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昔の話破・禁忌へ

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 領主の青年が訪れる少し前、丘の上にある家ではどうなっていただろう。

 家主は、一目だと少年とさえ思える痩身の青年だった。

 布団を除いてはほとんど私生活の場が失われている。そのような散らかった部屋で少年は、乳鉢で草を擦り謎の溶液をビンの中で煮る。

 怪しい薬と言えばそうだが、作っているのはそういう・・・・ものではない。

「ハァ、ハァ……。これを、抑えることが、これで……」

 顔を赤くして、生き絶え絶えに少年はつぶやいた。無造作に伸ばした髪をかき乱して、薬の完成を待ちわびた。

 半年ほど前に発症してから、今日こんにちに至るまで作り続ける。が、完成せず。あらゆる手を、

「手に入るものは……使い」

 尽くした。

 いや、嘘だ。

 チラリと視線を移したのは、並ではなさそうな装飾の箱。中には、西から伝わった書物と水晶玉が入っているのだとか。

 それを使えば奇跡さえ起こせると、父から伝わっている。

「いや、もう、これでダメなら……諦める」

 少年は大法螺吹きの如き戯言から目を逸らして、何度目かの独り言を呟いた。それでなくとも作成中の薬とて普通ではない。伝承の本を書き写した手帳から、手法を知り実行したものである。

 少年を苛む体の火照りを、心を締め付ける劣情を、抑える薬を求めて禁忌ギリギリを攻めた。

 何度目かの挑戦であり、これで効力がなければ諦めざるを得ない。芯から吹き上がる熱量を抑えることそのものではなく、可能とした先にある夢をだ。

「……ごくッ。ングッ!」

 少年は、煎じた薬草をビンに投じ少し冷ましてから一口。さらに二口と喉に流し込んだ。口内に広がる苦味と渋みと青臭さに、薄汚れていても愛らしい顔を歪めた。

「ゴホッ、ゴホッ。良薬はなんとやら……」

 耐えに耐えて飲み干した後、効き目を信じて一刻ほど待った。

 いっこうに効き目が見えない中、ついに恐れていた事態が起こってしまう。ドンドンと扉が叩かれ、肩を震えさせている間にも愛する人の声が聞こえてくる。

「俺だ。いるんだろ?」

「……」

 少年は夜の明かりへといざなわれる虫のように扉へと近づくも、なんと返せば良いかわからず息を呑んだ。

 なぜ今日に限って、いやいつも愛したい彼は少年の都合を無視する。あのときも、少年の昂りが感染した可能性こそあるが領主は暴走した。そこは本能による交わりであって、少年は決して納得はしていない。

 だからこうして薬を作ってはみたものの、やはり情動が抑えられることはなかった。

「早くお前の顔を見せてくれ。おい。土産に面白い服が」

 いくら頼まれようとも、少年は扉を開けるわけにはいかない。月に一度、何日か続く肉体の熱暴走は確実に青年を狂わせるからだ。

 再び、劣情に任せて体を重ねることを偽りだと感じる。さらに、愛する人は領主であり優等種。反面自分は劣等種だ。

 いくら愛を育もうとも、愛の結晶を生み出すわけにもいかない。

「村人どものいう通り、本当に邪仙の術でも使ってしまったのかよ」

 少年が黙りこくってしまっていると、青年は次から次へと話を進めていった。

 遠いながらも決して間違っていない方向へと。

「ッ!」

 直ぐに訂正したかったが、思い直して下唇を噛んだ。愛する人はそのようなことを信じてはいないし、村人のことは任せても大丈夫だろうと考えた。

 ならば、我慢が効かなく前に離れて貰うことにした。

「帰ってください……」

「え?」

 懇願するも、青年には意味が通じなかったようだ。

 もしかしたらもう少しすれば薬が効きだし、この熱を冷ましてくれる可能性もあった。しかし、それを期待して過ちを繰り返してはいけない。

 少年は希望的観測を排して、愛しの君に改めて伝える。

「私は、もう君と会わない方が良いんです。そう、そう思ったのです……」

 問いに対する答えとして不十分ではあるが、薬に出どころなども話せないためそう言うしかなかった。

 が、思いは届かず青年は食い下がってくる。

「何を言って」「帰ってくださいッ」

 即座に、思ったよりも力強く三度目の同じ言葉を吐いた。自分でも分かる通り、まるで相手を拒絶しているかのようだ。

 嫌われただろか。けれど、それならそれで仕方ない。

 少年は立ち去る足音を聞きながら、木の扉に背中を預けることしかできなかった。

 完全に人の気配が遠のいたところで、少年の胸中に言い知れない哀愁が襲ってくる。いくら誤魔化そうとも、偽ろうとも、欺こうとも、本心は何も変わりなどしない。

 例え半年前のことが発情という生理現象であっても、二人の間には愛情があった。そう信じている。

 せめてこの体質さえ抑え込むことができれば、ベータという村人と変わらない立場になれ、領主との結婚も不可能ではない。

「……諦めたくない」

 少年は青年と結ばれる未来を信じ、それを叶えるための最終手段を選んだ。

 台座に置かれた禍々しくもどこか魅力的な箱へと、手を伸ばしたのだ。伸ばしてしまったのだ。
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