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序章◆物置小屋のタビト
馬車にてー1
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◆
君は何もかも間違えた。
言葉の意味が理解できず、頭の中を滑っていく。
ただ絶望的な響きに体を硬直させていると、占い師は気だるげに髪を掻き上げる。
「まあ、過ぎたことを言っても仕方がない。ろくに説明できなかった私にも非はあるし……そうだ君、起きられるのなら何か口に入れた方がいい。飲みなさい」
「え。ああ、はい……」
占い師が革の水袋を差し出し、タビトはのろのろと体を起こす。状況は一切分かっていなかったが、とりあえず水を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、断片的に記憶が蘇った。
――右腕に食い込む鉄の塊。骨が砕ける、バキバキというおぞましい音。あり得ない角度に捩れた手首……。
「あ、」
指先ががくんと震え、水袋を受け取り損ねてしまった。べしゃっ、という音と共に、床の上に透明な水が広がっていく。
そういえばあの時腕、折れたのに。元に戻ってる。
タビトの沈黙から何かを感じ取ったのか、占い師はさっきよりも穏やかな口調で言った。
「大丈夫だよ。傷は癒えてる。もう少し血の巡りがよくなれば、以前と同じように動くようになる」
そして何事もなかったように水袋を拾い上げると、今度は身を乗り出し、タビトの唇に直接水袋の口を付ける。
「ゆっくり、落ち着いて飲むんだ。急がなくていいから」
「は、……はい。……」
占い師は右手で水袋を支えて少しずつ傾け、左手をタビトの顎に添えて角度を調整する。口元にまっすぐに占い師の目線が注がれ、タビトは急に自分が何もできない赤ん坊になったような気がして恥ずかしくなった。されるがままになることが耐えられず、自分も水袋を支えようと手を伸ばす。その時ふたりの指が触れ、タビトは占い師が左手に硬いグローブを嵌めていることに気付いた。
黒に近い焦げ茶色の革製で、左の指先から肘の下までをすっぽりと覆っている。相当年季が入っているようで、使い込まれた革特有の艶と、細かい傷がたくさんあった。手首と肘の下のところに巻かれた太いベルトには鍵穴のようなものがあり、どこか秘密めいた雰囲気を放っている。まるで絶対に見られてはいけないものを、厳重に隠しているような。
「さて……」
タビトが水を飲み終えると、占い師は一仕事終えたかのように緩慢な動作で元の位置に戻る。彼が離れてしまうことがなんとなく寂しく、目だけで追いかけていると、目線に気付いたらしい占い師がにやりと笑った。
「なあに。何か言いたそうだね」
「えっ」
「ああ、もっと飲みたい? それか何か食べる?」
「い、いえ、あの、そうじゃなくて……」
否定しようとした刹那、ぐぎゅるるるる、と猪が鳴くような轟音が響いた。
数秒の沈黙。
……え? 何いまの。……オレの腹の音?
信じられない気持ちで自分の腹を眺めていると、「ふ」と息が漏れる音がした。
「……っふ、ふふ、」
占い師が口を押え、肩を震わせて笑っていた。かぁっとタビトの顔に血が上っていく。
「い、いや失礼、お腹がすくっていうのはいいことだよ。……っふ、この調子ならすぐ万全の状態に戻る。ふふ」
「そ、そんなに笑わなくても」
「ごめんね、今はこんなものしかないんだ。とりあえずこれで我慢してくれ」
占い師は気を取り直したように笑顔を引っ込めると、再びタビトの方に身を乗り出す。そして今度はタビトの隣に座り、干して薄く伸ばした芋を差し出した。
「どう? 食べられそうかな」
「は、はい。いただきます……」
また占い師に離れてほしくなくて、タビトはわざとゆっくり芋を頬張る。けれどこんな時間稼ぎ、彼にはばれてしまうかもしれない。なんといったって「占い師」なのだから。
そんなことを考えながらちらちらと隣を盗み見ていると、何度目かで目が合ってしまった。タビトはぎくりとしたが、占い師は薄く目を細める。
「色々と間違えてしまったけど、……君ならやっていけるだろう」
「……え?」
「うん、君の回復力に感心していた。元気そうだから今の状況を説明しておく」
「はぁ……」
タビトからすると何者かの襲撃を受けてから時が今に飛んでいるので、回復力と言われてもピンとこない。占い師が口を開く。
「今我々が乗っているのは聖検隊所属、王都行きの馬車だ。イーストキア村を出て今日で五日目、君が大怪我をしてからはまる一週間だね。それでこの後……あと五時間ほどかな。昼過ぎあたりに馬車は最後の宿場町に止まる。宿場町と言っても今回は昼食と王都に持ち帰る荷を積むだけだ。夜には王都に着くからね」
自分が今馬車に乗っていることは、タビトにもなんとなく分かっていた。幌と思われるクリーム色の布で三方が囲まれ、床の木材は硬く、何よりガタガタと小さな振動がずっと響いている。木箱が壁のように積んであるせいで御者台は見えないが、蹄の音と馬の嘶きも時折聞こえていた。
「それで……これなんだけど、」
占い師が木箱の影から大きな荷袋を引っ張り出す。ぱんぱんに膨れた麻のリュックだった。
君は何もかも間違えた。
言葉の意味が理解できず、頭の中を滑っていく。
ただ絶望的な響きに体を硬直させていると、占い師は気だるげに髪を掻き上げる。
「まあ、過ぎたことを言っても仕方がない。ろくに説明できなかった私にも非はあるし……そうだ君、起きられるのなら何か口に入れた方がいい。飲みなさい」
「え。ああ、はい……」
占い師が革の水袋を差し出し、タビトはのろのろと体を起こす。状況は一切分かっていなかったが、とりあえず水を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、断片的に記憶が蘇った。
――右腕に食い込む鉄の塊。骨が砕ける、バキバキというおぞましい音。あり得ない角度に捩れた手首……。
「あ、」
指先ががくんと震え、水袋を受け取り損ねてしまった。べしゃっ、という音と共に、床の上に透明な水が広がっていく。
そういえばあの時腕、折れたのに。元に戻ってる。
タビトの沈黙から何かを感じ取ったのか、占い師はさっきよりも穏やかな口調で言った。
「大丈夫だよ。傷は癒えてる。もう少し血の巡りがよくなれば、以前と同じように動くようになる」
そして何事もなかったように水袋を拾い上げると、今度は身を乗り出し、タビトの唇に直接水袋の口を付ける。
「ゆっくり、落ち着いて飲むんだ。急がなくていいから」
「は、……はい。……」
占い師は右手で水袋を支えて少しずつ傾け、左手をタビトの顎に添えて角度を調整する。口元にまっすぐに占い師の目線が注がれ、タビトは急に自分が何もできない赤ん坊になったような気がして恥ずかしくなった。されるがままになることが耐えられず、自分も水袋を支えようと手を伸ばす。その時ふたりの指が触れ、タビトは占い師が左手に硬いグローブを嵌めていることに気付いた。
黒に近い焦げ茶色の革製で、左の指先から肘の下までをすっぽりと覆っている。相当年季が入っているようで、使い込まれた革特有の艶と、細かい傷がたくさんあった。手首と肘の下のところに巻かれた太いベルトには鍵穴のようなものがあり、どこか秘密めいた雰囲気を放っている。まるで絶対に見られてはいけないものを、厳重に隠しているような。
「さて……」
タビトが水を飲み終えると、占い師は一仕事終えたかのように緩慢な動作で元の位置に戻る。彼が離れてしまうことがなんとなく寂しく、目だけで追いかけていると、目線に気付いたらしい占い師がにやりと笑った。
「なあに。何か言いたそうだね」
「えっ」
「ああ、もっと飲みたい? それか何か食べる?」
「い、いえ、あの、そうじゃなくて……」
否定しようとした刹那、ぐぎゅるるるる、と猪が鳴くような轟音が響いた。
数秒の沈黙。
……え? 何いまの。……オレの腹の音?
信じられない気持ちで自分の腹を眺めていると、「ふ」と息が漏れる音がした。
「……っふ、ふふ、」
占い師が口を押え、肩を震わせて笑っていた。かぁっとタビトの顔に血が上っていく。
「い、いや失礼、お腹がすくっていうのはいいことだよ。……っふ、この調子ならすぐ万全の状態に戻る。ふふ」
「そ、そんなに笑わなくても」
「ごめんね、今はこんなものしかないんだ。とりあえずこれで我慢してくれ」
占い師は気を取り直したように笑顔を引っ込めると、再びタビトの方に身を乗り出す。そして今度はタビトの隣に座り、干して薄く伸ばした芋を差し出した。
「どう? 食べられそうかな」
「は、はい。いただきます……」
また占い師に離れてほしくなくて、タビトはわざとゆっくり芋を頬張る。けれどこんな時間稼ぎ、彼にはばれてしまうかもしれない。なんといったって「占い師」なのだから。
そんなことを考えながらちらちらと隣を盗み見ていると、何度目かで目が合ってしまった。タビトはぎくりとしたが、占い師は薄く目を細める。
「色々と間違えてしまったけど、……君ならやっていけるだろう」
「……え?」
「うん、君の回復力に感心していた。元気そうだから今の状況を説明しておく」
「はぁ……」
タビトからすると何者かの襲撃を受けてから時が今に飛んでいるので、回復力と言われてもピンとこない。占い師が口を開く。
「今我々が乗っているのは聖検隊所属、王都行きの馬車だ。イーストキア村を出て今日で五日目、君が大怪我をしてからはまる一週間だね。それでこの後……あと五時間ほどかな。昼過ぎあたりに馬車は最後の宿場町に止まる。宿場町と言っても今回は昼食と王都に持ち帰る荷を積むだけだ。夜には王都に着くからね」
自分が今馬車に乗っていることは、タビトにもなんとなく分かっていた。幌と思われるクリーム色の布で三方が囲まれ、床の木材は硬く、何よりガタガタと小さな振動がずっと響いている。木箱が壁のように積んであるせいで御者台は見えないが、蹄の音と馬の嘶きも時折聞こえていた。
「それで……これなんだけど、」
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