狼オメガは愛しいアルファに溺れたい

犬白グミ

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1巻

1-1




   プロローグ


 目を閉じてもまぶたの裏に浮かぶのは、その姿だけ。
 彼の指が、俺の首に巻いたネックガードにそっと触れる。

「はじめて見たときから、目が離せなくなった。そばにいてほしい。愛してるんだ」

 その声。その顔。その温かい手。その眼差し。
 俺はゆっくりと告げる。

「俺が選ぶのは――だけだ。約束する。俺の帰る場所は――なんだろ。どこにいたって俺はその隣に帰るから」

 オメガのつがいはただひとりで、生涯かけて番となったアルファを愛し続ける。

「噛んでほしい」

 そう言って、俺はうなじを彼に向ける。
 すると彼は鷹揚おうように頷き、俺のうなじに唇を寄せた。彼の歯がうなじに当たる。
 俺に触れていいのは、ただひとりだけだ。
 どこを触られても、粟立つように気持ちがいいのは、ただひとりだけ。
 悶えて声が漏れるほど、身体が蕩けそうな快感に襲われた。
 背中にすがりつくように腕を回すと、柔らかくて甘い唇が落ちてくる。
 ずっとこのまま、そばにいてほしい。
 他の誰とも違う、俺が選んだアルファ。
 代わりなどいない。どうしようもないほどに、俺がその人物だけを望んだ。
 俺は必死に、俺だけのアルファに手を伸ばす。
 世界から音が消えた。
 荒い息だけが耳の奥に響いて、頬にしずくが落ちる。
 ようやく手に入れられた。もう手放すことなんてできない。

「俺は――が好き」

 ずっといつまでも、その瞳で俺だけを見続けてほしい。
 俺が愛したアルファの名は――。




   第一章 四人のアルファと狼オメガ


 珍しく王弟ルシャードの執務室に呼ばれた日だった。
 膨大な書類や書物を収めた大きな書棚が設置された広い室内を、アーチ窓から差し込む陽光が眩しいぐらいに照らしていた。
 重厚な黒檀の執務机の背後、背もたれの高い椅子に男が鷹揚おうように腰を下ろしている。黄金の人と評される麗しの王弟の獣の耳が、ぴくりと動くのを俺は眺めた。
 聖獣の王ディアークが統治するアンゼル王国は、獣人と人間という二種の種族が共存し、俺やルシャードは獣の耳と尻尾が生えた獣人だ。
 獣人と人間の間に隔たりはなく、獣人が人間を差別することもなければ、反対に差別されることもない。
 俺はどこにでもいる狼獣人だが、ルシャードは王家にしか現れない翼を持つ特別な『聖獣人せいじゅうじん』であった。
 そんな貴重な存在である聖獣人――俺の雇い主が、挨拶も抜きに告げた言葉は無情なものだった。

「――六年後、お前に番がいなければ、カスパーの護衛役をやめてもらう」

 カスパーとは俺が護衛をしている四歳になる男の子だ。王弟ルシャードの実のひとり息子であるにもかかわらず、訳あって一か月前から王族に加わって王宮で豪華な生活を開始したばかりだ。

「はあ」

 俺は気の抜けた返事をするしかない。またか、と思いながら。
 この世界には男女の性別の他に、アルファとベータとオメガというバース性が存在し、十歳になるとすべての国民が血液によるバース検査を行い、自身のバース性を知ることになる。
 秀でた知力体力に恵まれたアルファ、凡庸で一番数の多いベータ、希少なオメガ。三か月周期で発情期が来るオメガは、媚薬のようなフェロモンでアルファを誘惑する厄介な体質で、男でも直腸の奥に子宮があり、出産が可能だ。
 俺は、そんなオメガだ。
 男オメガであることが判明してから、何度、失望したかわからない。だから、ルシャードの言葉を受けて思ったのだ。
 またオメガだからという理由で、諦めないといけないのかと。

「それが嫌なら、誰かと番になれ。カスパーが十歳になったとき、未熟なアルファの近くに発情するオメガがいることがどんなに危険かわかるだろ。間違いがあっては困る」

 番とは、アルファとオメガにのみ結ばれる契約で、オメガのうなじを噛む行為によって成立する。オメガは番になったアルファにだけ発情し、唯一無二の存在となるのだ。
 ルシャードの発言は正しく、十歳を過ぎた獣人はほどなく獣型に変化できるようになり、本能が目覚める。経験上、俺も知っている。
 俺が黙っていると、闇のような黒衣を着用したルシャードは無表情で続けて言った。

「幸い王宮にはアルファが多いことだし、六年もあればなんとかなるんじゃないか?」

 六年という期間が短いのか長いのかわからないけれども、三十年間生きてきて、未だに番どころか恋人もいない俺にとっては、たぶん短いんじゃないだろうか。アルファは優れた才能の持ち主や高貴な身分に多いため、出会う機会が少なかったからだとも言えなくはないが。
 ルシャードが返事を待つように口を閉じたため、俺は無駄な抵抗をしてみる。

「薬師のリサはアルファですが、ベータと結婚したため番はいません。俺がアルファ以外と結婚した場合、番になるのは不可能ですが、その場合はどうしますか?」

 オメガとベータが愛し合ってうなじを噛んだとしても、番にはなれない。
 するとルシャードが小さく息を吐いた。

「……狼はアルファが嫌いか?」
「好きでも嫌いでもないです。可能性の話をしてるだけです」
「それなら、アルファから選べばいい。あぁ適当に選ぶなよ。マイネが悲しむようなことはするな」
「はあ」

 俺の考えを読んだかのようにルシャードが忠告した。
 ルシャードのきさきである男オメガのマイネは俺と旧知の仲で、カスパーが産まれて間もない頃から知っていた。カスパーの護衛を俺に依頼したのもマイネだ。
 しかし、どうしたものかな。
 六年後、俺に番がいなければ、一番多感な時期のカスパーを誘惑するかもしれないと考えると、自分のオメガのフェロモンに嫌悪する。
 ルシャードに言われなくても、わかっているさ。

「話はそれだけだ。下がっていい」

 番であるマイネを愛でるときとは別人のような、傲慢で冷淡なルシャードだった。
 ルシャードが顔を机上に向けたところで、俺は退出するためにくるりときびすを返す。しかし扉を開けると同時に、再び呼び止められてしまった。
 ばつが悪そうにルシャードが口を開く。

「この話はカスパーとマイネには知られるな。よいな?」
「はい」

 俺は素直に頷いて執務室をあとにした。
 マイネが聞いたらどんな反応をするのか、ルシャードにはわかっているのだろう。怒るか悲しむか、どちらかだろうな。
 六年後か。俺に番がいる想像はできないけれども、このままカスパーの護衛を続けたい。
 誰でもいいかと思って、試しにルシャードで想像してみたら、ぞっとして虫唾が走った。誰でもいいわけじゃなさそうだ。
 番を作れと簡単に命じたルシャードは、当然アルファだった。
 俺はオメガにしては身長が高い。女のような容姿で、意志の強そうなくっきりとした目元や丸みを帯びた口元は美しい部類に入るらしい。陶器のような肌の下には日々の鍛錬によって引き締まった筋肉が隠され、男女問わず褒められる外見をしている。
 だからって、アルファのひとりやふたり、なんとかなるだろうって誤解されては困る。
 本当に困るのだ。未だかつて、番になるほど深く愛し合う関係になったアルファなどいないのだから。
 誰にも聞こえないほどの小さなため息をつきながら、青い絨毯が敷かれた廊下に足を踏み出す。
 執務室のある政務宮の廊下は非常に広く、小さめながらも中央にクリスタルのシャンデリアが吊るされるほど天井も高い。
 その廊下の向こうに秘書官ハンの姿があった。四十過ぎの四角い顔の人間で、十年以上もルシャードの公務を支えてきたベータの男だ。
 そのハンの隣にいる男と、目が合った。黒眼鏡をかけたオリーブ色の瞳を持った文官だ。
 政治を行う中枢である政務宮では、制服を見れば文官か武官か一目でわかるようになっている。制服の上着の丈の長さと色の違いで見分けがつくからだ。
 どちらの上着も緩やかで軽量な作りになっており、武官の制服は、ダークブルーで裾の長さが腰丈であるのに対して、文官の制服はダークグレーで裾の長さが膝丈だった。
 それから、その上着の上に裾がたっぷりとしたマントを羽織っている。耐久性もあって動きやすく、何より着心地がよかった。

「新しく入った護衛の方ですよね? はじめまして、宰相補佐官のレイ・キルヒアイスといいます」

 薄い唇の間から発せられる男の声は、耳あたりのよい低音でしっとりとしていた。
 見た目は三十歳前後だろうか。
 口角を上げて笑ったつもりのようだが、眼鏡の奥のオリーブ色の目は全然笑ってない。言葉も表情も優しげなのに、どことなく近寄りがたい印象だ。
 さらに知りたくもないのに、フェロモンでアルファだとわかってしまう。
 難関試験に合格した者のみに許される狭き門の政務宮文官は、地位のある役職であればあるほどアルファが多い。
 ――王宮にはアルファが多い。
 先ほどのルシャードの言葉が頭をよぎった。

「金ノ宮の護衛の任務をしております、ゲリンです。よろしくお願いします」

 俺が挨拶を返すと、レイは軽く会釈をした。

「ルシャード殿下のご子息と一緒にいるところを、何度かお見かけしたことがあります。以前からご挨拶できたらと思っていました」
「……そうでしたか」

 王宮で働くオメガは極端に少なく、文官にも武官にも存在しない。好奇な目で見られても仕方がないとはわかっていたが、まだ慣れない。
 レイにも悪気はなく、珍しいオメガに目を向けただけだろう。
 ハンが間に入って、言い添える。

「レイ様は補佐官と兼務で、マイネのきさき教育をしてもらうことになったんだ」
きさき教育ですか……」

 はじめて聞く言葉に、俺は首をひねった。

「マイネも王族の仲間入りだからね。徐々に公務をしてもらうことになるからさ」
「金ノ宮で教えるのですか?」

 王宮の奥には王族の住まいとなる宮がいくつか点在し、金ノ宮はその中のひとつだ。
 金ノ宮は王弟ルシャードが所有する宮で、政務宮とは渡り廊下で繋がった比較的近い位置にある。
 住み込みという形で雇用されている俺も、金ノ宮に自室を宛てがわれていた。

「そのつもりです。何かとゲリンさんともお会いする機会がありそうですね」

 俺はその言葉に頷いて応えながら、こっそりとレイを観察した。
 実直そうな奧二重の切れ長の目とすっきりとした鼻筋。文官らしくないしっかりとした身体と、物腰の柔らかさを備えている。
 硬そうな黒髪は、シンプルながらも落ち着いた雰囲気を引き立てて清潔感があった。
 番を探せと横柄に言ったルシャードが、マイネのきさき教育に選んだアルファか。それってルシャードのお墨付きってことだよな。
 俺の番としてもぴったりなんじゃないか、と勝手に考える。
 しかし、あのルシャードが番のいないアルファをマイネに近づけるとも思えない。すでに番がいるのかもしれない。オメガならうなじに歯形があれば番のいる証拠になるが、アルファにはそういった印はどこにもない。

「来週から金ノ宮に行きます。どうぞよろしく」

 レイはそう言うとハンに頭を下げ、「それでは失礼」と背中を向けて去っていった。
 姿勢のよい後ろ姿を見送りながら、俺は何気なくハンに訊いた。

「あの人、アルファですよね? 既婚者ですか?」
「違うよ。……あぁ、ルシャード殿下の許しが出たのが不思議?」
「はい」

 ルシャードはオメガの俺にすら敵意を向けるほど番に執着している。それなのに、番のいないアルファを、そばに置くなんてことがありえるだろうか。

「まぁね、殿下は既婚者の私にだって嫌な顔をするからね。レイ様は来月に結婚が決まってるし、マイネのためになりそうな能力の高さで選んだのだと思うよ」

 なんだ婚約しているのか。それほど落胆したわけではないけれども、ほんの少しだけ残念に思った。

「授業の間は部屋の中に侍従を控えさせて、ふたりきりにはならないようにするしね」
「そうですか。それにしても生真面目そうな人ですね」
「有能な方だよ。二年前に、まだ二十八歳の若さで宰相補佐官になられたんだから」
「それじゃあ、俺と同じ三十歳ですか」

 読みは正解だったようだ。
 その後ハンと別れ、渡り廊下を通って金ノ宮に戻る。
 庭師の手で綺麗に刈り込まれたヒイラギの葉が生い茂り、それは隙間なく金ノ宮の正面玄関まで続く。
 石造りの列柱アーチが特徴的な金ノ宮は、重厚でありながら柔らかい印象を覚える。開け放たれた豪華な両扉をくぐると、吹き抜けで広く明るい八角形のホールが目に飛び込んできた。
 涼しげな白い大理石の床は、いつも綺麗に磨かれ、自身の靴が汚れてないかと心配になるほどだった。
 その中央で、侍従長である兎獣人のジョイが、綺麗な姿勢で出迎えてくれた。

「あぁ、ゲリン、おかえりなさい。迷子にならなかったかい?」

 王宮に仕えるすべての侍従と侍女は、黒のベストと黒の下衣の制服を着用して、どこの宮に属しているのか白シャツの首元に巻かれたスカーフの色で区別されている。
 ルシャードの宮を示す金色のスカーフを巻いたジョイは俺の教育係で、当初から何かと世話になっていた。
 三十四歳のベータのジョイは、俺よりも若干背が低い。長い耳と短い尾の可愛らしい外見とは裏腹になかなか礼儀に厳しい男で、王弟妃に敬語を使わない俺にはじめは難色を示したものの、マイネが何か言ったのか、今では注意しなくなった。

「大丈夫です。戻りました」
「王宮の中は広いですから、慣れるまで大変かもしれません。カスパー様が迷子にならないように、できるだけ早く覚えてください」
「はい」
「カスパー様はマイネ様と一緒に、中庭で過ごされています」

 俺は教えられた中庭に向かった。
 タイル張りの正方形の中庭は、中央に人工の小川が流れていて、心地のよいせせらぎが聴こえる。
 カスパーとマイネは、卵のような曲線のとうの椅子に座っていた。
 ルシャードに似たカスパーが、頬を膨らませて楽しそうにお菓子をもぐもぐと食べる様子に癒される。自覚はなかったが、ルシャードとの会話に緊張してストレスを感じていたようだ。
 マイネが「おかえり」と俺に顔を向けた。カスパーの父親でルシャードの伴侶であるマイネは、癖のある鳶色の巻き髪と菫色の瞳をした男オメガの人間だ。瞳と同じ菫色のブラウスがよく似合っていた。

「どこ、いってたの?」

 頬を膨らませていた菓子を飲み込んだカスパーが口を開く。
 輝く金色の髪と瞳に、表情豊かな愛くるしさをそれぞれの親から受け継いだ、末恐ろしい獣人。四歳のカスパーは、まだ獣の耳と尻尾があるだけで獣型に変化はできないが、紛れもなく王族だけに出現する聖獣人だ。
 聖獣の耳は、幅広い三角形で先端の毛が少し長いという特徴がある。
 俺の耳が細長い三角形で尖って上向いているのにくらべると、カスパーの左右の耳はわずかに離れていて、先端が斜め上を向いていた。
 膝の上にふさふさの尻尾を乗せたカスパーは、くつろいでいるようにゆらりと揺らす。カスパーと俺の尾は比較的長く、長毛で覆われている。
 あと六年もすれば、王族の血を受け継ぐカスパーは聖獣の獣型に変化できるようになり、背中には特別な翼が生えるのだ。

「ルシャード殿下の執務室に行ってた」
「なんの話だった?」

 マイネに訊かれて内心焦ったが、悟られないように、空いている椅子に腰を下ろす。

「今後について……あ、マイネのきさき教育を担当する人に会った。来週から来るらしいな」
「うん。きさき教育がはじまる。事務官をしてたから、王族の行事に関しては知ってるつもりなんだけど、王弟妃の義務とかはわからないからさ」

 聞いた話によると、五年前、マイネはルシャードの事務官として王宮で働いていたらしい。
 本来ならばオメガのマイネは事務官になれないが、オメガであることを隠してベータと偽っていたそうだ。

「マイネは事務官をしてたとき、一度もオメガだと疑われなかったのか?」

 誰が見ても、マイネの容姿はオメガらしく、華奢で中性的なはずだ。
 よく騙せたなと感心していると、マイネは自嘲気味に笑った。

「疑われなかったよ。俺なんかどう見てもベータだろ」

 どうも発情期がなかった頃のマイネは、今よりも平凡で、どこにでもいるベータのような外見だったらしい。
 カスパーを出産したことによってオメガらしい容姿に変貌し、さらにルシャードに愛されるようになったことで美しくなった。

「ルシャード様だけは、すぐに俺がオメガだってわかってたみたいだけどな」

 そう言ったマイネは、幸せそうに首を触った。
 癖のある巻き髪のマイネのうなじには、歯形の痕が浮かんでいる。
 それはルシャードとの番の証だった。


    ‡‡‡


 狼獣人の俺は幼い頃に親に捨てられ、親の記憶はない。俺の記憶は王都にある孤児院からはじまっている。
 ルシャードの叔父が支援する孤児院で、三十人ほどの子供たちと一緒に暮らして成長した。
 剣技を教えてくれたのは、視察に来た王弟と王弟妃を護衛する近衛このえ騎士たちだ。
 俺は、目に見えてめきめきと腕を上げた。
 将来騎士団に入隊しろ、と盛んに言われたが、十歳のバース検査でオメガだとわかると、騎士たちは揃って口を噤んだのをよく覚えている。

「なぜ俺が!」

 悔しかった。
 何度も何度も己を罵倒した。
 それでも腐らずに鍛錬はやめなかった。
 オメガの身体は筋肉がつきにくく、どうしても力で圧倒されてしまう。だから、俺は俊敏な長所を活かした戦い方を覚えた。
 十六歳で忌々しい発情期が来ると孤児院にいられなくなり、王都でひとり暮らしをはじめたが、二十歳のときに諦めきれずに騎士団の試験を受けた。
 結果は一次試験で落ちた。当然の結果だ。
 ところが、なぜかアプト領主所属の護衛になれる推薦状をもらい受け、王都から遠く離れた北部に移り住むこととなる。
 そこで出会ったのが、のちにルシャードのきさきとなるマイネだ。
 マイネはアプト領主が経営するオメガ病院でカスパーを出産したばかりだった。その後、彼も領主に雇われることとなり、同じオメガである俺は進んで子育ての手助けをした。
 当時のマイネは事情があって、カスパーの父親であるルシャードから身を隠し、まだカスパーが王弟の子だとは誰も知らなかった。
 一方で、突如姿を消したマイネを懸命に捜し続けたルシャードの執念により、ふたりは四年半ぶりに再会を果たし番となった。
 ふたりは運命で惹かれ合ったオメガとアルファ。運命の番と呼ばれる魂の半身のような存在だ。
 そんなマイネとルシャードの関係に、俺は密かに憧れを抱いている。俺だけじゃなく、オメガならば誰でもそうだろう。
 それはオメガの本能なのかもしれない。
 運命の番とまでは言わないから、いつか深く愛し合う俺だけのアルファと番になりたい、と思ってしまうのは。

「番か……」

 カスパーの護衛として、九年ぶりにアプト領から王都に帰ってきた俺は、孤児院育ちには不似合いすぎる不慣れな王宮の贅沢暮らしをはじめたばかりだった。


    ‡‡‡


 金ノ宮の裏手には広い庭園があり、ヒイラギの生垣とともに鬱蒼とした木々に囲まれている。
 その目隠しの役割を担うブナの木の下で、カスパーは白いブラウスが汚れることなどおかまいなしに、地面に転がるドングリを夢中で拾い集めていた。
 王宮内で襲われる可能性は低いが、ゼロじゃない。どんなことがあっても対応できるように、俺はカスパーの傍らで見守った。
 ドングリを探しながら、裏手から徐々に移動する。政務宮に続く渡り廊下の近くまで来ると、正午の日差しから遮るものが何もなく、俺とカスパーの影が地面に映った。
 そのとき、こちらに向かってくる人影に気づく。ルシャードの弟のオティリオだ。
 微笑んでいるかのように目尻が下がった大きく丸い碧眼と、自然と口角が上がった愛嬌のある容姿は、ルシャードには劣るものの一般的には整っていると言えるだろう。
 肩上で切り揃えた柔らかそうな銀髪は、人間の特徴である小さな耳に片方だけかけていた。
 オティリオはマイネと同じ年齢だったはずだから、俺の二歳年下の二十八歳。金ノ宮とはかなり離れた場所にある銀ノ宮を所有しているが、国王の側近になってからは、政務宮での仕事の合間にふらっと金ノ宮に寄ることが増えた。
 痩身な身体に文官の制服を身につけた彼は、俺を見つけるなり、ぐんぐん歩みを速め、勢いよく俺の手首を掴んだ。

「ゲリン! お前、発情期じゃないのか? 匂いが漏れてるじゃないか!」

 オティリオは同じ王弟であるルシャードとは違い、身分差を感じさせず、誰にでも図々しくて距離感が近い。

「朝、抑制剤を飲んだので、問題ないはずですが」

 俺は素っ気なく答えた。
 今日、目覚めると同時に、三か月に一度の発情期の予兆があり、舌打ちしながら抑制剤を服用したばかりだ。前職が保護病棟もあるオメガ病院だったからか、発情期だから仕事を休むという発想はない。
 オメガにとって職場が一番安全な場所だったし、抑制剤が効きやすい体質のため、発情期でも少し身体が熱いぐらいで不自由がなかったからでもある。

「抑制剤を飲んだからって、アルファにはオメガの甘い匂いがわかるんだよ。覚えておけ。むやみに、僕に近寄るな」

 近寄って手首を掴んだのは、お前だろうが。俺は深いため息をついた。

「大丈夫です。オティリオ殿下なら、襲われても倒す自信がありますから」

 手のひらを剥がし、ぞんざいに放ると、彼は心外だとばかりに口を尖らせた。

「ゲリンに敵わないのは認めてやってもいいけど、そもそも僕がお前を襲うことはないからな」
「じゃあ、いいじゃないですか」
「そういう問題じゃないんだよ。お前がいたアプト領とは違って、王宮にはアルファがうじゃうじゃいるんだからな。今日は金ノ宮から出るな。僕が送ってやる。カスパー、帰るよ」

 オティリオは、オメガよりもベータが好きという、アルファらしくないアルファだ。
 婚約者を決めずに節操のないときもあったらしいが、片想いをこじらせてからは遊び回ることもなくなった、と聞いてもいないのに本人から教えられた。
 その片想いの相手が兄のきさきとなったマイネだということも知っている。今でも好きなのかは知らないが。
 カスパーの濃紺のタータンチェックの半ズボンは、左右のポケットに小さなドングリが詰め込まれていびつに膨れ上がっていた。カスパーはまだ地面に目を向けているが、どう考えても、もう入らないだろ。
 結局、カスパーはそれ以上ドングリを詰め込むのを諦めて、オティリオと手を繋いだ。
 俺は三歩後ろからふたりの会話を聞く。

「カスパーはドングリを拾ってたのか?」
「うん。いっぱい」

 尻尾を左右に振りながら歩くカスパーのポケットから、一粒どんぐりがこぼれ落ちた。

「政務宮の裏のほうに行くと、マツボックリも拾えるよ」
「それも、ひろいたい」
「また今度、教えてあげる」
「いっしょに、サンドイッチ、たべる? おひる、おとうさん、つくってるの」

 カスパーが呼ぶお父さんとは、マイネのことだ。

「食べたいけど、僕の分はないんじゃないかな?」
「おとうさんの、サンドイッチ、おいしいよ」
「ルシャード兄上に怒られそうだし……」

 金ノ宮の正面玄関に着くと、オティリオは再び俺に向き直ってわざとらしく顔をしかめた。

「ゲリン、発情期が終わるまでは外に出るなよ。お前は外見だけはいいんだからね。わかったか?」
「問題ありません」
「はぁ? 問題あるって、素直にわかったと頷いとけよ」

 オティリオが呆れ返ったような声を上げた直後、マイネが奥の廊下から玄関ホールに現れた。

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