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第1部 覚醒
9 救国の英雄
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その夜、ダルゲンに駐留するヘルジェン兵は、最低限の見張りだけを残して休養を取っていた。それが本隊からの命令だったからだ。
あらゆる享楽に耽りながら、ブレア軍など歯牙にもかけず、次なる敵は帝国軍だと誰もが疑わなかった。
まして、たかが住民の手で血祭りにあげられるなど、誰が想像しただろうか。
ある者は四肢を切断された体を窓からぶら下げられ、またある者は体を押さえつけられた状態で、口の中に真っ赤な炭を押し込まれた。
結果、明け方までに城塞は市民の手に戻り、駐留していたヘルジェン兵は尻尾を巻いて逃げ出した。
遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。
「群れというのは恐ろしいもんだ。市民の代表たるあんたには身に染みるだろう?」
目の前に座って頬杖をついた男、ダルゲン商工組合頭取のイザークは、足をゆすりながら速いテンポで指でテーブルをトントン鳴らしている。
「ヘルジェンを追い出せても、私の金がどこにもないんだよ!どうしてくれるんだね!?」
ろくにケンカ経験もないくせに、ユリアンに続いて目を血走らせていた男である。強盗に押し入った時には分からなかったが、近くで見ると肌がかさつき、皮膚疾患に悩まされているようだ。落ち着きなくしょっちゅう腕や首を掻いている。
ったく、肌にも油塗っときなよ。
「気の毒だけど、持ち逃げされたわけだ」
「気の毒で済むか!あれはうちの組合費だけじゃない!あれが無ければダルゲンの財政は立ち行かなくなるんだぞ!?」
おっと、私物じゃないことは思い出したみたいだな。けどあんた、一体いくらピンハネしてる?
各組合が毎年申告する決算結果を取りまとめて、市と国を相手に税額交渉するのが頭取の役割である。イザークはビタ1W引かず、今回の妥結に至るまでは相当苦労したと、フェルディナントから知らされている。
「なあ、商売の話をしよう」
城塞の中では、次なる戦いに向け忙しく動き回るブレア兵士たちへ、焼き立てのパンやヤギの乳が振舞われている。いや、商魂たくましいダルゲン市民たちは、たとえ勝利の喜びの渦中にあっても、タダで大盤振る舞いすることは無いようだ。
ヴェンツェルは片手を挙げ、寄って来た売り子からヤギの乳と、ブレンドされたナッツを購入した。頑丈な顎で噛み砕きながら、喉を鳴らして流し込む。
「なんだね、傭兵風情が」
と言いながら、商いと聞かされては無視はできず、イザークは指のトントンを止めた。
「見ての通り、これからヘルジェンとの戦が始まる。これまでにない規模で、歴史に残る戦いになるだろう。もちろん私たちも参戦するが、そこであんたの油の出番だ」
「?」
「あんたの油はよく燃えるんだろう?それをヘルジェン兵どもに、しこたま投げつけてやるんだよ」
残りのナッツをザザーッと口に流して、嬉々として語るヴェンツェルに、イザークは続きを促した。
「ただ火だるまを投げつけるだけじゃ芸が無い。私の考えてる武器は、まず樽の中に火薬と釘を入れて、樽にはたっぷり油を塗っておく。それに火を放って投下すると、ちょうど敵陣に転がり着いた頃に中の火薬に引火して爆発、釘が辺りに飛び散る算段だ」
言いながら握った両手の平をパッと広げると、その光景が目に浮かんだようで、イザークはぶるっと身震いした。
「これには転がっても樽を燃やし続けることができて、かつ一気には燃え上がらず安定した火力を保つ燃料が欠かせないのは分かるだろう。転がってる途中で火薬に引火させたんじゃ意味がないし、敵陣に近すぎるところから投下しても逆にやられちまう。だからあんたの油が必要なんだ」
「うちの油は高級品なんだぞ?そんなもったいない使い方があるか!」
「バカ言ってんじゃないよ!このままじゃ王都を奪われて、今度こそヘルジェンに占領されるんだぞ!?もちろんタダでとは言わない。私が買う」
「なんだと?お前が?」
貧乏傭兵などに私の油が買えるとでも思っているのかね。明らかな蔑視の目でイザークは唇を歪ませた。だが、
「私の雇い主はフェルディナント殿下だ。これが契約書」
王家の紋章をちらつかせられれば、目の色が変わるというものだ。
「傭兵風情の資金が潤沢なのは分かってもらえたな。まずはあんたの言い値を聞こう」
「うちの油は1A(重さの単位)7.2Wだ」
「高すぎだ!!貴族と同じ値段にする奴があるか!」
テーブルに手の平を打ち付けると、空になったコップが飛んでいく。
「う、うううちの油は高級だと言っただろう…!」
「あのな、これは歴史に残る戦いなんだ。そこにあんたの名前も刻まれるんだぞ?」
「かっっかか勝てばの話だろう」
「ほお、負けると思っているのか」
「そうではないが…」
力を持たぬ者が時として番狂わせを演じることを、イザークも身をもって体験したばかりである。
「3分の1で2.4Wだ。300A買う」
「ふ、ふ、ふざけるな!それじゃ倒産する!7Wだ!」
「みすみす救国の英雄になるチャンスを逃すつもりか?2.6Wだ」
「金が無きゃ家族と職人を養えないんだよ!」
「あんた、何のために金持ちになった?ヘルジェンに金を奪われて、もし今日命まで奪われてたら、あんたに何が残った?」
ヴェンツェルは腕の傷跡をさする。
「人間、死んで残るのは名誉だけだ。あんたは金で名誉が買えるところにいる。それは限られた、ほんの一握りの人間にしかできないことだ。そうだろう?」
ごくりと、イザークの喉が上下する。
「3Wだ。差額以上の名誉があんたの懐に入ると思えば、なんてことない」
「せ、せめて4Wに…」
「戦場で命張るのは私たちなんだ。それに、あんたのことは私が責任をもって殿下に話しておく」
5秒間、イザークは考えた。そして、
「…必ず果たせよ。3Wで手を打とう。300Aで900Wだ」
出された結論にヴェンツェルは握手を求めた。手を握ったそばからまたイザークは首を掻いている。
「約束しよう。金はすぐ持ってこさせる」
そしてユリアンを呼びつけると取りに行かせた。出所はもちろん、セバスチャンが守る組合費の袋である。
900Wは戻してやるのだから、この一家が路頭に迷うことはないはずだ。
ヴェンツェルは朝食をおごってやることにした。いや、これも元々は組合費なのだが。
イザークに全文は見せなかったが、契約書の最後にはこう書かれていた。
組合頭取を利用し暴動を煽れ。契約金は1000W。
ダルゲンを奪還した折には成功報酬として更に1000W。
ヘルジェン戦の勝利に貢献したならば、妃との契約の残金1万5千Wを支払う。
我、王太子フェルディナントは上記金額にて傭兵団長ヴェンツェルと契約す。
免状が欲しいなら、そなたこそ見せてみろ。
あの王太子は涼しい瞳で挑発してきたわけだ。
そりゃ、あんなこと言っちゃったし、私だけ高みの見物とはいかないよな。
ヴェンツェルは唇の端を上げた。
あらゆる享楽に耽りながら、ブレア軍など歯牙にもかけず、次なる敵は帝国軍だと誰もが疑わなかった。
まして、たかが住民の手で血祭りにあげられるなど、誰が想像しただろうか。
ある者は四肢を切断された体を窓からぶら下げられ、またある者は体を押さえつけられた状態で、口の中に真っ赤な炭を押し込まれた。
結果、明け方までに城塞は市民の手に戻り、駐留していたヘルジェン兵は尻尾を巻いて逃げ出した。
遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。
「群れというのは恐ろしいもんだ。市民の代表たるあんたには身に染みるだろう?」
目の前に座って頬杖をついた男、ダルゲン商工組合頭取のイザークは、足をゆすりながら速いテンポで指でテーブルをトントン鳴らしている。
「ヘルジェンを追い出せても、私の金がどこにもないんだよ!どうしてくれるんだね!?」
ろくにケンカ経験もないくせに、ユリアンに続いて目を血走らせていた男である。強盗に押し入った時には分からなかったが、近くで見ると肌がかさつき、皮膚疾患に悩まされているようだ。落ち着きなくしょっちゅう腕や首を掻いている。
ったく、肌にも油塗っときなよ。
「気の毒だけど、持ち逃げされたわけだ」
「気の毒で済むか!あれはうちの組合費だけじゃない!あれが無ければダルゲンの財政は立ち行かなくなるんだぞ!?」
おっと、私物じゃないことは思い出したみたいだな。けどあんた、一体いくらピンハネしてる?
各組合が毎年申告する決算結果を取りまとめて、市と国を相手に税額交渉するのが頭取の役割である。イザークはビタ1W引かず、今回の妥結に至るまでは相当苦労したと、フェルディナントから知らされている。
「なあ、商売の話をしよう」
城塞の中では、次なる戦いに向け忙しく動き回るブレア兵士たちへ、焼き立てのパンやヤギの乳が振舞われている。いや、商魂たくましいダルゲン市民たちは、たとえ勝利の喜びの渦中にあっても、タダで大盤振る舞いすることは無いようだ。
ヴェンツェルは片手を挙げ、寄って来た売り子からヤギの乳と、ブレンドされたナッツを購入した。頑丈な顎で噛み砕きながら、喉を鳴らして流し込む。
「なんだね、傭兵風情が」
と言いながら、商いと聞かされては無視はできず、イザークは指のトントンを止めた。
「見ての通り、これからヘルジェンとの戦が始まる。これまでにない規模で、歴史に残る戦いになるだろう。もちろん私たちも参戦するが、そこであんたの油の出番だ」
「?」
「あんたの油はよく燃えるんだろう?それをヘルジェン兵どもに、しこたま投げつけてやるんだよ」
残りのナッツをザザーッと口に流して、嬉々として語るヴェンツェルに、イザークは続きを促した。
「ただ火だるまを投げつけるだけじゃ芸が無い。私の考えてる武器は、まず樽の中に火薬と釘を入れて、樽にはたっぷり油を塗っておく。それに火を放って投下すると、ちょうど敵陣に転がり着いた頃に中の火薬に引火して爆発、釘が辺りに飛び散る算段だ」
言いながら握った両手の平をパッと広げると、その光景が目に浮かんだようで、イザークはぶるっと身震いした。
「これには転がっても樽を燃やし続けることができて、かつ一気には燃え上がらず安定した火力を保つ燃料が欠かせないのは分かるだろう。転がってる途中で火薬に引火させたんじゃ意味がないし、敵陣に近すぎるところから投下しても逆にやられちまう。だからあんたの油が必要なんだ」
「うちの油は高級品なんだぞ?そんなもったいない使い方があるか!」
「バカ言ってんじゃないよ!このままじゃ王都を奪われて、今度こそヘルジェンに占領されるんだぞ!?もちろんタダでとは言わない。私が買う」
「なんだと?お前が?」
貧乏傭兵などに私の油が買えるとでも思っているのかね。明らかな蔑視の目でイザークは唇を歪ませた。だが、
「私の雇い主はフェルディナント殿下だ。これが契約書」
王家の紋章をちらつかせられれば、目の色が変わるというものだ。
「傭兵風情の資金が潤沢なのは分かってもらえたな。まずはあんたの言い値を聞こう」
「うちの油は1A(重さの単位)7.2Wだ」
「高すぎだ!!貴族と同じ値段にする奴があるか!」
テーブルに手の平を打ち付けると、空になったコップが飛んでいく。
「う、うううちの油は高級だと言っただろう…!」
「あのな、これは歴史に残る戦いなんだ。そこにあんたの名前も刻まれるんだぞ?」
「かっっかか勝てばの話だろう」
「ほお、負けると思っているのか」
「そうではないが…」
力を持たぬ者が時として番狂わせを演じることを、イザークも身をもって体験したばかりである。
「3分の1で2.4Wだ。300A買う」
「ふ、ふ、ふざけるな!それじゃ倒産する!7Wだ!」
「みすみす救国の英雄になるチャンスを逃すつもりか?2.6Wだ」
「金が無きゃ家族と職人を養えないんだよ!」
「あんた、何のために金持ちになった?ヘルジェンに金を奪われて、もし今日命まで奪われてたら、あんたに何が残った?」
ヴェンツェルは腕の傷跡をさする。
「人間、死んで残るのは名誉だけだ。あんたは金で名誉が買えるところにいる。それは限られた、ほんの一握りの人間にしかできないことだ。そうだろう?」
ごくりと、イザークの喉が上下する。
「3Wだ。差額以上の名誉があんたの懐に入ると思えば、なんてことない」
「せ、せめて4Wに…」
「戦場で命張るのは私たちなんだ。それに、あんたのことは私が責任をもって殿下に話しておく」
5秒間、イザークは考えた。そして、
「…必ず果たせよ。3Wで手を打とう。300Aで900Wだ」
出された結論にヴェンツェルは握手を求めた。手を握ったそばからまたイザークは首を掻いている。
「約束しよう。金はすぐ持ってこさせる」
そしてユリアンを呼びつけると取りに行かせた。出所はもちろん、セバスチャンが守る組合費の袋である。
900Wは戻してやるのだから、この一家が路頭に迷うことはないはずだ。
ヴェンツェルは朝食をおごってやることにした。いや、これも元々は組合費なのだが。
イザークに全文は見せなかったが、契約書の最後にはこう書かれていた。
組合頭取を利用し暴動を煽れ。契約金は1000W。
ダルゲンを奪還した折には成功報酬として更に1000W。
ヘルジェン戦の勝利に貢献したならば、妃との契約の残金1万5千Wを支払う。
我、王太子フェルディナントは上記金額にて傭兵団長ヴェンツェルと契約す。
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