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137話 帰還 -余談1-
༺ ༒ ༻
踏み出したはずの一歩に、浮遊感はなかった。
薄暗い。けれど、さっきまでの冥界の境界とは明らかに異なる。
次に意識がはっきりしたとき、俺は大木の洞の中、骨に触れた時の姿勢のままそこにいた。
湿った土の匂い。苔と樹皮の感触。
戻っている。
しかも、時間はほとんど経過していない。
「セレスっ!」
洞の入り口すぐ外から、聞き慣れた声が飛び込んでくる。
続いて、少し低い声。
「大丈夫か、セレス!」
中を覗くアルチュールとルクレールだ。
「ああ……、なにを心配しているのか知らないが、俺は大丈夫だ」
返事をしてから、ふと洞の奥へと視線を投げた。
何かがそこに……座っている。
白い、犬……?
サモエドより一回り大きく、マラミュートほどではない体躯。
厚い毛並みは雪のように銀白で、太い尾はゆったりと地面に流れている。
そして、そこにあったはずのものが、ない。肋に心臓を抱いていた、あの骨が、消えていた。
ということは――、
「……シオン?」
小さく呼ぶと、白い犬はゆっくりと、そして僅かに片方の耳を動かした。
その瞬間。冥界の扉をくぐる直前に、ネージュとの通信をオンにしておいた胸元の奇石から声が聞こえた。
《こちらネージュ。無事、帰還した。セレス、無事か?》
「俺も帰還した。無事だ。ネージュ、人型から戻れたか?」
『ああ。問題ねぇ。ちゃんとコルネイユに戻ってる。手には紫十手がある。セレスが無事で、ホッとした』
「俺は何ともない。ただ――、ちょっとややこしいから、またあとで詳細を連絡する」
『なんか気になるけど……、分かった。了解。じゃあ、俺は北町の隠密、虎屋の八五郎役に戻る』
「了解。じゃあ、また」
『ああ。フィネ』
「フィネ」
通信が、静かに切れる。
その直後だった。
洞の入り口から、一つの影が上半身を中にねじ込むようにして覗き込んで来た。
「おい、セレス! 本当に大丈夫か!? どうしてネージュと通信を……? 一瞬、ほんの一瞬だが、今さっき、中が光に包まれたんだ。本当になにもないのか?」
言いながら、アルチュールが俺のほうに手を伸ばしたまま――固まった。
彼の視線の先に。白い犬。
「……そいつは……なんだ? 骨は……、どこに行った?」
低く、警戒した声。
「おい、アルチュール、お前で中が見えない。何か、いるのか!?」
背後から、ルクレールの声が飛ぶ。
「とりあえず……外に出よう。ここは狭すぎる」
俺は苦笑して言った。
洞を出ると、待っていたと言わんばかりに、ダンサーが瞳孔をガン開きにしたまま足元に駆け寄ってきた。
「心配してくれたのか?」と聞くと、彼は、俺から視線を外すことなく羽根を小刻みに揺らし、くるりと舞う。
まるで、ヤのつく職業の人たちの事務所にチェーンソーを持って家宅捜索へ向かう大阪府警のベテラン刑事のような目つきだというのに、慣れというのは恐ろしいもので、「ああ、平常運転だな」と眉尻が下がってしまうあたり、俺の感覚もだいぶ毒されてきている。
そしてその直ぐそばに、ルクレールの使い魔オオカミのイオンデーラが、音もなく地にひれ伏している。同時に、アルチュールの使い魔であるオオカミ犬ノアールも、完全に地面に腹を付けた姿勢で頭を下げた。
ああ……、間違いない。まぎれもなくこの白い犬もどきは、高貴なお方らしい。
「――で、簡単に言うと……」俺は、シオンを指さしながらルクレールとアルチュールの二人に言った。「骨の本体、フェンリルさんです」
「……は?」
ルクレールが固まる。
アルチュールは、シオンと俺を見比べる。
「……冗談……じゃないのか? フェンリル? 物語りの中では、ヨトゥンに匹敵する大きさのオーディンを丸呑みにしたと言われている、あのフェンリル……だと?」
疑いたくなるのも当然だ。
伝説で語られる神獣の姿と比べれば、どう見ても釣り合わないサイズ。ほぼ犬。
終末の日にオーディンと相まみえたとしても、戦いというより、脛に噛みついて必死に存在を主張するぐらいが精いっぱいに見える。
だが、その疑念に答えるように。
「我が名は――イスファルド・ルーメン・エテルニタス・グラシエルム・アウロラシオン」
静かな声。
その場の空気を、一段、引き締めるには十分だった。
「……喋った……」
ルクレールが、呆然と呟く。
コルネイユが喋ることには慣れているが、他の動物が喋るのは、さすがに珍しい。ヴァルカリオンや第一研究塔の砦にいるグリフォンですら、あれほど人に慣れ人語を理解していながら、自ら言葉を発することはない。
「私は、高位の者だからな。人の言葉を操るなど、容易いこと」
「……本物……なのか?」アルチュールは、眉をひそめる。「小さすぎないか?」
シオンは、気にした様子もなく、淡々と告げた。
「龍脈の災害でな。魔力と、肉体の大半を持っていかれた。セレスに名を呼ばれたおかげで、これでも、だいぶ戻った方だ」
白い尾が、ゆるりと揺れる。
そういえば、確かに。
さっきまでここにあった骨の状態と比べれば、今の彼は明らかに大きい。
気のせい、というには無理がある。
「……まあ、色々あったんだけど……」一拍置いて、俺は続けた。「とりあえず、話は長くなる。聞く?」
その問いに、間を置かず返事が来る。
「勿論」とルクレールが即答し、「当然」とアルチュールが続いた。
俺は一度、息を整えてから、二人に向き直った。
踏み出したはずの一歩に、浮遊感はなかった。
薄暗い。けれど、さっきまでの冥界の境界とは明らかに異なる。
次に意識がはっきりしたとき、俺は大木の洞の中、骨に触れた時の姿勢のままそこにいた。
湿った土の匂い。苔と樹皮の感触。
戻っている。
しかも、時間はほとんど経過していない。
「セレスっ!」
洞の入り口すぐ外から、聞き慣れた声が飛び込んでくる。
続いて、少し低い声。
「大丈夫か、セレス!」
中を覗くアルチュールとルクレールだ。
「ああ……、なにを心配しているのか知らないが、俺は大丈夫だ」
返事をしてから、ふと洞の奥へと視線を投げた。
何かがそこに……座っている。
白い、犬……?
サモエドより一回り大きく、マラミュートほどではない体躯。
厚い毛並みは雪のように銀白で、太い尾はゆったりと地面に流れている。
そして、そこにあったはずのものが、ない。肋に心臓を抱いていた、あの骨が、消えていた。
ということは――、
「……シオン?」
小さく呼ぶと、白い犬はゆっくりと、そして僅かに片方の耳を動かした。
その瞬間。冥界の扉をくぐる直前に、ネージュとの通信をオンにしておいた胸元の奇石から声が聞こえた。
《こちらネージュ。無事、帰還した。セレス、無事か?》
「俺も帰還した。無事だ。ネージュ、人型から戻れたか?」
『ああ。問題ねぇ。ちゃんとコルネイユに戻ってる。手には紫十手がある。セレスが無事で、ホッとした』
「俺は何ともない。ただ――、ちょっとややこしいから、またあとで詳細を連絡する」
『なんか気になるけど……、分かった。了解。じゃあ、俺は北町の隠密、虎屋の八五郎役に戻る』
「了解。じゃあ、また」
『ああ。フィネ』
「フィネ」
通信が、静かに切れる。
その直後だった。
洞の入り口から、一つの影が上半身を中にねじ込むようにして覗き込んで来た。
「おい、セレス! 本当に大丈夫か!? どうしてネージュと通信を……? 一瞬、ほんの一瞬だが、今さっき、中が光に包まれたんだ。本当になにもないのか?」
言いながら、アルチュールが俺のほうに手を伸ばしたまま――固まった。
彼の視線の先に。白い犬。
「……そいつは……なんだ? 骨は……、どこに行った?」
低く、警戒した声。
「おい、アルチュール、お前で中が見えない。何か、いるのか!?」
背後から、ルクレールの声が飛ぶ。
「とりあえず……外に出よう。ここは狭すぎる」
俺は苦笑して言った。
洞を出ると、待っていたと言わんばかりに、ダンサーが瞳孔をガン開きにしたまま足元に駆け寄ってきた。
「心配してくれたのか?」と聞くと、彼は、俺から視線を外すことなく羽根を小刻みに揺らし、くるりと舞う。
まるで、ヤのつく職業の人たちの事務所にチェーンソーを持って家宅捜索へ向かう大阪府警のベテラン刑事のような目つきだというのに、慣れというのは恐ろしいもので、「ああ、平常運転だな」と眉尻が下がってしまうあたり、俺の感覚もだいぶ毒されてきている。
そしてその直ぐそばに、ルクレールの使い魔オオカミのイオンデーラが、音もなく地にひれ伏している。同時に、アルチュールの使い魔であるオオカミ犬ノアールも、完全に地面に腹を付けた姿勢で頭を下げた。
ああ……、間違いない。まぎれもなくこの白い犬もどきは、高貴なお方らしい。
「――で、簡単に言うと……」俺は、シオンを指さしながらルクレールとアルチュールの二人に言った。「骨の本体、フェンリルさんです」
「……は?」
ルクレールが固まる。
アルチュールは、シオンと俺を見比べる。
「……冗談……じゃないのか? フェンリル? 物語りの中では、ヨトゥンに匹敵する大きさのオーディンを丸呑みにしたと言われている、あのフェンリル……だと?」
疑いたくなるのも当然だ。
伝説で語られる神獣の姿と比べれば、どう見ても釣り合わないサイズ。ほぼ犬。
終末の日にオーディンと相まみえたとしても、戦いというより、脛に噛みついて必死に存在を主張するぐらいが精いっぱいに見える。
だが、その疑念に答えるように。
「我が名は――イスファルド・ルーメン・エテルニタス・グラシエルム・アウロラシオン」
静かな声。
その場の空気を、一段、引き締めるには十分だった。
「……喋った……」
ルクレールが、呆然と呟く。
コルネイユが喋ることには慣れているが、他の動物が喋るのは、さすがに珍しい。ヴァルカリオンや第一研究塔の砦にいるグリフォンですら、あれほど人に慣れ人語を理解していながら、自ら言葉を発することはない。
「私は、高位の者だからな。人の言葉を操るなど、容易いこと」
「……本物……なのか?」アルチュールは、眉をひそめる。「小さすぎないか?」
シオンは、気にした様子もなく、淡々と告げた。
「龍脈の災害でな。魔力と、肉体の大半を持っていかれた。セレスに名を呼ばれたおかげで、これでも、だいぶ戻った方だ」
白い尾が、ゆるりと揺れる。
そういえば、確かに。
さっきまでここにあった骨の状態と比べれば、今の彼は明らかに大きい。
気のせい、というには無理がある。
「……まあ、色々あったんだけど……」一拍置いて、俺は続けた。「とりあえず、話は長くなる。聞く?」
その問いに、間を置かず返事が来る。
「勿論」とルクレールが即答し、「当然」とアルチュールが続いた。
俺は一度、息を整えてから、二人に向き直った。
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