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8章◆少年タビトの物語
白銀ヒメユリ
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◇
「イリス先生、こっちです! おれここ、先生と一緒に行こうってずっと思ってて」
「はいはい、分かったから落ち着いて。お誘いは嬉しいけど、私もうお腹入らないよ?」
ラギに腕を引かれ、イリスはつんのめるようにして早足で大通りを進む。その様子を見た村人達が、孫や子どもを見守るように目を細めて微笑むものだから、イリスはちょっと恥ずかしくなった。
今二人は、村で唯一にして最大の商店街に来ていた。もちろん店の数も質も、何なら道の幅からして王都の大通りとは比較にならないほど質素で小ぢんまりとしているが、自然をふんだんに残した緑の通りは木陰が多く、吹き抜ける風が心地よい。牧歌的なサンサリーズの雰囲気と、少し褪せた店の看板がうまく調和していた。
朝食の後すぐこの商店街に来たイリス達は、まずラギが贔屓にしているという「幼馴染の女の子がいるパン屋さん」でふかふかの葡萄パンをいただき、次に「珍しい果物がいっぱいある青物屋」で、実が黄色の桃を汁を滴らせながら一つずつ食べた。そしてついさっきまで、「村で唯一のコーヒーショップ」でおすすめのブレンドコーヒーを飲んでいたところだ。馬車での移動を控えているのだから、さすがにこれ以上の飲み食いは断らせてもらうのが賢明だろう。
しかしラギは構わずイリスの腕を引く。
「大丈夫です、次は食べ物でも飲み物でもないですから! ……っほら! ここです!」
店の前に立った瞬間、濃厚な緑と花の粉っぽい匂いが漂った。「フラワーショップ」という、潔い名前の花屋だ。店の向かって右側には切り花が活けられた無数のブリキのバケツがずらりと並び、左側には鉢植えが背の低いものから順に並んでいる。
花とイリスの顔をちらちらと見比べながら、ラギが照れ臭そうに言う。
「ギリーには、お花はかさばるからお土産にはよくないって言われたんだけど……。でも、イリス先生にはお花が似合うと思うから。それにおれ、先生がどんなお花が好きなのか、知りたくて……タビトは教えてくれなかったし……」
最後の方はモゴモゴと半ば口の中で呟いていたせいでうまく聞き取れなかったが、恥じらう少年の姿が愛らしく、イリスは自然と顔が緩むのが分かった。
「いいね。それじゃ何か見繕ってもらおうかな。荷物のことなら気にしなくて大丈夫だから」
「! ほんとですか! それじゃ花束にしてもらいましょう! どれにしますか?」
「そうだなぁ」
ラギに促されて中腰になり、バケツの切り花に目を落とす。
淡い黄色と桃色が愛らしいアジサイ、ゆらめく炎の形の青いグロリオサ、雪のように純白のガーデニア、上品な薄紫のアガパンサス……。どれもそれぞれ美しいとは思うが、元々花を飾る習慣がないこともあっていま一つ決め手に欠ける。買い物というよりただ花を愛でることを楽しんでいると、ラギが横からちょんとイリスの服の裾を引いた。
「あの、先生。……おれ、あれなんかいいと思うんですけど……」
「ん。どれかな」
ラギが指さしたバケツには、小ぶりのユリの花が活けられていた。ほっそりとした白の花弁がラッパ状に広がり、根に近い方がうっすらと青みがかっている。
「『白銀ヒメユリ』っていうユリの仲間で、ふつうヒメユリは赤っぽい色をしてるんだけど、これは白なので珍しいんです。でも一番珍しいのは、花粉のついてるところが……」
「へえ、すごい。花粉が銀色だ」
イリスが感嘆すると、ラギは嬉しそうに頬を紅潮させる。
「そうなんです。この花粉で銀色の糸とかインクとか色んなものを作ることができるから、すごくきれいなお花なのに、店に並ぶのは珍しいことなんです。この店がとくべつ」
「なるほど。すごいなぁ、ラギは物知りだね」
「いや、えっと、あの。こ。この村だとふつうです。ふつう」
かぁーっとラギの顔が耳まで赤くなっていくのを、イリスは微笑ましい気持ちで見つめていた。おそらく今の説明もギリーや花屋の店主に相談して、一生懸命練習したのだろう。ラギはきょときょとと忙しなく目線を動かしながら続ける。
「それで、あの、……このお花、どうですか? おれは、きれいではかない感じが、イリス先生に似てると……思うんですけど……」
「そう? 私なんてそんないいもんじゃないと思うけど、君にそう言ってもらえるのは嬉しいな。それじゃその、白銀ヒメユリを花束にしてもらおうか」
「! はいっ! あの、それと、イリス先生の好きなお花も入れましょう。花束ならもう一種類くらいメインのお花があった方がいいと思うので。……」
「うーん。そうだなぁ」
話が元の位置に戻り、イリスは再び切り花を順に眺めた。一向に決められないイリスを見て、ラギが遠慮がちに口を開く。
「もしかして先生、お花はあまり好きじゃありませんか……?」
「え? いや、そんなことはないよ。でも……花にはどれも、それぞれ違った美しさがあるから」
イリスは店の中を覗き込みながら言う。
「私にとっては大切なのは姿かたちの美しさより、『誰にもらったか』なんだ。だから今回の場合は、君に選んでもらったってだけでもう十分幸せなんだよね」
「……」
「ごめんね。好きな花を訊かれてるのに、的外れな答えで」
「えっ!? いえっ、そそそんなことないです! いいとおもいます!」
ラギが顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振る。過剰に照れる少年の姿を微笑ましく見つめていると、その背後で揺れる花が目に留まった。
「イリス先生、こっちです! おれここ、先生と一緒に行こうってずっと思ってて」
「はいはい、分かったから落ち着いて。お誘いは嬉しいけど、私もうお腹入らないよ?」
ラギに腕を引かれ、イリスはつんのめるようにして早足で大通りを進む。その様子を見た村人達が、孫や子どもを見守るように目を細めて微笑むものだから、イリスはちょっと恥ずかしくなった。
今二人は、村で唯一にして最大の商店街に来ていた。もちろん店の数も質も、何なら道の幅からして王都の大通りとは比較にならないほど質素で小ぢんまりとしているが、自然をふんだんに残した緑の通りは木陰が多く、吹き抜ける風が心地よい。牧歌的なサンサリーズの雰囲気と、少し褪せた店の看板がうまく調和していた。
朝食の後すぐこの商店街に来たイリス達は、まずラギが贔屓にしているという「幼馴染の女の子がいるパン屋さん」でふかふかの葡萄パンをいただき、次に「珍しい果物がいっぱいある青物屋」で、実が黄色の桃を汁を滴らせながら一つずつ食べた。そしてついさっきまで、「村で唯一のコーヒーショップ」でおすすめのブレンドコーヒーを飲んでいたところだ。馬車での移動を控えているのだから、さすがにこれ以上の飲み食いは断らせてもらうのが賢明だろう。
しかしラギは構わずイリスの腕を引く。
「大丈夫です、次は食べ物でも飲み物でもないですから! ……っほら! ここです!」
店の前に立った瞬間、濃厚な緑と花の粉っぽい匂いが漂った。「フラワーショップ」という、潔い名前の花屋だ。店の向かって右側には切り花が活けられた無数のブリキのバケツがずらりと並び、左側には鉢植えが背の低いものから順に並んでいる。
花とイリスの顔をちらちらと見比べながら、ラギが照れ臭そうに言う。
「ギリーには、お花はかさばるからお土産にはよくないって言われたんだけど……。でも、イリス先生にはお花が似合うと思うから。それにおれ、先生がどんなお花が好きなのか、知りたくて……タビトは教えてくれなかったし……」
最後の方はモゴモゴと半ば口の中で呟いていたせいでうまく聞き取れなかったが、恥じらう少年の姿が愛らしく、イリスは自然と顔が緩むのが分かった。
「いいね。それじゃ何か見繕ってもらおうかな。荷物のことなら気にしなくて大丈夫だから」
「! ほんとですか! それじゃ花束にしてもらいましょう! どれにしますか?」
「そうだなぁ」
ラギに促されて中腰になり、バケツの切り花に目を落とす。
淡い黄色と桃色が愛らしいアジサイ、ゆらめく炎の形の青いグロリオサ、雪のように純白のガーデニア、上品な薄紫のアガパンサス……。どれもそれぞれ美しいとは思うが、元々花を飾る習慣がないこともあっていま一つ決め手に欠ける。買い物というよりただ花を愛でることを楽しんでいると、ラギが横からちょんとイリスの服の裾を引いた。
「あの、先生。……おれ、あれなんかいいと思うんですけど……」
「ん。どれかな」
ラギが指さしたバケツには、小ぶりのユリの花が活けられていた。ほっそりとした白の花弁がラッパ状に広がり、根に近い方がうっすらと青みがかっている。
「『白銀ヒメユリ』っていうユリの仲間で、ふつうヒメユリは赤っぽい色をしてるんだけど、これは白なので珍しいんです。でも一番珍しいのは、花粉のついてるところが……」
「へえ、すごい。花粉が銀色だ」
イリスが感嘆すると、ラギは嬉しそうに頬を紅潮させる。
「そうなんです。この花粉で銀色の糸とかインクとか色んなものを作ることができるから、すごくきれいなお花なのに、店に並ぶのは珍しいことなんです。この店がとくべつ」
「なるほど。すごいなぁ、ラギは物知りだね」
「いや、えっと、あの。こ。この村だとふつうです。ふつう」
かぁーっとラギの顔が耳まで赤くなっていくのを、イリスは微笑ましい気持ちで見つめていた。おそらく今の説明もギリーや花屋の店主に相談して、一生懸命練習したのだろう。ラギはきょときょとと忙しなく目線を動かしながら続ける。
「それで、あの、……このお花、どうですか? おれは、きれいではかない感じが、イリス先生に似てると……思うんですけど……」
「そう? 私なんてそんないいもんじゃないと思うけど、君にそう言ってもらえるのは嬉しいな。それじゃその、白銀ヒメユリを花束にしてもらおうか」
「! はいっ! あの、それと、イリス先生の好きなお花も入れましょう。花束ならもう一種類くらいメインのお花があった方がいいと思うので。……」
「うーん。そうだなぁ」
話が元の位置に戻り、イリスは再び切り花を順に眺めた。一向に決められないイリスを見て、ラギが遠慮がちに口を開く。
「もしかして先生、お花はあまり好きじゃありませんか……?」
「え? いや、そんなことはないよ。でも……花にはどれも、それぞれ違った美しさがあるから」
イリスは店の中を覗き込みながら言う。
「私にとっては大切なのは姿かたちの美しさより、『誰にもらったか』なんだ。だから今回の場合は、君に選んでもらったってだけでもう十分幸せなんだよね」
「……」
「ごめんね。好きな花を訊かれてるのに、的外れな答えで」
「えっ!? いえっ、そそそんなことないです! いいとおもいます!」
ラギが顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振る。過剰に照れる少年の姿を微笑ましく見つめていると、その背後で揺れる花が目に留まった。
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更新の新しい順でタイトルが気になって、さっき読み始めたばかりなんですが、今『魔法使いの家』まできました。
序盤はタビトのこと小さめの少年かと思ってたら大きめの少年なんですね~
面白くてどんな展開になるのかワクワクしながら読んでます✨
もっと沢山の人に知ってほしいです!
こんばんは!
序盤タビトはあまり人と触れ合わずに生きてきたので、
(自認)少年って感じですかね。。。笑
かなり長ーい物語なので読んでもらえるだけでも嬉しいです!
感想ありがとうございました♪