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136話 帰還 -26-
トキヤは、ゆっくりと車椅子の肘掛けに手を置き、立ち上がろうとしていた。
「……立てる……のか?」
ふらつきながらも、確かに両足で床を踏みしめている。
そのとき、画面の端から、一人の若い男が現れた。
トキヤの身体を、自然な仕草で支える。
その顔を見た瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
「……山本、悠真……」
一緒に剣道をやっていた、幼馴染。
トキヤ――いや、セレスタンが、悠真を見上げて微かに笑う。
それは俺なのに、俺自身が見たことのない柔らかい表情だった。
『彼は、医学生だそうだ』シオンの声が、重なる。『この病院で、再会した』
悠真は、慎重にセレスタンを支えながら、何かを話している。
言葉は聞こえない。
だが、空気は、穏やかだった。
俺は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
「入れ替わっていたのか……」
ネージュの声が、胸の奥に落ちる。
何も知らないまま、現代日本に放り出されたセレスタン。
異世界の記憶だけを抱えて、常識も、立場も分からない世界に――。
俺にはまだ、小説で読んでいた知識があった。
しかし、彼は……、
どれほど、怖かっただろう。
どれほど、心細かっただろう。
ふらつく身体を支え、歩幅を合わせる悠真の姿を見て、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……セレス……」
ネージュに名を呼ばれて、初めて気づく。頬を、温かいものが伝っていることに。
俺は、生きていた。そして、セレスタンも、生きている。
場所は違えど、それぞれの世界で。
しばらく、言葉が出て来なかった。
淡い白の空間に浮かぶ映像は、静かに進み続けている。
トキヤ――いや、セレスタンは、悠真に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。
一歩。
また一歩。
決して安定した足取りではない。それでも、確実に前へ進んでいる。
「……もう」
俺は、喉の奥から言葉を引きずり出すように、口を開いた。
「もう……俺たちは、入れ替わることはないのか?」
答えは、なんとなく分かっている。
白銀の影が、わずかに揺れる。
『ああ』
やがて、静かな声が返ってくる。
『既に、お前たちはそれぞれの身体に、深く定着している』
胸の奥が、きしむ。
『過去の相手の記憶と混ざり合い、今のお前たちは――もはや、入れ替わった直後の存在ではない。境界を越えた瞬間のお前では、もうない』
淡々とした口調だった。慰めも、飾りもない。
『ゆえに、戻ることはできない』
「……そうか」
短く答えた。
映像の中で、綾ちゃんが、ふと足を止める。
トキヤを見て、朗らかに笑った。
その笑顔を見た瞬間――胸の奥に、ひっかかっていたものが、すっとほどけた。
俺が最後に見た、あの顔。絶望と恐怖に歪んだ、妹の表情。
それは、もう、ここにはない。
代わりにあるのは、未来を信じようとする、彼女の静かな強さだった。
「……良かった……」
『お前が知りたかったのは、これだろう。セレスタンの現状、いや、それよりももっと深い……セレスタンという一人の人間の人生が失われたのではないか。トキヤが奪ったのではないか。そういう問いだ』
胸を、射抜かれる。
『答えは、否だ。お前たちは、それぞれ生きている。冥界を渡ったお前には、“リュミエール”が授けられた。死の縁に触れ、それでもなお戻った者に与えられる、生の光だ。世界に定着するための、補強のようなものだと思えばいい。――そして、セレスタンもまた、冥界を渡り切った。その経験が、彼の魂に“強い生命力”を刻みつけた。死の縁に触れた魂は、脆くなることもあるが……逆に、粘り強くなることもある』
静かな声が、淡々と続く。
『彼、トキヤの身体は、峠を越え危篤状態から脱し、命は繋がった。お前が奪ったものは何もない。入れ替わったのではない。交差し、すれ違い、それぞれがそれぞれの場所で“生を続けている”』
白い空間が、ゆっくりと薄れていく。
病院の廊下も、トキヤの姿も、淡く溶けて消えていった。
残ったのは、冥界の境界と、白銀のフェンリルの影。
「……ありがとう。これは、確かに俺が知りたかったことだ」
シオンは、満足したように、ゆっくりと尾を揺らす。
『ならば、それでいい。問いを抱えたまま進むのは重い。答えが必要だっただけだ』
影が、少しだけ遠くなる。
『さて……行くぞ』
その声に、かすかな愉悦が滲む。
『この光る道を辿り――元の世界へ戻るとしよう』
一拍、間を置いて、彼は続ける。
『その前に、ノルデュミールの籠を、二人とも、ほんの一瞬でいい。開けてくれ』
俺とネージュは顔を見合わせ、同時にペンダントへ手を伸ばした。
『この氷の光線は、帰還のためにセレスが編んだ“道標”。籠の制御を外せば、瞬く間に辿れる。迷うことはない。扉の前に、すぐに辿り着く。あとは、元居た世界へ、戻るだけだ』
シオンが、こちらを振り返る。
『これからは、お前たちの物語だ』
光線が、足元で淡く輝きを増す。
扉へと続く、帰路。
「……立てる……のか?」
ふらつきながらも、確かに両足で床を踏みしめている。
そのとき、画面の端から、一人の若い男が現れた。
トキヤの身体を、自然な仕草で支える。
その顔を見た瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
「……山本、悠真……」
一緒に剣道をやっていた、幼馴染。
トキヤ――いや、セレスタンが、悠真を見上げて微かに笑う。
それは俺なのに、俺自身が見たことのない柔らかい表情だった。
『彼は、医学生だそうだ』シオンの声が、重なる。『この病院で、再会した』
悠真は、慎重にセレスタンを支えながら、何かを話している。
言葉は聞こえない。
だが、空気は、穏やかだった。
俺は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
「入れ替わっていたのか……」
ネージュの声が、胸の奥に落ちる。
何も知らないまま、現代日本に放り出されたセレスタン。
異世界の記憶だけを抱えて、常識も、立場も分からない世界に――。
俺にはまだ、小説で読んでいた知識があった。
しかし、彼は……、
どれほど、怖かっただろう。
どれほど、心細かっただろう。
ふらつく身体を支え、歩幅を合わせる悠真の姿を見て、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……セレス……」
ネージュに名を呼ばれて、初めて気づく。頬を、温かいものが伝っていることに。
俺は、生きていた。そして、セレスタンも、生きている。
場所は違えど、それぞれの世界で。
しばらく、言葉が出て来なかった。
淡い白の空間に浮かぶ映像は、静かに進み続けている。
トキヤ――いや、セレスタンは、悠真に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。
一歩。
また一歩。
決して安定した足取りではない。それでも、確実に前へ進んでいる。
「……もう」
俺は、喉の奥から言葉を引きずり出すように、口を開いた。
「もう……俺たちは、入れ替わることはないのか?」
答えは、なんとなく分かっている。
白銀の影が、わずかに揺れる。
『ああ』
やがて、静かな声が返ってくる。
『既に、お前たちはそれぞれの身体に、深く定着している』
胸の奥が、きしむ。
『過去の相手の記憶と混ざり合い、今のお前たちは――もはや、入れ替わった直後の存在ではない。境界を越えた瞬間のお前では、もうない』
淡々とした口調だった。慰めも、飾りもない。
『ゆえに、戻ることはできない』
「……そうか」
短く答えた。
映像の中で、綾ちゃんが、ふと足を止める。
トキヤを見て、朗らかに笑った。
その笑顔を見た瞬間――胸の奥に、ひっかかっていたものが、すっとほどけた。
俺が最後に見た、あの顔。絶望と恐怖に歪んだ、妹の表情。
それは、もう、ここにはない。
代わりにあるのは、未来を信じようとする、彼女の静かな強さだった。
「……良かった……」
『お前が知りたかったのは、これだろう。セレスタンの現状、いや、それよりももっと深い……セレスタンという一人の人間の人生が失われたのではないか。トキヤが奪ったのではないか。そういう問いだ』
胸を、射抜かれる。
『答えは、否だ。お前たちは、それぞれ生きている。冥界を渡ったお前には、“リュミエール”が授けられた。死の縁に触れ、それでもなお戻った者に与えられる、生の光だ。世界に定着するための、補強のようなものだと思えばいい。――そして、セレスタンもまた、冥界を渡り切った。その経験が、彼の魂に“強い生命力”を刻みつけた。死の縁に触れた魂は、脆くなることもあるが……逆に、粘り強くなることもある』
静かな声が、淡々と続く。
『彼、トキヤの身体は、峠を越え危篤状態から脱し、命は繋がった。お前が奪ったものは何もない。入れ替わったのではない。交差し、すれ違い、それぞれがそれぞれの場所で“生を続けている”』
白い空間が、ゆっくりと薄れていく。
病院の廊下も、トキヤの姿も、淡く溶けて消えていった。
残ったのは、冥界の境界と、白銀のフェンリルの影。
「……ありがとう。これは、確かに俺が知りたかったことだ」
シオンは、満足したように、ゆっくりと尾を揺らす。
『ならば、それでいい。問いを抱えたまま進むのは重い。答えが必要だっただけだ』
影が、少しだけ遠くなる。
『さて……行くぞ』
その声に、かすかな愉悦が滲む。
『この光る道を辿り――元の世界へ戻るとしよう』
一拍、間を置いて、彼は続ける。
『その前に、ノルデュミールの籠を、二人とも、ほんの一瞬でいい。開けてくれ』
俺とネージュは顔を見合わせ、同時にペンダントへ手を伸ばした。
『この氷の光線は、帰還のためにセレスが編んだ“道標”。籠の制御を外せば、瞬く間に辿れる。迷うことはない。扉の前に、すぐに辿り着く。あとは、元居た世界へ、戻るだけだ』
シオンが、こちらを振り返る。
『これからは、お前たちの物語だ』
光線が、足元で淡く輝きを増す。
扉へと続く、帰路。
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