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2章◆恋と恩義と性欲と
第三番『夜の蝶』-3
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「駄目ったら駄目なんです、イリス先生!」
イリスが再度手を伸ばすのを気配で感じ取ったタビトは、腹に力を込めて一気に上体を起こした。その勢いで、顔に被さっていた目隠しの布が滑り落ちる。開けた視界の中、イリスが目を丸くしてタビトを見ている。
「君、もう動け……っうわ、」
もうこれ以上は触れさせまいと、イリスの右の手首を強く握り込む。とにかくその手を遠ざけようとするも、まだ麻痺が残っていたのか体がうまく動かず、タビトはイリスの上でバランスを崩してしまった。勢いあまってイリスをベッドに押し倒し、そのまま崩れ落ちそうになるのを、空いている方の肘をついてなんとか堪える。
気付けば目の前に、イリスの顔があった。
「……タビト……?」
イリスは形の良い目をまん丸にして、タビトを下からじっと見上げている。その表情には驚きばかりではなく、ほんの少しの恐れも混じっているようだった。
どくん、とタビトの心臓が高鳴る。ぞくりとしたものが背筋を駆けのぼる。卑猥な空想が、タビトの頭の中を満たしていく。
それを必死で振り払いながら、タビトは絞り出すようにして言った。
「先生、本当に……もう駄目です。これ以上は、オレ、先生のこと……」
――襲っちゃいます。
目で訴えれば、ようやくイリスにも伝わったようだった。
一瞬頬を引き攣らせると、宥めるように左手でタビトの胸を軽く押す。
「わ、……分かった。ちょっとやり過ぎたね。本当にごめん」
「はい、……オレも……ごめんなさい」
「いや、私が悪いんだ。それにもう動けるなんてすごいよ。それで……」
そこでイリスは気まずそうに目線を泳がせた。何を言いたいのか、とタビトが首を傾げていると、イリスが右の手のひらをちょいちょいと動かす。
「手、離してくれない? ……びくともしないんだけど……」
「あ。はい、スミマセン……」
まだ重い腕を引き摺るようにして離せば、イリスの白い手首が赤くなっているのが目に留まった。
「先生、それ……」
タビトが指摘しようとするも、イリスは隠すようにぱっと手を引っ込める。
「ああ大丈夫、私ならこれくらいすぐ治まるから気にしないで。それより、もうこんなに動けるなら後は君に任せて大丈夫だね。私はもう出て行くよ。長居してごめんね」
「いえ……」
宣言通り、イリスは昼食のトレイに水差し、小瓶の入った箱なども全部乗せ、書類をまとめて小脇に抱えると、てきぱきと部屋の外に出た。そしてドアを締める間際、タビトを振り返る。
「今日はごめんね。午後はゆっくり休んで」
「あ、……」
ぱたん、と静かにドアが締まる。階段を降りる音が小さくなり、階下でドアが閉まる音がして、やがて家じゅうが静まり返る……。
その時になって、タビトの胸に後悔が溢れてきた。
「ああ、もう……どうすりゃよかったんだよぉ……」
――イリス先生、オレのこと怖がってた? 怖がらせたよな? 腕赤くなるほど握ってたし。痕になったらどうしよう。ああもう、最悪だ。先生は親切でやってくれたことなのに。でもあれ以上は本当に、耐えられなかった……。
「はぁ……まだ勃ってるし……」
気持ちは今までにない程沈んでいるのに、やかましいほど元気いっぱいに主張する分身が疎ましい。体の麻痺は解けたんだから、こっちもそろそろ大人しくなれっての。
内心で毒づきながらも、今度は普通に自分の右手で慰める。しかし目蓋の裏に蘇るのは、やはりイリスの顔ばかりだ。いつも綺麗で大人びていて、穏やかで優しいイリスが見せた、少し怯えたような顔。あの顔で見上げられた時、タビトの中で何かが疼いた。
「んん、イリス先生、……はぁ、……イリス……イリス、……」
その日タビトは、頭の中で何度もイリスを犯し、射精した。
◇
汚れた食器と手を乱雑に洗い、口の中をゆすぐ。
まっすぐ寝室に入って勢いよくドアを締めると、イリスはドアに背を預けながら、ずるずると崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
自己嫌悪で吐きそうだった。
「ああ、もう……何をやってるんだ私は……」
これまで被験体に『夜の蝶』を与えた時、ヴァルトレインは彼らを三時間放置した。その間すすり泣きするしかできない彼らを哀れに思った経験から、タビトのことは楽にさせてやりたいと思ったのに、結果的にそれが余計に彼を苦しめることになってしまった。
――それに、あの時のあの子の目。
イリスを押し倒した時のタビトの目に、抑えきれない情欲が燃えているのが、イリスにははっきりと分かった。状況を鑑みれば、致し方ないことだと分かっている。けれどイリスはあの時、ほんの少し彼に対して恐怖を覚え、ほんの少し――興奮した。
「しっかりしなきゃ、……相手は一回りも下の子どもなんだから……」
子どもと言っても、十八歳は法律上は立派な成人だ。事実タビトの体は、生半可な大人以上に成熟している。ソマリ人のキャラバンに残っていれば、今頃女達に囲まれて毎日楽しく暮らしていたことだろう。それがこんな歪んだ街で、歪んだ男と二人きりだなんて。運命というのは残酷だ。
イリスは小脇に抱えていた書類をそのまま床に滑り落とすと、体を引き摺るようにしてベッドに入った。自分を見下ろすタビトの目を思い出し、体が熱くなり始めていた。
「ん、……タビト……」
下着の中に手を入れ、タビトのものよりずっと控えめなそれを握り込む。それから更にその奥に、指を滑り込ませる。
――タビト、あんな目で、私を見ちゃいけない。君が思っているよりずっと、私は汚い人間なんだから。
熱に浮かされたようなタビトの眼差しを頭の中で描きながら、柔らかく閉じた後孔に指を添える。タビトの隆起した中心が自分の中に入ってくるところを想像して、指に力を入れる。
「はぁ、……あぁ……」
固く閉じたイリスの目から、いつしか涙が零れていた。頭の中で結んでいたタビトの像が歪み、段々と別の人物に変わっていく。それが悲しくて涙が出た。
――嫌なのに。あの時のことはもう、思い出したくもないのに。この体は彼のことを、主として憶えてしまっている。
「ん、……あぅ、……!」
絶望的な気持ちになりながら、イリスは一度だけ射精した。
倦怠感でぼうっとしたまま、体を起こす。
手を拭いて、服を整えた頃には、もうタビトがあの時どんな顔をしていたのか、思い出せなくなっていた。
イリスが再度手を伸ばすのを気配で感じ取ったタビトは、腹に力を込めて一気に上体を起こした。その勢いで、顔に被さっていた目隠しの布が滑り落ちる。開けた視界の中、イリスが目を丸くしてタビトを見ている。
「君、もう動け……っうわ、」
もうこれ以上は触れさせまいと、イリスの右の手首を強く握り込む。とにかくその手を遠ざけようとするも、まだ麻痺が残っていたのか体がうまく動かず、タビトはイリスの上でバランスを崩してしまった。勢いあまってイリスをベッドに押し倒し、そのまま崩れ落ちそうになるのを、空いている方の肘をついてなんとか堪える。
気付けば目の前に、イリスの顔があった。
「……タビト……?」
イリスは形の良い目をまん丸にして、タビトを下からじっと見上げている。その表情には驚きばかりではなく、ほんの少しの恐れも混じっているようだった。
どくん、とタビトの心臓が高鳴る。ぞくりとしたものが背筋を駆けのぼる。卑猥な空想が、タビトの頭の中を満たしていく。
それを必死で振り払いながら、タビトは絞り出すようにして言った。
「先生、本当に……もう駄目です。これ以上は、オレ、先生のこと……」
――襲っちゃいます。
目で訴えれば、ようやくイリスにも伝わったようだった。
一瞬頬を引き攣らせると、宥めるように左手でタビトの胸を軽く押す。
「わ、……分かった。ちょっとやり過ぎたね。本当にごめん」
「はい、……オレも……ごめんなさい」
「いや、私が悪いんだ。それにもう動けるなんてすごいよ。それで……」
そこでイリスは気まずそうに目線を泳がせた。何を言いたいのか、とタビトが首を傾げていると、イリスが右の手のひらをちょいちょいと動かす。
「手、離してくれない? ……びくともしないんだけど……」
「あ。はい、スミマセン……」
まだ重い腕を引き摺るようにして離せば、イリスの白い手首が赤くなっているのが目に留まった。
「先生、それ……」
タビトが指摘しようとするも、イリスは隠すようにぱっと手を引っ込める。
「ああ大丈夫、私ならこれくらいすぐ治まるから気にしないで。それより、もうこんなに動けるなら後は君に任せて大丈夫だね。私はもう出て行くよ。長居してごめんね」
「いえ……」
宣言通り、イリスは昼食のトレイに水差し、小瓶の入った箱なども全部乗せ、書類をまとめて小脇に抱えると、てきぱきと部屋の外に出た。そしてドアを締める間際、タビトを振り返る。
「今日はごめんね。午後はゆっくり休んで」
「あ、……」
ぱたん、と静かにドアが締まる。階段を降りる音が小さくなり、階下でドアが閉まる音がして、やがて家じゅうが静まり返る……。
その時になって、タビトの胸に後悔が溢れてきた。
「ああ、もう……どうすりゃよかったんだよぉ……」
――イリス先生、オレのこと怖がってた? 怖がらせたよな? 腕赤くなるほど握ってたし。痕になったらどうしよう。ああもう、最悪だ。先生は親切でやってくれたことなのに。でもあれ以上は本当に、耐えられなかった……。
「はぁ……まだ勃ってるし……」
気持ちは今までにない程沈んでいるのに、やかましいほど元気いっぱいに主張する分身が疎ましい。体の麻痺は解けたんだから、こっちもそろそろ大人しくなれっての。
内心で毒づきながらも、今度は普通に自分の右手で慰める。しかし目蓋の裏に蘇るのは、やはりイリスの顔ばかりだ。いつも綺麗で大人びていて、穏やかで優しいイリスが見せた、少し怯えたような顔。あの顔で見上げられた時、タビトの中で何かが疼いた。
「んん、イリス先生、……はぁ、……イリス……イリス、……」
その日タビトは、頭の中で何度もイリスを犯し、射精した。
◇
汚れた食器と手を乱雑に洗い、口の中をゆすぐ。
まっすぐ寝室に入って勢いよくドアを締めると、イリスはドアに背を預けながら、ずるずると崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
自己嫌悪で吐きそうだった。
「ああ、もう……何をやってるんだ私は……」
これまで被験体に『夜の蝶』を与えた時、ヴァルトレインは彼らを三時間放置した。その間すすり泣きするしかできない彼らを哀れに思った経験から、タビトのことは楽にさせてやりたいと思ったのに、結果的にそれが余計に彼を苦しめることになってしまった。
――それに、あの時のあの子の目。
イリスを押し倒した時のタビトの目に、抑えきれない情欲が燃えているのが、イリスにははっきりと分かった。状況を鑑みれば、致し方ないことだと分かっている。けれどイリスはあの時、ほんの少し彼に対して恐怖を覚え、ほんの少し――興奮した。
「しっかりしなきゃ、……相手は一回りも下の子どもなんだから……」
子どもと言っても、十八歳は法律上は立派な成人だ。事実タビトの体は、生半可な大人以上に成熟している。ソマリ人のキャラバンに残っていれば、今頃女達に囲まれて毎日楽しく暮らしていたことだろう。それがこんな歪んだ街で、歪んだ男と二人きりだなんて。運命というのは残酷だ。
イリスは小脇に抱えていた書類をそのまま床に滑り落とすと、体を引き摺るようにしてベッドに入った。自分を見下ろすタビトの目を思い出し、体が熱くなり始めていた。
「ん、……タビト……」
下着の中に手を入れ、タビトのものよりずっと控えめなそれを握り込む。それから更にその奥に、指を滑り込ませる。
――タビト、あんな目で、私を見ちゃいけない。君が思っているよりずっと、私は汚い人間なんだから。
熱に浮かされたようなタビトの眼差しを頭の中で描きながら、柔らかく閉じた後孔に指を添える。タビトの隆起した中心が自分の中に入ってくるところを想像して、指に力を入れる。
「はぁ、……あぁ……」
固く閉じたイリスの目から、いつしか涙が零れていた。頭の中で結んでいたタビトの像が歪み、段々と別の人物に変わっていく。それが悲しくて涙が出た。
――嫌なのに。あの時のことはもう、思い出したくもないのに。この体は彼のことを、主として憶えてしまっている。
「ん、……あぅ、……!」
絶望的な気持ちになりながら、イリスは一度だけ射精した。
倦怠感でぼうっとしたまま、体を起こす。
手を拭いて、服を整えた頃には、もうタビトがあの時どんな顔をしていたのか、思い出せなくなっていた。
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