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38話 アザレ座の怪人 -6-
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距離が近い。息が触れ唇が重なりそうになる。
つま先で立ち、肩を持って押し返しながら咄嗟にもう一方の手を伸ばし、相手の口を塞ぐ。
驚きで胸が跳ねた。けれど、不思議と――敵意は感じなかった。
「……お前、誰だ?」
口を塞いでいた手を放し、頭の布を剥ぎ取る。
赤い髪が舞台裏の光を受けてこぼれた。
「ルクレール!?」
ゆっくりと、微笑がこぼれる。
「――攫いに来た、セレス」
舞台の喧噪は遠くなり、胸の鼓動だけが残った。
「……違うだろ。本当は、なにをしにここへ」
ルクレールは微笑を崩さない。
「想い人が女神を演じると聞けば、見に来て当然だろう」
「見たならもう帰ってくれ」
「つれないな」
「女物の靴のせいで、足が痛いんだ。俺は楽屋で休みたい」
「そうか」
その返事の直後、体がふわりと宙に浮いた。
「ちょっ……おい、ルクレール!?」
抗議の声を上げる間もなく、彼の腕が俺の膝の下と背中を軽々と支える。
完全な、横抱き。
「足が痛いのなら、歩かなくていいようにしてやる。寒いなら、抱き締めて暖めてやる。暑いなら、俺が陽射しを遮って日陰を作ってやる。……お前のためなら、なんでもしてやる」
観客のざわめきや拍手の残響がまだ舞台裏に残っている。
その中で、ルクレールの声だけがやけに鮮明に聞こえた。
「セレス、俺のことが嫌いなら、ここで叫んで人を呼べ」
胸の奥が、音を立てて軋んだ。
「……ずるいな」
小さく息を吐きながら言うと、ルクレールの口元がわずかに緩む。
仮面の奥で、赤い片眼がわずかに光を反射した。その視線が、ほんの一瞬だけ俺の目を捉える。
そのまま彼は一歩、二歩と音もなく歩き出すと舞台袖を抜け、誰もいない奈落へと続く階段を軽やかに降りはじめた。
「ルクレール、どこに行くつもりだ」
「パイパーに会ってほしい」
思いがけず出たその名前に、つい彼の胸の服を掴んだ。
「……パイパー? どうしたんだ?」
「お前と別れてから、日に日に元気がなくなったそうだ。パイパーの主、モーリス・ベルナールから、“銀の君を連れて来てもらうことは可能だろうか”と相談された――ロジェが」
「だったら、こんなまどろっこしいことをせずに、正面から言いに来いよ! 俺だってパイパーに会いたいから断るわけないだろう。それに、今このまま俺が行けば、水属性班の他の学年の出し物も見れないじゃないか――っていうか、相談されたのロジェかよっ!?」
「同じ属性の他の学年のものは準備中に見て回れただろう。明日からも祭りは続く。それに、正面から頼めば、余計なお供が何人も付いて来る。お前一人では来ない」
「そんなことのために?」
「そんなことじゃない。俺はお前と二人っきりで会いたかったんだ」
奈落の通路はひんやりとしていて、微かな魔力の光が壁に流れている。
ルクレールは俺を抱いたまま、その狭い道を迷いなく進む。奥のドアを開けると、広い通路が現れた。天井が高く、巨大な梁の間を幾筋もの魔法灯が照らしている。
観客席の真下――舞台機材や道具を運び込むための搬入口。
その中央に、装飾が施された魔法で動く大型の昇降籠が設置されていた。
ルクレールが装置の縁に立つ。
「 アペリオ 」
呪文を唱えると、華やかな曲線を描く鉄の骨格が淡く光り、むき出しの歯車や滑車が動いて格子の戸が開いた。
「待て、ルクレール。本気で行く気か? 俺、ドレス姿だぞ? しかも、外出届も出していない。突然いなくなったら、皆が心配する。せめて奇石通信で伝書使に連絡させろ」
「外出許可なら取ってある。既にデュボア寮監に提出し、水属性担当のフォンテーヌ翁にも報告済みだ」
「……はあ?」
思わず彼の顔を見上げる。
学院の外出許可書には、本人のサインが必要だ。サインにはベネンの痕跡が残るから、偽造はほぼ不可能。
「こないだ、なにかの紙にサインさせられなかったか?」
ルクレールの声がやけに静かに響いた。
あっ。
脳裏に、数日前の光景がよみがえる。
――返却された本の貸し出しカードに署名が抜けていましてね……。
そう言って、職員が差し出した紙に、俺は何の疑いもなくサインした。
「まさか、あれ……」
「ああ」ルクレールの唇がわずかに歪んだ。「ここのガルディアン・デコールに、テネブリス・ノクターンの下部組織、カデ・ド・ノクターンのメンバーが一人、殿下の警備任務で入っている」
「ロジェに同じことを聞いた……」
「ジュール・ド・ベルモン。お前にサインをさせたのは、彼だ」
「でも、あのときサインを求めて来た職員は、ガーゴイル事件のとき怪我をした彼と顔が違う!」
「あの程度のヘボい剣の腕前で、あいつがなぜ、テネブリス・ノクターンの候補生でいられるかというと、ジュールは認識阻害魔法の巧者だからだ。……化けるのが上手い」
見ている相手に“今の顔”とは異なる姿を認識させる認識阻害魔法の術――。
もちろん、高度な魔術師や常に警戒を怠らないルクレールのような騎士なら、違和感を察知して術を破ることもできる。だが、心の隙を突かれれば、誰でも簡単に騙される。
声までは変えられないため、誰かに化けた場合、その者の知り合いには有効ではない。
「……図ったな!」
思わず怒鳴る。
「いつも思うが、怒った顔も可愛いな」
「誤魔化すな!」
彼は笑いを堪えるように喉を震わせたまま、レバーを操作した。
滑らかな音を立てて、昇降籠が昇っていく。やがて、わずかな衝撃とともに停止した。ルクレールの腕の中で体の重心がふわりと揺れる。
籠から降りると彼は俺を片腕に抱え直し、もう一方の手で外へと続く重厚な扉の取っ手に手をかけた。
風が、開いた隙間から流れ込んでくる。
つま先で立ち、肩を持って押し返しながら咄嗟にもう一方の手を伸ばし、相手の口を塞ぐ。
驚きで胸が跳ねた。けれど、不思議と――敵意は感じなかった。
「……お前、誰だ?」
口を塞いでいた手を放し、頭の布を剥ぎ取る。
赤い髪が舞台裏の光を受けてこぼれた。
「ルクレール!?」
ゆっくりと、微笑がこぼれる。
「――攫いに来た、セレス」
舞台の喧噪は遠くなり、胸の鼓動だけが残った。
「……違うだろ。本当は、なにをしにここへ」
ルクレールは微笑を崩さない。
「想い人が女神を演じると聞けば、見に来て当然だろう」
「見たならもう帰ってくれ」
「つれないな」
「女物の靴のせいで、足が痛いんだ。俺は楽屋で休みたい」
「そうか」
その返事の直後、体がふわりと宙に浮いた。
「ちょっ……おい、ルクレール!?」
抗議の声を上げる間もなく、彼の腕が俺の膝の下と背中を軽々と支える。
完全な、横抱き。
「足が痛いのなら、歩かなくていいようにしてやる。寒いなら、抱き締めて暖めてやる。暑いなら、俺が陽射しを遮って日陰を作ってやる。……お前のためなら、なんでもしてやる」
観客のざわめきや拍手の残響がまだ舞台裏に残っている。
その中で、ルクレールの声だけがやけに鮮明に聞こえた。
「セレス、俺のことが嫌いなら、ここで叫んで人を呼べ」
胸の奥が、音を立てて軋んだ。
「……ずるいな」
小さく息を吐きながら言うと、ルクレールの口元がわずかに緩む。
仮面の奥で、赤い片眼がわずかに光を反射した。その視線が、ほんの一瞬だけ俺の目を捉える。
そのまま彼は一歩、二歩と音もなく歩き出すと舞台袖を抜け、誰もいない奈落へと続く階段を軽やかに降りはじめた。
「ルクレール、どこに行くつもりだ」
「パイパーに会ってほしい」
思いがけず出たその名前に、つい彼の胸の服を掴んだ。
「……パイパー? どうしたんだ?」
「お前と別れてから、日に日に元気がなくなったそうだ。パイパーの主、モーリス・ベルナールから、“銀の君を連れて来てもらうことは可能だろうか”と相談された――ロジェが」
「だったら、こんなまどろっこしいことをせずに、正面から言いに来いよ! 俺だってパイパーに会いたいから断るわけないだろう。それに、今このまま俺が行けば、水属性班の他の学年の出し物も見れないじゃないか――っていうか、相談されたのロジェかよっ!?」
「同じ属性の他の学年のものは準備中に見て回れただろう。明日からも祭りは続く。それに、正面から頼めば、余計なお供が何人も付いて来る。お前一人では来ない」
「そんなことのために?」
「そんなことじゃない。俺はお前と二人っきりで会いたかったんだ」
奈落の通路はひんやりとしていて、微かな魔力の光が壁に流れている。
ルクレールは俺を抱いたまま、その狭い道を迷いなく進む。奥のドアを開けると、広い通路が現れた。天井が高く、巨大な梁の間を幾筋もの魔法灯が照らしている。
観客席の真下――舞台機材や道具を運び込むための搬入口。
その中央に、装飾が施された魔法で動く大型の昇降籠が設置されていた。
ルクレールが装置の縁に立つ。
「 アペリオ 」
呪文を唱えると、華やかな曲線を描く鉄の骨格が淡く光り、むき出しの歯車や滑車が動いて格子の戸が開いた。
「待て、ルクレール。本気で行く気か? 俺、ドレス姿だぞ? しかも、外出届も出していない。突然いなくなったら、皆が心配する。せめて奇石通信で伝書使に連絡させろ」
「外出許可なら取ってある。既にデュボア寮監に提出し、水属性担当のフォンテーヌ翁にも報告済みだ」
「……はあ?」
思わず彼の顔を見上げる。
学院の外出許可書には、本人のサインが必要だ。サインにはベネンの痕跡が残るから、偽造はほぼ不可能。
「こないだ、なにかの紙にサインさせられなかったか?」
ルクレールの声がやけに静かに響いた。
あっ。
脳裏に、数日前の光景がよみがえる。
――返却された本の貸し出しカードに署名が抜けていましてね……。
そう言って、職員が差し出した紙に、俺は何の疑いもなくサインした。
「まさか、あれ……」
「ああ」ルクレールの唇がわずかに歪んだ。「ここのガルディアン・デコールに、テネブリス・ノクターンの下部組織、カデ・ド・ノクターンのメンバーが一人、殿下の警備任務で入っている」
「ロジェに同じことを聞いた……」
「ジュール・ド・ベルモン。お前にサインをさせたのは、彼だ」
「でも、あのときサインを求めて来た職員は、ガーゴイル事件のとき怪我をした彼と顔が違う!」
「あの程度のヘボい剣の腕前で、あいつがなぜ、テネブリス・ノクターンの候補生でいられるかというと、ジュールは認識阻害魔法の巧者だからだ。……化けるのが上手い」
見ている相手に“今の顔”とは異なる姿を認識させる認識阻害魔法の術――。
もちろん、高度な魔術師や常に警戒を怠らないルクレールのような騎士なら、違和感を察知して術を破ることもできる。だが、心の隙を突かれれば、誰でも簡単に騙される。
声までは変えられないため、誰かに化けた場合、その者の知り合いには有効ではない。
「……図ったな!」
思わず怒鳴る。
「いつも思うが、怒った顔も可愛いな」
「誤魔化すな!」
彼は笑いを堪えるように喉を震わせたまま、レバーを操作した。
滑らかな音を立てて、昇降籠が昇っていく。やがて、わずかな衝撃とともに停止した。ルクレールの腕の中で体の重心がふわりと揺れる。
籠から降りると彼は俺を片腕に抱え直し、もう一方の手で外へと続く重厚な扉の取っ手に手をかけた。
風が、開いた隙間から流れ込んでくる。
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