銀の旅人

日々野

文字の大きさ
44 / 183
2章◆恋と恩義と性欲と

第三番『夜の蝶』-1

しおりを挟む
 イリスはタビトから食器を受け取ると、トレイに重ねて書き物台に移す。代わりに茶色の小瓶を手に取って、目の前で軽く振ってみせた。

「『ヨルノマヨイガ』という蛾の鱗粉から作ったものだ。ヨルノマヨイガは国内全域、主に緑の多い地域の水場に生息している。黒に紫や紺の模様が入ったはねがとても美しく、観賞用としても人気が高い。症状は三時間程度の全身の麻痺。でも『楽園行き』よりずっと軽いから安心して。話すこともできるし、呼吸困難や意識混濁の症状も『夜の蝶』にはない」

 イリスが瓶を振ると、茶色いガラスの向こうで黒と青が混ざったような粒がちらちらと輝く。タビトがそれに魅入っていると、イリスはぱっと瓶を手の中に収めた。

「いま言えるのはそこまでかな。それじゃあ横向きになってくれる? これも即効性はけっこう高いからね、床に落ちたくはないでしょう」
「あ、はい」

 まだ枕の下に『例のアレ』があることは気がかりだったが、ここまで来たらどうしようもない。タビトは体をイリスの方に向けて横になった。

 イリスは瓶に細い棒のようなものを入れて一度かき回すと、さっきタビトが使っていたグラスに移す。棒が水に触れた瞬間、一瞬全体が鮮やかな紫色に変わったが、イリスがくるくるとかき回すとすぐ元の透明に戻った。ちん、と軽やかな音を立ててグラスのふちで棒についた水を切る。

「はい、飲んで。一口でいいよ。味はしない」
「はい」

 イリスに促されるまま半分だけ体を起こすと、水を口に含み、すぐ枕に頭を預けた。
 しばらくは特に何も起こらなかった。

 イリスが瓶の蓋を厳重に締めて小箱に収め、書き物台に向かって何か書きつけているのを、横倒しになった視界でぼうっと眺めていた。けれどなんとなく寝返りを打とうとしたところで、手のひらに力が入らなくなっていることに気付く。

「……あ、」

 掠れた声が出た。
 書類に向かっていたイリスが、ぱっとタビトを振り返る。

「効いてきた?」
「……、そ、うみたい……です。……」
「無理に話さなくていいよ。大丈夫、すぐ終わるからね」

 イリスは書きかけの書類を放置してベッドのすぐ横に跪くと、右手でタビトの動かない手を握り、左手でタビトの頭を撫で始めた。

「大丈夫。君は強い子だ。すぐよくなる」
「……、」

 言い聞かせるようなイリスの口調に、タビトは違和感を覚えた。

 イリスはいつもタビトに優しいが、……何か、心配し過ぎじゃないか? と、思った。

 イリスの説明の通りなら、今回は『楽園行き』の時よりずっと軽く済むはずだ。つまりほんの数時間、寝て起きたら治る程度のものなのに、彼は付きっ切りで看病する勢いだ。

 ついさっきの会話がタビトの脳裏を過る。

 プラセボ効果。『思い込みの力』。最初に一般的な症状を説明をすることで、タビトの場合軽症で済むものが重くなるおそれがある。説明するかどうかはイリスの匙加減……。

 ――いま言えるのはそこまでかな。それじゃあ横向きになってくれる?

「……あ、ぃ……」
「タビト? 大丈夫?」

 イリスが顔を寄せて優しく髪を撫でてくれているというのに、今のタビトにはそれを喜ぶ余裕がない。

 ――もしかして先生、さっそく説明省いたの? まいったなこれ、説明がないって思ってたよりけっこう怖いぞ。やっぱり今からでも、全部説明してって頼んでみようか。

「せ、……せんせ……」
「うん。どうした?」

 たどたどしくではあるが一応口を利くことはできるし、気が遠くなる感覚もない。その点は確かに『楽園行き』より軽そうだ。

「や、やっぱり……話し……、っう、」

 しかしその刹那、タビトの下腹部にずきんと痛みが走った。否、痛みというよりは熱だ。熱が急速に下半身に集まり、中心から外に出ようとしている。

 ――あれ。この感覚って。

 身に覚えがある感覚に、額に汗が浮く。
 タビトが嫌な予感にごくんと唾を飲みこむと、イリスが髪を撫でる手を止めた。

「……やっぱり、君でも駄目だったか」

 そのどこか冷えた口調に、タビトの背筋が冷たくなる。しかしそれとは裏腹に、体の熱はどんどん高まっていく。痛いほどに高まった熱が出口を求め、タビトの中心が天に向かって起き上がり始めているのが分かる。しかし体は指一本動かすことができない。

 イリスはタビトの手を離すと、ばさりと掛け布を剥ぎ取った。そして服の下から激しく主張しているタビトの中心を見つめ、哀れっぽく言う。

「君ならもしかしてと思ったんだけど……仕方ないね。ごめんね黙ってて。『夜の蝶』にはこういう症状も出るんだ」
「こ、こういう……症状って、……」
「脳に作用して生殖器の働きを活発にする……要は、ちんちんをバキバキにするってこと」
「ちん……」

 ――ちんちんを、バキバキにする……?

 自分の身に起こっていることと、イリスの慎ましく上品な唇からそんな言葉が出たことの、どちらにショックを受けるべきなのか分からず、タビトは少々混乱した。

「熟れた御婦人が素っ気ない殿方とベッドを共にするためによく使う手段でね。温かくなって過ごしやすくなってきた今くらいの時期は特に人気で手に入りにくいんだ。放っておいたら三時間は勃起し続けるから、かなり辛いと思う。今何回か抜いておこう」
「えっ? ……えっ、えっ、イリスせん……!?」

 イリスはタビトの麻痺した体を押して仰向けに転がすと、下着ごとずるりとタビトの下腹部を剥いた。ぴょんと元気よく飛びあがるタビトの中心を見て、イリスが「うわ」と小さく声を上げる。

「君……まだ若いのにすごいね。これなら将来は御婦人方から引っ張りだこだよ。やったね」

 こんな風に冷静に感想を言われて「やったね」もくそもない。

 こんなところ、イリスにだけは絶対に見られたくなかったのに。これは罰か。妄想の中でイリスを裸にした罰なのか。
 タビトは泣きそうになるほどの羞恥心を、歯を食いしばってこらえていたが、イリスはさらりとタビトの下半身に手を伸ばす。

「それじゃ失礼して」
「! ……ま、あ……!」

 イリスのほっそりとした手がむんずと、タビトのそれを根元から掴んだ。タビトの頭の中では即座に体を起こして手を振りほどいているはずなのに、現実にはぴくりとも動かない。仰向けの姿勢のままでは、イリスがどうやってそこを握っているのかすら見えない。

「ま、……せんせ、……はぁ、……うぅ……」
「辛いでしょう。出していいよ」

 イリスが素早く手を上下に動かす音に、やがて水音が混じり始めて、タビトの目にも涙が浮かんできた。

 ――嫌だぁ、先生の前で出したくない、先生にだけは見られたくない……。

 羞恥心と切なさでタビトの胸はいっぱいだというのに、イリスの方は何てことのないように言う。

「ふむ。君、けっこうしぶといね。遅漏?」
「ちろ……? わ、分かんないですけど先生、それ、もう嫌です……! 恥ずかしくて死んじゃいます!」
「おお、もうそんなになめらかに喋れるようになったのか。さすがだ」

 感心してみせながらも、イリスは手を止めない。そればかりか女神のように慈悲深く微笑んでみせる。

「大丈夫だタビト、何も恥ずかしがることはないんだよ。この前は言わなかったけど、実は君が馬車で一週間昏睡状態だった時、排泄の介助も私がしていたんだ。ちんちんから出てくる液体が黄色から白色に変わったところで、私は何も気にしないよ」

 ――言い方ぁ……! その言い方はあんまりです先生……!
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

fall~獣のような男がぼくに歓びを教える

乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。 強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。 濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。 ※エブリスタで連載していた作品です

忠犬だったはずの後輩が、独占欲を隠さなくなった

ちとせ
BL
後輩(男前イケメン)×先輩(無自覚美人)  「俺がやめるのも、先輩にとってはどうでもいいことなんですね…」 退職する直前に爪痕を残していった元後輩ワンコは、再会後独占欲を隠さなくて… 商社で働く雨宮 叶斗(あめみや かなと)は冷たい印象を与えてしまうほど整った美貌を持つ。 そんな彼には指導係だった時からずっと付き従ってくる後輩がいた。 その後輩、村瀬 樹(むらせ いつき)はある日突然叶斗に退職することを告げた。 2年後、戻ってきた村瀬は自分の欲望を我慢することをせず… 後半甘々です。 すれ違いもありますが、結局攻めは最初から最後まで受け大好きで、受けは終始振り回されてます。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

聖獣は黒髪の青年に愛を誓う

午後野つばな
BL
稀覯本店で働くセスは、孤独な日々を送っていた。 ある日、鳥に襲われていた仔犬を助け、アシュリーと名づける。 だが、アシュリーただの犬ではなく、稀少とされる獣人の子どもだった。 全身で自分への愛情を表現するアシュリーとの日々は、灰色だったセスの日々を変える。 やがてトーマスと名乗る旅人の出現をきっかけに、アシュリーは美しい青年の姿へと変化するが……。

給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!

永川さき
BL
 魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。  ただ、その食事風景は特殊なもので……。  元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師  まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。  他サイトにも掲載しています。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

処理中です...