白い獣

福澤賢二郎

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嘘だろ

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《僕》
ゴングと同時に武司は殴りかかってきた。
左のジャブを喰らう。
‘’パン‘’と乾いた音が鳴った。
いてぇ。
鼻を打たれた。
思ったより速い。
(落ち着け)
ジャブを放つが、簡単にかわされ、相手が僕の右側に周りこむ。
視界から消えた。
同時に左脇腹から突き上げられる衝撃。
うっ、苦しい。
歯を食い縛る。
もう一発、衝撃が来る。
耐えられずにマウスピースを口から吐き出してしまった。
リングに屈みこむ。
息が出来ない。
もう駄目だ。
涙が出てくる。
(マウスピースを拾い、立ちなさい。命令だ)
「もう、無理。僕には力が無い」
(本当にそうかしら)
「そうだよ」
(まだ、紋だって刻んでいない。勝つつもりが無いの?)
紋?
そうだな。駄目もとで辞書にあった紋を自分の胸に手を当てて描く。
「回復」
次の瞬間、苦しさが無くなり、疲労も無くなった。
会長の声が聞こえる。
「勇人、やれるのか?」
僕はすっと立つ。
「もちろんです」
山村武司が僕を睨む。
「何度立っても同じなんだ。弱い奴は強い奴に膝まつくんだ」
そう言ってニヤリと笑い、突っ込んできた。
左のジャブで突進を止めようと放つ。
今度は避けずにそのまま、受けてラッシュしてくる。
両腕を上げてガードを固めて相手のパンチを防ぐ。
やけくそで右パンチを放つ。
たまたま、山村武司の右頬にヒット
相手が一旦、下がり距離をとる。
武司がニヤニヤしている。
「てめぇのパンチなんて効かないんだよ」
(なんだか、腹が立つな。アイツにもお前にも)
アシュリンが怒っている。
「そんなに怒るなよ」
(お前の、その態度に腹が立つ。自分の力がわかっていない)
「ごめん。僕は向いていないのかもな」
(違うだろ。私に意識を寄越せ。一分ぐらいはお前の体を支配出来る)
「どうやって」
(念じれば良い)
「わかった」
意識を譲る。

山村武司が不思議そうな顔をしている。
「何をぶつくさ言っているんだよ。気持ち悪いんだ。早くここを辞めろよ。お前を見てるとムカつくんだよ」
僕はステップを踏み始める。
正確にはアシュリンがそうさせているんだけど。
完全に体の自由をアシュリンに奪われた。
不思議だ。、物凄く体が軽く感じる。
「言いたい事はそれだけか?」
えっ、なんて事言うの。
やめろよ、アシュリン。
「な、なんだ? その言い方は」
「かかってこい。ヘボが」
「んだとぉ」
山村武司の眉の両端がつり上がる。
「ヘボと言ったんだ」
「お前だろうが」
吠えながら殴りかかってきた。
アシュリン、後どうすんだよ。
「見ておけ」
山村武司がパンチを繰り出してくる。
だが、軽々とサイドステップでかわして右へ回る。
山村武司は逃がさんとばかりに連続パンチを放つ。
だが、完全に見切っている。体を左右、前後とスエーして悠々と避ける。
凄いな、アシュリン。
「このぐらいは簡単だ。相手の肩の動き、足、視線を観察すればなんて事ない事だ」
僕には出来ないな。
「勘違いするな。お前の体があっての事だ。こんな事も出来る。見ておけ」
一瞬だった。
左ジャブをシュンって感じで放った。
見事に山村の顔面にヒット。
それも凄い威力で上半身をのけ反らせている。
そこに一歩、踏み込んで右ストレートを山村の脇に叩き込んだ。
あまりの威力で山村の体が宙に浮きあがる。
苦悶の表情だ。
目を見開き、口は開いてマウスピースと涎がこぼれかけている。
アシュリンはそれだけで終わらない。
右フックで山村の頭部を刈るように放つ。
首が捻れ、吹っ飛ぶ。
山村はリング上を勢いよく転がり、うつ伏せで止まる。
「さあ、立て!これからだろ」
何も反応しない。
会長が叫んでいる。
「おい、誰か、誰か山村を見てやれ」
数人が素早く駆けつけている。
大丈夫なのか?
アシュリンは冷静だった。
「当然だ。ヘッドギアもつけているし、加減もしてやった」
そうなのか?あの威力で?
「改めて思う。お前の体は素晴らしい」
あ、ありがとう。
「お前を誉めてる訳ではない。体を誉めている」
あっそう
「少し不完全燃焼だが、もうそろそろ時間だ。やはり一分ぐらいか」
体の権利が僕に戻ってきた。
僕は山村武司のところに駆け寄った。
意識が戻り始めていた。
「大丈夫?」
僕を見て怯えた表情をした。
「だ、大丈夫だからあっちへ行ってくれないか。いや、行ってください」
「あ、ああ」
僕は少し離れて様子を見る事とした。

そこにジャージをきた一人の若い女性がやってきた。
二十代の前半ぐらいか。
髪を後ろで縛り、色白でクルリと大きめの目をしている。
どこかで見た事がある。
「見ていたんやけど、凄いねぇ」
「あ、ありがとう」
「ん?忘れてしもうた?うちの事」
「えっ」
頭の中を、探しまくる誰だ?
あっ、僕をこのジムに入れた女の子だ。
同級生の金石凛だ。
「思い出した。凛ちゃんだ。凄く綺麗になってるから」
「もう、お世辞が上手になったんやね」
「ち、違うよ」
「ふふ、勇人は変わらんねぇ」
可愛い。
(勇人、こんなのが好みか? どうでも良いが、練習をしろ)
会長がやって来た。
「勇人、凄いな。正直、驚いたぞ」
「あれは僕の実力では無いです」
(そうだ、そうだ。まだ、まだ、練習をしなくてはならない)
「な、なにぃ、あれで本気ではないのか?」
「いやぁ~、そういう訳ではなくて」
「日本チャンピオンになれるぞ」
(倒すべき敵はライク.バッキャオンだ。日本チャンピオンが目標では無い)
「な、なに? ライク.バッキャオンだって? 世界チャンピオンだぞ?」
「いや、俺はそこまで言っていないが」
「あっ、ごめんなさい。こっちの話です」
「こっち?まあ、良い。慌てずに一歩ずつ行こう」
会長は笑顔だった。
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