゃん」
 僕は人差し指で窓の向こうの景色を指す。
 未来は目を細めてゆっくりと窓の外に視線を移す。
「でも私たちは、この町から出たこともないでしょ?この町しか知らないんだよ?御調が指差した向こうの大きな山だって本当は無いのかもしれないじゃない」
「そんなこと言っても僕らの目の前にちゃんとあるじゃん。無いなんてことはないでしょ」
「そんなことないよ、もしかすると私たちの町の周りにはとっても大きな壁が建っていて、それが山や建物や空なんかを映し出しているかもしれないじゃない」
 こりゃ重症だなと僕は心の中で思う。でもそんな未来がとっても可愛らしくて、一緒に世界の広さを確かめられたならどれだけ楽しいだろうかと思うと笑みが零れた。
「何笑ってんの?」
 自分の言った事を笑われたと思ったのか、未来は珍しく怒った顔をしていた。
「いやごめん。でもさ、未来の言ってることはあり得ないよ。自分でもそう思ってるんだろ?」
「確かに非現実的だとは思う。私が言いたいのは私たちが一生の内に体験する世界の広さなんてたかが知れてるってこと」
 柄にもなく未来が熱弁する。もっと熱くなることは他にもあるだろうと思ったが、僕はただただ未来の言葉に頷くことにした。
「確かに僕らが一生の内に体験する世界の広さなんてたかが知れてるね」
「うん。私はなんだかそれがとてももったいない気がするの」
 窓の外に広がる遠くの山を見ながら、未来が話し続ける。
「私たち個人の世界なんてとっても、とっても小さい。ちっぽけだって言ってもいいくらいに。だけど本当の世界は途方もなく広くて、その広さを知らずに死んでしまうのはなんだか寂しくない?」
「未来は旅をしたいの?」
「そうなのかな?自分でもよく分かんないや。でも」
「でも?」
「でも、世界を広げる簡単な方法は分かる気がする」
「何それ。魔法?」
 冗談めかして僕は微笑する。
「違うよ」
 すっと窓の外の山から視線を戻した未来が僕の方に向き直る。
 いつもの幼い顔がその時は大人びて見えた気がして、僕の心臓はドキッと飛び跳ねる。
「じゃあ、なに?」
 この時の僕の声はきっと震えていたんだと思う。そうなったのもやっぱり未来のせいで、中二病を拗らせた未来が余りにも神秘的に見えたからだ。言うまでもなく僕はそんな未来に見惚れてしまっていた。
 未来は僕の質問には答えようとはせず、ただにっこりとしていて、真顔になったかと思うと代わりに僕にキスをした。
 一瞬にして全身が硬直する。まるで特殊な液体で全身を固められているみたいに、あるいは脳と身体が断絶してしまったように自分の意思に反して身体が動かない。王子様のキスで動き出した白雪姫とは大違いだ。
 ゆっくりと唇を離して未来がにっこりと笑う。
 可愛すぎて死にそうになるのを必死に耐える。頭に血が上ってくらくらしそうだった。
 そんな僕をじっと見つめ少し頬を赤くした未来が満足気に言った。
「ね、世界が広がりそうでしょ?」

「御調!昨日はごめん!」
 翌日の放課後、出合頭に未来が叫んだ。
「な、なに急に?」
 未来の顔を見た途端昨日の事を思い出して、無意識に僕は未来から視線を逸らしてしまう。
「昨日の事!私なんか可笑しかったでしょ」
「う、うん。世界がどうのこうのって……」
 キスと言う単語はなんだか恥ずかしくて言えなかった。
「ああ。う、うん。それそれ。それに、私……」
 口ごもる未来の眉は八の字になっていて言いたいけど恥ずかしくて言えないって感じが嫌でも伝わる。
「どうしたの?」
「昨日の事は忘れて。私どうかしちゃってた。嫌だったよね」
 未来は僕の好意には気づいているはずで、もちろん嫌じゃないことは知っている。それなのに謝るのはなぜなのか。女の子の心とはよく分からないなと思いながらも僕は告白できない糞野郎だと自覚していた。要するにとぼけていただけだ。きっと未来は僕からの告白を待っていて、それを分かりながらも臆病な僕は何も言えなかった。
 今すぐにでも未来に告白したいのに、最悪の結果が頭に浮かんではそれを阻止する。
 今はまだ早い気がして、僕は何も言えない。
 その事を未来が理解してくれているかは、分からない。でも僕はその時も何も言えなかった。

 あの出来事から丁度1年がたった3年の2学期。未来に彼氏ができた。
 もちろん僕らの放課後は今もまだ続いていて、今日も当たり前の様に僕らは放課後に会っていた。
「私彼氏できた」
 と唐突に切り出した未来は今にも泣きだしそうで見ていられない。
 そんな未来に対して僕は「そっか」としか言えずにただ俯くのが精一杯だった。
「それだけ?」
 声を震わせながら目に涙を溜め未来が言う。
「いいじゃん、彼氏。おめでとう」
 出せる限りの強がりで僕は平静を装う。僕だって泣き喚きたい。何で彼氏なんか作るんだ、僕でいいじゃないかって。でも僕にそんな資格がないことは死ぬほど分かっていて、だからこそただ「おめでとう」と虚勢を張ることしかできなかった。
「ありがと」
 とぶっきらぼうに答えた未来はドスドスと教室を出て行ってしまった。
 そんな未来を僕は棒立ちで、ただ見送ることしかできない。「待って」とか「行かないで」なんて言えるわけがなかった。
 未来が去った後も僕は数分棒立ちのまま放心状態が続いた。それからはフラフラと倒れる様に窓際の席に座って色んな事を考え始める。
 今まで未来と過ごした時間、僕はどうすればよかったのか。早々に告白すればよかったのだろうか。あのキスの後、付き合っていれば、僕らは一生を共にできたのだろうか。色んな選択肢を僕は全て無駄にしていたのだろうか。慎重を極めたが故にこうなってしまったのだろうか。未来は僕と早く付き合いたかったのか。今更何を反省しても未来が返ってくることは無くて、無駄だと分かっていても何も考えずにはいられないのが苦しかった。
 机にぽたぽたと涙が落ちる。僕はそれがとても恥ずかしくなってブレザーの袖で乱暴に涙を擦った。
 教室に物音はほとんど無くて机を擦る音と僕の泣き声だけが無機質に響いていた。

 未来と会わなくなってからの僕はスカスカの一日をものすごいスピード過ごしていく。
 生きていても何の喜びも見出すことはできず、たまに見かける未来の姿だけが僕の心を一瞬だけ豊かにさせる毎日だった。それでもやっぱり、未来との放課後はあの日以来無くなってしまっていて、目と目が合うことさえ今まで一度も無かった。
 明日は卒業式だ。
 放課後の誰もいなくなった教室はいつも以上に静かでどんよりとしている気がした。
 未来と話さなくなってからも、僕は彼女がいつでも帰ってこられるように放課後の教室で過ごすことにしていた。というのはただの強がりで本当は家に帰る気にはなれなかったし放課後の誰もいない教室はなんだか居心地が良かったのだ。
 ぼんやりと頬杖をついて窓の外を眺める。チョークの匂いや木の匂いがふんわりと漂う教室も今日と明日で最後だと思うとすごく寂しくなった。未来が居ればこの寂しさを共有できて笑えたのかなと余計な事を考えて涙が溢れた。あの日以来泣くことが多くなって、代わりに笑えなくなっていた。
 僕は今までずっと未来を中心に生きてきたけれど、それは話さなくなった今もやっぱり変わらなくて、いつも頭には未来の事ばかり浮かんでしまう。
 窓の奥に見える山は夕陽に照らされて火山の様に赤くなって見えた、と同時に未来と話した時の事を思い出す。
「世界は広いと思う?」と言った彼女は幼稚園児のようなあどけなさで、とっても魅力的に見えたこと。あの話をした時僕は未来と世界を広げられたらどれだけ幸せだろうかと考えていたこと。
 僕は周囲をぐるりと見渡す。どこかに未来が隠れているんじゃないかと思えた。昔のように僕らはいつの間にか対面で一つ挟んで座っていて、くだらない話や将来について笑い合う。そんな想像をするだけで嬉しくなってしまうのが辛かった。結局誰の姿も見当たらないのに。
 教室は静寂を膨張させ、外から微かに聞こえる吹奏楽部の音すらはじき返そうとする勢いだ。次第に僕は恐くなって教室の窓や扉を急いで開ける。
 一人は嫌だ。
 窓を開けた瞬間、夕暮れの生ぬるい風が教室に勢いよく流れ込んだ。カーテンが激しく揺れて淀んだ空気を吹き飛ばしていく。
『落ち込んでいたって仕方ないだろ、元気出せ』 
 春の風がそう言っているような気がした。あるいはやっぱり、願望フィルターを通してしか僕は世界を見れていないのかもしれない。
 それでも落ち込んでいたって仕方ないのは本当で、僕は次のステップに進まなければならないのだ。未来を中心にしていた僕は新たな中心を探さなきゃならない。
 春の風は今も強く吹き込み僕の心をミキサーみたいにかき混ぜていく。
『ケジメをつけろよ』
 風が僕に語りかける。未来よりも少し遅れてきた中二病を僕はそっと受け入れ、窓から身を乗り出して深呼吸を一つする。
「未来の事がずっと好きだった!」
 ずっと出せなかった言葉を僕は初めて声に出す。未来に向けて言いたかった言葉を春の夕暮れの空に向かって何度も吐き出す。
 やっと全部吐き出せて僕は満足する。涙が溢れたけれど満足する。腕も口も足も震えていたけれど満足する。そして僕は君の事を思い出にする。
 でもそんな簡単に上手くいかないのが人生というもので僕は小さく溜息を吐いた後、すぐにまた口を開く。
「なんでいるんだよ」

 未来への気持ちを吐き出して教室に向き直ると僕の直ぐ後ろに未来が立っていた。
「なんでいるんだよ」
「ばーか」
「彼氏と一緒じゃないの?」
「いるわけないじゃん」
「できたって言ったじゃん」
「嘘だし」
「何で嘘つくんだよ」
「御調が告白してくれないから」
 喉がキュッとなって言葉に詰まる。
 そんな僕を未来は赤くなった目でじっと見つめていた。
「ねえ、未来」
「なに?」
「僕はずっと後悔してたよ」
「知ってる」
「君に彼氏ができたって知ってからも、ずっと君が好きだった」
「知ってる」
「毎日、放課後君が来るんじゃないかって教室で待ってた」
「家に一人でいるのが寂しかっただけでしょ」
 やっぱり未来は僕の事なんて全部お見通しで何枚も上手だ。そんな未来が僕は大好きで、未来もきっとこんな僕が大好きなのだ。根拠なんて一つもないけれど今なら自信をもってそう言える。
「前に未来とキスした時、僕は恐かったんだ」
「どうして?」
「君と付き合うことになって別れてしまったら僕はもう立ち直れないから」
「付き合う前から考えちゃうところが御調らしいね」
「僕もそう思う」
「私が前に世界を広げられないのは寂しいって言ったじゃん?」
「うん」
「あれ、私たちの事だからね」
 そう言って未来は強引に二度目のキスをする。
 僕は驚いてまたあの時みたいに固まってしまう。デジャブを体験しているようで、なんか可笑しくて笑えた。まるで、セーブしていた選択肢をやり直しているみたいだ。だからこそ今度は間違えてはいけないのだろう。僕があの時いうべきだった言葉。僕らは狭い放課後から抜け出さなければいけない。空に向かって言うんじゃなくて言うべき相手に向かって言わなければ意味がないのだ。

「未来、僕と付き合ってください」
 
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