腐男子♥異世界転生

よしの こひな

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82話 シルエット家領地へ -3-

「では、私が審判を」
 ナタンが嬉しそうに名乗り出た。
 俺とルクレールは座席を移動し、中央の小テーブルを挟んで向かい合う。
 肘をつき、手を組み、準備完了。
「……では、用意」
 ナタンは二人の握り合った手にそっと両手を重ね、上から包み込むように押さえた。
 俺とルクレールは互いに視線を合わせ――、
「はじめ!」
 その瞬間。
 ルクレールにだけ見える角度で、思いっきり艶っぽい顔をして小声で囁く。
「……ルーク」
「っ……!?」
 頬を赤く染め、ルクレールが瞠目して一瞬固まる。握る力が一気に抜けた。

 はい、その隙いただき。

 全力で押し込み、バンッとルクレールの拳をテーブルへ叩きつける。
「勝負あり!」
 ナタンの声が響いた。
「ちょっ、待て!」
「なんでだよ?」
「今のは無しだろう!」
 ルクレールが身を乗り出す。

「勝てる手は何でも使って然るべきだろ? あんたが殿下にそう教えたんじゃなかったっけ? ……ということで、スピリッツはサイドボードに直してください、ルクレール」
「……あー、もうっ、分かったよ……」
 ルクレールは肩をわずかに落とし、しぶしぶ立ち上がった。瓶を乱暴に掴んではいないものの、明らかに未練の残る動きでサイドボードの扉を開け、酒瓶を木箱に戻し、中へ押し込むようにしまう。軽い音を立てて扉が閉まると、彼は小さく舌打ちした。
「こらっ。舌打ちしない」
「……はいはい」
「はい、は一回」
「はーい」
 ふてくされたルクレールの声に、リシャール殿下が苦笑する。

「以前も俺、言いましたけど……」
 控えめな声がして振り向くと、ジュールが信じられないものを見るような目で俺を見ていた。
「ヴァロアさんを手玉に取る人を見るのは初めてです。指揮官でもここまでは……」
「だから、取ってませんって」
 そのとき、ルクレールがぼそりと小さく呟いた。
「くそっ……。……まあ、今夜のはさっきのでいいや……」
 俺はため息まじりに、彼の後頭部を軽く小突く。
「おい、殴るぞ。聞こえてるからな」
「いや、もう殴ってんじゃねーかっ」
「素晴らしい……。息ぴったり、阿吽の呼吸です」
 ジュールが感心しきった声を漏らした。

 その瞬間、背中に鋭い視線が突き刺さる。
 振り返ると、アルチュールが眉間に深いしわを寄せてこちらを睨んでいた。どこか、犬カフェから帰宅したときに見せる、自宅の犬のあの“嫉妬混じりな不満顔”を彷彿とさせる。

 ――これはあとで、うちのワンコの機嫌取りが必要なパターンだな……。

 元の席に戻ると、正面のナタンが興味津々の目で俺を見つめてきた。
「セレスさま、いま何をしたんですか?」
「ないしょ」
 俺は軽く笑って流すと、ナタンの顔が朱に染まった。
「……どうした、ナタン?」
「セレスさま……先日の聖フロリアンの休み明けから、色気度数が限界突破しています。歩くフェロモン、と言いますか……美と色気が合体し、暴力レベルになっていて、生ける媚薬……存在そのものが催淫魔法というか……同じ空気を吸っているだけでくらくらします……」
 その横でリシャール殿下が、まるで首だけ高速で縦に揺れる置き物の張子の虎みたいに、うんうんうん、と力強く頷いている。

 なんなんだよ、それ。

 思わず心の中で突っ込む俺のすぐ隣で、アルチュールが、ふっ、と息が触れるほど小さな声を落とした。
「……閉じ込めておきたくなる」

 耳に届いたのか、届かなかったのか——そんな曖昧さでギリギリに揺れる囁きだった。
 だが意味だけは、やけにくっきりと胸の奥に刺さる。
 俺は、聞かなかったことにした。いや、ぜったいに聞かなかったことにした。

 深く呼吸して気持ちを切り替える。
「……それはそうと、ナタン。ちょっと見てほしいものがあるんだ」
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