帰れない街

浅野純平

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帰れない街

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冷たい風がニューヨークの街角を吹き抜ける。心まで凍りつきそうなその感触の中で、通りを行き交う人々の顔には、何かしらの影が落ちているように見えた。摩天楼が無機質に空を切り裂き、その隙間を埋めるように響く音楽や光の断片たちは、都市の温もりのようでありながら、どこか虚ろで掴みどころがない。路地の奥から立ち上る蒸気が、過去の記憶をほんの一瞬かすめ、次の瞬間には跡形もなく消えていく。

その街で彼女、ケイと再会したのは偶然だったのだろうか。それとも必然だったのか。ニューヨークで生きるトランスジェンダーの美容師である彼女は、どこか異世界から舞い降りたような存在感を放っていた。その瞳に宿る深い光は、彼女が選び抜いた人生の孤独と、そこに秘められたしなやかな強さを語っているかのようだった。彼女の部屋を訪れたとき、壁にかかった写真や飾られた装飾品の一つひとつが、彼女の生きてきた道のりを物語り、そこに流れる静謐な時間に吸い込まれる思いがした。

「今夜、連れて行きたい場所があるの。」

その声が届いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。それは、日常の喧騒に覆い隠されていた感覚が突如として目を覚ましたような瞬間だった。彼女の黒いドレスが夕闇に溶け込むように、私たちは無言で歩き、やがてダウンタウンのクラブへと足を踏み入れた。重厚な扉が開かれると、身体を包み込むような熱気と音楽の波が押し寄せ、ケイは何の迷いもなくその波に身を任せて踊り出した。彼女の姿は、自由そのものだった。私もまた、いつの間にか心を解き放ち、その夜のニューヨークに溶け込んでいった。

翌朝、ケイと訪れたのは、小さなギャラリーだった。地下鉄の雑踏を抜けた先で、冬のニューヨークを写し取った一枚の写真が私の目を釘付けにした。その中に佇む孤独な人物の姿が、なぜか自分自身を映し出しているように思えた。胸が締めつけられるような感覚が、その場から私を動けなくさせた。

「ニューヨークは、帰りたいと思ったときに帰れる場所よ。」

かつてケイが語ったその言葉は、今や私の心に虚しく響くだけだった。彼女のいない街を歩きながら、その意味を繰り返し問い直す。ケイは今、どこで何をしているのだろうか。その答えは見つからないまま、街の至るところに彼女の面影を感じずにはいられない。

街角で立ち止まり、冷たい空気を深く吸い込む。白く立ち上る蒸気の中に、ケイの気配が薄く漂うような気がした。その存在が完全に消え去らない限り、この街には何度でも戻ってこられる気がする。しかし、帰るべき場所が一つ失われた今、その言葉は空しく、胸をひどく打つばかりだった。それは、掴もうとするほどに指の隙間から零れ落ち、冷たい風とともに遠くへ消えていく――そんな感覚だけが、確かに残された。


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