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42話 アザレ座の怪人 -10-
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「え?」と聞き返す間もなく、彼は手綱を取り、エカルラットを馬場へと導いていく。
たてがみが風に舞い、まるで焔が揺らめくようだった。
ルクレールは動きに一切の無駄もなく、裸馬の背に軽やかに跨がる。鞍も鐙もないというのに、まるで馬と一体であるかのような安定した姿勢――そして、手を差し出してくる。
「さあ、セレス」
「……ほんとに乗るのか」
「怖いのか?」
「怖くはないけど」
「なら、早く来い」
仕方なくその手を取る。瞬間、身体がふわりと引き寄せられた。
気づけば、ルクレールの腕に支えられたまま横座りの姿勢で馬の上にいた。
「落とさないから安心しろ」
「……信用してる。こういうことだけは」
「一言、多いな」
エカルラットがゆっくりと歩き出す。
蹄の音が石畳に反響し、やがて外の庭へと続いた。
そこは、まるで夢のような光景だった。
木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、アジサイが咲き乱れている。青、白、紫――色とりどりの花が風に揺れ、淡い香りが漂っていた。
「……きれいだな」
思わずこぼれた言葉に、ルクレールが満足そうに頷く。
「これも見せたかった」
そう言って、彼は手綱を緩めた。
セレスタン本体は、昔から城には出入りしているけれど、騎士団の区画にはほとんど足を踏み入れたことがない。こんな場所が、訓練場のすぐ近くにあるなんて思いもしなかった。
エカルラットの足取りは軽やかで、花の中を進むたびに、空気が鮮やかにきらめいた。
やがて、ジュールの待つ厩舎裏の馬車が見えて来る。
そのまま馬上から視線をやると、石造りの回廊の向こうに見覚えのある後ろ姿が見えた。
「……今の、ロジェ?」
俺の問いにルクレールの表情がわずかに引き締まり、視線だけでその方向を追った。
「ああ、ロジェだ」
あの先にあるのは、病院棟だけ……。
なぜか、言葉にできない違和感が残る。
「もしかしてロジェ、体調でも悪いのか……?」
「いや」ルクレールは短く息をつき、一瞬だけ視線を伏せ静かに続けた。「ロジェには、二つ下の弟がいる。何年も眠っているが……」
「何年も……、眠っている?」
「ロジェは……、『ヴィル=シュヴァル村』の生き残りだ」
『ヴィル=シュヴァル』――原作本編で出て来た、一晩で滅びた村の名前。
ワンジェ王国の北の端、隣国に属する国境沿いの山間の小村。
交易路から外れ、霧深い森と峡谷に囲まれたその土地は、かつて“眠れる牧場の村”とも呼ばれ、穏やかな風景で知られていた。
「十四年前、ナクティスの群れによって、村は地図から消えた……」
ナクティス――いわゆる生ける屍。しかし、決して強大な魔物ではない。魔法を扱える者や騎士であれば、個体の討伐は難しくないが、奴らは群れで行動する。一度、飢えの連鎖が始まれば、理性を失った集団が雪崩のように襲いかかる――尚、原作本編では村人は全員亡くなっていて、生き残りはいなかった。
『スタンピードの予兆』として、わずかに触れられていた事件だが、既に、ヴィル=シュヴァル村への襲撃は起きていたのか……。
……いや。
俺が今までこの記憶を単に探らなかっただけで、確かにセレスタンの頭の中に、その村の名と出来事のあらましは残っている。
「あの夜、ロジェは眠っていた魔力に目覚め、ナクティス化した直後の両親と姉を……、弟を守るために自分の手で葬っている」
俺は驚き、絶句した。
「弟は無事だったが……姉に腕を噛まれそうになったとき歯がかすめて、そこから軽度の感染を受け、ロジェは無我夢中で魔力を解放し、気付いたときには弟は深い眠りに閉じ込められていた。ロジェはその夜、陽がのぼるまで地下室で両親と姉の亡骸とともに、弟を抱きながら息を潜め、なんとか生き延びた。それ以来、弟はずっと眠ったままだ」
ナクティスは陽光の下では動けなくなる。
とはいえ、転生前の世界の伝承にあるように、陽に焼かれて塵になることも、ニンニクや十字架を恐れることもない。彼らにとって光は“死”ではなく“麻痺”――活動を止め、体を守るための一種の冬眠。
あんなに穏やかで誰よりも人を気づかうロジェが、どうしてノクターンのような危険な部署に居るのかと疑問だった。まさか、こんな過去があっただなんて……。
面倒見が良いから……、弟か妹が居るんじゃないかと思っていたけど。
「ごめん、言葉が出て来ない……」
頭を振りうつむく俺に、「セレスは優しいな……」とルクレールが言った。
「あれからあいつは――自分が“幸せになってはいけない”と思い込んでいる」
その言葉に、ふと、遺跡で交わしたロジェとの会話が脳裏に蘇る。
――まったく、若いってのはいいな。……恋せよ若人、ってやつだな。
――ロジェだって若いじゃないですか。
――俺か? ……あー、俺はそういうのは向いてないんだ。
「今まで、ロジェに恋人は……?」
「俺が知る限り、一度もないな」ルクレールは短く息をついた。「あいつは面倒見がよくて、人当たりもいい。だから、女にも男にもよく好かれる。けれど――どれだけ想われても、決して首を縦に振らない」
「……ルクレール、ロジェの弟の名前は?」
「二コラだ」
「ニコラのことを、詳しく知りたい。俺になにが出来るか分からないし、なにもできないのかもしれないけど……」
おいそれと首を突っ込んでいいのか――そう思う。けれど、胸の奥がざわついて仕方が無かった。
༺ ༒ ༻
ルクレールは一度、俺を馬車に乗せてから、手綱を返してエカルラットを厩舎へ戻しに行った。馬蹄の音が遠ざかり、やがて静寂が戻る。窓の外に傾きかけ光が淡く差し込むなか、俺はぼんやりとドレスの縫い目をなぞっていた。
ほどなくして扉が開き、ルクレールが戻ってくる。
たてがみが風に舞い、まるで焔が揺らめくようだった。
ルクレールは動きに一切の無駄もなく、裸馬の背に軽やかに跨がる。鞍も鐙もないというのに、まるで馬と一体であるかのような安定した姿勢――そして、手を差し出してくる。
「さあ、セレス」
「……ほんとに乗るのか」
「怖いのか?」
「怖くはないけど」
「なら、早く来い」
仕方なくその手を取る。瞬間、身体がふわりと引き寄せられた。
気づけば、ルクレールの腕に支えられたまま横座りの姿勢で馬の上にいた。
「落とさないから安心しろ」
「……信用してる。こういうことだけは」
「一言、多いな」
エカルラットがゆっくりと歩き出す。
蹄の音が石畳に反響し、やがて外の庭へと続いた。
そこは、まるで夢のような光景だった。
木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、アジサイが咲き乱れている。青、白、紫――色とりどりの花が風に揺れ、淡い香りが漂っていた。
「……きれいだな」
思わずこぼれた言葉に、ルクレールが満足そうに頷く。
「これも見せたかった」
そう言って、彼は手綱を緩めた。
セレスタン本体は、昔から城には出入りしているけれど、騎士団の区画にはほとんど足を踏み入れたことがない。こんな場所が、訓練場のすぐ近くにあるなんて思いもしなかった。
エカルラットの足取りは軽やかで、花の中を進むたびに、空気が鮮やかにきらめいた。
やがて、ジュールの待つ厩舎裏の馬車が見えて来る。
そのまま馬上から視線をやると、石造りの回廊の向こうに見覚えのある後ろ姿が見えた。
「……今の、ロジェ?」
俺の問いにルクレールの表情がわずかに引き締まり、視線だけでその方向を追った。
「ああ、ロジェだ」
あの先にあるのは、病院棟だけ……。
なぜか、言葉にできない違和感が残る。
「もしかしてロジェ、体調でも悪いのか……?」
「いや」ルクレールは短く息をつき、一瞬だけ視線を伏せ静かに続けた。「ロジェには、二つ下の弟がいる。何年も眠っているが……」
「何年も……、眠っている?」
「ロジェは……、『ヴィル=シュヴァル村』の生き残りだ」
『ヴィル=シュヴァル』――原作本編で出て来た、一晩で滅びた村の名前。
ワンジェ王国の北の端、隣国に属する国境沿いの山間の小村。
交易路から外れ、霧深い森と峡谷に囲まれたその土地は、かつて“眠れる牧場の村”とも呼ばれ、穏やかな風景で知られていた。
「十四年前、ナクティスの群れによって、村は地図から消えた……」
ナクティス――いわゆる生ける屍。しかし、決して強大な魔物ではない。魔法を扱える者や騎士であれば、個体の討伐は難しくないが、奴らは群れで行動する。一度、飢えの連鎖が始まれば、理性を失った集団が雪崩のように襲いかかる――尚、原作本編では村人は全員亡くなっていて、生き残りはいなかった。
『スタンピードの予兆』として、わずかに触れられていた事件だが、既に、ヴィル=シュヴァル村への襲撃は起きていたのか……。
……いや。
俺が今までこの記憶を単に探らなかっただけで、確かにセレスタンの頭の中に、その村の名と出来事のあらましは残っている。
「あの夜、ロジェは眠っていた魔力に目覚め、ナクティス化した直後の両親と姉を……、弟を守るために自分の手で葬っている」
俺は驚き、絶句した。
「弟は無事だったが……姉に腕を噛まれそうになったとき歯がかすめて、そこから軽度の感染を受け、ロジェは無我夢中で魔力を解放し、気付いたときには弟は深い眠りに閉じ込められていた。ロジェはその夜、陽がのぼるまで地下室で両親と姉の亡骸とともに、弟を抱きながら息を潜め、なんとか生き延びた。それ以来、弟はずっと眠ったままだ」
ナクティスは陽光の下では動けなくなる。
とはいえ、転生前の世界の伝承にあるように、陽に焼かれて塵になることも、ニンニクや十字架を恐れることもない。彼らにとって光は“死”ではなく“麻痺”――活動を止め、体を守るための一種の冬眠。
あんなに穏やかで誰よりも人を気づかうロジェが、どうしてノクターンのような危険な部署に居るのかと疑問だった。まさか、こんな過去があっただなんて……。
面倒見が良いから……、弟か妹が居るんじゃないかと思っていたけど。
「ごめん、言葉が出て来ない……」
頭を振りうつむく俺に、「セレスは優しいな……」とルクレールが言った。
「あれからあいつは――自分が“幸せになってはいけない”と思い込んでいる」
その言葉に、ふと、遺跡で交わしたロジェとの会話が脳裏に蘇る。
――まったく、若いってのはいいな。……恋せよ若人、ってやつだな。
――ロジェだって若いじゃないですか。
――俺か? ……あー、俺はそういうのは向いてないんだ。
「今まで、ロジェに恋人は……?」
「俺が知る限り、一度もないな」ルクレールは短く息をついた。「あいつは面倒見がよくて、人当たりもいい。だから、女にも男にもよく好かれる。けれど――どれだけ想われても、決して首を縦に振らない」
「……ルクレール、ロジェの弟の名前は?」
「二コラだ」
「ニコラのことを、詳しく知りたい。俺になにが出来るか分からないし、なにもできないのかもしれないけど……」
おいそれと首を突っ込んでいいのか――そう思う。けれど、胸の奥がざわついて仕方が無かった。
༺ ༒ ༻
ルクレールは一度、俺を馬車に乗せてから、手綱を返してエカルラットを厩舎へ戻しに行った。馬蹄の音が遠ざかり、やがて静寂が戻る。窓の外に傾きかけ光が淡く差し込むなか、俺はぼんやりとドレスの縫い目をなぞっていた。
ほどなくして扉が開き、ルクレールが戻ってくる。
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