潜魔窟物語

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第一章『潜魔窟に挑む者たち』

第一話『悩める戦士』

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 海鳥の鳴き声が聞こえる。

 ヤタガ王国を出港した交易船「キャルセ号」が3週間ほどの航海を経て陸地に近づいたことを意味する鳴き声に、船乗りたちから歓声が上がった。

 海と船を愛する船乗りとて、久しぶりの陸地は嬉しいものなのだ。

 次第に陸地が見えてきて船乗りや乗客たちは一層活気づいたが、そのなかで兵装に身を包んだ1人の男だけが暗い表情を浮かべていた。

 男の名はナシャ・オスロ。
 ヤタガ王国の歩兵師団に属し、王国の南方からの蛮族の侵攻に対する防衛戦において大きな功績を挙げた実績によって、25歳という若さで第2師団長に任じられた経歴がある。
 現在は34歳。若い頃に比べ容貌には壮観さが増し、鎧の隙間から垣間見える張り詰めた筋肉は肉体のピークに達していることが伺えた。
 腰にぶら下げている武器は歩兵師団の兵士にしては珍しく剣ではなくメイスである。
 メイスを選んでいるのは、防御を掻い潜って攻撃する剣より、防御ごと粉砕するメイスの攻撃のほうがナシャの感性に合っているからだ。
 鋼鉄製のメイスはナシャとともにいくつもの激戦を潜り抜けていることを示すかのように鈍い光をたたえている。

 ナシャは、未だに侵攻のおそれがある南方蛮族からの王国の防衛という重要な任務を離れ、交易船に乗らなければならなくなった事情に納得がいっていなかった。
 王国の防衛においてナシャは重要な存在であるが、王国軍には優秀な将兵が多くナシャがいなければならないわけではないことは、ナシャ自身理解できている。
 それでも直接防衛に参加できないことのほうがナシャは不安に駆られてしまう。

 ナシャには、交易船の行き先であるノーイス島にある潜魔窟から、2年後に成人を迎える王太子が持つに相応しい魔力を帯びた剣を持ち帰る任務が与えられていた。
 王国の権威の象徴として、力を示す必要があることは、王国に忠誠を誓う兵士としてナシャにも理解できる。
 だが、それが王国の防衛より優先されるべきとはナシャには思えなかった。

 ナシャに対する国王の勅命であったからナシャは従うしかなかったが、本音では最近力を増しつつある蛮族の脅威に備えたかった。
 王国の権威を示したくても蛮族によって王国が蹂躙されては元も子もないのだ。

 そういった思いがナシャの気持ちに不安を与えていて、心地よい潮風にも海鳥の鳴き声にも、久しぶりの上陸であっても気持ちを浮つかせることがなかった。


 懊悩するナシャを乗せ、追い風を受けた交易船は順調に航海を続け、やがて交易船の眼前にはノーイス島の港が広がってきた。

 帆を畳み、屈強な船乗りたちが一斉にオールを船外に出して掛け声とともに船を漕ぎ出した。
 ゆっくりと、ゆっくりと船は港内に進み、岸壁に近付いたところで錨が降ろされ、ガラガラガラと大きな音を立てて錨が海中に没していく。

 やがて船を岸壁に係留するための太い綱が岸壁に渡され、キャルセ号は長い船旅を終えた。

 交易船の到着に港は沸き立ち、物資の搬送やら久しぶりに航海を終えた恋人を迎える女性やらが慌ただしく船を出入りしていた。

 そんななかをナシャはナップサックを肩にかけスルスルとすり抜けて船を降りた。
 長く船に揺られていたせいで、上陸するとかえってフラフラする陸酔いという感覚に襲われたので頭を左右に振った。

 しっかりとした足取りを取り戻したナシャは、岸壁にほど近い交易所に立ち寄った。
 入口に立つナシャを見て、カウンターに座るでっぷりとした男が愛想良い笑顔を顔に貼り付けて話しかけてきた。

「兵士さん、何か用かい?」
「私はヤタガ王国歩兵第2師団長のナシャと申す。王国からの早文は届いているか?」
 早文というのは、交易船よりも小さいものの交易船の半分の期間でヤタガ王国とノーイス島を結ぶ船を利用した郵便事業である。
 ナシャの口ぶりは、王国兵士という肩書に相応しいやや尊大なものだったが、男は気にした風もなく、手紙の束をガサガサと探り出した。
 やがて男はヤタガ王国の公印が付された蝋封のある封書を手渡してきた。

 男に礼を告げ交易所を出たナシャは、護身用のナイフで封を破り、手紙の内容を確認した。
 そこには、蛮族の侵攻により2週間前に首都が陥落したこと、国王と王妃が所在不明であること、現在は国王の代わりに王太子が敗走兵をまとめ指揮していること、ナシャは引き続き現在の任務を遂行すること、が書かれていた。

 手紙を読んだナシャは慌てて交易所に向かい、カウンターの男にヤタガ王国行きの交易船に至急乗船したい旨を伝えたが、交易所でもヤタガ王国首都陥落の報は受けていたようで、交易船の運航は取り止めにしたとナシャに返した。

 なおも食い下がろうとするナシャだったが、その様子を見ていた交易船船長から「お前さんが国を守りたいように俺も乗組員を守りてぇ。なもんで、船は出さねぇ」と言われてしまい、引き下がるしかなかった。

 仕方なく、任務を遂行すべく潜魔窟があるウェスセスという街まで向かう乗り合い馬車に乗ることに決めたナシャだったが、祖国の一大事を前に呑気に武器探しをする意味をどうしても見出だせず、馬車に乗った瞬間、頭を抱えこんでしまった。
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