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46話 吸血鬼 -4-
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病院棟に到着し、ジュールとモローに案内されながら白壁に魔法灯が整然と並ぶ廊下を進む。
普段は軽口を絶やさないモローも、このときばかりは真剣な面持ちで口数が少ない。
突き当りの扉を開けると、手術を待つ家族控室では、ロジェの隣にルクレールが座っていた。
ロジェは無言。ただうつむき、固く組んだ両手の甲に、爪の先が深く喰い込むようすが見て取れる。
痛々しい。
そのとき、リシャール殿下の姿に気づいたロジェが、はっとして立ち上がろうとした。だが、殿下はすぐに片手を上げて制する。
「……そのままでいい、ロジェ」
静かで、柔らかい声。
ロジェは息を詰め、深く頭を下げる代わりに、震える唇をかたく結んだ。
彼にとって弟は、もう唯一残された肉親。
助かってほしい――俺は、かける言葉を見つることが出来なかった。
ルクレールは静かに席を立つと「手術室の準備状況を見に行ってくる」と言って、俺たちに目礼をしてから部屋をあとにした。
ボンシャンはすでに医療チームの中に入っている。
時計の針が、静かな室内でコトリ、コトリと時を刻む。空気が澄みすぎて、心臓の音さえ響きそうだ。
やがて、搬送の刻が訪れる。
ドアの向こうから、搬送台の車輪が床を擦る音が近づい来た。
立ち上がり廊下へと向かうロジェの歩みは重い。横顔は固く、まるで一歩ごとに祈りと覚悟を噛みしめているかのようだった。
どうか……、どうか、ロジェと弟ニコラに、奇跡のような救いがありますように。
今、彼らが抱える重荷が少しでも和らぎますように。
その願いだけが、緊張に満ちた空間で脈打つ。
ロジェが静かに廊下へ出た。後ろ手にドアを閉じる音が、やけに重く響く。
やがて、その音は次第に空間に溶け、室内には深い沈黙だけが残り、俺たちはなにも出来ぬまま、椅子に腰を下ろして祈るように時をやり過ごしていた。
そのとき――誰かの悲鳴が静寂を引き裂いた。
「患者が、目を開けた!」
声に続いて、怒号と呪文の詠唱が重なり合う。魔法障壁の展開音が場を震わせ、直後、何かが砕け散るような轟音が連続した。
俺たちは反射的に立ち上がり、ドアを押し開けて廊下へと飛び出す。
細い刃でなぞられるような、霧状の魔力が肌の表面を流れる。
胸の奥がざわめいた。
「セレス……、これはただ事じゃない……」
アルチュールが低く呟き、鋭い瞳で先を見据える。
「ああ。何が起こったんだ……」
空気が一気に冷えた。
視線の先、治療室へと続く廊下の扉が開け放たれ、瘴気のような魔力の残滓が揺らめいていた。
そこにいたのは、淡金の瞳をぎらりと光らせた少年――ニコラ。
痩せた体が影のように身を翻し、異様な俊敏さで二人の看護師を弾き飛ばす。壁がきしみ、石片が床を跳ねた。
ナクティス特有の、常軌を逸した膂力がその小さな身体に宿りつつある。
⁅我々は、あの結界だらけの部屋から〓〓〓〓が解き放たれるこの刻を待っていた⁆
口をぱっくりと限界まで大きく開いたまま、ニコラは声を発した。顎も唇も微動だにしない。その異様さに、視線が釘付けになる。血のように赤い喉の奥は突き当たりが壁のように閉ざされ、細く尖った小さな歯がぎっしりと並んでいるのが見えた。
まだ“完全体”ではない。だが、これではもう人の姿でもなかった。
「ニコラ!」
ロジェの叫び声が響く。しかし弟は兄の声にまったく反応しない。
警鐘が鳴り渡る。
ジュールとモローが即座に詠唱を始め、光の陣が床に走った。展開された結界が、裂けかけた空間をかろうじて押さえ込む。
突然、ニコラの体がまるで影のように床から跳ね上がり、人と人の隙間を縫うようにして駆け抜けた。瘦せた手足が壁に擦れ、魔法灯の光が歪む。
病院棟、封鎖――。
廊下の防護扉が降り、魔術結界が多層に展開された。
「くそっ、やはり……繋がっていたか」
ジュールが低く呟くと、モローが苦々しく「ああ」と答えた。
コンシアンス・コレクティヴ。
遠く離れた群れは、目覚めた個体を通して状況を把握する。
ニコラはまだ完全なナクティス化を遂げていない。日中でも行動は可能だ。しかし、今すぐ眠らせなければ、進行速度は予測できない。
手遅れになれば、戻すことは不可能――そうなれば、排除する以外の選択肢は残らないだろう。
それだけは、避けたい。
モローは素早くジュールに指示を飛ばした。
「生徒たちをここから撤退させろ!」
ここは従うしかない。ノクターンのメンバーが三人居る。モローはガルディアンの隊長だし、幸いなことに、手術室には、あのボンシャンが居る。
俺が動くより、彼らの方が確実で、冷静で、強い。
ロジェとモロー、そして警備隊が追跡に走る。
ジュールに先導され、俺たちはニコラが逃げた方向とは反対側の通路へと向かった。
廊下はあわただしく人が行き来し、警鐘の音が床や壁、天井を震わせている。
「ロジェさん、大丈夫でしょうか……」
ナタンが呟く。
「ロジェには、もう二度と家族を失う思いはさせたくないというのに……」
リシャール殿下が低く言う。その瞳はいつになく険しい。
「……今、彼のためになにも出来ないことが本当に悔しい」
アルチュールの握りしめた拳は、表皮が白くなるほど力が入っていた。
最後尾を共に走りながら、俺はアルチュールの背にそっと手を置く。
「地下通路を通って外へ出ます」
先頭を走るジュールが振り返りざまに告げ、足を止めて鉄製の扉に手をかざす。
「 アペリオ 」
青白い光が走り、重い錠が音を立てて外れた。
下から吹き上がる風が、ひどく冷たい。
俺たちは階段を一気に駆け下りる。
そのとき、天井の上で、なにかがきしむ音がした。
「……今の、音は?」
ナタンが振り返り、俺も思わず見上げる。
重いはずの通気口の格子が音を立てて簡単に外れ、そこから人影がするりと静かに降りて来た。
瘴気を含んだ魔力がじわりと漂い始め、空気が重く沈む。
普段は軽口を絶やさないモローも、このときばかりは真剣な面持ちで口数が少ない。
突き当りの扉を開けると、手術を待つ家族控室では、ロジェの隣にルクレールが座っていた。
ロジェは無言。ただうつむき、固く組んだ両手の甲に、爪の先が深く喰い込むようすが見て取れる。
痛々しい。
そのとき、リシャール殿下の姿に気づいたロジェが、はっとして立ち上がろうとした。だが、殿下はすぐに片手を上げて制する。
「……そのままでいい、ロジェ」
静かで、柔らかい声。
ロジェは息を詰め、深く頭を下げる代わりに、震える唇をかたく結んだ。
彼にとって弟は、もう唯一残された肉親。
助かってほしい――俺は、かける言葉を見つることが出来なかった。
ルクレールは静かに席を立つと「手術室の準備状況を見に行ってくる」と言って、俺たちに目礼をしてから部屋をあとにした。
ボンシャンはすでに医療チームの中に入っている。
時計の針が、静かな室内でコトリ、コトリと時を刻む。空気が澄みすぎて、心臓の音さえ響きそうだ。
やがて、搬送の刻が訪れる。
ドアの向こうから、搬送台の車輪が床を擦る音が近づい来た。
立ち上がり廊下へと向かうロジェの歩みは重い。横顔は固く、まるで一歩ごとに祈りと覚悟を噛みしめているかのようだった。
どうか……、どうか、ロジェと弟ニコラに、奇跡のような救いがありますように。
今、彼らが抱える重荷が少しでも和らぎますように。
その願いだけが、緊張に満ちた空間で脈打つ。
ロジェが静かに廊下へ出た。後ろ手にドアを閉じる音が、やけに重く響く。
やがて、その音は次第に空間に溶け、室内には深い沈黙だけが残り、俺たちはなにも出来ぬまま、椅子に腰を下ろして祈るように時をやり過ごしていた。
そのとき――誰かの悲鳴が静寂を引き裂いた。
「患者が、目を開けた!」
声に続いて、怒号と呪文の詠唱が重なり合う。魔法障壁の展開音が場を震わせ、直後、何かが砕け散るような轟音が連続した。
俺たちは反射的に立ち上がり、ドアを押し開けて廊下へと飛び出す。
細い刃でなぞられるような、霧状の魔力が肌の表面を流れる。
胸の奥がざわめいた。
「セレス……、これはただ事じゃない……」
アルチュールが低く呟き、鋭い瞳で先を見据える。
「ああ。何が起こったんだ……」
空気が一気に冷えた。
視線の先、治療室へと続く廊下の扉が開け放たれ、瘴気のような魔力の残滓が揺らめいていた。
そこにいたのは、淡金の瞳をぎらりと光らせた少年――ニコラ。
痩せた体が影のように身を翻し、異様な俊敏さで二人の看護師を弾き飛ばす。壁がきしみ、石片が床を跳ねた。
ナクティス特有の、常軌を逸した膂力がその小さな身体に宿りつつある。
⁅我々は、あの結界だらけの部屋から〓〓〓〓が解き放たれるこの刻を待っていた⁆
口をぱっくりと限界まで大きく開いたまま、ニコラは声を発した。顎も唇も微動だにしない。その異様さに、視線が釘付けになる。血のように赤い喉の奥は突き当たりが壁のように閉ざされ、細く尖った小さな歯がぎっしりと並んでいるのが見えた。
まだ“完全体”ではない。だが、これではもう人の姿でもなかった。
「ニコラ!」
ロジェの叫び声が響く。しかし弟は兄の声にまったく反応しない。
警鐘が鳴り渡る。
ジュールとモローが即座に詠唱を始め、光の陣が床に走った。展開された結界が、裂けかけた空間をかろうじて押さえ込む。
突然、ニコラの体がまるで影のように床から跳ね上がり、人と人の隙間を縫うようにして駆け抜けた。瘦せた手足が壁に擦れ、魔法灯の光が歪む。
病院棟、封鎖――。
廊下の防護扉が降り、魔術結界が多層に展開された。
「くそっ、やはり……繋がっていたか」
ジュールが低く呟くと、モローが苦々しく「ああ」と答えた。
コンシアンス・コレクティヴ。
遠く離れた群れは、目覚めた個体を通して状況を把握する。
ニコラはまだ完全なナクティス化を遂げていない。日中でも行動は可能だ。しかし、今すぐ眠らせなければ、進行速度は予測できない。
手遅れになれば、戻すことは不可能――そうなれば、排除する以外の選択肢は残らないだろう。
それだけは、避けたい。
モローは素早くジュールに指示を飛ばした。
「生徒たちをここから撤退させろ!」
ここは従うしかない。ノクターンのメンバーが三人居る。モローはガルディアンの隊長だし、幸いなことに、手術室には、あのボンシャンが居る。
俺が動くより、彼らの方が確実で、冷静で、強い。
ロジェとモロー、そして警備隊が追跡に走る。
ジュールに先導され、俺たちはニコラが逃げた方向とは反対側の通路へと向かった。
廊下はあわただしく人が行き来し、警鐘の音が床や壁、天井を震わせている。
「ロジェさん、大丈夫でしょうか……」
ナタンが呟く。
「ロジェには、もう二度と家族を失う思いはさせたくないというのに……」
リシャール殿下が低く言う。その瞳はいつになく険しい。
「……今、彼のためになにも出来ないことが本当に悔しい」
アルチュールの握りしめた拳は、表皮が白くなるほど力が入っていた。
最後尾を共に走りながら、俺はアルチュールの背にそっと手を置く。
「地下通路を通って外へ出ます」
先頭を走るジュールが振り返りざまに告げ、足を止めて鉄製の扉に手をかざす。
「 アペリオ 」
青白い光が走り、重い錠が音を立てて外れた。
下から吹き上がる風が、ひどく冷たい。
俺たちは階段を一気に駆け下りる。
そのとき、天井の上で、なにかがきしむ音がした。
「……今の、音は?」
ナタンが振り返り、俺も思わず見上げる。
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