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第四章 闇の谷

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 部屋には、シオンだけが残っていた。
 エレンは壺を持ち、薬を作るために急いで戻って行った。母のエレナが、煎じ薬の作り方をエレンと話し合っていた。大変な状況なのだが、二人の声には弾むような張りがあった。
 ラビとクオンは、しばらく懐かしそうにアバディーンの部屋を見て周り、笑みを交えながら話していた。だが、部屋を出る時には、二人の顔から笑みは消えていた。
 シオンは一度、自分の部屋に戻り、ノートとペンを持って戻ってきた。シオンは棚に残されていた壺を一つ一つ手に取った。壺は十一個あった。エレンが持って壺を加えると、全部で十二個だった。
 シオンは一つ一つ、壺の表に書かれた文字をノートに写していった。壺の中身はどれもクスリのようだった。「解熱……」「解毒……」「腹痛……」「下痢……」。古い文字で読めない文字も多かった。読めても意味が分からない壺もある。シオンは、ノートに書いてから、部屋に戻り、しっかり調べるつもりだった。
 全ての壺を見終わり、シオンは顔を上げ、改めて部屋を見回した。棚の上には、壺の他にもいろいろ載っていた。小さな人の像。女性なのだろうが、不思議な服を着ていた。尖った小さな建物。家。見た事のない動物。森の獣だろうか。
 シオンはラビが見ていた箱を棚から取って、蓋を開いた。音が流れた。人がいなくなった部屋に、思ったよりも大きな音が響き、シオンはあわてて蓋を閉じた。また、静寂が部屋を包んだ。
「アバディーン……」
 シオンはセトの顔を思い浮かべた。セトの父親の顔は思い出せなかった。セトと最後に会ったのは、森の中だった。池の辺、その日、セトは思い詰めた表情で池の面を見つめていた。
 シオンは何も言えずに、セトと別れた。五年前の夏だった。
 次の日からセトの姿がアモンから消えていた。あの日、セトは何を考えていたのだろう。セトはここに来たことがあったのだろうか。
 アバディーンの屋敷が閉ざされたのは、セトの祖父の時だった。今から五十年以上前の話だ。
 壺の文字は書き終えた。シオンはノートを閉じ、部屋を見回した。不思議な場所だ。アバディーン家というのは、何をしてしたのだろう。選ばれた家系からアバディーンが外された理由をシオンは知らなかった。
 シオンはゆっくりと部屋の中を見ながら、出口に歩いて行った。アバディーンの執務室。机の上には、薄らと埃が積もっていた。本が数冊、机の上の小さな本立てに並んでいた。
 シオンは、立ち止まり、本を手に取った。古い本だ。黒い表紙だった。古い文字が書かれていた。
「聖……なる……書?」
 何だろう……神の物語だろうか……。
 シオンは本を開いた。中も古い文字で書かれていた。
「これは……」
 シオンはつぶやいた。そして、本を開いたまま、彫像のように動きを止めてしまった。
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