25 / 32
先人の知恵
しおりを挟む
「あ……!」
川の上空で白い紙面がゆらゆらと漂い、一夏の顔から血の気が引いていく。
――最悪だ。こんなことになるなら、本を返す時に一緒に返せばよかったのに。こんなところにそのまま持ってくるなんて、なんて馬鹿なことを。これじゃ俺が、わざとこうしたみたいじゃないか。いや、そんなはずない。でも。
風に揺られるポストカードから目を離さないまま呟く。
「ご、……ごめん。俺、そんなつもりは……」
「あー……いや、別にええで? わざわざ持ってきてくれたとこに言うのもアレやけど、ほんま別に……」
「よ、……よくない! 全然よくないよ! 俺取ってくる!」
「え? いや取ってくるって……一夏!?」
一夏はポストカードの落下点に向かって走り出した。ゆらゆらと空中で動くせいで位置が定らないが、このままいけば今いるところの反対側の川面に落ちるはずだ。その前に掴むことができれば濡らさずに済む。一夏は川に入ることになるが――あれは迷信だ。今はそんなこと、気にしている場合じゃない。
靴を脱ぐのもまどろっこしく、一夏は裏鏡の浅瀬に一歩踏み出す。冷たい水に足全体が包まれて少しだけひるんだが、深さは足首までしか届かない。
「一夏、もういいって! そんなん取りに行かんでええから! 戻ってこい!」
後ろで千が叫んでいる。しかし一夏は振り返ることなく、ただ中空で舞う白いハガキを目で追った。チャンスは一度きりしかないのだから、絶対に逃せない。ハガキに意識を集中させながらざぶざぶと、水流を掻き分けるようにして前に進む。
だから一夏は、気付かなかった。
最初足首のところまでしかなかったはずの川の流れが、一歩踏み出すごとにどんどん深さを増していることに。今や一夏は腰まで水に浸かりながら、ハガキの落下点に手を伸ばす。
――あと、ほんの少し。背伸びをしたら届くはず。
限界まで腕を伸ばしたそのとき、再び風が吹いた。
「あっ」
まずい、川に落ちる――と、焦った一夏は斜めに飛んだ。が、半分水の中にいるせいで勢いが付かない上に、バランスを崩して倒れそうになる。それでもなんとか、指の先でポストカードの端を掴むことは成功したのだが、
――バシャン!!
という水音と共に、一夏の全身が水流に包まれた。
水の冷たさと濁った視界に混乱して、何が起こったのかすぐに気付けなかった。足を踏ん張ろうとしても足元の地面がずるずると崩れ、水の流れに体が流されていく。
――あれ。この川ってこんなに深かったの? いつの間に? というか流れ、速……
「一夏!」
やみくもに伸ばしていた腕を、上からぐいと掴まれた。
ざばあっと、うるさいほどの水音が鼓膜を叩く。目まぐるしく変わる天地に目が回り、ふらついているところを強引に引っ張られた。
「うわ、……」
倒れそうになりながら前を向いたところで、千の背中が見えた。水に濡れ、くっきりと肩甲骨が浮き出たTシャツを見て、ようやく一夏は自分が溺れかけたことと、千に助けられたことに気付く。
――千、怒ってる。怒ってるよね? どうしよう。こんなことになるなんて。
全身がびしょ濡れになったせいで服が体に張り付き、動きにくいし体が重い。そのせいで千のペースにも付いていけず、つんのめりながら必死で追いつこうとする。
惨めだった。
ポストカードを追って川に入り、溺れかけたところを助けられるなんて、やっていることがまるで幼い子どもだ。しかもそのポストカードも、水流に揉まれているうちにいつの間にか流されてしまったようだった。あの時、指の先でたしかに触れたのに。
千はまるがいる岸辺に辿り着くとその場でくるりと振り返り、一夏を放り投げるようにして陸にあげた。間髪入れず怒鳴りつける。
「このアホ! 何考えとんねん! ちょっとは周り見ろや!」
「ご、……ごめん。ポストカード、拾えなかった……」
「はあ? あんなハガキどうでもええゆうたやろ! それよりなんでお前は……」
千が続けようとしたとき、ぽつ、と水滴が肌を叩いた。
ぽつ、ぽつ。……ぽつっ。
と、雨粒がドアをノックするように、控えめに落ちていたのはほんの十秒ほどだった。みるみるうちに勢いが強くなり、糸のように絶え間なく天から雨が降り注ぐ。
「あかん、降ってきてもうた。一夏、とりあえずうち来い。ほらまる、行くで!」
千は右手で一夏の腕、左手でまるのリードを引き、慌ただしく堤防をのぼる。一夏がまるの少し後ろを歩いていると、柴犬は不思議そうな顔で一夏を振り返った。その顔が「何やってるん? 大丈夫?」と言っているようで、一夏はまた少し惨めになった。
川の上空で白い紙面がゆらゆらと漂い、一夏の顔から血の気が引いていく。
――最悪だ。こんなことになるなら、本を返す時に一緒に返せばよかったのに。こんなところにそのまま持ってくるなんて、なんて馬鹿なことを。これじゃ俺が、わざとこうしたみたいじゃないか。いや、そんなはずない。でも。
風に揺られるポストカードから目を離さないまま呟く。
「ご、……ごめん。俺、そんなつもりは……」
「あー……いや、別にええで? わざわざ持ってきてくれたとこに言うのもアレやけど、ほんま別に……」
「よ、……よくない! 全然よくないよ! 俺取ってくる!」
「え? いや取ってくるって……一夏!?」
一夏はポストカードの落下点に向かって走り出した。ゆらゆらと空中で動くせいで位置が定らないが、このままいけば今いるところの反対側の川面に落ちるはずだ。その前に掴むことができれば濡らさずに済む。一夏は川に入ることになるが――あれは迷信だ。今はそんなこと、気にしている場合じゃない。
靴を脱ぐのもまどろっこしく、一夏は裏鏡の浅瀬に一歩踏み出す。冷たい水に足全体が包まれて少しだけひるんだが、深さは足首までしか届かない。
「一夏、もういいって! そんなん取りに行かんでええから! 戻ってこい!」
後ろで千が叫んでいる。しかし一夏は振り返ることなく、ただ中空で舞う白いハガキを目で追った。チャンスは一度きりしかないのだから、絶対に逃せない。ハガキに意識を集中させながらざぶざぶと、水流を掻き分けるようにして前に進む。
だから一夏は、気付かなかった。
最初足首のところまでしかなかったはずの川の流れが、一歩踏み出すごとにどんどん深さを増していることに。今や一夏は腰まで水に浸かりながら、ハガキの落下点に手を伸ばす。
――あと、ほんの少し。背伸びをしたら届くはず。
限界まで腕を伸ばしたそのとき、再び風が吹いた。
「あっ」
まずい、川に落ちる――と、焦った一夏は斜めに飛んだ。が、半分水の中にいるせいで勢いが付かない上に、バランスを崩して倒れそうになる。それでもなんとか、指の先でポストカードの端を掴むことは成功したのだが、
――バシャン!!
という水音と共に、一夏の全身が水流に包まれた。
水の冷たさと濁った視界に混乱して、何が起こったのかすぐに気付けなかった。足を踏ん張ろうとしても足元の地面がずるずると崩れ、水の流れに体が流されていく。
――あれ。この川ってこんなに深かったの? いつの間に? というか流れ、速……
「一夏!」
やみくもに伸ばしていた腕を、上からぐいと掴まれた。
ざばあっと、うるさいほどの水音が鼓膜を叩く。目まぐるしく変わる天地に目が回り、ふらついているところを強引に引っ張られた。
「うわ、……」
倒れそうになりながら前を向いたところで、千の背中が見えた。水に濡れ、くっきりと肩甲骨が浮き出たTシャツを見て、ようやく一夏は自分が溺れかけたことと、千に助けられたことに気付く。
――千、怒ってる。怒ってるよね? どうしよう。こんなことになるなんて。
全身がびしょ濡れになったせいで服が体に張り付き、動きにくいし体が重い。そのせいで千のペースにも付いていけず、つんのめりながら必死で追いつこうとする。
惨めだった。
ポストカードを追って川に入り、溺れかけたところを助けられるなんて、やっていることがまるで幼い子どもだ。しかもそのポストカードも、水流に揉まれているうちにいつの間にか流されてしまったようだった。あの時、指の先でたしかに触れたのに。
千はまるがいる岸辺に辿り着くとその場でくるりと振り返り、一夏を放り投げるようにして陸にあげた。間髪入れず怒鳴りつける。
「このアホ! 何考えとんねん! ちょっとは周り見ろや!」
「ご、……ごめん。ポストカード、拾えなかった……」
「はあ? あんなハガキどうでもええゆうたやろ! それよりなんでお前は……」
千が続けようとしたとき、ぽつ、と水滴が肌を叩いた。
ぽつ、ぽつ。……ぽつっ。
と、雨粒がドアをノックするように、控えめに落ちていたのはほんの十秒ほどだった。みるみるうちに勢いが強くなり、糸のように絶え間なく天から雨が降り注ぐ。
「あかん、降ってきてもうた。一夏、とりあえずうち来い。ほらまる、行くで!」
千は右手で一夏の腕、左手でまるのリードを引き、慌ただしく堤防をのぼる。一夏がまるの少し後ろを歩いていると、柴犬は不思議そうな顔で一夏を振り返った。その顔が「何やってるん? 大丈夫?」と言っているようで、一夏はまた少し惨めになった。
0
あなたにおすすめの小説
雪色のラブレター
hamapito
BL
俺が遠くに行っても、圭は圭のまま、何も変わらないから。――それでよかった、のに。
そばにいられればいい。
想いは口にすることなく消えるはずだった。
高校卒業まであと三か月。
幼馴染である圭への気持ちを隠したまま、今日も変わらず隣を歩く翔。
そばにいられればいい。幼馴染のままでいい。
そう思っていたはずなのに、圭のひとことに抑えていた気持ちがこぼれてしまう。
翔は、圭の戸惑う声に、「忘れて」と逃げてしまい……。
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
義兄が溺愛してきます
ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。
その翌日からだ。
義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。
翔は恋に好意を寄せているのだった。
本人はその事を知るよしもない。
その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。
成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。
翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。
すれ違う思いは交わるのか─────。
視線の先
茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。
「セーラー服着た写真撮らせて?」
……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった
ハッピーエンド
他サイトにも公開しています
地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛
中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。
誰の心にも触れたくない。
無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。
その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。
明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、
偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。
無機質な顔の奥に隠れていたのは、
誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。
気づいてしまったから、もう目を逸らせない。
知りたくなったから、もう引き返せない。
すれ違いと無関心、
優しさと孤独、
微かな笑顔と、隠された心。
これは、
触れれば壊れそうな彼に、
それでも手を伸ばしてしまった、
不器用な男たちの恋のはなし。
カフェ・コン・レーチェ
こうらい ゆあ
BL
小さな喫茶店 音雫には、今日も静かなオルゴール調のの曲が流れている。
背が高すぎるせいか、いつも肩をすぼめている常連の彼が来てくれるのを、僕は密かに楽しみにしていた。
苦いブラックが苦手なのに、毎日変わらずブラックを頼む彼が気になる。
今日はいつもより温度を下げてみようかな?香りだけ甘いものは苦手かな?どうすれば、喜んでくれる?
「君の淹れる珈琲が一番美味しい」
苦手なくせに、いつも僕が淹れた珈琲を褒めてくれる彼。
照れ臭そうに顔を赤ながらも褒めてくれる彼ともっと仲良くなりたい。
そんな、ささやかな想いを込めて、今日も丁寧に豆を挽く。
甘く、切なく、でも愛しくてたまらない――
珈琲の香りに包まれた、静かで優しい記憶の物語。
君のスーツを脱がせたい
凪
BL
学生兼モデルをしている佐倉蘭とオーダースーツ専門店のテーラー加瀬和也は絶賛お付き合い中。
蘭の誕生日に加瀬はオーダースーツを作ることに。
加瀬のかっこよさにドキドキしてしまう蘭。
仕事、年齢、何もかも違う二人だけとお互いを想い合う二人。その行方は?
佐倉蘭 受け 23歳
加瀬和也 攻め 33歳
原作間 33歳
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる