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4章◆魔法使いの卵達
第十二番『終わり桜』
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◇
「疲れてるところ本当に申し訳ねぇ。だがオードのやつが洒落にならない状態になっちまって。昨日から意識が戻らねぇんです」
ギリーの案内で、イリスはオードの家に向かっていた。
「骨折と、それから異常な高熱だと言っていたね」
「ああ、酷いのは熱の方でさ。アン爺さんによるとただの熱じゃねえらしい。病というより何らかの中毒症状だって言うんだ。毒の正体が分からない限り手も足も出ないって……イリス先生、治せそうですか?」
「さあ、看てみないことには何とも。アンジュ先生は何故中毒と考えたのかな」
イリスの言葉でギリーはその場面を思い出したのか、ぶるりと肩を震わせて両腕を擦る。
「おれも見させてもらったが、へそのあたりから首まででっかい発疹が出てるんです。それも最初はへその周りにしかなかったのに、日を追うごとに段々広がってやがる。気味の悪い、まるで散り際の桜みてぇな不気味な模様で……」
その言葉で、淀みなく動いてたイリスの足が一瞬止まる。
――異常な高熱。日を追うごとに広がっていく、散り際の桜のような発疹。
「『終わり桜』……」
「えっ。今なんて言いました? 心当たりあるんですか、先生?」
「……ああ。たぶん治せると思う。急ごうか」
ほんとですか、とギリーが安堵の息を吐く。イリスへの信頼故か、彼は早くも仲間が助かることを確信したようだった。歩を進めながら、意を決したように口火を切る。
「こんな時に話すことじゃねぇってことも、おれが口を出す筋合いもねぇてことも分かってるんですが……今しか言う機会がねぇし、イリス先生の身が心配なので言わせてもらいます。先生、……あのソマリ人の青年。タビトでしたか。あいつは……や、やばいと思います」
「……ふぅん。一応聞こうか。どうしてそう思ったのかな」
「そりゃあもちろん、……オードを蹴り飛ばした時ですよ。力も速さも尋常じゃなかった。おれにはあいつが人喰いの化け物に見えました。正直、今もあいつの視線を感じると震えがきまう」
「まあ、あの子私が斬られて相当怒ってたからね。火事場の馬鹿力ってやつだろう」
「それもあるでしょうけど。でも、……それだけで言ってるんじゃないんです。オードは……」
ギリーは言葉を探すように目を泳がせ、訥々と言葉を紡ぐ。
「見ての通りオードは村の若衆の中でも一番チビでビビリで小心者だが、本人もそれを自覚してるから、鍛錬だけは誰より積んでるんです。ああ見えておれらの中で……いや、村の中で一番強い。試合をやってもおれらが四人力を合わせてなんとか勝負になるくらいで」
「……そう。そんなに強かったんだ」
ギリー達が五人で襲撃をかけた夜、イリスとタビトはすぐに彼らが戦いの素人だと見抜いた。一人を除いて全員腰が引けていたし、得物を持つ手も震えていた。固く鉈を握りしめ、いつでも飛び出せるように全身に力を漲らせていた、オード一人を除いて。
その彼をタビトはまるで毬でも蹴るようにして、一瞬で場外にした。残された四人のどんなに心細く、どんなに恐ろしかったことだろう。あの時点であの夜の支配権は、既にタビトに移っていたのだ。
「今のあいつはあんたにぞっこんだが、ああいう男が嫉妬に狂った時が一番危ねぇ。何でもマホルによると、あいつの首輪は『主殺しの首輪』なんて呼ばれ方もあるそうじゃないですか。そんなやつを傍に置いていたらイリス先生、いつかあんたの身に危険が――」
「私もね」
ギリーの言葉の途中でイリスが口を開く。
「治癒魔法使いなんてやってると、それだけで聖人のように思われがちだけど……違うんだ。実はこう見えて身勝手でしつこくて、いつまでも根に持つ嫌な性格」
「へっ? いや、先生は決してそんな人では……」
「そんな人なんだ。だからまだとても残念に思ってるし、とても悔しい。せっかく楽しい旅行になるはずだったのに、あの子に辛い思いをさせてしまった。本当のことを言うと、今もあの子と離されて苛々している。今すぐあの子のところに帰りたいくらいだ」
「……」
「忠告するよ、ギリー。君の大事な仲間の命を救いたいのなら」
イリスは感情のない目で、ただ前を見ながら言った。
「私の前でタビトのことを悪く言ってはいけない。治療したくなくなってしまう」
初めて聞くようなイリスの冷たい声を聞き、ギリーの背に悪寒が駆けあがる。ギリーはもつれそうになる舌で、もたつきながらもなんとか答えた。
「わ、……わ、分かりました。たっ大変し失礼し、ました」
「うん、本当に失礼だったね。まあ分かってくれたならいいよ、先を急ごう」
イリスは口の形だけで微笑むと、後は黙々と足を動かすことにした。
――ああ、やってしまった。治癒魔法使いが命を盾にするような物言いは、絶対にしてはいけないのに。
頭ではそう分かっているものの、旅行が台無しになったことに加え連日の疲労の影響もあり、つい胸の中の苛立ちを無垢な村人にぶつけてしまった。
ギリーのように無神経な進言をしてくる者は決して珍しくない。皆「あなたの身が心配で」「あなたのためを思って」と枕詞を付ければ、優しく慈悲深く寛大な治癒魔法使いは受け入れてくれると思っている。
――これはこれは、あなたにとっても言いにくいことだったでしょうに、私のためを思って忠告してくださったのですね。辛い役回りをさせてしまい、申し訳ございません。あなたの勇気と思いやりの心に感謝します。
彼らは皆、イリスからこのような返事がもらえると期待している。実際、そういう対応をしてきた時もあった。だが魔法の力とは、結局『運』で決まるものなのだ。偉大な力を持っているからといって、人格面まで偉大とは限らない。当たり前のことなのに、皆『治癒魔法使い』のことになると分けて考えられなくなるから不思議だ。
何よりイリスはその力すら、決して偉大とは思っていなかった。本当は自分には、他人に力の制御方法を教える資格などない。何故ならイリス本人が、未だにできていないからだ。
――初歩の初歩ができていない欠陥魔法使いだというのに、それが治癒の力だった場合、「勝手に回復するたちだ」と言えば納得してもらえる。そればかりかそれが優秀さの証と捉えてもらえる。人の思い込みというのは本当に不思議だ。
ぼんやりと考え事をしている間に、オードの家に辿り着く。
「疲れてるところ本当に申し訳ねぇ。だがオードのやつが洒落にならない状態になっちまって。昨日から意識が戻らねぇんです」
ギリーの案内で、イリスはオードの家に向かっていた。
「骨折と、それから異常な高熱だと言っていたね」
「ああ、酷いのは熱の方でさ。アン爺さんによるとただの熱じゃねえらしい。病というより何らかの中毒症状だって言うんだ。毒の正体が分からない限り手も足も出ないって……イリス先生、治せそうですか?」
「さあ、看てみないことには何とも。アンジュ先生は何故中毒と考えたのかな」
イリスの言葉でギリーはその場面を思い出したのか、ぶるりと肩を震わせて両腕を擦る。
「おれも見させてもらったが、へそのあたりから首まででっかい発疹が出てるんです。それも最初はへその周りにしかなかったのに、日を追うごとに段々広がってやがる。気味の悪い、まるで散り際の桜みてぇな不気味な模様で……」
その言葉で、淀みなく動いてたイリスの足が一瞬止まる。
――異常な高熱。日を追うごとに広がっていく、散り際の桜のような発疹。
「『終わり桜』……」
「えっ。今なんて言いました? 心当たりあるんですか、先生?」
「……ああ。たぶん治せると思う。急ごうか」
ほんとですか、とギリーが安堵の息を吐く。イリスへの信頼故か、彼は早くも仲間が助かることを確信したようだった。歩を進めながら、意を決したように口火を切る。
「こんな時に話すことじゃねぇってことも、おれが口を出す筋合いもねぇてことも分かってるんですが……今しか言う機会がねぇし、イリス先生の身が心配なので言わせてもらいます。先生、……あのソマリ人の青年。タビトでしたか。あいつは……や、やばいと思います」
「……ふぅん。一応聞こうか。どうしてそう思ったのかな」
「そりゃあもちろん、……オードを蹴り飛ばした時ですよ。力も速さも尋常じゃなかった。おれにはあいつが人喰いの化け物に見えました。正直、今もあいつの視線を感じると震えがきまう」
「まあ、あの子私が斬られて相当怒ってたからね。火事場の馬鹿力ってやつだろう」
「それもあるでしょうけど。でも、……それだけで言ってるんじゃないんです。オードは……」
ギリーは言葉を探すように目を泳がせ、訥々と言葉を紡ぐ。
「見ての通りオードは村の若衆の中でも一番チビでビビリで小心者だが、本人もそれを自覚してるから、鍛錬だけは誰より積んでるんです。ああ見えておれらの中で……いや、村の中で一番強い。試合をやってもおれらが四人力を合わせてなんとか勝負になるくらいで」
「……そう。そんなに強かったんだ」
ギリー達が五人で襲撃をかけた夜、イリスとタビトはすぐに彼らが戦いの素人だと見抜いた。一人を除いて全員腰が引けていたし、得物を持つ手も震えていた。固く鉈を握りしめ、いつでも飛び出せるように全身に力を漲らせていた、オード一人を除いて。
その彼をタビトはまるで毬でも蹴るようにして、一瞬で場外にした。残された四人のどんなに心細く、どんなに恐ろしかったことだろう。あの時点であの夜の支配権は、既にタビトに移っていたのだ。
「今のあいつはあんたにぞっこんだが、ああいう男が嫉妬に狂った時が一番危ねぇ。何でもマホルによると、あいつの首輪は『主殺しの首輪』なんて呼ばれ方もあるそうじゃないですか。そんなやつを傍に置いていたらイリス先生、いつかあんたの身に危険が――」
「私もね」
ギリーの言葉の途中でイリスが口を開く。
「治癒魔法使いなんてやってると、それだけで聖人のように思われがちだけど……違うんだ。実はこう見えて身勝手でしつこくて、いつまでも根に持つ嫌な性格」
「へっ? いや、先生は決してそんな人では……」
「そんな人なんだ。だからまだとても残念に思ってるし、とても悔しい。せっかく楽しい旅行になるはずだったのに、あの子に辛い思いをさせてしまった。本当のことを言うと、今もあの子と離されて苛々している。今すぐあの子のところに帰りたいくらいだ」
「……」
「忠告するよ、ギリー。君の大事な仲間の命を救いたいのなら」
イリスは感情のない目で、ただ前を見ながら言った。
「私の前でタビトのことを悪く言ってはいけない。治療したくなくなってしまう」
初めて聞くようなイリスの冷たい声を聞き、ギリーの背に悪寒が駆けあがる。ギリーはもつれそうになる舌で、もたつきながらもなんとか答えた。
「わ、……わ、分かりました。たっ大変し失礼し、ました」
「うん、本当に失礼だったね。まあ分かってくれたならいいよ、先を急ごう」
イリスは口の形だけで微笑むと、後は黙々と足を動かすことにした。
――ああ、やってしまった。治癒魔法使いが命を盾にするような物言いは、絶対にしてはいけないのに。
頭ではそう分かっているものの、旅行が台無しになったことに加え連日の疲労の影響もあり、つい胸の中の苛立ちを無垢な村人にぶつけてしまった。
ギリーのように無神経な進言をしてくる者は決して珍しくない。皆「あなたの身が心配で」「あなたのためを思って」と枕詞を付ければ、優しく慈悲深く寛大な治癒魔法使いは受け入れてくれると思っている。
――これはこれは、あなたにとっても言いにくいことだったでしょうに、私のためを思って忠告してくださったのですね。辛い役回りをさせてしまい、申し訳ございません。あなたの勇気と思いやりの心に感謝します。
彼らは皆、イリスからこのような返事がもらえると期待している。実際、そういう対応をしてきた時もあった。だが魔法の力とは、結局『運』で決まるものなのだ。偉大な力を持っているからといって、人格面まで偉大とは限らない。当たり前のことなのに、皆『治癒魔法使い』のことになると分けて考えられなくなるから不思議だ。
何よりイリスはその力すら、決して偉大とは思っていなかった。本当は自分には、他人に力の制御方法を教える資格などない。何故ならイリス本人が、未だにできていないからだ。
――初歩の初歩ができていない欠陥魔法使いだというのに、それが治癒の力だった場合、「勝手に回復するたちだ」と言えば納得してもらえる。そればかりかそれが優秀さの証と捉えてもらえる。人の思い込みというのは本当に不思議だ。
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