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第四章 闇の谷

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 獣がもう一頭、姿を見せた。さらに巨大な獣だった。
 獣はゆっくり顔を左右に振り、男たちを見ると、舌なめずりをした。獲物を見る目だ。どいつが一番うまそうだ。どれから食ってやろう。
 男たちがジリジリと後ずさりした。
 このままでは……みんな殺されてしまう。
 自分も何か……できることが……。
 パトは武器になりそうな物をさがしたが、何もなかった。
 二匹の獣が、洞窟の入り口に顔を向けた。「中に入れるな!」
 アズリが叫んだ。洞窟の中には、家族がいる。子どもが獣に食われてしまう。
 男たちは、獣の侵入を食い止めようと、入り口の前に並んだ。
 二匹の獣は、よだれを垂らし、男たちに近づいてきた。
 何か……何か……。
 パトは必死で考えた。
「そうだ……火は……」
 火はどうだろう。獣は火を恐れるはずだ。
 火だ……。
 パトは洞窟の中に走った。あそこに火があるはず。
 廊下につるされているカゴの中。心細く赤く光っている石炭があった。燃えかすのように心細いが、火には違いなかった。
 何か……燃える物は……。
 パトは自分の着ていた服を脱ぎ、切り裂いて、棒の先に巻き付けた。
 男たちの声と獣の唸り声が外から聞こえてきていた。悲鳴。怒号。獣に倒されている。
 急げ! みんな死んでしまう。
 パトはカゴを取り、中の石炭を出し、布に燃やそうとした。
 石炭に息を吹きかける。なかなか火はおこらない。
 早く、早く。パトは必死で息を吹きかけた。
 炎が出た。ようやく、石炭から赤い炎が出て、巻き付けた服が燃えだした。
 棒が赤く炎に包まれ、目が開けられないほど、まぶしく燃えだした。
「よし、これで」
 パトは、棒を握りしめ、出口に歩き出した。
 男たちの叫び声と獣の咆吼が聞こえていた。獣の唸り声が洞窟に響いてくる。
「グオー、グオー」
 雷のようだ。耳が痛くなる。
「逃げろ」
 入り口から、アギトの悲鳴のような声を上げたが、獣の咆吼にかき消された。
 獣がパトの前に現れた。一匹目の獣だ。パトは手に持った火を獣に向けた。火の向こうから獣の唸り声が聞こえてくる。獣の臭いが洞窟に満ちてくる。
 火は勢いよく燃えた。目を開けていられない。パトは左手で火の光をさえぎり、目を細めて、獣のようすをうかがった。
 獣は、火を見て止まった。パトは火を獣に向かって突き出した。獣が唸りながら、火を右の前足で払おうとした。獣の爪が炎に触れた。獣は、力ない声を上げ、後ろに下がった。パトは炎を獣の顔に向かって突き出した。 獣が後ずさっていく。唸り声が次第に力なく、小さくなっていった。
 とうとう、獣を洞窟から外に追い出した。
「おお。火か」
 オギトが、パトの火を見て、まぶしそうに目を細めた。
「みんな、火を」
 パトが叫んだ。
「分かった」
 オギトが、パトがしたように、自分の棒に服を巻き付け、パトに近づいた。パトがオギトの棒に火をつけた。
 男たちが、同じように火をつけていった。辺りが炎で目を開けていられなくなった。みんな、手で光をさえぎった。
 二匹の獣は、炎の光にまぶしそうに顔をそらした。
「ワー」
 男たちが一斉に叫んで、棒を獣に突き出した。獣は、炎の光に耐えきれず、苦しそうな鳴き声を出し、背を向けた。
「行け!」
 アズリが言った。
「ワー」
 男たちが獣に向かっていった。
 獣たちは、森に向かって逃げて行った。
 獣の声が次第に遠ざかっていく。
「ハア」
 パトは、獣が森に逃げて行くと、急に力がぬけ、立ってられなくなり、座り込んでしまった。
 手が震えていた。右手が硬く、手を開いて棒を離すことができなかった。足も小刻みに震えていた。息は荒く、汗が噴き出してきた。
「よくやった」
 オギトがパトの肩に手を置いた。
「お前のおかげだ。みんな助かった」
 見ると、他の男たちも、立っていられず、地面に座り込んでいた。地面に倒れているものもいる。獣の爪でやられたり、牙で噛まれたりして体から血を流していた。
「だいじょうぶか?」
「ああ」
「そっちはどうだ?」
「手当を頼む」
 オギトとアズリが仲間に声をかけていた。幸い、致命傷になるほどの傷を負った者はいないようだった。
「女たちは、どうした」
 アズリが言った。森の中で獣に襲われた人たちのことだ。女たちの叫び声が聞こえ、外に飛び出してきた。獣に襲われて、森で倒れた仲間がいるかもしれない。
 獣は、森に逃げていった。音は聞こえなくなった。しかし、まだ安心はできない。 
 アズリを先頭に男たち数人が、女たちを探しに、森の中に入って行った。
「気を付けろ、まだ獣がいるかもしれないぞ」
 オギトが言った。オギトは傷を負った仲間を助け起こしていた。
「オギト、来てくれ!」
 森からアズリの声が聞こえた。
 オギトがあわてて森に走って行った。パトも立ち上がり、森に向かった。
 キノコを採っていた場所に、女性たちが五六人かたまって立っていた。恐ろしさに、まだ震えが治まっていないようだったが、誰も大きなケガはしてなさそうだった。
「どうした」
 オギトが言うと、アズリが地面を指さした。
 地面に二人、倒れているのが見えた。男が女性を抱えていた。
「キノコを集めていたところに獣が来て、襲われたところにこの方たちが来て……」
 ナギラという女性がオギトに言った。
「すぐに、手当を頼む」
 女性を抱きかかえている男が言った。
「えっ?」 
 声に聞き覚えがあった。パトは女性たちの前に出て、声の主を見た。
「ヨヌ……」
 パトが言った。パトの声に男が顔を上げた。
「パト……どうして、お前が……」
 男はヨヌだった。そして、倒れているのはニキだった。
 ニキの体は血で染まり、目を閉じ、ぐったりしていた。
「手当を早く」
 ヨヌがもう一度言った。
「オレが」
 アズリが言って、ニキを抱きかかえた。
「気を付けてくれ。ひどい傷なんだ」
「わかった」
 アズリが両手でニキを抱えていった。
「立てるか」
 オギトがヨヌに言った。
「ああ」
 ヨヌは立ち上がろうとして、膝をついた。足をケガしていて、ヨヌは自分で体を支えられなかった。
「つかまれ」
「すまん」
 ヨヌはオギトの肩を借りて立ち上がった。
「お前も手当をしないとな」
「オレはそれほどひどくない。それよりも、ニキが、あいつは獣の牙で……」
「ああ、分かった。心配するな。早く、森を出よう。また獣がくるかもしれない」
「ああ」
 ヨヌは答えたが、歩けそうになかった。
「背中に乗れ。オレがおぶって行こう」
「すまない」
 オギトがヨヌを背にのせ、歩き出した。
 ヨヌは目をつぶった。ヨヌも気を失ったように見えた。
 二人の後を残った谷の人たちが付いて行った。
 パトは周りを見回した。
 ヨヌとニキがいた。ジーは? ソウザは?一緒じゃないのか……。
 パトは森の奥に目をやった。耳をすます。誰か残っていないのか、後から来る者はいないのか?。
 気配は感じられなかった。見えるのは木だけ、聞こえるのは風の音だけだった。
 ジーはどこに行ってしまったのか?
 パトは何度も後ろを振り返りながら、森を出て行った。
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