銀の旅人

日々野

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8章◆少年タビトの物語

再びサンサリーズへ

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 第二十番『万力頭締まんりきあたまじめ』
 危険度:2
 症状:万力で締め付けられるかのような激しい頭痛。通常半日程度で収まる。
 備考:治癒魔法で治療可能。

 第二十一番『スカレットの瞳告どうこく
 危険度:1
 症状:赤い涙が出る。一~二時間ほどで止まる。
 備考:人によっては肌がかぶれることがある。

 第二十二番『黒死舞踏こくしぶとう
 危険度:4
 症状:七日間に渡って踊り続ける。足から出血し、靴が血で黒く染まっても止まらないことからこの名前が付いた。
 備考:踊りなんて習ったことないから変なステップしかできなくてイリス先生に笑われた。恥ずかしかったので先生も巻き込んで一緒に踊ろうとしたら足踏んじゃって、謝ったりステップ教わったり色々してるうちにちょっと楽しくなってきた。先生に「疲れたから休憩しよっか」と言われて中断してそれきり。たぶん踊ってたのは二時間くらい。

--------------

「うん。まあ、このあたりまでは……だいたい覚えたかな」

 七夜の月、十三日、イリス家のキッチン。普段は食卓として使われているテーブルの上で、タビトは魔人の書を広げながら最近投与された毒を反古紙のメモ帳にまとめていた。未だに『毒を撒く力』を使うあてはないが、名前と症状は段々頭に入ってきた。この調子なら夢で魔人に怒られることもないだろう。
 続けて二十三番のおさらいに取り掛かろうとした時、唐突に勝手口がバタンと勢いよく開いた。

「ただいまぁ!」
「え。先生?」

 思わず目を剥く。イリスはさんさんと日差しが降り注ぐ庭を背ににっこりと微笑むと、バタバタと慌ただしく靴を脱ぎながらキッチンにあがってきた。
 ここ数日深夜帰宅が続いていたイリスが日の高いうちに帰ってきたこと、玄関ではなく勝手口から入ってきたこと、どちらも予想外の出来事で、タビトは一時言葉を忘れてしまった。そんなタビトを見てイリスは楽し気に笑うと、踊るような手つきで魔人の書をぱたりと閉じる。

「勉強もいいいけど今日はここまで。さ、準備して」
「え? 準備って、何のですか?」
「何の、って。もう、決まってるだろう!」





 その翌日、タビトはぱんぱんに膨らんだリュックを背負って馬車の荷台で揺られていた。

 以前も乗ったことのある荷台の大きな乗合馬車で、タビト達の他にも大勢の客でごった返している。旅行客らしい身なりの整った男女や親子連れ、仕事帰りらしき疲れた顔の中年男性、何やら緊張した面持ちの若い女性もいたが、服装や持ち物からしていずれも平民なのは明らかだった。

 その中でイリスだけは、相変わらず煌煌きらきらしい貴族のオーラを放っていた。袖のない白の貫頭衣に麻のパンツ、革のブーツ、日除け用の緑のケープを簡単に巻いただけの庶民の格好なのに、只者ではないと感じさせる何かがある。平民達も決して皆が皆みすぼらしい格好をしている訳ではないのに、どうしてここまで差が出るのか、タビトは純粋に不思議な心地がした。ちなみにタビトも日除けのケープ以外はイリスとほとんど同じ服装をしているが、当然、誰がどう見ても平民奴隷である。

 不思議な点は他にもあった。

「タビト、見た? 今横切ったのルリイロヒヨドリだったよ、見つけるといいことがあるんだって」
「あっ、見てあそこ、猫がいる! あの茶色の……あ、違う。トウモロコシの袋だ」
「はぁー、いい風。やっぱり王都の外は空気が違うね。少し離れただけでもぐっと息がしやすくなる」

 ……このようにして、イリスがやたら上機嫌で気付いたことをこまめにタビトに報告してくるのだ。こうやってイリスが終始ニコニコしているせいだろうか、今回は乗り合わせた客達も『貴族』に対して委縮する様子がなく、馬車は軽やかに街道を進んでいた。それは一向に構わないのだが、何故イリスがここまで浮かれているのかは少し気にかかる。タビトは馬車内の雰囲気を壊さないよう、イリスにだけ聞こえる距離で耳打ちする。

「あの、先生。なんかいいことあったんですか?」
「え? いいこと? って……」

 イリスはちょっと首を傾げたあと、輝かんばかりの笑顔を向ける。

「あったよ。君とまたサンサリーズに行けること!」
「ウッ……!」

 その笑顔の眩さに、タビトは思わず目を細めて顔を逸らす。心なしか周囲の乗客達も似たような反応をした気がした。

「そ、……そんなに『いいこと』ですか? ついこの間も行ったばかりだし、今回は二泊三日なのに……?」
「この間って言っても二か月も前じゃない。それに何泊かなんて関係ないよ。君は私と旅に出るの、嬉しくないの?」
「ええっ? いやそれは嬉しいですよ、もちろん」

 イリスが拗ねるように唇の先を尖らせたので、慌てて否定する。心なしか周囲の乗客達も「兄ちゃん、もう余計なことは言うな」と目で語っている気がしたので、タビトもこれ以上は追及しないことにした。
 滞りなく馬車は進み、昼前にはサンサリーズ村の手前の停留所に辿り着く。タビトとイリスの他にも二人の若い男が連れ立って降車した。おそらく村の者なのだろう、タビトは特に気にすることなく彼らに道を譲ろうとしたのだが、二人の男は目を見合わせると頷きあい、緊張した面持ちでイリスの方へ一歩踏み出した。

「……!」

 タビトは即座に前回の訪問で受けた『歓待』を思い出す。考える間もなく男達とイリスの間に体を割り込ませ、イリスを背後に隠す。
 あの時イリスは最終的に恩人として村人から感謝されることになったが、この二か月の間に状況が変わっていたとしてもおかしくない。「タビト?」と背中側で不思議そうな声を出すイリスはいったん無視し、二人の若者に意識を集中させた。

 男達は尚も緊張を解かずに歩み寄る。そして二人揃ってタビトの前に立つと、右側の方が口を開いた。

「失礼ですが、もしかしてお二人は……『銀の手』のイリス先生と、『黒豹』のタビトさん、ですか?」
「……は? ……くろ……?」
「はーい! たしかにこの子はタビトで『銀の手』は私だよ。君達はサンサリーズの人?」

 思いがけない呼称にタビトが面食らっているうちに、イリスがタビトの背中からひょいと顔を出す。すると男達の顔が、みるみるうちにぱぁっと明るくなった。

「やっぱり! あん時は世話になりました! おれも兄貴もイリス先生に火傷治してもらったのに、ろくに礼もできないままで!」
「先生がまた来てくれるの皆で待ってたんですよ! お、おれ達先行って皆に知らせてきます! おい、行くぞ!」

 そして二人の男達は、もつれるようにして村へ続く細道を駆けあがって行った。
 タビトはその背を呆然と見送る。とりあえず敵意は向けられてはいない、むしろ十分に感謝されている……ということは理解した。しかし疑問は未だに一つ残っていた。

「ねぇ先生、あの人……クロヒョウの、って言ってましたよね。……オレのことですか?」
「いいね。かっこいいじゃない」

 イリスはにやりと口の端を上げ、面白そうに笑う。

「もしかして君、知らない間にとんでもない人気者になってるのかも」
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